◆ 「愛政府心」強制か
教科書改定 学校に圧力
安倍政権は十七日に閣議決定する予定の国家安全保障戦略に「愛国心」を盛り込んだ。安全保障に「愛国心」はどこか不釣り合いだ。先月には、文部科学省が小中高の「愛国心」教育を強化すると発表している。だが、言葉を間違えているのではないか。狙いは「愛『政府』心」の押し付けとしか思えない。(出田阿生、鈴木伸幸)
◆ 安全保障に愛 すごく違和感
「愛という言葉は、強制と全く逆の概念です。愛することを強いた瞬間、それはただの義務になる。しかも外交や安全保障の指針に、なぜ愛が必要なのか。ものすごく違和感がある」
個人の良心や信条を貫く難しさを芝居で描いてきた劇作家永井愛さんの率直な思いだ。
「愛国心」は国家安全保障戦略の「社会的基盤の強化」の項目に盛り込まれる。具体的な文言は、「諸外国やその国民に対する敬意を表し、わが国と郷土を愛する心を養う」となる予定だ。
しかし、字面を追っても意味がはっきりしない。
永井さんは「『国を愛する』の主語は、政府なのか、国民なのか。指針によって国民の義務になるのか。全く分からない。これほど曖昧では、いかようにも解釈できてしまう」と指摘する。
「愛国心とは、愛『政府』心ではないかと思える。国民は政府に対して従順であれ、と」いうのが、最悪の解釈だ。
◆ 行き着く先は恐怖政治
特定秘密保護法案の強行採決、武器輸出三原則見直し、教科書採択への介入、共謀罪創設への動き…。
安倍政権の性急な動きは、集団的自衛権の容認、改憲の強行が狙いとしかみえない。
永井さんが脚本を手がけた、君が代の伴奏をめぐって思い悩む音楽教員を主人公にした「歌わせたい男たち」という芝居がある。
「愛国心の強制は、既に学校現場では現実となり、しかも日常と化しています」
国旗国歌法が一九九九年に成立した。当時の小渕政権は「掲揚・斉唱を義務づけない」と約束したが、東京都は今春までに延べ四百五十人の教職員を懲戒処分とした。
今年九月には大阪府教委が府立学校に斉唱時の「口元監視」を通達するなど強制は進む一方だ。
「そもそも愛国心の定義や表現方法はさまざまなのに、統一の価値観を押しつけるのは大変危険。愛国心の強制は、独裁国家の常套手段。『なんか変だけど、仕方ない』と忍従を続ければ、行き着く先は恐怖政治に、なりかねない」
◆ 愛は信頼からしか生まれぬ
作家北原みのりさんは最近、安倍政権を熱烈に支持する女性団体を取材している。
戦争中の被害を訴える元慰安婦を「うそつきの売春婦」、「韓流ドラマは有害」などと主張し、日の丸を手にデモをする団体だ。
「花時計」「そよ風」など名称からは何の団体か判然としないが、「愛国者と主張する四十~五十代の女性が中心で、プラカードやビラをかわいく手作りし、楽しそうに活動している」という。
「震災以降、不安だから何かを信じたい。すがるような切実な気持ちが動機では」と北原さん。
だが、「秘密保護法成立を強行し、知る権利をないがしろにする政府は、いわばDV国家です。口で『おまえを守る』と言いながら毎日殴るDV男と同じ。愛は信頼からしか生まれない。愛国心の強制よりも、政府が国民に信頼される努力をするのが先でしょう」。
◆ 第1次政権で基本法に文言
安倍晋三首相の「愛国心」への執着ぶりは、前回の第一次政権でもいかんなく発揮された。
七年前の二〇〇六年末、「法律で愛国心を縛ることになり危険」と教育現場が猛反発する中、第一次安倍政権は教育基本法の初改定を強行した。結果、「我が国と郷土を愛する」という「愛国心」の文言を盛り込むことに成功した。
教育基本法は一九四七年、「天皇や国家のために個人の命をささげるべきだ」とした戦前の教育が軍事国家を支えた反省から生まれた。「個人の尊厳」や「個人の価値」に重きを置き、国家が人の内面に踏み込まないように抑制してきたが、法改定が流れを変えた。
実は改定以前、政府が愛国心を強制しようとする動きは出ていた。
〇二年に刷新された学習指導要領の学習目標に「国を愛する心情を育てるようにする」と明記されたことを受け、全国各地で多くの小学校が通知表に「愛国心」を評価する項自を設けるようになった。
福岡市では、福岡県弁護士会が「個人の思想、心情に関わる問題で公教育にふさわしくない」と指摘し、〇三年に項目は削除された。しかし、愛知県や埼玉県などで、「愛国心」評価が続いた。
共産党が〇六年五月、国会で問題視し、当時の小泉純一郎首相から「あえてこういう項目を持たなくてもいい」という答弁を引き出した。
やめる学校が相次いだが、通知表は各学校の裁量で作られるため、評価を続ける学校は完全にはなくならない。
