今日は7月5日、ギリシャの国民投票の日だ。実際の投票結果は日本時間で明日以降にならないとわからない。予想では賛成反対が半々で拮抗してるようだ。
EU債権団の提案を受け入れたとしても今までと同じ事が続くだけだし、否定すれば経済は崩壊する。ギリシャ国民にとって賛成反対どちらを選択したところで問題の解決にはならない。即死を選ぶか緩慢な死を選ぶかだけの違いに過ぎない。
なぜ、ギリシャがこのような事態に陥ったのか? 数字を見るとギリシャの国家予算の80%が賃金と年金で占められており、残り20%が本来国がなすべき事業の予算になっている。 http://jp.reuters.com/article/mostViewedNews/idJPKBN0OZ0J220150619?rpc=223&pageNumber=1&virtualBrandChannel=0
20%の部分に予算カットの余地はほとんど残ってない。ギリシャが債務を減らそうとするなら年金に手をつけるしかないのは明らかだ。では、ギリシャの年金生活者がドイツの納税者達が指摘するような優雅な生活を送っているかと言うと否で、実際カツカツの生活でこれ以上カットされれば生活が立ち行かなくなるのが現状だ。国民投票で反対をしているのはこの層だ。
問題の根本は何だろう、ギリシャ人の怠慢か?
僕はそうは思わない。問題の根本は長寿命化にあると見る。第二次大戦以降とくに抗生剤の普及で人類の寿命は一気に30年から40年も延びた。戦前の日本人男性の平均寿命は50歳以下だったのが今や80歳を超えている。言うまでも無く生産に寄与しない老人の数が加速的に増えている。これを社会が支えきれるか?
脆弱なギリシャ経済は世界の先端事例として、高齢化により崩壊する社会を示している。 そして、日本は世界一の長寿国であり他人事ではない。
これに解決方法があるのか? 我々が今まで健全に保ってきた価値観の範疇で高齢化を支えるロジックは無いのでは無いかと暗澹たる気持ちになる。これから50年後、日本は南海地震で経済的に壊滅的なダメージを蒙る事は確実だ。そのとき高齢化の問題は大きく変質するのでは無かろうか。
そう、楢山節考の世界 不気味な予感がする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます