英国的読書生活

イギリスつながりの本を紹介していきます

ナイス・ガイはガイ・フォークスのガイ?

2008-04-30 | イギリス
ジョアン ハリス「紳士たちの遊戯」

数年前に「ショコラ」で成功を収めたジョアン ハリスが、初めてミステリーに挑戦したのがこの作品。
「ショコラ」は、カーニバルの風とともに、フランスの片田舎の村に現れた風変わりな母子と、古い因習にしがみついて生きる教会関係者や村人との様々な確執、そして一粒のチョコや一杯のホットチョコレートが作り出す癒しの世界を描き出し、ビター&マイルドなファンタジーに仕上がっていましたが・・・・、さて・・・・。

舞台は英国の名門私立グラマースクール、セント・オズワルド校。権威と伝統と格式に守られたその学校に憧れ、同化し、傷ついた(少年)は復讐を決意し、15年後教員として同校に赴任することに。一方セント・オズワルド校の教師人の中でも、(本人曰く)決してスーツ族でなく、ツイード・ジャケット族の代表格で未だ持ってマントを愛用しているストレートリー。彼が愛する生徒達、教室、談話室の心地よいバランスがある日から微妙に狂うことに・・・。それは最初些細なこと、出席簿が無くなったり、マグカップが無くなったり・だったのですが。それがやがて地域を巻き込む大事件になろうとは・・・。
よそ者と古い体質側の対立という構造は「ショコラ」といっしょです。でもここには甘いチョコレートは存在しません。正直読み始めは、犯人が復讐を決意するにいたる理由が釈然としないことと、行動が陰湿でちょっと「外したかな?」と思ってしまうのですが、後半なかなかの「どんでん返し」(私は一瞬騙されたことが理解できませんでした)が用意されていて楽しめました。
後半、犯罪の舞台としてガイ・フォークス・デイというお祭りが出てきます。ガイ・フォークスとは、1605年に宗教政策への不満から、国会議事堂地下に隠した火薬で時の国王ジェームズ1世を暗殺しようとした陰謀の主犯格です。その彼が捕まったのが11月5日。以来この日を記念したお祭りが英国では続いています。大きな焚き火(日本でいう「どんと焼き」に近いもの)と花火がメインのお祭りです。1606年に首を吊られ、すぐには殺してもらえず、内臓を抉られ、それを火にくべられ、ようやく首を刎ねられ、なおかつ八つ裂きにされて市中を引き回されたガイ・フォークス。この故事にちなんで、お祭りでは、子供たちがガイ・フォークス人形を街中引きずり回し、最後に火で燃やしてしまうパフォーマンスを演じるそうです。やっぱりイギリス人の根源は残酷なんですね。

憧れの豪華寝台列車

2008-04-25 | イギリス

寝台車って、いつの時代もちょっとロマンがありますね。子供の頃、いわゆる「鉄道マニア」だった私にとって、寝台車に乗れることは、旅行の目的地以上に心ときめくものでした。祖母といっしょに寝た「あさかぜ」のA寝台。あこがれの「月光型」581系電車寝台の最上段に1人で寝てけっこう恐かった思い出。学生時代、春休みに稚内に行こうと札幌から乗り込んだ急行「利尻」のB寝台下段、夜が明けると一面の雪景色にびっくりでした。そして就職活動の帰りに肩を落として乗り込んだ「はやぶさ」のB寝台上段・・・・・・。連結器の軋む音、ポイントの通過音、流れ去る踏み切りの警報音、遠くに響く牽引機関車の汽笛・・・・。

アガサ・クリスティ「オリエント急行の殺人」

クリスティの代表作。イスタンブール発カレー行きの「オリエント急行」。雪で立ち往生した列車の中で起こる殺人事件。たまたま乗り合わせていた探偵ポワロが捜査をはじめるのですが・・・・。乗客それぞれの供述がお互いのアリバイを形成することとなり、ポワロの推理は難航します。
当時の英雄、リンドバーグの息子の誘拐殺人事件が、執筆のきっかけになったとも。豪華列車の乗客である容疑者達、否金持ち達のわがままな行動も話しに厚みを加えてくれます。贅を尽くしているが、決して広くなく袋小路になっているコンパートメント。犯人の辿る導線を添えられた車内平面図で推理するのがたまらない作品です。

現在もデラックス観光列車として活躍しているオリエント・エキスプレス。お金さえ払えば誰でも乗ることができます。
私は、ロンドン・ヴィクトリア駅でオリエント・エキスプレスが到着する光景を見たことがあります。その時だけホームが確かに華やぎます。

オリエント・エキスプレスの情報は→

オリエント・エキスプレスの中で殺されかけるジェームズ・ボンドは→

戻ってきて!