文科省が集計していないため全体像は不明だが、少なくとも埼玉県内では継続している学校がある。
◆ 愛国心どう評価…教師困惑
「愛国心」を評価すること自体がおかしな話だが、どう評価するかも大きな問題だ。
ある小学校教師は「愛国心を持ちなさいというのは価値観の押し付けだし、愛国心の表現法も千差万別です。五輪で『頑張れニヅポン』と言えば『A』なのか?評価できるはずがない」と現場の困惑ぶりを話す。
それでも、安倍政権は愛国心への執着をやめない。
◆ 道徳の教科化で点数つける
文科省は先月、「愛国心」を養う内容の多い教科書を増やそうと検定基準を改定する方針を決めた。
下村博文文科相は「現在の教科書は教育基本法の趣旨にのっとっていないのではないか」と記者会見で発言した。
道徳の教科化も取り沙汰されている。現在、道徳に検定教科書はなく成績も付けていないが、教科となれば点が付く。
何年か先、道徳が「愛国心」を子どもにたたき込む教科に変貌してしまわないか心配だ。
◆ 批判なければ国は必ず過ち
名古屋大の愛敬浩二教授(憲法学)は「真の愛国者ならば教科書の検定基準改定に反対すべきだ」と話す。
「政府批判はよりよい国にしたいから。負の歴史を教えられたら自国を愛せない薄情な人は愛国者ではない。良い国を造るには自由にモノを言い、批判的にモノを考えることが必要だ。安倍政権は愛国心を強制し、秘密保護法で批判を抑え込もうとしているが、批判者のいない国は必ず過ちを犯す」
東大名誉教授で白梅学園大学学長の汐見稔幸氏はこう警告する。
「現代は中央集権ではなく、市民が主人公となり自ら住みやすいコミュニティーを作る時代だ。二十世紀に日本は拡大志向で戦争に走り、大失敗した。再び『国を愛せ』と強制して、同じ過ちを繰り返そうとしている。完全に時代に逆行している」
※デスクメモ
ヒトラーの右腕だった高官が戦後の裁判でこんな趣旨の証言をしたという。「国民は戦争を望まない。しかし決めるのは指導者で、国民を引きずり込むのは実に簡単だ。外国に攻撃されつつあると言えばよい。それでも戦争に反対する者を、愛国心がないと批判すればいい」。だまされてはいけない。(文)
『東京新聞』(2013/12/14【こちら特報部】)
教科書改定 学校に圧力
安倍政権は十七日に閣議決定する予定の国家安全保障戦略に「愛国心」を盛り込んだ。安全保障に「愛国心」はどこか不釣り合いだ。先月には、文部科学省が小中高の「愛国心」教育を強化すると発表している。だが、言葉を間違えているのではないか。狙いは「愛『政府』心」の押し付けとしか思えない。(出田阿生、鈴木伸幸)
◆ 安全保障に愛 すごく違和感
「愛という言葉は、強制と全く逆の概念です。愛することを強いた瞬間、それはただの義務になる。しかも外交や安全保障の指針に、なぜ愛が必要なのか。ものすごく違和感がある」
個人の良心や信条を貫く難しさを芝居で描いてきた劇作家永井愛さんの率直な思いだ。
「愛国心」は国家安全保障戦略の「社会的基盤の強化」の項目に盛り込まれる。具体的な文言は、「諸外国やその国民に対する敬意を表し、わが国と郷土を愛する心を養う」となる予定だ。
しかし、字面を追っても意味がはっきりしない。
永井さんは「『国を愛する』の主語は、政府なのか、国民なのか。指針によって国民の義務になるのか。全く分からない。これほど曖昧では、いかようにも解釈できてしまう」と指摘する。
「愛国心とは、愛『政府』心ではないかと思える。国民は政府に対して従順であれ、と」いうのが、最悪の解釈だ。
◆ 行き着く先は恐怖政治
特定秘密保護法案の強行採決、武器輸出三原則見直し、教科書採択への介入、共謀罪創設への動き…。
安倍政権の性急な動きは、集団的自衛権の容認、改憲の強行が狙いとしかみえない。
永井さんが脚本を手がけた、君が代の伴奏をめぐって思い悩む音楽教員を主人公にした「歌わせたい男たち」という芝居がある。
「愛国心の強制は、既に学校現場では現実となり、しかも日常と化しています」
国旗国歌法が一九九九年に成立した。当時の小渕政権は「掲揚・斉唱を義務づけない」と約束したが、東京都は今春までに延べ四百五十人の教職員を懲戒処分とした。
今年九月には大阪府教委が府立学校に斉唱時の「口元監視」を通達するなど強制は進む一方だ。
「そもそも愛国心の定義や表現方法はさまざまなのに、統一の価値観を押しつけるのは大変危険。愛国心の強制は、独裁国家の常套手段。『なんか変だけど、仕方ない』と忍従を続ければ、行き着く先は恐怖政治に、なりかねない」
◆ 愛は信頼からしか生まれぬ
