もし何かの不調和が外界に現われて来たならば、
それは 何か 自分の心か、言葉か、行いかが神から はなれたものであったからであるのである。
それは神から与えられた 「 一種のストップ信号 」 であるのである。
自動車が十字街を横切ろうとした時、ストップ信号に出あえばその車をとめるように、
吾々の環境に面白からぬことがでて来た場合には、それをストップ信号と思って
今迄(まで)の生活の惰力をやめ、考え方を変え、言葉を変え、生活の動きを
変えるようにしなければならない。
その時、自動車の運転手が 静かに左右を見廻(まわ)すように、
静かに坐して神の声をきかねばならぬ。
どんな困難でも心が静かになる時、解決の方法が見つかるのである。
『 生長の家 』 昭和二十五年三月号 二十六日の法語 谷 口 雅 春 先 生