2008-04-16 | イギリス

イアン・マキューアン「贖罪」

これは小説です。小説が故に虚構の世界が描かれ、そこに浸る喜びを読者は味わいます。親しんだその虚構の世界が実は・・・・・、と聞かされたとき、読者は驚き、戸惑い、途方に暮れ、不安になり、・・・そして新たに確信を得ようと、もう一度物語を追体験し始めるのです。仙台出張の帰りの新幹線の中(仙台から広島まで新幹線はちとキツイです)、広島到着2分前に読了した私は、目頭が熱くなる一方で、「なんで?!」と呟き、第一部の冒頭と第二部の最後、そして第三部のエンディングを列車を降りながら読み返すことに・・・。

この物語は4つのパートで構成されています。
第1部 1935年の夏、ロンドン郊外のタリス邸。ここ50年で財を成したと思われるアッパーミドルの家族。瀟洒な館に人工湖を配した広大で美しい庭を舞台に、濃密な時間の経緯が、時にじれったいまでに、尽きることを知らない言葉で連綿と描かれていきます。
久しぶりに帰省する兄を待ちわびるセシーリアと妹ブライオニー。そして使用人の息子ロビー。
それぞれが今の自分が置かれている状況に苛立ちを覚えており、次に現れるドアを待ち望んでいます。しかし、それを自分の手で開ける勇気はなく、誰かが肩を押してくれるのを待っている。こういった緊張感でバランスを取っていた関係に、意図せず無意識の力が働いた時に・・・、止まってるかに見えた人生が急に転がりだし、誰もその回転を止められなくなってしまいます。

第2部 舞台は1940年のフランス戦線。ここで描かれるダンケルクの撤退模様は、ヘミングウェイの「武器よさらば」に匹敵する名場面です。迫る独軍の前に、34万人の英仏兵士を英国本土に撤退させた「ダンケルクの戦い」。海岸に追い詰められた兵士達の混乱と、セシーリアの手紙「戻ってきて」に勇気づけられ、ただ生きて帰ることを切望するロビーがひたすら悲しいです。

第3部 同じく1940年のロンドン。見習い看護婦として献身的に働くブライオニー。彼女の勤務する病院に、今ダンケルクから救出された傷ついた兵士達が運ばれてきます・・・。戦争の現実を知っているのは、まだ軍と病院関係者に限られている、空襲をまだ経験する前のロンドンが描かれます。ラストの地下鉄駅でのなにげない光景が、次章を読む時に急に胸を打ちます。

そして最終章。1999年のロンドン。今は人手に渡りホテルとなっているタリス邸に、かつての家族が集い催されるのが、あの夏の日の・・・・・・。この最終章のモノローグが、この物語を単なるロマンス大河に終わらせない重要な役割を担っています。ある意味この章が物語の始まりなのかもしれませんね。

純粋故の哀しさ

2008-04-07 | イギリス
アラスター・グレイ「哀れなるものたち」

スコットランドの作家アラスター・グレイは、グラスゴー市で文化財の保護管理に従事する知人から、一冊の古本を見せられる。タイトルは「スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話」。書いたのはマッキャンドレスという医者。その内容に甚く関心を持ったグレイが、その本を再度編纂し、出版を行ったのが、この「哀れなるものたち」である。おおきく4つのパートから構成されおり、グレイ自身による前書き(ここで、この本を入手するに至った経緯と、再度出版を志した過程が説明されている)。続いて多少手を加えた「スコットランドの一公衆衛生官の若き日を彩るいくつかの挿話」本編。次にこの本の作者マッキャンドレスの妻と見られる女性から、子孫に向けて書かれた手紙が収録されている。そして最後にグレイの手による詳細な「注」が付けられているという作り。
以上がこの「哀れなるものたち」の体裁なのですが・・・・・・。


