~聴覚障害6級~

話せる。歌える。
聞こえているけど聞き取りにくい。
感音性難聴者が適当に呟きます。

メーリングリスト

2014年12月15日 | インターネット上のこと
パソコンで作業中 (仕事を含む)、たいていYoutubeで音楽を聴いています。

この時期は、世界のクリスマスソングを聴いて、壮大な気持ちになったり、
激しめのクラシックもピアノ演奏も大好きで、満たされた気持ちになったりしています。

私自身も、ピアノを弾きます。

ピアノは実家にあるのでたまに弾きに行ったり、
家には子どもが買った電子ピアノがあるので、ヘッドホンをして弾いたり。

勿論、健聴者の方が楽しむ音楽とは、聴こえているものが違うのかもしれないけど、
音楽、大好き。



さて、本題へ。


私がパソコンを始めたのは、確か、17年前。

1998年だったと思います。

パソコンを始めたきっかけは、私の趣味の情報収集のため。

当時は、インターネットとは一体、何なのか、検討もつかなかった頃です。

「やる」と決めたら、あまり先を考えず、いきおいで始めてしまうため、
何もわからないのに、パソコンを買ってしまいました。

石橋を叩かないで渡ってしまう…(汗)。

インターネットに繋げるまで、1週間をかけた記憶が(汗)。

人に頼るのが苦手なので、全部1人でやったからです。

当時のパソコンは、インターネットは電話回線でした。

設定をミスって、最初の月の支払いがとんでもないことになりました。

以後、テレ放題と言う23時~5時までが定額と言うコースを利用していました。

今のような回線があるのは、当時では夢のようなお話しです。


当時は、ホームページと言うものはあったことはあったけれど、
本当に数は少なかったと思います。

今現在、ホームページ開設10周年とかのサイトが多いことからわかると思います。


当時は、メーリングリストと言うものが結構盛んでした。

決められたアドレスにメールを送ると、登録している人達全員にそのメールが届くと言うシステム。

趣味などの色んなメーリングリストがあったと思います。


当時、難聴者が集まったメーリングリストに入れていただきました。

そのメーリングリストは、主に障害手帳を取れるか取れないかの難聴者の集まりで、
勿論、手帳を所持していても参加OKでした。

私は当時はまだ、手帳を所持していませんでした。

運営している方がとても良い人で、結構楽しく参加させていただいてたのですが、
新しい仲間が登録するたびに、同じような自己紹介をする人の意見に納得できず、
モヤモヤが増えてしまい、退会してしまいました。

