人生が退屈であったり、無意義に見えたりするのは
その人の愛が乏しいからである。
愛して何事でも、愛のために行うならば
自然と歓喜が湧(わ)いて来て 退屈であったり、
無意義に感じたりする筈(はず)はないのである。
仕事が退屈なのは、その仕事を経済的理由で自分の労力を
切売(きりうり)するような気持でするからである。
「 神様、あなたの愛をこの仕事を通して実現させて頂きます。有りがとうございます 」 と
感謝しながら仕事をするならば、決して仕事は退屈な重荷となって来ないのである。
利己主義のところに真の悦(よろこ)びは 湧いて来る筈はない。
神の愛を実現する処(ところ)にのみ 真の悦びは湧いて来るのである。
『 生長の家 』 昭和二十六年七月号 二日の法語 谷 口 雅 春 先 生