作家北原みのりさんは最近、安倍政権を熱烈に支持する女性団体を取材している。
戦争中の被害を訴える元慰安婦を「うそつきの売春婦」、「韓流ドラマは有害」などと主張し、日の丸を手にデモをする団体だ。
「花時計」「そよ風」など名称からは何の団体か判然としないが、「愛国者と主張する四十~五十代の女性が中心で、プラカードやビラをかわいく手作りし、楽しそうに活動している」という。
「震災以降、不安だから何かを信じたい。すがるような切実な気持ちが動機では」と北原さん。
だが、「秘密保護法成立を強行し、知る権利をないがしろにする政府は、いわばDV国家です。口で『おまえを守る』と言いながら毎日殴るDV男と同じ。愛は信頼からしか生まれない。愛国心の強制よりも、政府が国民に信頼される努力をするのが先でしょう」。
◆ 第1次政権で基本法に文言
安倍晋三首相の「愛国心」への執着ぶりは、前回の第一次政権でもいかんなく発揮された。
七年前の二〇〇六年末、「法律で愛国心を縛ることになり危険」と教育現場が猛反発する中、第一次安倍政権は教育基本法の初改定を強行した。結果、「我が国と郷土を愛する」という「愛国心」の文言を盛り込むことに成功した。
教育基本法は一九四七年、「天皇や国家のために個人の命をささげるべきだ」とした戦前の教育が軍事国家を支えた反省から生まれた。「個人の尊厳」や「個人の価値」に重きを置き、国家が人の内面に踏み込まないように抑制してきたが、法改定が流れを変えた。
実は改定以前、政府が愛国心を強制しようとする動きは出ていた。
〇二年に刷新された学習指導要領の学習目標に「国を愛する心情を育てるようにする」と明記されたことを受け、全国各地で多くの小学校が通知表に「愛国心」を評価する項自を設けるようになった。
福岡市では、福岡県弁護士会が「個人の思想、心情に関わる問題で公教育にふさわしくない」と指摘し、〇三年に項目は削除された。しかし、愛知県や埼玉県などで、「愛国心」評価が続いた。
共産党が〇六年五月、国会で問題視し、当時の小泉純一郎首相から「あえてこういう項目を持たなくてもいい」という答弁を引き出した。
やめる学校が相次いだが、通知表は各学校の裁量で作られるため、評価を続ける学校は完全にはなくならない。
文科省が集計していないため全体像は不明だが、少なくとも埼玉県内では継続している学校がある。
◆ 愛国心どう評価…教師困惑
「愛国心」を評価すること自体がおかしな話だが、どう評価するかも大きな問題だ。
ある小学校教師は「愛国心を持ちなさいというのは価値観の押し付けだし、愛国心の表現法も千差万別です。五輪で『頑張れニヅポン』と言えば『A』なのか?評価できるはずがない」と現場の困惑ぶりを話す。
それでも、安倍政権は愛国心への執着をやめない。
◆ 道徳の教科化で点数つける
文科省は先月、「愛国心」を養う内容の多い教科書を増やそうと検定基準を改定する方針を決めた。
下村博文文科相は「現在の教科書は教育基本法の趣旨にのっとっていないのではないか」と記者会見で発言した。
道徳の教科化も取り沙汰されている。現在、道徳に検定教科書はなく成績も付けていないが、教科となれば点が付く。
何年か先、道徳が「愛国心」を子どもにたたき込む教科に変貌してしまわないか心配だ。
◆ 批判なければ国は必ず過ち
名古屋大の愛敬浩二教授(憲法学)は「真の愛国者ならば教科書の検定基準改定に反対すべきだ」と話す。
「政府批判はよりよい国にしたいから。負の歴史を教えられたら自国を愛せない薄情な人は愛国者ではない。良い国を造るには自由にモノを言い、批判的にモノを考えることが必要だ。安倍政権は愛国心を強制し、秘密保護法で批判を抑え込もうとしているが、批判者のいない国は必ず過ちを犯す」
東大名誉教授で白梅学園大学学長の汐見稔幸氏はこう警告する。
「現代は中央集権ではなく、市民が主人公となり自ら住みやすいコミュニティーを作る時代だ。二十世紀に日本は拡大志向で戦争に走り、大失敗した。再び『国を愛せ』と強制して、同じ過ちを繰り返そうとしている。完全に時代に逆行している」
※デスクメモ
ヒトラーの右腕だった高官が戦後の裁判でこんな趣旨の証言をしたという。「国民は戦争を望まない。しかし決めるのは指導者で、国民を引きずり込むのは実に簡単だ。外国に攻撃されつつあると言えばよい。それでも戦争に反対する者を、愛国心がないと批判すればいい」。だまされてはいけない。(文)
『東京新聞』(2013/12/14【こちら特報部】)
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