傍聴に来てください!
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┃ 「君が代」強制解雇裁判 ┃
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10月4日(水)14時開廷
東京地裁103号法廷
13時30分までに地裁前集合
●注目の土屋英雄筑波大教授証人尋問
横山前教育長を皮切りに昨年10月から行われてきた証人尋問では、臼井前人事部長、宮部元都労連委員長、該当高校長らに続いて、今年2月から原告10人全員が証言台に立ってそれぞれが不起立の理由や解雇に至る経過などを証言しました。
いよいよこの憲法学者・土屋英雄筑波大教授の尋問が最後の証人調べになります。
土屋教授は日本国憲法のみならず、アメリカや中国の憲法にも造詣が深く、8月末には「『国旗・国歌』と思想・良心の自由一日本国憲法の法理」と題する87頁の意見書を書いて下さり、裁判所に提出しました。
今回の証人尋問では、本件処分が憲法19条「思想・信条の自由に違反することや「10.23通達」が憲法26条「教育の自由」や学習指導要領に違反することについて、これまでの関連訴訟の判例やアメリカの判例に基づいて説得力ある証言が期待されます。
17時~ 報告集会(於弁護士会館502EF会議室)
☆今後の予定・年内に最終弁論・結審、年度内に判決?
「日の丸・君が代」不当解雇撤回を求める被解雇者の会(略称被解雇者の会)(事務局)太田
「君が代」強制解雇裁判を共にすすめる会(略称解雇裁判の会)(代表)平松
●「土屋意見書」東京地裁に提出(8/31)
▼第1章 日本国憲法と思想・良心の自由
「精神の自由の中枢に位置している思想・良心の自由は絶対的に保障される。憲法19条の《これを侵してはならない》という規定はこの意味である」。
次に、「このことは、思想-良心の自由の外部的表出、に及ぶのかが問題となる」という。どこまでを憲法19条の「思想・良心の自由」で、外部的表出のどこからが憲法21条の「表現の自由」の範疇に入るかである。
土屋教授はこれを慎重に判断し、次のように述べている。「自己の思想・良心を自発的、能動的に外部に表現化する行動は19条よりむしろ21条の保障対象とされるべきだが、こうした表現行動でなく、外部からの一定の作用、働きかけ(命令、要求、勧誘、推奨など)によって、自己の思想・良心の領域が侵害されようとしている場合に、防衛的、受動的にとる拒否の外部的表出は、19条の保障対象となるのが妥当である」
この保障内容は何か?次の3つをあげている。
①沈黙の自由
②強制・勧誘・推奨の禁止
③不利益な取扱の禁止
▼第2章 「国旗」と「国歌」
「国旗には2つの機能がある。それは①識別機能②国家的・国民的な統合機能である。
国歌は②の機能を持っており、国旗も国歌も一定の思想性を持っている。特に国歌は国旗以上に強烈な政治性を伴う。
この意味で、《国旗・国歌》は《思想・良心の自由》との間で緊張関係が出てくる」と、《思想・良心の自由》との関連を述べている。
更に「君が代」の政府見解に対して、「論理矛盾であり、違憲性は喪失しない」と、説得力ある記述を行っている。
▼第3章 国旗・国歌法・東京都「10・23通達」と思想・良心の自由
この章の内容は判例を踏まえながら詳細に論じている。
■判例から導かれる学習指導要領の扱い=北九州「君が代」訴訟福岡判決
学習指導要領には「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」とある。この拘束力について福岡判決は、「学習指導要領の規定については教師の裁量を認めている大綱的基準であるがゆえに、一般的な抽象的な義務を負わせるという意味での拘束力を有するとし、卒業式・入学式等における《国旗掲揚・国歌斉唱に関する学習指導要領の規定》は大綱的基準でなく、具体的な指導方法や細目について、詳細に定めているがゆえに、拘束力を有さないとするのである」と述べている。
■特別権力関係論とは?