どういう意見かと言うと、障害年金を貰っている方だったのですが、
「検査でちょっとごまかせば年金貰えるよ(みんな貰おうよ)」的なことを、毎度のように言ってました。

まだ若くて身体は丈夫なのに、身体障害者スペースに車を駐車していることも自慢していました。

そして、障害年金を多く貰いたいから、もう1人、子どもを産むと。

年金を多く貰えていることを、毎回毎回、自慢かのように書いていました。

金額まで書いていました。

そういう意見を読みたくなくて、退会しましたが、退会してスッキリ。

同じ障害を持っているからと言って、無理して仲間でいることもないと思いました。


以後、趣味の方で、私か運営者になって、メーリングリストを立ち上げました。

口コミで仲間を募ったら160人くらいになり、毎日とっても楽しかったです。

毎日毎日、仲間達発信の色んなお話しのメールを楽しんでいました。


ブログと言うものが流行りだしてから、メーリングリストは廃れていきましたね。

私が運営していたメーリングリストも、自然消滅です。

ブログ全盛期になり、自然にメーリングリストのメールが届かなくなって、
何となく過ごしていたら、登録していたメーリングリストの会社がなくなっていました。


余談ですが、メーリングリストの仲間の1人に、
あるジャニーズのタレントのお姉さんもいらっしゃいました。

ビックリでした。

お会いする機会もあって、タレントである弟さんから私の娘にプレゼントをいただいたこともあります。

今はアパレル系の会社の女社長をしています。

タレントである弟さんも、今も勿論、大活躍中です。


話しを戻して。


ブログが流行り始めたのは、たぶん、2005年くらいから。

私は「さるさる日記」で、2002年からネット上で日記を書いていたけど、
2005年にブログに移行したので、たぶん、それくらいから流行り始めたのだと思います。

それから数年が、ブログのピークかな。

今現在は、ブログもいきおいがなくなり、ツイッターやFacebookに移行している感じがします。

ブログ全盛期と同時にmixiが流行って、私も当時は登録していたけど、
今はずいぶん廃れている感じですね。

私自身も、今はブログよりツイッターが主流です。

ブログ全盛期の頃、2005年~2010年くらいのブログ友も、ほとんどブログの更新がなくなり、
ツイッターが主流になっています。

今現在、ブログは流行っているとは言えないけれど、
ブログは流行りとは別格で、ごく当たり前の存在で、細く続いていくと思います、何となく。

ブログはツイッターよりは面倒くさいところはないからです。

ツイッターは見なくてもいいものまで、目に入ってきてしまうこともありますから。


10年後くらいは、また新しい何かが、ネット上で流行っているかもしれませんね。


ネット環境がごく当たり前になったこの頃。

耳から入る情報が少ない聴覚障害者的には、
ネットが普及してくれて本当に良かったと思います。

これからもネットを利用して、色んなことを楽しもう。


そう言えば、Youtubeが立ちあがった時もビックリでした。

Youtubeはこんなに普及したけど、私がパソコンを始めた当初は、
こんな夢のようなサイトはなかったですからね。

台本の貸し出しについての反響

2014年08月30日 | インターネット上のこと
このブログは、私にとっては裏のブログ(別館)です。

「裏自己紹介」となっています。


ほぼ毎日更新している表のブログ(本館)「今すぐ君に会いに行こう」で、
こんなエントリーをしたことがあります。

「ある要望」


そこには、ほとんど更新していない、この裏の(笑)ブログに書いたこの記事をリンクしてあります。

「舞台の台本の貸し出し」


「心温かい方のみ、こちらからどうぞ。」
と言う注意書きをしてリンクしたこの記事こそが、私の本来の伝えたかったことなのだけど、
たいした反響もありませんでした。

たいしたどころか、全く反響なんてなかったと思います(笑)。

こんな私みたいな素人のプライベートの長い記事なんて、
興味のない方や、読解力が追いつかない方からしたら、読む気も起こらないですよね。

多少、興味を持った方がいらっしゃり、ツイッターのDM(ダイレクトメッセージ)をくださったりしました。

(興味を持って下さった方、ありがとうございます)

タレントのことじゃないし、ハンデを持つ人間の自己満足な行動や文章なんて、
興味がなければそんなもんだと思いました。


が。

先日。

私のツイッターのTL(タイムライン)に、その記事をリンクした呟きがRT(リツイート)されて流れて来ました。

いや~、びっくり(笑)。

呟きの内容は、


聞こえないジャニーズファンが八乙女くんの舞台で、台本の貸出にいたるまでの経緯が書かれてあり、参考になります。
ジャニーズって壁厚いかなと思ったんですが、こういうのって嬉しいね


この呟きにはちょっと誤解がありますね。

聞こえないわけではなく、むしろ聞こえます。

そして、普通に話せます。

静かな場所であれば、電話も会話も可能です。

が、言葉が歪んで聞こえてくるために、広い場所や、ざわざわしている場所では、
言葉が聞き取りにくいハンデです。

環境によっては、会話が不可能になることもあります。

舞台などの広い場所では、補聴器をしていても、台詞の言葉が断片でしか聞き取れず、
健聴者と同じように内容を理解することは困難です。

ドラマや音楽は、音声(イヤホン・ヘッドホンで集音)と字幕の両方を使って楽しみます。

なので、たいてい「なーんだ、聞こえるんじゃん」と、誤解される(軽く見られる)ハンデです。

それどころか、聞き返したりするので、
「人の話しを聞いてない人」「一度で理解できない頭の弱い(悪い)人」、
そして、「聞き返すから面倒くさい人」と、こんな評価を受けてしまうハンデです。