天才外科医ゴドウィン・バクスターは、橋から身投げし、自殺を遂げた女性に驚異的な施術を行い、ベラ・バクスターとして蘇生させた。
本編の物語は、この蘇ったベラの成長の記録として描かれていくのであるが・・・・。
怪奇小説?否!さにあらず!「アルジャーノンに花束を」を彷彿させる記載があるかと思えば、どこかバレエ「コッペリア」に通じるピグマリオンコンプレックス的世界も登場する。一つの物語が絶えず2つの局面(対立軸)から語られるのも「仕掛け」の一つなのか。当事者2人の相反する手紙。前世?(自殺前)と現在との対立。裏と表、嘘と真実。鏡のこちらと向こう側。何よりマキャンドレスの妻の手紙・・・・と、詳細すぎる「注釈」の存在が・・・・。と書くと、とっつき難い話に思えますが、確かに奥深く、仕掛けや地雷が満載ではありますが、あくまで平易な文体でイッキに読了させてくれますよ。
何より、ベラの貪欲な知識習得と、真の愛を希求する心の成長と確かな歴史観、そしてバクスターの哀しい怪人ぶりが見所です。

前書きでの問題の本にめぐり合う経緯は、「薔薇の名前」を思い出します。オリジナルを紛失してしまうあたりもいっしょです。

凝った作りの本だけに、翻訳本の場合、幾分仕掛けの部分の効果が半減するのは致し方ないですが・・・・。
さあ、騙されたフリをして、どれだけこの本で楽しめますか?
意外と本当に騙されているかもしれませんね。

「注意」!
通勤途中、電車の中などでこの本を読む場合は注意が必要です。
ただでさえグロテスクな解剖図が満載なうえ、ページをめくると突然男性器、女性器が出てきたりして・・・・。
私は、前に立った若い女性が急に目を逸らせ、嫌悪の表情を浮かべたのを見逃しませんでした・・・。

私の寅さん

2008-04-05 | 日常
「寺田寅彦随筆集」

寺田寅彦(1878~1935)は、現代においてもっと評価されても良いと強く思う。物理学者としての功績もさることながら、残された小品に溢れる先見的な視点には驚かされるし、平易な文体で綴られた写実的な文章、そして控えめではあるが描かれるリリカルな情景にはため息が出るのです。映像の可能性に早くから注目し、環境ビデオの出現への期待等今でも十分に新鮮な思考を我々の前に示してくれるのだ。現代であれば、さぞかし面白いコメンテータとして活躍できるであろうに。(もう、茂木さんのオシャベリは飽きたのですよ・・・。)
代表作の「丸善と三越」、休日に訪れる日本橋の丸善と三越の売場を、ただ単に描いているだけであるが、写真的な切り取りと、文明批評的な眼差しが相まって洒落たエッセイとなっているのである。
話は脱線しますが、丸善のホームページを見ると、なかなか面白いトリビアがいっぱいです。日本で最初の株式会社であった・・とか、初めてハヤシライスを世の中に出した・・(早矢仕ライスと銘打ち今でもレストランで販売)・・とか、一見の価値がありますよ。 
→丸善のホームページ  
日本橋三越は、今でもちょっと別格ですよね。吹き抜けのある中央ホールにはパイプオルガンが鎮座しているし、何より店員の接客マナーが違います。地下鉄の乗り換え途中に、チケットを持ったまま買い物が出来るところもちょっと楽しい・・・・。
→日本橋三越のホームページ


話を戻して・・・・
私が一番愛好きなのは、「花物語」という作品。描かれている場所を私自身、体験していることもあって、ノスタルジックな空気感がセンチメンタルに浸らせてくれるのです。構成は、花にまつわる小編からなっており、小説ともエッセイともつかない淡い記憶の作品に仕上がっています。その中で、「のうぜんかずら」という文章を「青空文庫」から転載してみましょう。誰にでもある小さな頃の夏休みの思い出が哀しく書かれています。

