※見出しの写真は拡大できません
佐世保の中心部を通る国道35号線の、名切交差点付近の風景です
名切入り口から佐世保駅方面を見ています
1
2
常磐町の交差点角に在った駐車場の跡地
(その前はラッキータクシー車庫)には
本島町に在った京町病院が新築移転してきました
京町病院左奥、茶色のマンションは
佐世保ミルクプラントの跡地に建ちました
画面左端はラッキーボールの跡地に建った複合ビルです
3
車道の突き当りは佐世保川です
4
名切入り口から市役所方面です
画面右奥の電波塔はNTT西日本佐世保支社です
国道に面した場所は、ドライブスルー付きの
マクドナルドになりました
5
自動車用品「神吉」先に連なっていた映画の看板は、
ずいぶん前に無くなりました
6
写真正面の道を進んでいくと、
宮地町、熊野町、名切町、花園町へと続きます
7
この先、名切グラウンドの跡地には、室内大型キッズパーク、
ファミレス、イタリア料理店、駐車場等が出来ました
噴水先のゴーカート場の跡には、コンビニや駐車場が出来ています
8
※画像は2回目のクリックで更に大きな写真になります
※ランキングに参加しています
にほんブログ村
にほんブログ村
長崎県ランキング
※見出しの写真は拡大できません
佐世保市制120周年・海上自衛隊創設70周年記念
「サマーフェスティバル2022」が、8月6日(土)~8月7日(日)の2日間
三浦岸壁、新みなと岸壁、倉島岸壁で開催中です
会場では日米艦艇の一般公開や満艦飾、電灯艦飾が実施され、
佐世保音楽隊の演奏などがおこなわれます
倉島岸壁では航空自衛隊の地対空誘導弾「ペトリオット(PAC-3)」が展示されます
艦艇の一般公開は午前11時から、最終入場午後5時までとなっております
倉島岸壁に無料の駐車場が用意されています
※以上、関連する各HPより引用
三浦岸壁では護衛艦「あけぼの(DD-108)」と
アメリカ海軍の掃海艦「パイオニア(MCM-9)」が公開されています
1
2
新みなと岸壁では佐世保海上保安部の巡視船「ちくご(PM-34)」と
海上自衛隊の多用途支援艦「あまくさ(AMS-4303)」が公開されます
3
4
5
6
7
新みなと暫定広場では自衛隊車両の展示が行われています
8
9
10
11
12
※画像は2回目のクリックで更に大きな写真になります
※ランキングに参加しています
にほんブログ村
にほんブログ村
長崎県ランキング
※見出しの写真は拡大できません
「浦頭引揚記念資料館」の見学が終わり、
次の目的地である佐世保市宮地区(城間町)の「無窮洞」へ向かいました
途中、「ハウステンボス」の傍を通るのですが、
ハウステンボスの敷地の大部分は、江戸時代に干拓された水田でした
水田跡地は太平洋戦争時に軍に接収され、
1945年(昭和20年)3月1日には
広島県江田島を本校とする海軍兵学校針尾分校が開校しました
戦争終結後は、厚生省佐世保引揚援護局が置かれ、
浦頭港へ上陸した引揚の方たちが、徒歩で「南風崎駅」まで向かう途中の、
休息、救護の場所として使用されました
「無窮洞」はJR大村線「南風崎駅」から1.4kmの所に在り、
「宮村川」沿いに位置する宮中学校の対岸にあります
入り口付近には、この防空壕(無窮洞)工事のすべてが、
国民学校の生徒たちによる手作業だけで進められた事についての、
詳しい内容が記されています
1
向かって左側が「敢闘門(出入り口)」で、右側は「嘗胆門(換気口)」です
2
入ってすぐの主洞です
正面には教壇が彫られ、左側には水飲場や明かり棚が設けられ、
右側には作業に使った道具類が並んでいます
3
4
5
6
教壇付近から入り口方面を見ています
床の排水路だった窪みには砂利が敷いてあります
7
主洞の北側には、ほぼ並行して副洞が掘られているのですが、
