「美」を愛する人へのメッセージ

岩国市を中心に「いろ・色・パステル画」展を開催しています。また、「美」という大きなテーマに向かって発信していきます。

「幸福な画家・ルノワール①」・・メトロポリタン美術館

2011-06-07 16:48:59 | ニューヨーク旅行記」

「印象派」の画家はとても人気があるらしく、ここ「メトロポリタン美術館」には、想像を絶する数の作品が展示されています。

 

そのなかでも日本人にとても人気があるのがこの「ルノワール」ではないでしょうか。

 

その「ルノワール」の作品と言えば、「パリ」の有名な美術館にしかないものとしていままで思っていましたが、ここにはたくさんの「ルノワール作品」が展示されているのには驚きます。

以前、グログでも紹介しましたが、この作品は「ルノワール」が世にでるきっかけになる作品ですので、改めて紹介したいと思います。

 

「シャルパンティエ夫人とその子供たち」というタイトルのこの作品は、「パリ」の「サロン」で入選し、その後「ルノワール」のもとには注文が舞い込むようになったそうです。

 

「上流階級の家族」の幸せな一場面を描いたこの絵は、それまでの絵画のあり方を180度変えたような作品になっています。

「ルノワール」といえば、「女性像」が多く、特に「裸婦像」は有名な作品として我々の心に届いていますが、その「裸婦像」からは、「幸せと優しさ」をまじえたメッセージが伝わってきます。

 

いわゆる「楽しむ絵画を描く」という一点にしぼり、いかに充実した創作を行っているか我々に伝えようとしている作品に見えます。

 

「楽しいから描く」という単純な動機で描かれているように見えるこうした作品は、我々に「絵画の喜び」を教えてくれます。

 

「美しいもの」しか描かない、という徹底した姿勢がそれらをいっそう強いメッセージにしているように思えます。

しかし、そうは言っても「ルノワール」の創作への苦しみはなかったわけではなく、むしろいろいろな変遷を経てこうした人々を感動させえるものになっています。

 

この人物画で説明すると、輪郭線の処理がとても柔らかくなっているのがわかると思います。

 

また「肌」の色の中に、いろいろな色が混ざっていることもわかると思います。いろいろな色が混ざると当然にごってくるということになるのですが、それがないのは「ルノワール」の「探究心」の賜物だと思います。

 

また、バックの処理にしてもよく見るといいかげんに描いているように見えますが、こうした描き方のほうが人物をより強調できることを発見したように思います。

流れるような線と色の交差が織り成すその美しさに、思わずため息がもれるような気分になります。

 

絵の中に「悲しみ」を表すところがかけらもないこうした作品群から、彼は「幸福な画家」と呼ばれています。

 

しかし、現実には40代後半から「リューマチ」に悩まされ、「車椅子」に座っての制作が続くようになります。

 

そうした「ハンディ」をばねに、こうした「幸せな作品」が生まれたのかも知れません。

 

人の「内面」はとても複雑で、表面だけでは理解できない世界があります。

 

そうしたことを私に教えてくれたのも、この「ルノワール」という大画家の存在ではないかと思っています。

 

a href="http://art.blogmura.com/pastel/">にほんブログ村 美術ブログ パステル画へ
にほんブログ村 にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村


「美を育てる」・・メトロポリタン美術館

2011-06-06 17:15:45 | ニューヨーク旅行記」

「メトロポリタン美術館」の中にある「ヨーロッパ絵画」の部屋に入ると、「ギアール」という女流画家が描いた絵が展示しています。

 

その前では、このように子供たちが集まり、絵を見ながら「鑑賞会」を行っていました。

 

日本でもこうした光景は見られますが、私が感じたことはその内容の大きな違いです。

 

日本では「学芸員」の人からの一方的な説明に終わりますが、ここでは生徒の自主性を重んじ、彼らのイメージをまず大事にしていることがよくわかりました。

 

次に彼らの頭には「予備知識」がなく、自分の思うイメージを次から次へと「討論形式」で言い合っていたところがとても新鮮にうつりました。

 