公務員に対する権力側の「問答無用論」ともいえる特別権力関係論とはどんな内容であろうか。それは、公務員など、特別の法律上の原因に基づいて、公権力と国民との問に、一般の統治関係とは異なった特別な関係が成立し、そこにおいては、次のような法原則が適用されるという論である。
①公権力は包括的な支配権(命令権、懲戒権)を有し、個々の場合に法律の規定なくして特別な権力関係に属する個人を包括的に支配できること(法治主義の排除)。
②公権力は、特別権力関係に属する個人に対して、一般国民として有する人権を、法律の根拠なくして制限できること(人権の制限)。
③特別権力関係内部における公権力の行為は原則として司法審査に服さないこと(司法権の排除)
特別権力関係論は日本国憲法の下では、このまままでは「通用しえない」ものとなったと、安易に特別権力関係論を適用する「判例」を批判。
■校長の職務命令
「学校現場で、教育活動の細部に渡って教職員が《裁量を行使できない》ような職務命令を校長が発することができるとすれば、学校現場で校長が教育活動の専断的権限を有することになる。
これを許容するとすれば、まさに学校教育の最前線において校長の《不当な支配》が可能となる」と述べ、地公法32条「上司の職務上の命令に従わなくてはならない」という規定については、「職務命令の適法性が問題となるが、教師の教育活動に関わる国旗掲揚と国歌斉唱の職務命令は、適法性の条件を充足しておらず、それに服務する義務は受命教職員にないと考えられる」と述べている。
▼第4章 関連訴訟の決定、判決等の検討
ここでは「再発防止研修取消訴訟」「北九州《君が代》訴訟判決」「ピアノ伴奏職務命令拒否訴訟判決」「ブラウス訴訟判決」を詳細に検討し、適切な問題点を指摘している。ぜひ読んでもらいたいところである。
特に《ブラウス裁判》に関して、「《最も軽度》の処分以外の処分は懲戒権の逸脱・濫用に当たる場合があることを示唆して、若干注目される」と述べ、「本件地位確認等訴訟においては合格取消ないし解雇等という《最も重度》の処分の違法・違憲性が争われており、《ブラウス判決》の趣旨からすれば、かりに《表現の自由》に関わる行為であっても、その処分は懲戒権限の逸脱・濫用と判断される可能性がある」と重要な指摘をしている。
第13回「君が代」裁判を傍聴して
M・Kさん
40数年以上前に紅葉川高校定時制で金子君との出会いがありました。忘れられない信頼する友人なので、これまで7回ほど傍聴に参加してきましたが、今回の傍聴ではそうした私情は消え去りました。
4人の方の陳述は感動的で「泣けて」くるものでした。特に桐生先生の場合「処分されたくないばかりに起立・斉唱してきました」(陳述P5)が、「私は処分を恐れて起立、斉唱を避けるために警備係として外に居り」となり、それが次ぎに「不起立すると覚悟を決めました」と変化する心情が述べられていますが、これを私は淡々と読み流すことができませんでした。
桐生先生のような立派な先生を不当に強制する教育委員会とは何なのか、疑問を持たざるを得ません。他の3人の先生方も生徒に対する情熱がひしひしと伝わってくるものでした。
これらの先生方を処分する石原慎太郎を許すことはできない。
(「『君が代・強制』解雇裁判通信」第48号から)
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┃ 「君が代」強制解雇裁判 ┃
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10月4日(水)14時開廷
東京地裁103号法廷
13時30分までに地裁前集合
●注目の土屋英雄筑波大教授証人尋問
横山前教育長を皮切りに昨年10月から行われてきた証人尋問では、臼井前人事部長、宮部元都労連委員長、該当高校長らに続いて、今年2月から原告10人全員が証言台に立ってそれぞれが不起立の理由や解雇に至る経過などを証言しました。
いよいよこの憲法学者・土屋英雄筑波大教授の尋問が最後の証人調べになります。
土屋教授は日本国憲法のみならず、アメリカや中国の憲法にも造詣が深く、8月末には「『国旗・国歌』と思想・良心の自由一日本国憲法の法理」と題する87頁の意見書を書いて下さり、裁判所に提出しました。
今回の証人尋問では、本件処分が憲法19条「思想・信条の自由に違反することや「10.23通達」が憲法26条「教育の自由」や学習指導要領に違反することについて、これまでの関連訴訟の判例やアメリカの判例に基づいて説得力ある証言が期待されます。
17時~ 報告集会(於弁護士会館502EF会議室)
☆今後の予定・年内に最終弁論・結審、年度内に判決?