写真は教壇側から副洞へ向かう通路です
8
副洞から教壇方面を見ています
壁の大部分が湿気をおびて濡れています
9
副洞の奥、角付近に設けられた「かまど」や「調理流台」です
山へと上がる避難道(らせん階段)は、金属製の柵で塞がれています
10
「嘗胆門」の内側には換気用の農機具が置かれていました
11
次に訪ねた「三川内焼美術館」には、数えきれないほどの作品が展示され
「三川内焼 近代の名工展」が開催されていました
※三川内地区は、JR佐世保線三河内駅周辺一帯の地名です
紹介している写真は、焼き物の知識が全くない私がランダムに撮影した
ほんの一握りの作品です
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
※以上、紹介した説明内容は各種資料より引用しました
24
※画像は2回目のクリックで更に大きな写真になります
※ランキングに参加しています
にほんブログ村
※見出しの写真は拡大できません
佐世保観光情報センターが企画し、10月下旬に実施された
「日本遺産WEEK限定バスツアー」に参加しました
内容は、半日(約4時間弱)で4か所(針尾無線塔、浦頭引揚記念資料館、
無窮洞、三川内焼美術館)を巡るコースですが、
写真のコマ数が多くなったので、2回に分けて更新したいと思います
JR佐世保駅みなと口の前から出発し、
最初の目的地である 針尾無線塔に向かいました
1
針尾無線塔は旧日本海軍の無線送信所として建設され、
1号塔、2号塔、3号塔ともに1922年(大正11年)に完成しました
川砂のみを使用した鉄筋コンクリート製で、
100年近く経った現在でも目立っような劣化も無く、
当面の耐久性、耐震性、安全性も確認されているようです
建設作業には、近隣住民の人達も動員されたのだそうですが、
当時は安全面への配慮もほとんど無く、落下などの事故により
工事期間中3名の方が犠牲になられたそうです
写真に見えているのは、電信室付近から見える1号塔(西側)です
正三角形に配置された3本の塔の間隔は約300mで、
中央部付近に電信室が設置されています
2
電信室付近から見える2号塔(東側)です
私と同世代の人達の子供時代には、3つの無線塔間が行き来出来ていたそうで、
この辺りに住んでいた子どもたちの格好の遊び場になっていたそうです
3
3号塔(南側)に向かって歩を進めます
4
基部の直径は約12m、コンクリートの厚さは76cmです
5
内部のもようです
昇降の手段は、画像の真ん中あたりに見えている垂直梯子のみで、
定期的に行われる航空障害灯などのメンテナンス等は、
片道約30分くらいを要して、てっぺんまで登るのだそうです
6
塔の高さは3号塔が137m、1号塔、2号塔が135mです
途中には約13mくらいの間隔で明り取り用の
開口部(30cm×50cm)が設けられています
7
8
3号塔から望む第2西海橋です
9
10
二か所めは、浦頭引揚記念資料館を見学しました
敷地の一角には、引揚船で祖国を目指す、引揚者の心情を綴った、
「かえり船(唄:田端義夫)」の歌碑が建立されています
11
太平洋戦争終結後、139万6000人余りの引揚げの人達が、 浦頭港に上陸されました
現在、浦頭港では大型クルーズ客船受け入れ用施設の 建設工事が行われています
12
浦頭港を望む丘の上の浦頭引揚記念資料館です
13
展示室には入国検疫所でのDDT消毒に使用された器具類や各種表示板などや、
12
13
引き揚げ経路の模型など、
14
引き揚げ船に関する各種資料なども、
15
引揚者の着衣類、
16
生活日用品などと、引き揚げに関する資料が展示してあります
※以上、関連するWEB資料より引用しました
17
※画像は2回目のクリックで更に大きな写真になります
※ランキングに参加しています