=前川喜平さん、教科書・教育問題を語る(3)(子どもと教科書全国ネット21)=
◆ 高校無償化について
Q:高校無償化の時、前川さんはどのような立場でしたか?
前川:高校無償化はいい考え方だと思い、制度設計をしました。18歳までの学習権を保障するという考え方で、少なくとも授業料は無償にしていこうという方向性です。民主党政権下で導入した高校無償化は、私学に対しては低所得層については一定のかさ上げ措置を講じたので、私学に行っている人でも低所得層についてはかなり支援できるようになりました。
問題は公立高校の場合です。公立高校は、全額免除制度というのがもともとあった。だから授業料をただにしたといっても、いちばん貧しい家庭の子どもにはメリットなかったのです。
授業料以外の部分の教育費の支援をしなければいけない。公立の小中学校では、学用品や修学旅行費や給食代とか、授業料でない部分を支援する就学援助を、各市区町村でやっています。高校でも就学援助が必要です。
これを実現したのは実は安倍内閣なんです。民主党のやった高校無償化を批判して、所得制限を入れます。そこから生み出される財源で、低所得層の子どもたちのための授業料以外の部分の給付型の奨学金を作ります。この給付型奨学金をつくることはいいことですが、その財源を所得制限で生み出すのはかなりまずい方法だと思っていました。控除制度の見直しで財源を生み出す方がいいと。
しかし、所得制限というのは今の高校生の8割は無償措置の対象になったんだけど、2割は対象になってない。所得制限をかけたために事務費が全国で50億円も必要になった。それが単に親の収入をチェックするために使われているんです。ものすごく非効率的な制度だと思います。
そもそも無償というのは、親が教育費を出すことが前提ではなく、社会全体で子どもの学びを支えるという考え方に切り替える話であって、親の収入で差をつけるべきではないと思うんです。
◆ 教育の機会均等について
Q:今、夜間中学でボランティアをしていらっしゃいますね。
前川:私が今行っているのは自主夜間中学で、公立の夜間中学がない地域で学びたいという人たちが自発的に集まって勉強しているという場所です。
1つは福島駅前自主夜間中学、もう1つは「あつぎえんぴつの会」です。最初のころは1週間に1回ずつそれぞれ行ってたんですが、最近はそれぞれ月1回ぐらいです。
私が教えられることと学びたい人に合致するものは何でもやります。「あつぎえんぴつの会」で出会った非識字者の方は70代の男性で、小学校も中学校も1日も行ったことがない。鉛筆の持ち方から教えて、平仮名、片仮名が書けるようになった。
あるとき、お茶のペットボトルもってきて、この字が書きたい。「綾鷹」っていう漢字。書くのたいへんですよと、いいながら練習したんです。この字を書いてみたいという、これはまさに学習意欲であって、それを書けることに喜びがあります。その人は綾鷹と「書けた!」といって喜んでいたわけです。
Q:貧困とか家庭の事情で学校に行けなかった人が多いわけですね?
前川:在日の人、非差別部落の人など、差別や偏見のために幼いころに学校に行けなかったという人は関西に多いです。
私がついた人は、九州で育って、子どもの頃に親が亡くなって、親戚に引き取られたけど、学校に行かせてもらえなくて家事労働に従事させられた。水汲みとか薪割りとか子守りとか。そこを出て炭坑で働いたけど、炭坑が閉山になって、炭鉱の年長の人に連れられて都会に出てきて、どういうふうに流れ着いたのかわからないけど、今は厚木で暮らしている。おそらく今は生活保護で暮らしていると思うんだけど、これまでずっと字の読み書きができないまま暮らしてきたと言ってました。
新制中学制度はできたが、昼間の中学校に行けない子どもたちが工場で働いたり家事労働に従事したり、その子が働かないと家族が食っていけないという家もあって、どうしても法律通りにいかなかったわけです。夜間中学は、そういう子どもたちのために現場の先生がやむにやまれぬ思いから夜間の学級を開設しました。
現場の先生たちが自分の仕事もいとわず始めたことなのに、文部省はそんなものはいらんとずっと言ってきました。70年代、夜間中学が新たにつくられていくのですが、学齢期の子どもではなく、若いときに学校に行けなかった学齢超過者を対象とするものに変わっていきました。
大量に夜間中学が受け入れたのは旧満州からの引揚者です。日本語が全然できない人が多いから、夜間中学が日本社会に溶け込んでいくための重要な学習の場になったんです。
80年代になると、不登校の子どもたち、学齢期の子どももいるし、不登校のまま学齢を超過した16~18歳という人たちも入ってくるようになりました。
ところが、不登校の子どもにも卒業証書を出すというのが一般化した途端に、中学を一度卒業した人は夜間中学に入れませんという取り扱いがされてしまった。
これに対する抗議活動というものも夜間中学の関係者はずっとやってきたんだけど、文部科学省は非常に冷たい対応をしました。それを悔い改めて、2015年7月に形式卒業者にも門戸を開くべきだという通知書をやっと出しました。
90年代に入ると、ニューカマー外国人が急速に増えてくるんです。今現在、全国に31校あって、生徒の数が1800人ぐらいです。そのうち7割は新渡日外国人といわれるアジア各地から来た人たちとその子どもたちです。私が行っている「あつぎえんぴつの会」にも、外国人の人がけっこういます。
Q:教育の機会確保法をつくりましたが、その前に形式卒業者の通知を出していたんですか?
