《月刊救援から》
=袴田巖さんの再審公判=
☆ 5・22結審日は静岡地裁へ
☆ 検察官の罪は重い
四月二四日、いわゆる袴田事件第一四回再審公判が終了し、五月二二日の論告・弁論を残すだけになった。
でっち上げ逮捕から間もなく五八年、死刑確定から四四年超える歳月は、一九六六年八月一八日の逮捕以降、一貫して「私は犯人ではない」「私は無実てある」と叫び続けた袴田巌さんにとって、文字通り塗炭の苦しみの年月であった。
二〇一四年三月二七日の再審開始決定・釈放から一〇年、この一〇年は今年八八歳の袴田さんにとって、単に無駄な時間として語ることのできない貴重な時間てあった。上訴し有罪主張を行う検察官の罪は重い。
☆ 起訴そのものが無理だった
再審公判で検察官は「自白」を使わないと断言した。犯行態様は検察官の想像を主張したに過ぎない。袴田さんと犯行を直接結び付ける証拠は何もない。いうなれば、検察官は誰でも犯人に仕立て上げる方法を選択したのである。
これでは起訴そのものが無効だったと検察官が告白しているようなものである。
四月の再審公判では、袴田さんの右肩部分のDNA型鑑定をめぐる双方の主張かなされたが、そもそもこの鑑定は静岡地裁で検察側の鑑定人も「袴田さんのDNAとは一致しない」と鑑定していた。この検察側鑑定人は試料が古く味噌の影響があるなどとして、自らの鑑定が信用できないと鑑定結果を取り下けたのである。
今回の検察官の主張は、この取り下げた鑑定を利用し、弁護側鑑定人のDNAの選択的抽出法の信用性を否定してきたものである。
しかし、検察官は別の事件でこの鑑定方法の有用性を主張し、裁判所は検察官の主張を認めている。まさに、検察官の二枚舌主張である。
☆ 静岡県警に手玉に取られた検察官
「ま、でっち上げですね」大川原化工機事作の公判での警視庁公安部の警察官が法廷でこう述べている。
大川原化工機事件は、当時の安倍政権をヨイショするため警視庁公安部が暴走したでっち上げ事件たと言われているが、東京地検は公安部の言いなりで起訴してしまった。のちほど起訴を取り下げるがとんだ赤っ恥である。
静岡県警は事側直後の現場検証で、表シャッターのカギかかかっていないこと、裏木戸は消火の際開けることがとても困難であったことが明らかであるにもかかわらず、工場の寮に住む袴田さんに目を付け、四日後の七月四日には家宅捜索を行い、その日の夕刊には袴田さんの部屋から「血染めのシャツ発見」と報道させている。どうしても、工場関係者による犯行につなげ、袴田さんを犯人にしたかったのた。当初からまともな捜索をすることなく袴田さんをでっちあげる捜索しかしていないことが分かる。
袴田さんは静岡地検の吉村英三によって起訴されるが、捜査・公判と関わった袴田さんと同年代の吉村検事は、松本久次郎をはじめとする老練な静岡県警や清水署の警察官たちの捜査方針に従わざるを得なかったのだろう。
血液の痕跡すらないパシャマを犯行着衣とし、工作用のクリ小刀で成人男子の肋骨など切断できるはずがないことを知りつつ、袴田さんを起訴していく。その不安は五点の衣類が発見された当時の心境を述へた後年の供述からも読み取れる。
権力が暴走すれば合法的に人を殺していく、大川原化工機事件も袴田さんが死刑宣告を受けたこの事件も同様である。
☆ 五月二二日論告・弁論に駆け付けていただきたい!
「犯行時間帯も侵入方法も満足に説明できない検察官に、まともな論告ができるのだろうか。」
「これで死刑求刑ができると、検察官は考えているのだろうか。」
四月二四日、公判後の会見で弁護団が語った言葉である。
再審公判で有罪主張を重ねる検察官たちは、事件当時この世に存在すらしていない。彼らは本心からこの事件は袴田さんの単独犯であると考えているのだろうか。
静岡県警のメンツを保つため、あるいは一度起訴した以上引き返せないとしたら、それは五七年前、静岡県警の手玉に取られた吉村英三検事と同じである。彼らに公益の代表者を語る資格はない。今からでも遅くない、検察官は無罪論告をするべきである。
結審は五月二二日、ぜひ多くの方々にこの公判の行方を見守っていただきたい。
限られた傍聴券は午前八時四〇分から静岡地裁で整理券が配布。不運にも傍聴券が入手できない場合は、当日午後二時から静岡地哉近くの静岡市民文化会館三階大会議室で袴田さんの映画「夢の間の世の中」(金聖雄監督)が上映され、その後引き続き行われる弁護団会見によって、当日の論告・弁論に内容が語られる。(おわり)
(袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会事務局長山崎俊樹)
『月刊救援』(2024年5月10日)
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