「歌いなさい」と怒鳴る校長たち
以下は、出席していた保護者たちの話から、当日の模様を再現した。(略)
そして、全クラスが着席した。「開式の辞をおこないますので、全員ご起立ください」教頭が開式を宣言して、日の丸演壇から恭しく降りてくる。司会の教員が、「国歌斉唱」。大きな声を発すると、その途端、生徒たちはあたかも潮が引いたように、サァーツと着席した。
驚愕した校長と教頭が、「起立して歌いなさい!」と怒鳴った。来賓席にいた土屋都議も「起立しなさい!」と怒鳴り、ときならぬ中年三人男怒号の斉唱となった。
教頭のちかくにいた卒業生が、「思想、信条の自由はどうなるんだ」というのをききつけた教頭が、「信念をもって坐っているもの以外はたちなさい」と叫んだ。
ところが、『産経新聞』が報じたように、九割が着席したままだったから、それが信念の表明となった。
それでも、「ポーン」とピアノの音がでて、「君が代」が、「職務命令」に縛られた教員や保護者や在校生たちの起立によってうたわれはじめた。この四十数秒の強制が、これまで、自殺したり、職を失ったり、病気になったりする教員の悲劇をだしてきた。
卒業証書が授与された。閉式の辞のまえ、眼のみえない卒業生が、三年間お世話になったお礼として、ピアノを弾き、卒業生が歌った。
君は飛び立つ、限りなく青い空に。小嶋登作詞、坂本浩美作曲『旅立ちの日に』。若ものたちに好まれている歌である。
卒業式は、感動的に終わった。式がはじまるまえ、「生徒にたつべきだ、といおうと思っている」と、テレビカメラにむかって語っていた土屋都議も、式場からでてきたときは、「完壁にきれいにやってました」などといっていた。
ところが、生徒たちの拒絶を、「完全に仕組まれた」ものとお考えのようで、都議会では、元教員の行為に「厳しく法的措置をとるべきだと思います」などといいつのり、さらに現職教員のなかの協力者探しと処分を進言している。(略)
式典中に土屋都議が撮影していたとの証言
問題の土屋都議は、ホームページに、「やるぞ!東京大革命」と筆で大書している"革命家"で、「都議会民主党8名の同志と共に、石原知事を支持。石原改革を支える"闘う都議会議員"」と自己紹介している。
石原強権体制を支持して、「闘う」などとは笑止千万だが、石原親衛隊、もしくは「切り込み隊長」を自認しているようだ。(略)
土屋都議に電話した。知らないライターとは話したくない、と政治家らしくないことをおっしゃっていたのだが、気になるとみえて、なんに書くんですか、と聞いてきた。
「『週刊金曜日』、あんなつまらない雑誌。国歌、国旗に反対の雑誌にはいえませんよ」
「わたし自身が、日の丸、君が代に反対だとは、まだいってませんよ」
「あんな雑誌に書くんだったらそうでしょう。さよなら」
ガチャン。わたしが土屋都議に電話をかけたのは、司会者が、電話を切るようにアナウンスしていたのに、土屋都議が式典中に、携帯電話で会場の写真を撮っていた、と証言するひとがなん人かいたので、それを確認してみたかったからだ。
都教委は、すでにおよそ二〇〇人の教員の処分を発表した。「君が代」を拒否して、いきなり「再雇用」をうち切られたある退職教員は、「昔だったら、処分まで、調査のためなどでゴが月はかかった」とあきれている。問答無用がまかり通っている。
「君が代」を踏み絵にした「東京大革命」の拙速が、卒業式を大事にしたがった生徒の反発を買った。古い権威や価値感の強制が、新しい世代の座り込みを生みだした。それがこの卒業式の教訓のはずだ。もしも、土屋都議の要求に応じた、元教員逮捕などがあれば、その日から、「教育」を「強権」といい換えたほうがいい。
鎌田慧「卒業式出席者が明かす都教委側の事実ねつ造」から(『週刊金曜日』2004.4.16 №504)
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ご覧のように、卒業式の場面には、藤田さんは一切登場してこない。既に退場させられており、関わりようがなかったのだ。
以下は、出席していた保護者たちの話から、当日の模様を再現した。(略)
そして、全クラスが着席した。「開式の辞をおこないますので、全員ご起立ください」教頭が開式を宣言して、日の丸演壇から恭しく降りてくる。司会の教員が、「国歌斉唱」。大きな声を発すると、その途端、生徒たちはあたかも潮が引いたように、サァーツと着席した。