前川:通知は先に出してました。外国から来た人でも、9年間の普通教育を受けていないのであれば入れます。実際には、本人の申告をそのまま受け止めて入学させています。
日本語学級を置いている夜間中学は東京にしかないんですが、関西でもニューカマー外国人は増えていますから、実際には日本語から教えているというケースも多い。ただ、外国人に対する日本語教育のすべてを夜間中学の機能として負わせるのは問題があるとは思っています。
私は本人の学歴の如何を問わず、日本で仕事をするために、生活するためにやってきた外国人が日本語を学ぶための公的な施設をきちんと整備すべきだろうと思います。これからどんどんと外国人が入って来るだろうし、日本で生活して日本に定着して社会生活を営んでいくための条件、私たちと一緒に仲間としてスムーズに暮らしていけるような条件をつくらなければならないと思います。
(終)
(まとめ・文責ニュース編集委員会)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 120号』(2018.6)
◆ 高校無償化について
Q:高校無償化の時、前川さんはどのような立場でしたか?
前川:高校無償化はいい考え方だと思い、制度設計をしました。18歳までの学習権を保障するという考え方で、少なくとも授業料は無償にしていこうという方向性です。民主党政権下で導入した高校無償化は、私学に対しては低所得層については一定のかさ上げ措置を講じたので、私学に行っている人でも低所得層についてはかなり支援できるようになりました。
問題は公立高校の場合です。公立高校は、全額免除制度というのがもともとあった。だから授業料をただにしたといっても、いちばん貧しい家庭の子どもにはメリットなかったのです。
授業料以外の部分の教育費の支援をしなければいけない。公立の小中学校では、学用品や修学旅行費や給食代とか、授業料でない部分を支援する就学援助を、各市区町村でやっています。高校でも就学援助が必要です。
これを実現したのは実は安倍内閣なんです。民主党のやった高校無償化を批判して、所得制限を入れます。そこから生み出される財源で、低所得層の子どもたちのための授業料以外の部分の給付型の奨学金を作ります。この給付型奨学金をつくることはいいことですが、その財源を所得制限で生み出すのはかなりまずい方法だと思っていました。控除制度の見直しで財源を生み出す方がいいと。
しかし、所得制限というのは今の高校生の8割は無償措置の対象になったんだけど、2割は対象になってない。所得制限をかけたために事務費が全国で50億円も必要になった。それが単に親の収入をチェックするために使われているんです。ものすごく非効率的な制度だと思います。
そもそも無償というのは、親が教育費を出すことが前提ではなく、社会全体で子どもの学びを支えるという考え方に切り替える話であって、親の収入で差をつけるべきではないと思うんです。
◆ 教育の機会均等について
Q:今、夜間中学でボランティアをしていらっしゃいますね。
前川:私が今行っているのは自主夜間中学で、公立の夜間中学がない地域で学びたいという人たちが自発的に集まって勉強しているという場所です。
1つは福島駅前自主夜間中学、もう1つは「あつぎえんぴつの会」です。最初のころは1週間に1回ずつそれぞれ行ってたんですが、最近はそれぞれ月1回ぐらいです。
私が教えられることと学びたい人に合致するものは何でもやります。「あつぎえんぴつの会」で出会った非識字者の方は70代の男性で、小学校も中学校も1日も行ったことがない。鉛筆の持ち方から教えて、平仮名、片仮名が書けるようになった。
あるとき、お茶のペットボトルもってきて、この字が書きたい。「綾鷹」っていう漢字。書くのたいへんですよと、いいながら練習したんです。この字を書いてみたいという、これはまさに学習意欲であって、それを書けることに喜びがあります。その人は綾鷹と「書けた!」といって喜んでいたわけです。
Q:貧困とか家庭の事情で学校に行けなかった人が多いわけですね?
