《月刊救援から》
☆ 黒歴史を塗り重ねた静岡県警
居直った最高検
二〇二四年も終わろうとしている一二月二六日、静岡県警と最高検がいわゆる袴田事件の捜査・裁判の検証結果なるものを公表した。
静岡県警は、事件発生直後から袴田さんを犯人とした捜査を始めた理由や、袴田さん以外の捜査内容に触れることなく、袴田さんをなぜ犯人視したことには触れていないこと。
最高検は、袴田さんを犯人として起訴するに十分な証拠がそろっていたのか否か、五点の衣類のズボンとその端切れの鑑定結果が出る前に、なぜ味噌が浸みこんだズボンと新品の端切れが同一のものと断定できたのか、については何も触れることなく、捏造はあり得ないと断定しているのだ。
☆ 自縄自縛を無視した静岡県警の検証
事件から四日後、静岡県警はすでに犯人を袴田巖さんと決めつけ、工場寮内の袴田さんの部屋の家宅捜索を行うが、何も発見できなかった。
ところが、袴田さんから任意提出されたパジャマを、あたかも家宅捜索で発見したかのように、“血染めのシャツ発見”と報道させている。
“血染め”と強調したにもかかわらず、血液かどうかも鑑定で判然としないものであった。つまり、事件との関連性や袴田さんとの関係性が明確にできなかったのである。
袴田さんを犯人視した報道をさせた静岡県警と清水署は、引っ込みがつかなくなったのか、袴田さんを逮捕して自白させろとの、捜査方針は、県警が発行した捜査記録の中にはっきりと記載されている。
にもかかわらず、袴田さんと事件との関連性がないままなぜ逮捕に踏み切ったのか、その理由を検証することがもっとも重要な部分であった。
しかし、静岡県警の検証報告に、この点は全く触れられていない。都合が悪い点は隠すという静岡県警の黒歴史が塗り重ねられただけの検証でしかなかった。
つまり、事件直後から袴田さんを犯人視し、誤った捜査を行った原因は何も解明されていなかった。
☆ 証拠捏造に加担した検察官
一方、最高検の検証報告はどうだろうか。
当時の検察官であった吉村英三は、控訴期限ぎりぎりの一九六六年九月九日の深夜に起訴している。
血液の痕か錆の跡かも不明瞭なパジャマが犯行着衣だと言えるかどうか、最高検は存命中の吉村英三の聴取を行いこの点を徹底的に解明すべきであった。
しかし、何も触れていない。最初からやる気がなかったのだ。
さらに、事件後一年以上を経て発見された五点の衣類のズボンが、袴田さんの実家から発見されたズボンの端切れと一致することを吉村英三が知っていたとしか考えられない点だ。
科警研が一致するとの鑑定結果を出したのは一九六七年一二月初めである。にもかかわらず、犯行着衣のパジャマを五点の衣類に変更したのはズボンの端切れを発見した翌日の九月一三日、どう考えても、ズボンの裾を切り取った端切れが一致することは吉村英三が知っていたとしか考えられない。
☆ 自白を迫った理由こそが問題だ
最高検も静岡県警も、長時間の取り調ぺによって自白を強要したことが問題だという結論であるが、袴田さんを犯人としたことが間違っていたこと、誤った捜査を引き返すことなく無理やり継続したことこそが問題であり、このことに触れていない検証結果など検証に値しないものである。
(袴田巌さんを救援する清水・静岡市民の会事務局長 山崎俊樹)
『月刊救援 第669号』(2025年1月10日)
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