~聴覚障害6級~

話せる。歌える。
聞こえているけど聞き取りにくい。
感音性難聴者が適当に呟きます。

誤解

2014年03月19日 | 雑記
世間を騒がしている某氏問題を通して思ったことは、
世間は会話ができる難聴者に対して、やはり誤解が多いのだと改めて感じます。

某氏がタクシーで、奥さんと普通に会話していたから、
「聴覚障害なんて嘘だ」と言ってる人がいました。

それは難聴者への誤解です。

聾なら難しいかもしけないけれど、難聴者の場合、
その人にとって慣れている声質、聞き取りやすい声質で、
タクシーや車の中だとしても、隣に座っていて距離が近ければ、
補聴器がなくても普通に会話ができるんです。

手帳を持っている私でも、それが可能です。

静かな場所で、1対1で、なおかつ、気持ちゆっくり話してくれれば、
会話はほぼ成立します。

だから健聴者からすると、
「聞こえてるじゃん」「聴覚障害なんかじゃないじゃん」となるわけですね。

だ・か・ら。

聞こえてますってば。

某氏のレベルであれば、なおさら。

自分の声も聞こえてますから、話しも普通にできるわけです。

発音的にも何も問題はない。

それでも、某氏のレベルだと、健聴者のようにはいかない部分があるはずです。


例えば、その人にとって聞き取りにくい声質やカツゼツ、早口、
相手がマスクをしている、ざわざわした場所や、団体、広い場所、暗い場所になると、
とたんに聞き取りが悪くなり、聞き返すことも多くなります。

そのあたりのことは、健聴者にはわかりづらくて当然ですよね。


それと、補聴器は人との会話だけでなく、周りの雑音も拾ってしまうので、
難聴者によっては、補聴器をしない方が聞き取れることもあるかと思うんです。

私も何個か補聴器を試していますが、結局はわりと安いものが一番聞き取りやすい。

何十万もするものを使用したら、もっと違う聞こえが実現できるのかもしれないけれど。

それに、普段は補聴器はしていません。

補聴器をずっとつけていたら、頭も痛くなるし、疲れてしまうからです。

そんなところも誤解されるひとつなのかもしれませんね。


これからは補聴器を髪の毛で隠さず、
あえて見せるようにすることも必要になってくるかもしれません。

それなら、ピンクとか赤とか、可愛い補聴器が欲しいな。

続・今、世の中を騒がしている人のこと。→追記あり。

2014年03月08日 | 雑記
先日、謝罪会見を行った某氏。

私と同じ感音性難聴だと発表していました。

つまり、今現在は、聾ではない。

会見の言葉のチョイスから察すると、私と同じく、
聞こえるけど聞き取りにくい感覚であることはわかります。

言葉が曲がって聞こえると。

正にその通り。

言葉が歪んで聞こえるから、言葉として聞き取れないことが多い。


某氏の検査の数字が発表されていたけど、私のデジベルより軽く、
手帳は取得できない難聴でしたね。

某氏のデジベルは左右50ほど。

私の5年前の検査では、右82・左73で、やっとぎりぎり6級でしたから。

私もデジベル50くらいの頃、聞き取りにくくて色々な場で支障がありましたから、
障害手帳はなくても不便さはあると思います。


テレビで会見を見て感じたことは、専門家も指摘していたけど、
手話よりも耳で聞いて答えていますね。

手話を見ているのはポーズと言うか演技としか思えなかった。

まだ手話が終わっていないだろうと言うタイミングで答えていることが多かった。

それは記者さんも指摘していた。

それなのに、聞き返すこともなかったし、耳だけで理解できていたとように見えた。

私が50デジベルの頃も、耳から入るものと、口の動きと、話している人の表情と、
それが全て重ねて、言葉を理解しいてたと思う。

今もそう。

目をきょろきょろさせていたら、言葉として理解できない部分が多くなる。

ゴーストの人と口話で会話していたとのことだから、
口話ができるなら、記者さんの質問を口話で解読すればいいと思った。


そして、補聴器をしていなかった。

マイクを通しての言葉は、余計曲がって聞えてくると思うから、
補聴器は必要ないかもしれないけど、
記者の人からの距離もある程度あったし、
それなのに補聴器なしであの受け答え方は、もしかしたら、ごくごく軽度ではないだろうか。

