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【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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▲ <ファシズムと哲学について>
12月6日フランスで行われた広域自治体である地域圏議会選挙の第1回投票で、移民排斥を掲げる極右政党・国民戦線(FN)が約28%で首位に立ち、全13の地域圏のうち少なくとも6地域圏で第1党となった。
そして、最大野党・共和党を含む右派連合が約27%で続き、オランド大統領率いる与党・社会党の左派連合は約23%の3位となった。
これは現在ヨーロッパで見られる右翼潮流の台頭を顕著に示したものであり、今後の日本や世界に与える影響も大きいだろう。
要するにファシズムの世界的台頭である。
そのことは当然哲学などにも影響を与えてくる。
そこで今回は、『戸坂潤全集』第五巻(456~462ページ)に収めてある「〔付〕最近のドイツ哲学の情勢を中心として―戸坂潤氏にものをきく会―」から、その主要部分を紹介する。参考になれば幸いです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大体、最近の独逸の哲学の傾向と云うのは、恐らく広い意味で生の哲学と云う特色を持って居ると思います。
生の哲学には、いろんな通俗哲学もある様ですが例えばシュペングラーとか云った連中が非常によく読まれているそうですが、アカデミカルな方面ではハイデッガーの哲学が全盛のように思われます。
ハイデッガーの哲学は、一体ディルタイとフッセルルを結合したものにあたるわけで、フッセルルはよく知られて居るように、非常に科学的な研究方法を採っています。
云わば数学的な特色を持っている哲学であって、ディルタイの方は歴史的生活という問題を中心にしているだけに、可なり文学的な詩的な特色を持っている。
ですけれども、此の二つの相反した哲学は、最近の代表的なものとして一般の注目を惹いて居る。
・・・・・・・・・
ハイデッガーは此の二つの近代哲学の対立物を、両方が生の哲学である点を媒介として結び付つけ、そして更に其の上「生」と云う概念に特別な色調を与える。
其の色調と云うのは、「生」即ち生命、人間の存在と云うものが、本来宗教的な生活を真面目とする筈のところ、世俗の生活としては日常的な生活態度として、宗教的な生活態度から離れ落ちてる。
そういう生活の分裂を通して、人々が再び真の宗教的生活態度に帰って行かねばならぬという風に人間生活を規定した。
そういう風に規定された宗教的人間存在の何よりの特色は、人間の生活が有限である、死が待っているという点で条件づけられている。
斯(こ)ういう風にライフが死によって条件づけられているのです。
ハイデッガーの哲学が現在に於ける最も代表的な、世界を通じて代表的な、生の哲学であることは前に述べた。
・・・・・・
所がハイデッガーが言わば発見したと云ってよいキールケゴール、此のキールケゴールこそ、ハイデッガーが自分の哲学のやり方の先駆者として見出したものでありますが、恰(あたか)も、其のキールケゴールは今日の弁証法的神学者達の拠り所となっている。
・・・・ところで最近九州帝大の今中次麿氏などが指摘しているように、弁証法的神学が、全くファシストの哲学体系であるとすれば、ハイデッガーの哲学も亦、ファシスト的哲学への密接なる連絡を持っているということを想像するのは難くない。
噂によると、ハイデッガーが最近ナチスに入ったということも耳にしないではない。
・・・・・・
大体、独逸の最近の哲学がそれであるとして、それが日本の思想界に如何に反映したかの問題に這入ろうと思います。
第一にハイデッガーを担いだのは、色々ある中でも京都の和辻哲郎博士である。
氏の倫理学は、ハイデッガーが人間の存在は日常的な生活としては世の中に於ける存在即ち世間的存在であるという点を借りて来て、之を倫理学の根底に置こうと考えているのです。
之がハイデッガーを真正面から利用したという例で、他の一方は先き程ちょっと触れたハイデッガーに連関のあると考えられる弁証法的神学(危機神学)の思想は、西田幾多郎博士によって自分の哲学体系の相当重大な場所に位置づけられた。
西田博士は其の自分の弁証法を、ヘーゲルの観念論的な弁証法であるとか、又、マルクス主義の唯物論の弁証法に対して、自覚の弁証法(即ち自己意識の弁証法)として主張するのであるが、此の場合に持って来られるのが、危機神学の弁証法なのです。
西田博士は最近自分の哲学を恰も生の哲学として特徴づけて居られるが、それは我々にとって非常に意味のあることです。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・ハイデッガーの哲学が何故流行し得たかと云えば、それは予(あらかじ)め自然科学的認識に対する不信認が、横たわっているからで、現に新カント派に属する哲学などが、ハイデッガーの仕事には何等の注意も払っていないように見える。
彼等新カント主義哲学者達は、多少とも自然科学的認識に信用をおいているのである、従って容易にハイデッガー風の超物理学的な即ち形而上学的な考えを受け取ることが出来ない。
・・・・・・・・・・・・・・
要するにハイデッガーの哲学は、自然及び社会に対する科学的認識の否定を意味する。
それは一方のブルジョア社会の技術的発展の行き詰まりを言い表すと共に、他方自然及び社会をば、いよいよ技術的に把握して行こうとしつつあるマルクス主義に対する反抗を意味する。
その意味に於て、ハイデッガーの哲学は反ソヴィェート・イデオロギーの一つの代表者と見做されるべきだ。
一つというのは、それ自身には明確にファシズム・イデオロギーを標榜しないが、それにも拘らず、ファシズム・イデオロギーへの準備を与えるという形を言う。
