肉体を讃美するのは 必ずしも肉体主義でもエロティシズムでもないのである。
肉体は 神の自己表現の機関として、神が創造したまいし理念の形象化(かたちになったもの)で
あるのである。だから肉体を神の宮とも云うのである。
神の自己表現の機関である肉体は 健康であるように、美しくあるようにつくられたのであり、
その美と健康とを維持するように 内部に自然療能(神御自身の再生能力)を与えられているのである。
常に神の再生能力は 吾(われ)らを生かし、修復し、若返らせ、
疲労を恢復(かいふく)せしめつつあるのである。
その驚くべき恢復を発現せしめようと思うならば、
先ず、その力の存在を認め、それに感謝することである。
『 生長の家 』 昭和二十六年七月号 五日の法語 谷 口 雅 春 先 生