凡(あら)ゆるものの中に 神がみちみちていられるのであるから、
吾々は 神から逃げだすことはできないのである。
神は善であるから 吾々は善から逃げだす事はできないのである。
されば 心の眼(め)を開いて見れば 吾は到る処に唯 善のみをみるのである。
神は自分の智慧であるが故に、吾は到る処に神の導きを見るのである。
静かに坐(ざ)して考うる時 吾は神の声をきくのである。
神は吾が内に宿って い給うのである。
吾は神の愛を吾がうちに感じ 神を吾が内に抱き 神から又抱かれているのである。
神の愛は決して私を裏切るということはないのである。
『 生長の家 』 昭和二十五年三月号 二十五日の法語 谷 口 雅 春 先 生