前川:在日の人、非差別部落の人など、差別や偏見のために幼いころに学校に行けなかったという人は関西に多いです。
私がついた人は、九州で育って、子どもの頃に親が亡くなって、親戚に引き取られたけど、学校に行かせてもらえなくて家事労働に従事させられた。水汲みとか薪割りとか子守りとか。そこを出て炭坑で働いたけど、炭坑が閉山になって、炭鉱の年長の人に連れられて都会に出てきて、どういうふうに流れ着いたのかわからないけど、今は厚木で暮らしている。おそらく今は生活保護で暮らしていると思うんだけど、これまでずっと字の読み書きができないまま暮らしてきたと言ってました。
新制中学制度はできたが、昼間の中学校に行けない子どもたちが工場で働いたり家事労働に従事したり、その子が働かないと家族が食っていけないという家もあって、どうしても法律通りにいかなかったわけです。夜間中学は、そういう子どもたちのために現場の先生がやむにやまれぬ思いから夜間の学級を開設しました。
現場の先生たちが自分の仕事もいとわず始めたことなのに、文部省はそんなものはいらんとずっと言ってきました。70年代、夜間中学が新たにつくられていくのですが、学齢期の子どもではなく、若いときに学校に行けなかった学齢超過者を対象とするものに変わっていきました。
大量に夜間中学が受け入れたのは旧満州からの引揚者です。日本語が全然できない人が多いから、夜間中学が日本社会に溶け込んでいくための重要な学習の場になったんです。
80年代になると、不登校の子どもたち、学齢期の子どももいるし、不登校のまま学齢を超過した16~18歳という人たちも入ってくるようになりました。
ところが、不登校の子どもにも卒業証書を出すというのが一般化した途端に、中学を一度卒業した人は夜間中学に入れませんという取り扱いがされてしまった。
これに対する抗議活動というものも夜間中学の関係者はずっとやってきたんだけど、文部科学省は非常に冷たい対応をしました。それを悔い改めて、2015年7月に形式卒業者にも門戸を開くべきだという通知書をやっと出しました。
90年代に入ると、ニューカマー外国人が急速に増えてくるんです。今現在、全国に31校あって、生徒の数が1800人ぐらいです。そのうち7割は新渡日外国人といわれるアジア各地から来た人たちとその子どもたちです。私が行っている「あつぎえんぴつの会」にも、外国人の人がけっこういます。
Q:教育の機会確保法をつくりましたが、その前に形式卒業者の通知を出していたんですか?
前川:通知は先に出してました。外国から来た人でも、9年間の普通教育を受けていないのであれば入れます。実際には、本人の申告をそのまま受け止めて入学させています。
日本語学級を置いている夜間中学は東京にしかないんですが、関西でもニューカマー外国人は増えていますから、実際には日本語から教えているというケースも多い。ただ、外国人に対する日本語教育のすべてを夜間中学の機能として負わせるのは問題があるとは思っています。
私は本人の学歴の如何を問わず、日本で仕事をするために、生活するためにやってきた外国人が日本語を学ぶための公的な施設をきちんと整備すべきだろうと思います。これからどんどんと外国人が入って来るだろうし、日本で生活して日本に定着して社会生活を営んでいくための条件、私たちと一緒に仲間としてスムーズに暮らしていけるような条件をつくらなければならないと思います。
(終)
(まとめ・文責ニュース編集委員会)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 120号』(2018.6)
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