李白は無類の酒好きだったらしく、こんな詩を残している。
兩人對酌山花開
一杯一杯復一杯
我醉欲眠卿且去
明朝有意抱琴來
両人対酌すれば山花開く
一杯一杯また一杯
我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ
明朝意あらば琴を抱いて来たれ
良い酒である、酒はこの様に飲みたいものだ。
李白の酒にまつわる逸話は多い。強かに酔っているとき玄宗に呼ばれ、宦官に支えられて墨をすり、筆をとって考えるや否や十篇たちどころに書き上げ、加筆するところなく筆跡は優れ鳳の舞い竜の踊る勢いであったという。また、酔っ払って宦官の実力者、高力士に靴を脱がせたという逸話も残っている。
しかし、皇帝の前で酔っ払うのは、いかに唐の時代でもまずい。玄宗は気にせず三度李白を官に命ぜんと欲するも、卒に宮中のとどむる所と為りて止む、とある。このような事が繰り返されるにつけ宮中での風当たりは強くなり、結局下野することになる。
この時期、李白は日本から遣唐使で来ていた阿倍仲麻呂とも交流があり、仲麻呂が日本への帰国の際に遭難したと聞き”晁卿衡を哭す”という詩を詠んでいる。また下野の後、李白44歳のとき、まだ無名の杜甫(33歳)と出会って一年ほど交遊している。二人で風光明媚な地を巡り、酒を酌み交わしたようだ。杜甫は生前は評価されず、後の宗の時代になって名声が高まり詩聖と呼ばれるのだが、李白はすでに最初から杜甫の才能を見抜いていたようだ。また、杜甫も李白を評して、”筆落とせば風雨を驚かせ、詩成れば鬼神を泣かしむ”と激賞している。
李白は62歳のとき病に倒れるのだが、伝説では船の上で酔っ払って、月を取ろうとして水に落ち溺れた、と膾炙されている。