~聴覚障害6級~

話せる。歌える。
聞こえているけど聞き取りにくい。
感音性難聴者が適当に呟きます。

子供時代

2009年11月09日 | 子ども時代~成人時代
私の耳が少々遠いことが判明したのは、
私の記憶では小学校低学年でした。

学校の身体検査のひとつの聴力検査で判明しました。

私の母親が近隣の国立病院に連れて行ってくれ、
再検査をした記憶がかすかにあります。
小学校2年生の頃だったと思います。

子供だったので確かな記憶が全くないけれど、
医師が検査結果を見て、
「日常生活には支障はないでしょう。」と診断されたと母親から聞きました。

聴力が若干弱い程度なので、治療方法もなく、
補聴器をすすめられるわけでもなく、
普通(健聴)の子供の中で、普通の子供として過ごしてきました。


比較的活発な子供だったためか、学校でも塾でも遊びでも、
特に支障は感じることはなかったと思います。

たぶん子供時代の私は、
今よりもずっと聴力が良かったのではないかと思うのです。

当時、ピアノやギターを弾いたり、合唱団に入ったり、
放送部を務めたり、
陸上の選手として学校代表で区の大会に出場したり、
学級委員にも選ばれたりしていましたから、
難聴の自覚はあまりなかったのかもしれません。


健聴の子と同じようには「聞き取れていない」と自覚したのは、
地域の小中学校を得て、都立高校に入学した頃でしょうか。

ずっと難聴の自覚がなく活発に過ごしていたせいか、
私の両親も、私の難聴に対して重要視しておらず、
先生にも私の難聴の件を報告していなかったようです。

そのため、席がうしろになることもあり、
授業の内容が半分も理解できない。

急に勉強が難しくなったと感じたのですが、
今思えば「聞き取れていない」ことも影響していたのかもしれません。


ヒアリング(リスリング)のテストは、
何度再試験を受けても合格できませんでした。

難聴であることを改めて思い知ったものです。

中学生の時に受けた英検のヒアリングテストでは、
ちゃんと聞き取れて合格していたので、
もしかしたら、高校に入ってから聴力ががくんと落ちたのかもしれません。

しかし、私は難聴であることを英語の先生に言えなかった。
合格できない言い訳にしている気がして。
手帳もない、補聴器もしていないのだから。

再試組の馬鹿さに先生もあきれて、
同じ問題を出すようにしてくれたおかげで、
何とか合格できるようになったことを覚えています。

お馬鹿のレッテルを貼られたような気持ちでした。



難聴であることが、最大のコンプレックスであり、
そして自分の最大の欠点に思えること。
そんな思いを今も克服できないこと。

それがまたさらに、コンプレックスになっている。
心のバランスへの悪循環。

障害を受け入れているつもりでも、
健聴と同じつもりでいる自分がかすかに存在する。
プライドが高いんでしょうか。



初投稿の「はじめに。」の記事で、
専門的なことは書かないと偉そうに書いたけれど、
本当は、専門的なことを何も知らないんです。
ずっと、健聴の中で過ごして、自分もそのつもりでいたから。



手話はできない。
話せる。
聴こえているけど聞き取れていない。
でも、聞き取れていることもある。

理解していただくには何とも面倒くさくて中途半端。


昨日もカウンター越しにべらべら説明し始めた方に、
「耳が悪くて聞き取れないのでゆっくり話して下さい。」
とお願いしたのですが、全く同じ調子で話しを続けていて、
結局、内容はほぼ何もわかりませんでした。

耳から入る情報がこうして少なくなっていくのですね。
人の話しが理解できないなんて、頭が悪いと解釈されるのですね。

毎日こういうことばかりです。
あーあ。