不当な判決に強い憤りをもって抗議する!
東京地裁刑事9部(村瀬均裁判長)の不当な判決に怒りをもって抗議する。
04年3月11日の板橋高校卒業式から2年と2ヶ月余、都教委の暴虐に憂い憤りつつ、寒い雨の日も夏の暑さにも法廷に通いつづけた多くの支援者は、公判経過を固唾を呑んで注目し続けて来た。板橋高校の卒業生・保護者、藤田さんの教え子・元同僚・同窓生、君が代強制裁判を闘う同志たち・都高教の仲間たち、地域の人々、法律を学ぶ学生・ジャーナリストなどの方々と共に、強い憤りを表明する。
そもそも04年の板橋高校卒業式は平穏に感動的に行われた、と卒業生自身が、多くの保護者や教職員が語っていた。藤田さんの「サンデー毎日」コピーの配布は誰の制止も受けずになされ、10.23通達への危惧の表明は憲法の保障する表現行為であった。
問題であったのは「国歌斉唱」に自らの意思で着席した多くの卒業生に、”立て”と怒鳴りちらし、あまつさえ携帯写真を撮ったりした土屋都議や校長・教頭の行為であり、無断で密かにICレコーダー録音をしていた都教委指導主事らの行動であった。
04年の卒業式翌日の「サンケイ新聞」捏造記事、都教委の強権をふりかざした学校への介入、3月の都議会委員会での仕組まれた質疑、そして「被害届」の提出と公安警察の学校への侵入、都立高校の場でこんなことが起きるとは!考え難い理不尽な事態が進行したのだった。更にあろうことか、来賓として参列を願いながら、開式前に退去した藤田さんに対して、強制捜査・警察への執拗な出頭要請、そして起訴!異常な権力の濫用が繰り返された。
ほぼ1年にわたる13回の公判に、15人が証言台に立ち、ICレコーダーの証拠能力、教頭のビラ配布制止の虚偽、校長の「開式」遅れ容認などをめぐり、緊迫したやりとりがあった。異常な警備、検察のずさんな立証・侮蔑的な姿勢に、傍聴者も長い時間を耐え続けた。被告席で明らかな偽証を耳に沈黙を強いられてきた藤田さんの心情は察するに余る。弁護団は緻密な論証・迫力に満ちた弁論で、終始検察を圧倒し公判をリードして来た。
私たちは1年余の公判を辿ることで、「無罪しかありえない」と確信して来た。
東京地裁刑事9部(村瀬均裁判長)の不当な判決に怒りをもって抗議する。
2006年5月30日 藤田先生を応援する会
東京地裁刑事9部(村瀬均裁判長)の不当な判決に怒りをもって抗議する。
04年3月11日の板橋高校卒業式から2年と2ヶ月余、都教委の暴虐に憂い憤りつつ、寒い雨の日も夏の暑さにも法廷に通いつづけた多くの支援者は、公判経過を固唾を呑んで注目し続けて来た。板橋高校の卒業生・保護者、藤田さんの教え子・元同僚・同窓生、君が代強制裁判を闘う同志たち・都高教の仲間たち、地域の人々、法律を学ぶ学生・ジャーナリストなどの方々と共に、強い憤りを表明する。
そもそも04年の板橋高校卒業式は平穏に感動的に行われた、と卒業生自身が、多くの保護者や教職員が語っていた。藤田さんの「サンデー毎日」コピーの配布は誰の制止も受けずになされ、10.23通達への危惧の表明は憲法の保障する表現行為であった。
問題であったのは「国歌斉唱」に自らの意思で着席した多くの卒業生に、”立て”と怒鳴りちらし、あまつさえ携帯写真を撮ったりした土屋都議や校長・教頭の行為であり、無断で密かにICレコーダー録音をしていた都教委指導主事らの行動であった。
04年の卒業式翌日の「サンケイ新聞」捏造記事、都教委の強権をふりかざした学校への介入、3月の都議会委員会での仕組まれた質疑、そして「被害届」の提出と公安警察の学校への侵入、都立高校の場でこんなことが起きるとは!考え難い理不尽な事態が進行したのだった。更にあろうことか、来賓として参列を願いながら、開式前に退去した藤田さんに対して、強制捜査・警察への執拗な出頭要請、そして起訴!異常な権力の濫用が繰り返された。
ほぼ1年にわたる13回の公判に、15人が証言台に立ち、ICレコーダーの証拠能力、教頭のビラ配布制止の虚偽、校長の「開式」遅れ容認などをめぐり、緊迫したやりとりがあった。異常な警備、検察のずさんな立証・侮蔑的な姿勢に、傍聴者も長い時間を耐え続けた。被告席で明らかな偽証を耳に沈黙を強いられてきた藤田さんの心情は察するに余る。弁護団は緻密な論証・迫力に満ちた弁論で、終始検察を圧倒し公判をリードして来た。
私たちは1年余の公判を辿ることで、「無罪しかありえない」と確信して来た。
東京地裁刑事9部(村瀬均裁判長)の不当な判決に怒りをもって抗議する。
2006年5月30日 藤田先生を応援する会
精神錯乱した教師に刺されるかもしれないし、怖かっただろうなぁ。
麻原も結局一審の死刑判決がそのまま結果となりそうだし。
先生の今後の活躍を楽しみにしています。