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「浦頭引揚記念資料館」の見学が終わり、
次の目的地である佐世保市宮地区(城間町)の「無窮洞」へ向かいました
途中、「ハウステンボス」の傍を通るのですが、
ハウステンボスの敷地の大部分は、江戸時代に干拓された水田でした
水田跡地は太平洋戦争時に軍に接収され、
1945年(昭和20年)3月1日には
広島県江田島を本校とする海軍兵学校針尾分校が開校しました
戦争終結後は、厚生省佐世保引揚援護局が置かれ、
浦頭港へ上陸した引揚の方たちが、徒歩で「南風崎駅」まで向かう途中の、
休息、救護の場所として使用されました
「無窮洞」はJR大村線「南風崎駅」から1.4kmの所に在り、
「宮村川」沿いに位置する宮中学校の対岸にあります
入り口付近には、この防空壕(無窮洞)工事のすべてが、
国民学校の生徒たちによる手作業だけで進められた事についての、
詳しい内容が記されています
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向かって左側が「敢闘門(出入り口)」で、右側は「嘗胆門(換気口)」です
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入ってすぐの主洞です
正面には教壇が彫られ、左側には水飲場や明かり棚が設けられ、
右側には作業に使った道具類が並んでいます
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教壇付近から入り口方面を見ています
床の排水路だった窪みには砂利が敷いてあります
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主洞の北側には、ほぼ並行して副洞が掘られているのですが、
写真は教壇側から副洞へ向かう通路です
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副洞から教壇方面を見ています
壁の大部分が湿気をおびて濡れています
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副洞の奥、角付近に設けられた「かまど」や「調理流台」です
山へと上がる避難道(らせん階段)は、金属製の柵で塞がれています
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「嘗胆門」の内側には換気用の農機具が置かれていました
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次に訪ねた「三川内焼美術館」には、数えきれないほどの作品が展示され
「三川内焼 近代の名工展」が開催されていました
※三川内地区は、JR佐世保線三河内駅周辺一帯の地名です
紹介している写真は、焼き物の知識が全くない私がランダムに撮影した
ほんの一握りの作品です
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※以上、紹介した説明内容は各種資料より引用しました
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※画像は2回目のクリックで更に大きな写真になります
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