驚愕した校長と教頭が、「起立して歌いなさい!」と怒鳴った。来賓席にいた土屋都議も「起立しなさい!」と怒鳴り、ときならぬ中年三人男怒号の斉唱となった。
教頭のちかくにいた卒業生が、「思想、信条の自由はどうなるんだ」というのをききつけた教頭が、「信念をもって坐っているもの以外はたちなさい」と叫んだ。
ところが、『産経新聞』が報じたように、九割が着席したままだったから、それが信念の表明となった。
それでも、「ポーン」とピアノの音がでて、「君が代」が、「職務命令」に縛られた教員や保護者や在校生たちの起立によってうたわれはじめた。この四十数秒の強制が、これまで、自殺したり、職を失ったり、病気になったりする教員の悲劇をだしてきた。
卒業証書が授与された。閉式の辞のまえ、眼のみえない卒業生が、三年間お世話になったお礼として、ピアノを弾き、卒業生が歌った。
君は飛び立つ、限りなく青い空に。小嶋登作詞、坂本浩美作曲『旅立ちの日に』。若ものたちに好まれている歌である。
卒業式は、感動的に終わった。式がはじまるまえ、「生徒にたつべきだ、といおうと思っている」と、テレビカメラにむかって語っていた土屋都議も、式場からでてきたときは、「完壁にきれいにやってました」などといっていた。
ところが、生徒たちの拒絶を、「完全に仕組まれた」ものとお考えのようで、都議会では、元教員の行為に「厳しく法的措置をとるべきだと思います」などといいつのり、さらに現職教員のなかの協力者探しと処分を進言している。(略)
式典中に土屋都議が撮影していたとの証言
問題の土屋都議は、ホームページに、「やるぞ!東京大革命」と筆で大書している"革命家"で、「都議会民主党8名の同志と共に、石原知事を支持。石原改革を支える"闘う都議会議員"」と自己紹介している。
石原強権体制を支持して、「闘う」などとは笑止千万だが、石原親衛隊、もしくは「切り込み隊長」を自認しているようだ。(略)
土屋都議に電話した。知らないライターとは話したくない、と政治家らしくないことをおっしゃっていたのだが、気になるとみえて、なんに書くんですか、と聞いてきた。
「『週刊金曜日』、あんなつまらない雑誌。国歌、国旗に反対の雑誌にはいえませんよ」
「わたし自身が、日の丸、君が代に反対だとは、まだいってませんよ」
「あんな雑誌に書くんだったらそうでしょう。さよなら」
ガチャン。わたしが土屋都議に電話をかけたのは、司会者が、電話を切るようにアナウンスしていたのに、土屋都議が式典中に、携帯電話で会場の写真を撮っていた、と証言するひとがなん人かいたので、それを確認してみたかったからだ。
都教委は、すでにおよそ二〇〇人の教員の処分を発表した。「君が代」を拒否して、いきなり「再雇用」をうち切られたある退職教員は、「昔だったら、処分まで、調査のためなどでゴが月はかかった」とあきれている。問答無用がまかり通っている。
「君が代」を踏み絵にした「東京大革命」の拙速が、卒業式を大事にしたがった生徒の反発を買った。古い権威や価値感の強制が、新しい世代の座り込みを生みだした。それがこの卒業式の教訓のはずだ。もしも、土屋都議の要求に応じた、元教員逮捕などがあれば、その日から、「教育」を「強権」といい換えたほうがいい。
鎌田慧「卒業式出席者が明かす都教委側の事実ねつ造」から(『週刊金曜日』2004.4.16 №504)
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ご覧のように、卒業式の場面には、藤田さんは一切登場してこない。既に退場させられており、関わりようがなかったのだ。
悪い部分があるのならば改善するのが建設的な思考であり、教育者を自負するならば生徒には「拒絶」では無く「改善」といったより良い方向性を促してやるべきではないのか?
またどんなに気に入らなかろうが、現在「君が代」は紛れも無く日本の国歌であり、曲が流れているのに座るなどという不敬を教育者が子供にそそのかすものではない。
自国の国歌に対する敬意を持てないのに他国の国歌に敬意を持てるのだろうか?
これから国際社会で活躍するかもしれない子供達の未来を潰しているとしか思えない。