真の信仰を得るまでは、本当の魂の平安は得られないのである。
他を真にゆるすまでは 本当の魂の平安は得られないのである。
吾々がどんなに熱心に祈っても 神想観で黙念しても欲することが得られないのは、
誰かを憎んでいて その人をゆるさないからである。
神を愛するとは 自己に宿る神性(しんせい)を愛することにほかならない。
自己に宿る仏性(ぶっしょう)を愛することにほかならない。
自己に宿る 神性 仏性 を愛するには
同時に他に宿る 神性 仏性 を愛しなければならない。
何故(なぜ)なら神は 霊であり、すべての渾(すべ)てであって、
すべてのものの中に神の霊が宿っているからである。
汝の隣人を愛さないでいて、神を愛していると云うことは、
虚言(そらごと)にすぎないのである。
『 生長の家 』 昭和二十六年七月号 三日の法語 谷 口 雅 春 先 生