「日の丸・君が代」不当解雇撤回を求める被解雇者の会(略称被解雇者の会)(事務局)太田
「君が代」強制解雇裁判を共にすすめる会(略称解雇裁判の会)(代表)平松
●「土屋意見書」東京地裁に提出(8/31)
▼第1章 日本国憲法と思想・良心の自由
「精神の自由の中枢に位置している思想・良心の自由は絶対的に保障される。憲法19条の《これを侵してはならない》という規定はこの意味である」。
次に、「このことは、思想-良心の自由の外部的表出、に及ぶのかが問題となる」という。どこまでを憲法19条の「思想・良心の自由」で、外部的表出のどこからが憲法21条の「表現の自由」の範疇に入るかである。
土屋教授はこれを慎重に判断し、次のように述べている。「自己の思想・良心を自発的、能動的に外部に表現化する行動は19条よりむしろ21条の保障対象とされるべきだが、こうした表現行動でなく、外部からの一定の作用、働きかけ(命令、要求、勧誘、推奨など)によって、自己の思想・良心の領域が侵害されようとしている場合に、防衛的、受動的にとる拒否の外部的表出は、19条の保障対象となるのが妥当である」
この保障内容は何か?次の3つをあげている。
①沈黙の自由
②強制・勧誘・推奨の禁止
③不利益な取扱の禁止
▼第2章 「国旗」と「国歌」
「国旗には2つの機能がある。それは①識別機能②国家的・国民的な統合機能である。
国歌は②の機能を持っており、国旗も国歌も一定の思想性を持っている。特に国歌は国旗以上に強烈な政治性を伴う。
この意味で、《国旗・国歌》は《思想・良心の自由》との間で緊張関係が出てくる」と、《思想・良心の自由》との関連を述べている。
更に「君が代」の政府見解に対して、「論理矛盾であり、違憲性は喪失しない」と、説得力ある記述を行っている。
▼第3章 国旗・国歌法・東京都「10・23通達」と思想・良心の自由
この章の内容は判例を踏まえながら詳細に論じている。
■判例から導かれる学習指導要領の扱い=北九州「君が代」訴訟福岡判決
学習指導要領には「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」とある。この拘束力について福岡判決は、「学習指導要領の規定については教師の裁量を認めている大綱的基準であるがゆえに、一般的な抽象的な義務を負わせるという意味での拘束力を有するとし、卒業式・入学式等における《国旗掲揚・国歌斉唱に関する学習指導要領の規定》は大綱的基準でなく、具体的な指導方法や細目について、詳細に定めているがゆえに、拘束力を有さないとするのである」と述べている。
■特別権力関係論とは?
公務員に対する権力側の「問答無用論」ともいえる特別権力関係論とはどんな内容であろうか。それは、公務員など、特別の法律上の原因に基づいて、公権力と国民との問に、一般の統治関係とは異なった特別な関係が成立し、そこにおいては、次のような法原則が適用されるという論である。
①公権力は包括的な支配権(命令権、懲戒権)を有し、個々の場合に法律の規定なくして特別な権力関係に属する個人を包括的に支配できること(法治主義の排除)。
②公権力は、特別権力関係に属する個人に対して、一般国民として有する人権を、法律の根拠なくして制限できること(人権の制限)。
③特別権力関係内部における公権力の行為は原則として司法審査に服さないこと(司法権の排除)
特別権力関係論は日本国憲法の下では、このまままでは「通用しえない」ものとなったと、安易に特別権力関係論を適用する「判例」を批判。
■校長の職務命令
「学校現場で、教育活動の細部に渡って教職員が《裁量を行使できない》ような職務命令を校長が発することができるとすれば、学校現場で校長が教育活動の専断的権限を有することになる。
これを許容するとすれば、まさに学校教育の最前線において校長の《不当な支配》が可能となる」と述べ、地公法32条「上司の職務上の命令に従わなくてはならない」という規定については、「職務命令の適法性が問題となるが、教師の教育活動に関わる国旗掲揚と国歌斉唱の職務命令は、適法性の条件を充足しておらず、それに服務する義務は受命教職員にないと考えられる」と述べている。
▼第4章 関連訴訟の決定、判決等の検討
ここでは「再発防止研修取消訴訟」「北九州《君が代》訴訟判決」「ピアノ伴奏職務命令拒否訴訟判決」「ブラウス訴訟判決」を詳細に検討し、適切な問題点を指摘している。ぜひ読んでもらいたいところである。
特に《ブラウス裁判》に関して、「《最も軽度》の処分以外の処分は懲戒権の逸脱・濫用に当たる場合があることを示唆して、若干注目される」と述べ、「本件地位確認等訴訟においては合格取消ないし解雇等という《最も重度》の処分の違法・違憲性が争われており、《ブラウス判決》の趣旨からすれば、かりに《表現の自由》に関わる行為であっても、その処分は懲戒権限の逸脱・濫用と判断される可能性がある」と重要な指摘をしている。
第13回「君が代」裁判を傍聴して
M・Kさん
40数年以上前に紅葉川高校定時制で金子君との出会いがありました。忘れられない信頼する友人なので、これまで7回ほど傍聴に参加してきましたが、今回の傍聴ではそうした私情は消え去りました。
4人の方の陳述は感動的で「泣けて」くるものでした。特に桐生先生の場合「処分されたくないばかりに起立・斉唱してきました」(陳述P5)が、「私は処分を恐れて起立、斉唱を避けるために警備係として外に居り」となり、それが次ぎに「不起立すると覚悟を決めました」と変化する心情が述べられていますが、これを私は淡々と読み流すことができませんでした。
桐生先生のような立派な先生を不当に強制する教育委員会とは何なのか、疑問を持たざるを得ません。他の3人の先生方も生徒に対する情熱がひしひしと伝わってくるものでした。
これらの先生方を処分する石原慎太郎を許すことはできない。
(「『君が代・強制』解雇裁判通信」第48号から)
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