本物の難聴者は、話している人をきちんと見て言葉を理解するか、
手話のみを見て言葉を理解するかだと思う。

記者と手話を交互に見てきょろきょろして、
手話が終わっていないタイミングで一度も聞き返すこともなく答えられるのは、
難聴だとしても軽度のはず。

静かな場所で1対1で、1メートル以内の距離での会話なら、可能だろう。

でも大勢集まって、あれくらいの距離からだと、
全ての言葉の理解はかなり難しいと思う。


あと、今の私でも電話はできる。

相手があまりの早口の時や、固有名詞が出てくると聞き返すことが多いけれど、
慣れている声で気持ちゆっくり話してくれれば、
耳元で聞ける分、会話は可能。

某氏のレベルなら、電話での会話はだいたいできると思う。

私が某氏のレベルの頃は、友達と普通に電話で毎日のように話していたよ。


聴力の方は、手帳が貰えない難聴者と言うことでいいとして、
聾を演じていたこと、作曲家を演じていたことは、やっぱりおかしい。

足が悪い演技もしていたと言うことだよね。

息をするように嘘がつけたり、人を使うことができるトーク力があるのだろう。


嘘だらけの生き方を謝罪だけすればいいのに、反論もおかしい。

ゴーストの人とは口話で会話していたのだから、
ゴーストの人からしたら、聞こえているように感じて当然。

それを素直に発表しただけだと思う。

証拠がないようなものは、ゴーストの人が嘘をついているとか反論していたけれど、
ゴーストの人が嘘をついて得するわけでもないのだから、真実しか言ってないと思う。

嘘ばかりついているのは某氏だけなんだと思うよ。

ゴーストの人がばらしたせいで的な反論は見苦しい。

そもそも、作曲なんて出来ないくせに、作曲家として有名になりたいと思った時点で、
おかしいんだよ。

有名になりたいのなら、自分で作曲しなさい(笑)。




以下、追記。

愛読している『いくお~る』 聴覚障害に関する情報ブログで紹介されていた方のブログを読んで、
私の知識や文章力では書ききれていない部分を詳しく書いて下さっているブログの紹介がありました。

共感しましたので、リンクさせていただきます。

聞こえにくい人である佐村河内氏と手話~記者会見より


共感部分を抜粋。



・以前、両耳全ろうで“3年前から”聞こえるようになったという点は正直信じられないが、
‘’現在の‘’聞こえの部分に関しては、嘘はなかったと思う。

・語音明瞭度とは、聞こえた言葉の何%の意味がつかめたかということ。
例えば、70デシベルの声でしゃべってもらえば音ととしては聞こえるはずである。そのうち何%が聞き取れたかということだ。
以下のようにイメージしてもらうとわかりやすいかもしれない。
何かの文章を書いてみて、消しゴムでところどころを消してみる。
右耳は明瞭度71%なので、不明瞭な部分は29%。文章の29%を消してみても71%残るので意味はかなりつかめるだろう。
しかし左耳の明瞭度は29%。文章の71%を消してしまえば意味はつかめなくなってしまうだろう。
あるいは霧がかかって文字の29%しか見えない。そういった状況を想像してもらえるとわかりやすいかもしれない。

・そして手話である。
そもそも、何故、佐村河内氏は手話を学ぼうと思ったのだろうか?
本当に中途失聴し両耳全ろうになったのなら、すぐにというわけではないだろうが手話を学ぶということも多い。
当初聞こえないということに絶望するが、聞こえない世界、手話の世界があることを知り、学び始めることが多いわけだ。

だが聴力レベルが現在と同じ程度であったとすれば、何故手話を学ぼうと思ったのかが理解しにくい。
そのくらいの聴力レベルの人は手話ではなく口話で会話している人がほとんどだからだ。
聞こえない世界にいくのではなく、聞こえる人の世界にとどまっていたいという気持ちも強いのだと思う。
以前、佐村河内氏は。一時的に聴力レベルががくんと落ちて回復したのだろうか、
あるいは聴力レベルとしては重くなくても耳鳴りがひどく手話の必要性を感じたのかもしれない。
あるいは1995年に手話ブームを巻き起こしたTVドラマ「星の金貨」の影響でもあったのだろうか。
きっかけはどうあれ手話を覚えるのは容易ではない。

・佐村河内氏は補聴器装用ではなく、手話通訳というコミュニケーション手段を選択した。
補聴器をつけていたとしても、あのけたたましいシャッター音のなかで質問者の声を聞き取るのは難しかっただろうし、
質問者も必ずしも近くにいるわけではないので読唇もやりにくく、成立しなかったと思う。
もし成立させるとすれば、質問中は撮影禁止、
質問者は前に出てマイクなしで佐村河内氏の正面に立ち出来るだけゆっくりと質問するといった
何かしらの“配慮”が必要だったと思う。
佐村河内氏は、聞こえにくい難聴者であることには間違いないからだ。

・佐村河内氏は大嘘つきだったことに間違いはないが、きこえにくい(軽度の)難聴者であることだけは事実だ。
その点だけは、しっかりと理解しておかなくてはならないと思う。
聞こえにくい人を誤解しないためにも。





手話に関しての意見。

私が手話を取得していないことを代弁して下さってるようで嬉しかった。