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「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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▲ <ファシズムと哲学について>
12月6日フランスで行われた広域自治体である地域圏議会選挙の第1回投票で、移民排斥を掲げる極右政党・国民戦線(FN)が約28%で首位に立ち、全13の地域圏のうち少なくとも6地域圏で第1党となった。
そして、最大野党・共和党を含む右派連合が約27%で続き、オランド大統領率いる与党・社会党の左派連合は約23%の3位となった。
これは現在ヨーロッパで見られる右翼潮流の台頭を顕著に示したものであり、今後の日本や世界に与える影響も大きいだろう。
要するにファシズムの世界的台頭である。
そのことは当然哲学などにも影響を与えてくる。
そこで今回は、『戸坂潤全集』第五巻(456~462ページ)に収めてある「〔付〕最近のドイツ哲学の情勢を中心として―戸坂潤氏にものをきく会―」から、その主要部分を紹介する。参考になれば幸いです。
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大体、最近の独逸の哲学の傾向と云うのは、恐らく広い意味で生の哲学と云う特色を持って居ると思います。
生の哲学には、いろんな通俗哲学もある様ですが例えばシュペングラーとか云った連中が非常によく読まれているそうですが、アカデミカルな方面ではハイデッガーの哲学が全盛のように思われます。
ハイデッガーの哲学は、一体ディルタイとフッセルルを結合したものにあたるわけで、フッセルルはよく知られて居るように、非常に科学的な研究方法を採っています。
云わば数学的な特色を持っている哲学であって、ディルタイの方は歴史的生活という問題を中心にしているだけに、可なり文学的な詩的な特色を持っている。
ですけれども、此の二つの相反した哲学は、最近の代表的なものとして一般の注目を惹いて居る。
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ハイデッガーは此の二つの近代哲学の対立物を、両方が生の哲学である点を媒介として結び付つけ、そして更に其の上「生」と云う概念に特別な色調を与える。
其の色調と云うのは、「生」即ち生命、人間の存在と云うものが、本来宗教的な生活を真面目とする筈のところ、世俗の生活としては日常的な生活態度として、宗教的な生活態度から離れ落ちてる。
そういう生活の分裂を通して、人々が再び真の宗教的生活態度に帰って行かねばならぬという風に人間生活を規定した。
そういう風に規定された宗教的人間存在の何よりの特色は、人間の生活が有限である、死が待っているという点で条件づけられている。
斯(こ)ういう風にライフが死によって条件づけられているのです。
ハイデッガーの哲学が現在に於ける最も代表的な、世界を通じて代表的な、生の哲学であることは前に述べた。
・・・・・・
所がハイデッガーが言わば発見したと云ってよいキールケゴール、此のキールケゴールこそ、ハイデッガーが自分の哲学のやり方の先駆者として見出したものでありますが、恰(あたか)も、其のキールケゴールは今日の弁証法的神学者達の拠り所となっている。
・・・・ところで最近九州帝大の今中次麿氏などが指摘しているように、弁証法的神学が、全くファシストの哲学体系であるとすれば、ハイデッガーの哲学も亦、ファシスト的哲学への密接なる連絡を持っているということを想像するのは難くない。
噂によると、ハイデッガーが最近ナチスに入ったということも耳にしないではない。
・・・・・・
大体、独逸の最近の哲学がそれであるとして、それが日本の思想界に如何に反映したかの問題に這入ろうと思います。
第一にハイデッガーを担いだのは、色々ある中でも京都の和辻哲郎博士である。
氏の倫理学は、ハイデッガーが人間の存在は日常的な生活としては世の中に於ける存在即ち世間的存在であるという点を借りて来て、之を倫理学の根底に置こうと考えているのです。
之がハイデッガーを真正面から利用したという例で、他の一方は先き程ちょっと触れたハイデッガーに連関のあると考えられる弁証法的神学(危機神学)の思想は、西田幾多郎博士によって自分の哲学体系の相当重大な場所に位置づけられた。
西田博士は其の自分の弁証法を、ヘーゲルの観念論的な弁証法であるとか、又、マルクス主義の唯物論の弁証法に対して、自覚の弁証法(即ち自己意識の弁証法)として主張するのであるが、此の場合に持って来られるのが、危機神学の弁証法なのです。
西田博士は最近自分の哲学を恰も生の哲学として特徴づけて居られるが、それは我々にとって非常に意味のあることです。
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・・・・・・・・・・ハイデッガーの哲学が何故流行し得たかと云えば、それは予(あらかじ)め自然科学的認識に対する不信認が、横たわっているからで、現に新カント派に属する哲学などが、ハイデッガーの仕事には何等の注意も払っていないように見える。
彼等新カント主義哲学者達は、多少とも自然科学的認識に信用をおいているのである、従って容易にハイデッガー風の超物理学的な即ち形而上学的な考えを受け取ることが出来ない。
・・・・・・・・・・・・・・
要するにハイデッガーの哲学は、自然及び社会に対する科学的認識の否定を意味する。
それは一方のブルジョア社会の技術的発展の行き詰まりを言い表すと共に、他方自然及び社会をば、いよいよ技術的に把握して行こうとしつつあるマルクス主義に対する反抗を意味する。
その意味に於て、ハイデッガーの哲学は反ソヴィェート・イデオロギーの一つの代表者と見做されるべきだ。
一つというのは、それ自身には明確にファシズム・イデオロギーを標榜しないが、それにも拘らず、ファシズム・イデオロギーへの準備を与えるという形を言う。
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