パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

☆ 大川原化工機事件から見える危険な経済安全保障、都と国が控訴

2024年02月17日 | 平和憲法

  《週刊新社会から》
 ☆ 公安国家が経済(暮らし)を滅ぼす

評論家 佐高 信

 ☆ 警察・検察の捜査は違法

 ある日、突然、大河原加工機の社長らが、同社製の噴霧乾燥機を、中国や韓国に不正に輸出したとして、警視庁公安部に逮捕され、506日後の初公判直前に検察が起訴を取り下げるという異常な事件が起こった。その乾燥機が軍事転用可能だという立証はできないと判断されたためである。

 そもそも、経済産業省は最初、立件に否定的であり、社長らが都と国に賠償を求めた裁判では、捜査に当たった現職の警視庁の警部補が「事件はねつ造だ」と証言した。そして、東京地裁の判決では捜査そのものが違法だとして、都と国に賠償を命じたのである。
 ところが、とんでもないことに都と国は判決を不服として、東京高裁に控訴した。

 

 ☆ 経済安保は経済版ヘイトクライム

 いわゆる経済安保法の成立から、こうした公安主導の暴走は始まっているのだが、さらに、政府は今国会に経済安保上の機密情報を扱う者の身辺調査をする「適正評価(セキュリティークリアランス)」制度の創設を盛り込んだ法案を提出する方針だ。
 経済安保と特定秘密保護法を連動させようとしているのである。
 これによって、主に公務員が対象だった秘密保護法が、民間企業や大学にまで拡大される。規制の網を全国民にかけたいのだろう。

 こうした動きに一番熱心な政治家が甘利明高市早苗である。
 ワイロを大臣室で受け取った甘利や、批判的なテレビ局の言論を「停波させる」と言ったタカ派ならぬバカ派の高市がこれを推進しようとしている。それだけで恐ろしく危険なものであることがわかる。
 ヘイトクライムの経済版と言ってもいいわけで、非常に恣意的に運用される危険性が大である。

 ☆ 鉄板を中国から買うトヨタはスルー

 たとえば、日本製鉄が実質的に支援しながらスタートさせた中国の宝山製鉄から、トヨタ自動車は鉄板を買っている。ところが宝山製鉄は特許侵害で日本製鉄に訴えられている企業であり、中国との関係を問題にするなら、真っ先にトヨタに着目しなければならない。
 しかし、優良企業ながら中堅の大川原化工機の社長らはいきなり逮捕したのに、トヨタはスルーしているのである。

 ☆ 自民党のタカ派とハト派の抗争

 大体、タカ派経済(暮らし)がわからず、反共というイデオロギーに固執する
 1949年に中国が共産主義の国となって以来、特に岸信介から安倍晋三に至るタカ派は台湾重視で中国を遠ざけてきた。
 その中で松村謙三や石橋湛山らのハト派が「政経分離」の名の下に中国との国交回復をめざしてきたのである。その流れを汲む田中角栄流に言えば「何ぼアカの国でも、隣の大きな家とつきあわないわけにはいかないではないか」ということになる。
 しかし、タカ派は暮らしよりイデオロギー重視で、アカの国とはつきあうなと言い、国交回復に中国に出かけようとした田中は、暗殺を恐れなければならないほどだった。石原慎太郎らの青嵐会田中を国賊として騒いだのである。
 彼らは、本能的に経済(商売)は国境を越えるということを感じていたのかもしれない。

 「政経分離」の交流の時代があって、中国との国交回復はなされた。
 経済安保はまさにそれに逆行する。主要な、推進勢力の安倍派が解体されようとしている時に、その動きが加速されるのはどうしたことか。あるいはそれは、断末魔のあがきなのか。

 ☆ 大原親子の思想に学べ

 経営者や財界人もずいぶん小粒になった。たとえば、国交回復前の1963年頃、倉敷レーヨンの社長だった大原総一郎は、中国向けにビニロン・プラトンを輸出しようとして、多くの反対や右翼の嫌がらせを受けた。しかし、彼は自分の考えを曲げず、1年半にわたる粘り強い説得工作を重ねて、時の首相池田勇人や、そのボスでワンマンの吉田茂、それに実力者の佐藤栄作などを説き伏せ、このプラトン輸出を認可させた。そこに至るまでのアメリカや台湾の反対もすごかったのである。
 この時の思いを、大原はこう書いている。

「私は会社に対する責任と立場を重くすべきだと思うが、同時に私の理想にも忠実でありたい。私はいくばくの利益のために私の思想を売る意思は持っていない

 これは、対中プラント輸出を思いとどまれば、アメリカや台湾から商談が来る。その方がずっといいではないかと、彼を翻意させようとする財界人たちに対する答えでもあった。中国に対する戦争責任が、大原の根底にあったのである。
 危険思想の培養所ともいわれた大原社会問題研究所をつくった大原総一郎の父、孫三郎は、晩年、総一郎に「自分の考え方は、10年か20年早すぎた」と語ったというが、父の理想を息子が実践したとも言えるだろう。
 それにしても、いま、大原親子のような財界人はいない。最も必要な時なのにである。何としても、戦争に直結するスパイ国家への道を防がなければならない。

『週刊新社会』(2014年2月14日)

 


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