はじめまして。私たちは岩国市を中心に「いろ・色・パステル画」展を行っているものです。気持ちを入れ替えるためにこのブログを使うことにしました。以前のブログを見たい方はこのサイトを押してください。 「美」を愛する人へのメッセージ
さて、以前のブログの続きをすすめたいと思います。12月10日(金)に東京に行き、まず午前中に「ホキ美術館」へ行きました。その後「六本木」に行き、「国立美術館」で行われていた「ゴッホ展」を見に行きました。
皆さんもご存知のように「ゴッホ」は世界中に知られている画家の一人ですが、どうしてこれほど彼の名前が広がったのかは意外と知られていません。
「知っている画家を言ってみてください。」と質問すれば、出てくる画家に「ピカソ」「ゴッホ」「ダ・ヴィンチ」という画家が出てきてその名前は知れ渡っています。
それとおもしろいことに絵を描かない人の画家に対するイメージがとても偏っていて、「画家イコール貧乏」というパターンが出来上がっていることです。
確かにこの「ゴッホ」にしてもあまり生前はめぐまれていなかったかも知れません。しかし、周囲に彼を支える人がいたのでこれほど名前が世の中に出るようになったのです。
「ピカソ」は皆さんよく知っているように、とてもめぐまれた一生を送り、その画家の悪いイメージを払拭してくれる存在になっています。
「ゴッホ」はわずか9年間しか油絵を描いていません。しかし、その凝縮された9年間にどのように絵を研究していったかがわかるようになっていたのも、今回の「ゴッホ」展の特徴だったと思います。
いろいろな画家の模写や、日本の浮世絵を手本にした作品があり、たゆまない研究を重ねていたことがわかります。
一見、誰の意見も耳にしないような「ゴッホ」でしたが、人一倍人の影響を受けていてことがわかりました。
会場には「ゴッホ」が「ゴーギャン」と何日間過ごした部屋の再現が作られており、とてもよく理解できました。
意外と小さな部屋で過ごしていたことがわかり、こうした工夫はこれからの美術館のあり方を示していました。
ところで、「ゴッホ」が、これほど世の中に出た理由を、私の知っている限り述べてみたいと思います。
皆さんも知ってのとおり、ゴッホには弟の「テオ」という存在がありました。「ゴッホの手紙」とい本を読めば、「ゴッホ」と「テオ」のとても深い関係がわかります。
「テオ」から生活費やえのぐ代を出してもらって、「ゴッホ」は絵が描けたわけですが、「兄は絵の天才だ」と思っていた「テオ」にとって、その援助は必然的なものだったようです。
そして「ゴッホ」の自殺後、この「テオ」もすぐなくなるわけですが、その後を「テオの妻ヨハンナ」が「ゴッホの作品」を世に出すようになります。
「ゴッホ」の作品のすばらしさに同調し、作品の保存や本の出版等彼の死後大活躍します。
いろいろなところでの「ゴッホ展」の開催は、この「ヨハンナ」の力によります。
このように人は一人では絶対に大成することができませんし、必ず人と人とのつながりがあります。
そうしたことを考えながらの今回の「ゴッホ展」を、「見る」ことを通して、学べたのではないかと思っています。
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