例えば、「この絵を描いている人の後ろにいる人は、どんな人でしょうか」「それはどこでわかりますか」という質問に、「絵を習っている人だと思います」「絵の描き方を説明しているところです」とかいろいろな答えが出てきて、それに対して、「学芸員」の人が否定しないでいくと、「私はこう思う」と言う感じになり、その反応から次の質問へうつるような感じで、とても楽しい鑑賞会になっていたのを覚えています。

しかも、その絵が世界的に有名な画家が描いたものの前で行われているのですから、生徒の目には大きな「感動」があるはずです。

 

「レンブラント」の作品の前で、同じような鑑賞会が行われていましたが、その目はとても真剣なものを持っていました。

いたるところで、こうした「鑑賞会」が行われていますが、「子供の目にはどのようにうつるか」とても興味がわいてくるものがあります。

 

というのも、子供の目はとても純真で、この時受けた印象が一生消えないで残る可能性が大きいことを私は経験からよく知っているからです。

 

その場では何の変化も見られないように思えますが、子供の心の中には「大きな衝撃」と「一生のこる出会い」のようなものがあるのではないでしょうか。

 

「素直な見方を引き出す」「子供の目から何を感じ取らせるか」そうしたことが大きなウエイトを占めている光景に思えてなりませんでした。

それは「子供」だけに限らす、大人の人にも言えることです。

 

単なる説明を聞くのではなく、その人が何を感じるかをさかんに言い合っているのがとても新鮮にうつりました。

この画像からもわかるように、見ている人の間で「ディベイト」が行われ、その熱気はこちらが圧倒されるような雰囲気さえあります。

いたるところで見られるこうした「鑑賞会」は、一見日本と同じように見えますが、側で聞いていると全く違うものだということが改めてわかります。

 

「自分の考え」や「自分の感じ方」をとても大事にしていて、「既成概念」を取り払うその見方に、つくづく「鑑賞」というものの本質を見せられたようでとても感動した日になりました。

 

人は「その人の内面から沸き起こったもの」にはとても関心があり、また育てていこうとするものですが、「他の人」から教えてもらったものには、積極的に自分を育てていこうとする力は働きません。

 

「自分を育てる」には「内発するもの」をよく見極め、それをうまく育ててやることがとても大事になります。

 

「美術教育」だけでなく「教育」全体に言えるのは、この「内発する心の動き」をうまく引き出すことに尽きると思います。

 

こうした海外で自分が見た経験は、今とても役に立っています。実験を重ねながらそれらを行っていますが、そういい場面に出会った時の不思議な力には驚かされるものがあり、言葉にならない大きな感動を私に教えてくれます。

 

「美を育てる」から「人を育てる」まで、その幅広い人間教育の不思議さに驚いているこの頃です。

 

a href="http://art.blogmura.com/pastel/">にほんブログ村 美術ブログ パステル画へ
にほんブログ村 にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村


「追求された美」・・モネの作品から

2011-06-05 07:04:21 | ニューヨーク旅行記」

「ゴッホ」に並んで、みんなの注目の的はなんと言っても「モネ」に尽きるのではないでしょうか。

 

「印象派」を代表する画家の一人として、日本でもその愛好家はとても多く、その作品を一目見ようと海外に出かける人が後を立ちません。

 

また、日本でもいたるところで「モネ」の作品が展示されるようになりました。

 

この画像は、その初期の頃の作品で、「ルノワール」とともに写生をしていた「ラ・グルヌイエール」という作品で、既に水の上に反射する「光」の存在を追及しています。

ご存知のように「モネ」は「庭師」という違う顔を持っていました。午前中は絵画を描き、午後は庭の手入れをすると言うように、この二つの面がとても強調されています。

 

妻「カミーユ」を描いたこの画像からも、その「両面」が顕著に見え、向こうに見える「光」と「庭」の存在は彼にとってとても大事な存在であったことがわかります。

「光」の追求にいろいろな題材を使っていますが、そのなかでも最もよく知られているのがこの「ルーアン大聖堂」の絵画で、光があたる時間帯を区切っては描いています。

 

「イーゼル」を何本も並べて、時間ごとに描いていったっことは有名な話で、その「光」のあたり方の違いで、見えてくる色が変わることを追求しています。

 

