☆ 住 吉 大 神 浄 め 給 う ☆

天皇陛下、ありがとうございます。ご先祖の皆様、お父さん、お母さん、家族の皆様、ありがとうございます。

仕事に悦びを感ずるには

2015-03-18 19:38:56 | 今日の光明法語

人生が退屈であったり、無意義に見えたりするのは

その人の愛が乏しいからである。


愛して何事でも、愛のために行うならば

自然と歓喜が湧(わ)いて来て 退屈であったり、

無意義に感じたりする筈(はず)はないのである。


仕事が退屈なのは、その仕事を経済的理由で自分の労力を

切売(きりうり)するような気持でするからである。


「 神様、あなたの愛をこの仕事を通して実現させて頂きます。有りがとうございます 」 と

感謝しながら仕事をするならば、決して仕事は退屈な重荷となって来ないのである。


利己主義のところに真の悦(よろこ)びは 湧いて来る筈はない。

神の愛を実現する処(ところ)にのみ 真の悦びは湧いて来るのである。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  二日の法語  谷 口 雅 春 先 生 




天地万物に感謝せよ

2015-03-18 19:19:46 | 今日の光明法語

ブラザー・ローレンスは

「 自分は神の愛を感じながら フライパンの上でケーキを焼く。

神の愛を感ずるには 自分にとっては 地に落ち 散っている藁(わら)ひと筋を

拾うだけで充分である 」 と云(い)ったそうである。


「 木の切株に腰をおろすときには その切株を拝んでから腰をおろせ。

大根を抜くときには、大根にお礼を云ってから抜け 」 と云うのが金光教祖の教えであった。


一筋の藁、一本の大根、それに神の愛を感じ、感謝出来るのが宗教的境地であって、

金が儲(もう)かるから集ると云うのは 相場師の境地である。


百丈和尚(ひゃくじょうおしょう)は 一枚の大根の葉が流れ行くのを

追っかけて往(い)って拾って頂いたと云う。



『 生長の家 』 昭和二十六年七月号  一日の法語  谷 口 雅 春 先 生 


※ ( 一日の法語 ~ 十八日の法語 謹写予定 )