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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

大阪:「君が代」不起立解雇撤回訴訟控訴審冒頭意見陳述(1)

2017年10月27日 | 日の丸・君が代関連ニュース
2017年10月24日
≪「君が代」不起立解雇撤回訴訟控訴審≫
◎ 第1回弁論 意見陳述
 野 村  尚
 1.はじめに
 私たち控訴人三名は、本年5月10日に地裁民事5部で内藤裁判長による不当判決を受けました。この判決では、私たちの訴えについては、却下や棄却というものでした。しかも判決は、事実認定について多くの事実誤認があり、原告の主張した事実を検討することなく、一方的かつ独断的に認定し、さらに結論として「反省」や「反省の態度」の有無を理由とするという控訴人各人の内面を勝手に推断した不当な判決でした。
 控訴審にあたり、控訴人の主張に真摯に向き合い、慎重な審理をお願いしたいと思います。これから控訴人3人が、それぞれこの控訴審の口頭弁論の場で、それぞれが最も審理していただきたいと考えていることや思いを述べさせていただきます。
 2.大阪府国旗国歌条例の違憲性について

 最初に、私は、国旗国歌条例の違法性について、原判決がいかに誤っているかを訴えたいと思います。
 原判決は、国旗国歌条例の目的を「一般に国旗国歌に対する敬意の表明が、慣習上の儀礼的所作として尊重されるべきことなど生徒に感得させることを目的とするもの」(原判決70頁下から4行目から2行目)と断じています。しかし、これには3点にわたる問題があります。
 第1に、国旗国歌に対する敬意の表明は、憲法にも教育諸法規にも国旗・国歌法にも定められていないこと。
 第2に、一般に国歌斉唱等の行為が国家に対する敬意の表明の要素が含まれるので、それを是認しないものにとっては、思想・良心の(間接的)制約となると一連の最高裁判決が判示していること。
 第3に、「生徒に感得させることを目的」として合憲としていることです。これは、明らかに国歌斉唱時に、全教職員が率先垂範して起立斉唱することを、生徒に見せつけること(教育方法や教育内容)によって、生徒に疑問を抱かせず起立斉唱させる(これが感得するということ)という教育目的を達成しようとするものであり、最終的には間違った愛国心を高揚させるためのものであることは明らかです。
 これを合憲とすることは、教育の国家支配を容認し、教育基本法にある「不当な支配」に抵触するものです。
 3.再任用合格・更新取消に対する訴えを、原告不適格として、却下したこと
 原判決は、一方的に「公法上の任用関係である以上、任用行為がなされて初めて公務員としての地位を取得するものであり、未だ任用関係がない時点においては、再任用を希望する者と被告大阪府との間において何ら法律関係も形成されていない」(原判決68頁)とし、再任用合格取消や再任用更新取消は無効という私たちの訴えを却下しました。
 第1に、任用という法律概念を用いた不当な勤労者の権利侵害であることです。公務員の任命権は、憲法上主権者である国民からの負託によるものであり、国民・勤労者の権利を侵害しないことが前提であることは論を俟ちません。任用において、行政権が辞令を発令しない限り、公務員としての地位を保障されないと解することは、私たちの場合4月1日に辞令が発令されない限り、再任用希望者は、法律的に全く無権利状態に措かれることになり、その間は何ら法的保護も与えられないということであり、憲法27条「勤労の権利・義務」に明らかに反する解釈です。
 第2に、原判決の決定は、任用希望者が不当な選考結果について、異議を申し立てる権利を奪い、地方公務員法の公正な採用選考定めた諸規定を空文化する結果となることです。そもそも再任用選考で合格し、辞令が発令され公務員の地位を取得した者が、不利益処分を受けたとして任命権者を訴えることが、現実にあるでしょうか。訴えるのは、不合格とされ辞令が発令されなかった者や、私たちのように合格を取り消された者ではありませんか。つまり原判決は、私たちを原告不適格と認定することによって、採用選考における違法性を訴えることのできる者がいないという、司法審査のおよばない空白領域を作ったことになります。司法としての社会的責務を果たしていただきたいと思います。こうした判断では、国民・勤労者の権利は不当に侵害され、しかも司法がそれを推進していると指弾されかねません。