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小学時代にいちばんきらいな学科は算術であった。いつでも算術の点数が悪いので両親は心配して中学の先生を頼んで夏休み中先生の宅へ習いに行く事になった。 宅(うち)から先生の所までは四五町もある。 宅(うち)の裏門を出て小川に沿うて少し行くと村はずれへ出る、そこから先生の家の高い松が近辺の藁屋根(わらやね)や植え込みの上にそびえて見える。これにのうぜんかずらが下からすきまもなくからんで美しい。毎日昼前に母から注意されていやいやながら出て行く。裏の小川には美しい藻(も)が澄んだ水底にうねりを打って揺れている。その間を小鮒(こぶな)の群れが白い腹を光らせて時々通る。子供らが丸裸の背や胸に泥(どろ)を塗っては小川へはいってボチャボチャやっている。付け木の水車を仕掛けているのもあれば、盥船(たらいぶね)に乗って流れて行くのもある。自分はうらやましい心をおさえて川沿いの岸の草をむしりながら石盤をかかえて先生の家へ急ぐ。寒竹の生けがきをめぐらした冠木門(かぶきもん)をはいると、玄関のわきの坪には蓆(むしろ)を敷き並べた上によく繭を干してあった。玄関から案内を請うと色の黒い奥さんが出て来て「暑いのによう御精が出ますねえ」といって座敷へ導く。きれいに掃除(そうじ)の届いた庭に臨んだ縁側近く、低い机を出してくれる。先生が出て来て、黙って床の間の本棚(ほんだな)から算術の例題集を出してくれる。横に長い黄表紙で木版刷りの古い本であった。「甲乙二人の旅人あり、甲は一時間一里を歩み乙は一里半を歩む……」といったような題を読んでその意味を講義して聞かせて、これをやってごらんといわれる。先生は縁側へ出てあくびをしたり勝手のほうへ行って大きな声で奥さんと話をしたりしている。自分はその問題を前に置いて石盤の上で石筆をコツコツいわせて考える。座敷の縁側の軒下に投網(とあみ)がつり下げてあって、長押(なげし)のようなものに釣竿(つりざお)がたくさん掛けてある。何時間で乙の旅人が甲の旅人に追い着くかという事がどうしてもわからぬ、考えていると頭が熱くなる、汗がすわっている足ににじみ出て、着物のひっつくのが心持ちが悪い。頭をおさえて庭を見ると、笠松(かさまつ)の高い幹にはまっかなのうぜんの花が熱そうに咲いている。よい時分に先生が出て来て「どうだ、むつかしいか、ドレ」といって自分の前へすわる。ラシャ切れを丸めた石盤ふきですみからすみまで一度ふいてそろそろ丁寧に説明してくれる。時々わかったかわかったかと念をおして聞かれるが、おおかたそれがよくわからぬので妙に悲しかった。うつ向いていると水洟(みずばな)が自然にたれかかって来るのをじっとこらえている、いよいよ落ちそうになると思い切ってすすり上げる、これもつらかった。昼飯時が近くなるので、勝手のほうでは皿鉢(さらばち)の音がしたり、物を焼くにおいがしたりする。腹の減るのもつらかった。繰り返して教えてくれても、結局あまりよくはわからぬと見ると、先生も悲しそうな声を少し高くすることがあった。それがまた妙に悲しかった。「もうよろしい、またあしたおいで」と言われると一日の務めがともかくもすんだような気がして大急ぎで帰って来た。 宅(うち)では何も知らぬ母がいろいろ涼しいごちそうをこしらえて待っていて、汗だらけの顔を冷水で清め、ちやほやされるのがまた妙に悲しかった。

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第五高等学校時代の漱石との出会いを描いた「夏目漱石先生の追憶」も、素敵な作品です。

ディケンズの机

2008-04-03 | イギリス


今日のニュースから・・・
ディケンズが愛用した机が、6月にロンドンで競売に掛けられることになるそうです。予想価格は1600万円とか。この2日にはニューヨークのクリスティーズで「オリバー・ツイスト」の初版本が2345万円落札されています。
机の売上金は小児病院への寄付金となります。誰が落札するにしろ、どこかで公開していただき、人類共通の財産としていただきたいものです。