その徹底した「光の追求」はやがてすばらしい作品を生む原動力になっています。

この作品でもわかるように「光」をどのようにとらえると、それが表現できるかかなり悪戦苦闘した感じがします。

 

そんな中にあって、この作品の前に来ると自然と立ち止まる自分に気づきます。

 

それは「光のシンフォニー」と言っても言いたりないぐらいの美しい作品で、「自然」を愛する目と「光」を追求した画家の目が作り出した傑作になっています。

 

言葉では表現できませんが、「自分の体」がこの風景の中に同化してしまうような錯覚に陥るそうした作品になっています。

 

とても強烈な衝撃を受けるとともに、人の持つ「目」の計り知れない可能性のようなものを感じてしまいます。

 

どうして「人の目」でないといけないか、写真ではいけないのか、そうしたことを払拭してくれるすばらしい作品になっています。

単純な「風景」を描いているように見えるこの作品からも、「モネ」の奥深い「探究心」の成果が見られます。

 

空気を感じさせ、温度を感じさせ、湿度まで感じさせるこの作品からは「光」というものが持つ限りない広がりさえ感じてしまいます。

 

人は何かを徹底的に追求した時、今まで気づかなかったことに気づき、それを他の人にも気づかせる大きな力があることがわかります。

 

当分の間、私はこの「モネ」の作品群の前から離れることができなかったことを、昨日のように覚えています。

a href="http://art.blogmura.com/pastel/">にほんブログ村 美術ブログ パステル画へ
にほんブログ村 にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村


「共感する目」・・ゴッホの作品から③

2011-06-02 07:17:27 | ニューヨーク旅行記」

「メトロポリタン美術館」にある「ゴッホ」の展示場は熱気があふれていました。

 

それは何度も言いますが、決まった「スタイル」にこだわらず、自分の「美」を追求している姿が、作品から発散しているからではないでしょうか。

 

会場で食い入りように見ている人達の姿を見ていると、「美」というものは世界中でどこでも同じように受け止められ同じように伝わることがよく理解できます。

この作品もはじめて見ましたが、とても身近な題材でどこにでもある「靴」を描いているのですが、そこに作者の思いが入るとそれは違ったものとして生き返ります。

 

この「靴」も「ゴッホ」にとってとても「思いいれ」のあるものと思われますが、それが「靴」の周りに揺らめく線のようなものから理解できます。

 

「心の動き」を表しているかのようなこうした表現は、意図的に描いたものではなく自然にこうしたものになったのではないかと考えられます。

「花」という題材もたくさん描いているのが、今回よくわかりましたが、美しく描こうとする姿勢ではなく、私には「命の宿るもの」としてとらえているように見えました。

 

この絵を見て「美しい」という印象よりは、「生き生きとしている」ことのほうが最初に目に入り、躍動感のようなものが伝わってきます。

 

「ゴッホ」はある意味では、表面的な「美」ではなく、「存在するもの」が持つ「命」のようなものを感じ、そこに自分の思いを吹き込んで、新たな作品として絵を描いているように思われて仕方ありません。

なんでもない「裏庭」にあるこうした「植物や木」からも、「生命感」を感じることはできないでしょうか。

 

「木の枝」を見てください、空に向かって弾むようにのびていくこうした木々の枝から私は「生きる喜び」のようなものを感じてしまいます。

 

「ゴッホ」自身が「生きる」ことへの執念として、こうした絵画制作を続けたことに疑いをはさむ余地はありません。

この作品もはじめて見たものですが、同じように木々の持つ「生命感」が感じられ、そこには「命」と「命」のぶつかり合いや、「ぬくもり」のようなものが感じられます。

 

「ルーラン夫人とゆりかごを揺らす女」というこの作品は、よく見るものですが同じ作品を「ゴッホ」は5点描いたといわれています。

 

母親のような存在であった「ルーラン夫人」に対して、「ゴッホ」は「花」を使っています。

 

「あたたかく見守ってくれる存在」が夫人であり、「花」であったことがよくわかります。

 