 4.野村に関する事実認定について
 原判決は、控訴人の事実に基づいた主張について一言たりとも触れることなく一方的な事実認定をしたうえで、野村に「反省」がみられないとしていることです。予め決めたおいた結論を導くために、校長や府教委との応答のなかでの、文脈から切り離した片々たる材料を探したということがよく分かります。多くのことがありますが、特徴的なことだけを述べます。
 第1に、「今日は望ましいかたちであったでしょうか」という校長の発言は、卒業式の何について「望ましかったか」ということが不分明であり、野村が回答を留保したことは当然の対応であったことです。同じことが、府教委の担当者の発言「校長先生がそう言われていますが」という発言に対する私の「校長がそう言うんだったらそうなんでしょう」という発言にも当てはまります。
 第2に、「管理職2人が現認した」という校長の発言の問題性について検討がなされていないことです。人事委員会の公開口頭審理の調書にもある通り、これが、私が校長に対して不信を持ち、その後卒業式のVTRを確認して校長の発言が嘘であると確信し、顛末書の提出をしなかったことや、府教委の事情聴取の場で、府教委の担当者の「管理職が現認した」という発言に対し、野村が「管理職とは誰ですか」と問い返したことの原因となったものです。 
第3に、校長との意向確認をめぐって50分にわたっている面談しているにも関わらず、その内容について一切触れることなく、ありもしない「資質向上研修」を「研修と称した」と発言したと反省していない根拠としてあげています。そもそも大崎証人の「資質向上研修」なる証言が間違った認識によるものであることは、府教委の準備書面でも明らかです。
 これら、当然ともいえる野村の対応について、原判決は、被告府教委の主観的判断に基づく主張のみに依拠しながら、しかも被告が主張もしていないところの「反省していない根拠」の一つとしてあげています。
 5.「反省していないこと」を理由に棄却した判決が、全く不当なこと
 原判決は、原告野村の発言を取り上げ、さらに「④原告野村本人尋問においても、本件野村職務命令の適法性について疑問がある旨供述していること」(原判決93頁4行)として、法廷での弁論内容まで「反省」がみられない根拠にしています
 第1に、そもそも訴えることが「反省していない」と、いわんばかりの口ぶりです。ここでも、合格を取り消すに足りるだけの理由を見いだせなかった裁判官が、「国家に敬意を表しない者は、公務員として存在することは許さない」という自分の独善的信念で下した判断に他なりません。だから「自らの歴史観・価値観等を最優先にし、それに沿わない条例、通達、職務命令には従わないという確固たる意志を有していることがうかがわれ、(中略)、そのような態度が公務に従事する公務員として許されるものとは言い難い」(原判決93頁8行~12行)と決めつけているのです。しかしこれは事実に反し、また個人の内面を勝手に推断した全く独善的判断であり、裁判官として許されない判断です。
 第2に、国旗国歌に対する敬意の表明は、すぐれて個人の価値観や思想に関わることです。原判決は、今後の起立斉唱という将来の行為(未遂の行為)に対して、「反省があるか、ないのか」という裁判官の主観的判断によって、控訴人らの内面を推断し、再任用合格取消の可否を判断したことになり、こうした判断を司法の場に持ち込むことの違法性は明らかです。
 私たちは長年の教職にあった者の経験として、このような「反省の有無」を問題とする者は、生徒・教員の如何を問わず、好悪の感情が先行した誤った判断をなす者であり、逆にそのような評価を下した者の思想的立ち位置の偏向を如実に示していることを知っています。
 繰り返しになりますが、公正な審理をお願いするものです。

『グループZAZA』(2017-10-25)
http://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/772f4bccd192f2d594a15c8d31111073
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