「ゴッホ」は気に入った題材を何回も続けて描いた画家でもあります。この「ルーラン夫人」もそうですが、あまりにも有名な題材は「ひまわり」や「糸杉」「麦畑」といったものですが、ご存知のように「ひまわり」の1点が東京の「損保ジャパン東郷青児美術館」にあります。

 

気に入ったものを徹底的に描くこうした姿勢から、何か違うものが見えてきてのかも知れませんし、そこに存在するものを再確認しながら描いたのかも知れません。

 

それにしても「ゴッホ」の魅力は、語りつくせないものがあることは確かです。「絵の力」がこれほど人に与えるものが大きいとは「ゴッホ」の作品に会うまではわかりませんでした。

 

「出会いが人を変える」とよく言いますが、本当にそれを実感できる作品群ではないでしょうか。

 

a href="http://art.blogmura.com/pastel/">にほんブログ村 美術ブログ パステル画へ
にほんブログ村 にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村


「子供のような純真な目」・・ゴッホの作品から②

2011-06-01 07:14:05 | ニューヨーク旅行記」

では、どうして「ゴッホ」の絵はこれほど人気が高いのでしょうか。

 

「ゴッホ」の絵からは、いわゆる「デッサン力」のようなものは見つけることができません。「アカデミック」な教育を受けた画家に多いのは、「既成の概念」」で絵を描くことが多く、その中には人をひきつける力があまり見られません。

 

「ゴッホ」は独学で絵の勉強をして、独自のスタイルを築き上げた作家の一人です。

見てもわかるように、この作品の中に「明暗」とか「陰影」とか学校で学ぶようなものはどこにも見当たりません。

 

そしてどちらかというと、「平面的」な構図にさえなっています。しかし、その色を見ると俄然力を増し、私たちの目に迫るものが見られます。

 

「形が正確だ」とか」「リアルである」という言葉をあざ笑うかのように、「ゴッホ」の作品の中には不思議な力があります。

 

「糸杉」という絵もたくさん描いていますが、その弾むような「タッチ」と「心躍らせる色彩の構成」には一体何が隠されているのでしょうか。

彼は、絵の勉強に「毛糸」を使って色の組み合わせを考えたといわれています。この「ひまわり」を描いたものからそうしたことが納得できるのですが、幾重にも色を並べてその効果を吟味しているようなところがあります。

 

また、彼は「補色」というものにとても興味を持ち、それをとても効果的に使っています。

 

この作品も「黄」と「青」の補色でできていて、その意図がとてもよくわかる作品になっていると思いませんか。

そうした「補色」の作品とはうってかわったような作品になっているのがこの画像で、「類似色」にまとめられた中に「白」をおくことにより「すがすがしい」感覚を起こすものになっています。

 

日本の「浮世絵」に影響のある作品のようで、線が強調され全体的に平面的になっています。

 

しかし、「色」と「色」がつくる別世界がそこに出来上がり、我々の心を揺さぶるものができています。

「ゴッホ」は自画像をたくさん描いていますが、こうした「女性」を描くのは少ないのですが、「アルル」にうつって宿の「女主人」を描いた作品がこれになります。

 

「アルル」に来てとてもうれしかったように見られるこの作品からは、とてもインパクトのある色をバックに使い、その時の「ゴッホ」の」気持ちがあからさまにでているように思えてなりません。

 

では、どうしてこれほど「ゴッホ」の絵が人の心をひきつけるのでしょうか、それを私なりに考えると「子供のような純真な目」を彼は持っているからにほかなりません。

 

彼の絵は「つくった絵」ではなく、「感じたまま」の作品が多いのに気づきます。

 

「つくった絵」とは計算された画法や製作過程のいことをさし、そこには偶然やハプニングがありません。

 

「感じたまま」というのは、「無垢な気持ち」でなりふりかまわず、制作に「没頭」するという意味ですが、そうしたものが自然に我々の心に伝わってくるように思われます。

 

そんなことよりも、「ゴッホ」の絵を見てください。日頃のいやなことも忘れ、そこがあたかも「楽園」のような世界へ導いてくれることに気づくのではないでしょか。

 

a href="http://art.blogmura.com/pastel/">にほんブログ村 美術ブログ パステル画へ
にほんブログ村 にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村