ハンデの性質を説明しても、理解されづらい。

健聴者からしたら、全く聞こえないと言うのは理解しやすいけれど、
聞こえるけど聞き取りにくいと言う感覚は、理解が難しいと思うので仕方のないことですが。


で。

私のブログ記事をリンクしてツイッターで呟いた方が影響力のある方なのか、
その呟きのRT数が1400以上になっていました(汗)。

そして、その日のこの裏のブログのアクセス数をチェックしてみたら、15000くらいになっていて、
gooブログ2052946中、14位にランキングされていました。

ほとんど更新しないこの裏ブログは、普段、1日50アクセスくらいなのに、
その日だけ、いつもの300倍のアクセスになり、少し焦りました。

某氏が逮捕された時、
表のブログがアクセス数が1日20000で、gooブログ2位にランキングされて以来のアクセス数でした。

私が表のブログでこっそり紹介した時は、ほとんど反響もなくアクセス数も変わらなかったのに、
この呟きひとつで、ここまで反響があるとは、正直、戸惑います(笑)。

リンク不可と言うわけではないけれど、
かと言って、あくまでも裏ブログにしているので、リンクフリーの推奨はしていないですからね。

アクセスして下さった方々が、善意ばかりならいいのですが、
そうじゃない場合もあることも、表のブログを12年間書いてることで、何度も経験していますし。


でも、この記事を読んだ(善意の)感想などを、こっそり読むこともできたのは良かったです。

こういうハンデがあることを知ることができ勉強になったとか、
劇場側との相互コミュニケーションが素晴らしかったとか、
最後のくだりに涙が出そうになったとか、感動したとか。

あの記事を書いたのが私だと気付いて下さったフォロワーさんも何人かいらっしゃって、
リプ(リプライ=返信)やDMをいただけたりして、ちょっと嬉しかったな。

新しい出逢いもありました。


その一方で、この反響が複雑だと言う意見もありました。

こんなに反響があるのはジャニーズだからなのか、
台本の貸し出しなら、自分達はずっと取り組んできた的な。

やはり、ジャニーズのタレントが出演する舞台の台本は、著作権の問題と、
それを売買したり、写メが出回るなど、悪用されてしまうかもしれない関係で、
一般の劇団の台本貸し出しのようにはいかないとは思うのです。

私は、台本の貸し出しをしている劇団が多数あることを知ったからこそ、
要望を発信(発進)したので、今回のことは、
以前からそういう取り組みをして下さっていた方々のおかげだと思っています。

その感謝の思いは、どこに発信すれば気付いていただけるかわかりませんが、
それらの劇団の方々は、これからも、是非、台本の貸し出しを続けてほしいと思ってます。

私のような難聴者は、生のお芝居観賞を最初から諦めてしまっているハンデです。

台本の貸し出しによって、生のお芝居と言う娯楽を楽しめること。

少しずつでも広まるといいですよね。


また、今回のケースのように、ジャニーズ事務所が主催ではない外部のお芝居なら、
ジャニーズのタレントが出演している演目でも、交渉次第で台本の貸し出しが可能かもしれません。

勿論、お借りする時は、障害手帳がいるかと思います。

障害手帳は、身分証明でもあり、本人確認でもあります。

手帳が取得できないレベルの難聴の方でこういう取り組みを利用したい時、
手帳所持の私が劇場に出向いて、相互協力などができるといいな~と、ふと思いました。

手帳掲示に協力できるからです。

協力は首都圏に限られますが。


一番いいのは、劇場にアシストホーンのようなものの導入ですけれどね。

アシストホーン

昔、中日劇場でアシストホーンを利用して舞台観劇をした際、
台詞も歌詞もとてもクリアに聞き取れて、本当に感動しました。

アシストホーンとは、赤外線補聴システムと言い、ヘッドホンをつけての観劇で、
客席どこにいても、周りの雑音を拾わず、均一で明瞭な音声が聴こえます。

今現在、中日劇場のサイト内を見たら、アシストホーンのサービスがなくなっていました。

やはり、聞こえのハンデがある方は、舞台観劇と言う娯楽を選択しないのだな~と思いました。

利用する人がいないなら、費用もかかることだし、導入を解除しますものね。

だからこそ、聞こえのハンデがあっても、舞台観劇を楽しみたいと言うことを、
発信していかなければならないかもしれませんね。



それから、演劇誌に台本(戯曲)が掲載されてたよね的な意見もありました。

そういう問題ではないこともわかっていらっしゃってる善意も感じましたが、
その言葉の中には、演劇誌を買えば済むことなのに、
なんで貸し出ししてもらったりするんだろうと言うニュアンスをも感じました(笑)。

勿論、その演劇誌は買ったし、
演劇誌に戯曲が掲載されることを知っていれば、こういう要望はしなかったと思います。

要望を発信した時は、演劇誌に戯曲が掲載されるなんて思わなかったな。

演劇誌に掲載されたのも、要望の「何か」が伝わったのかもしれないと、
勝手に思っているんですけどね(笑)。



最後に。

コンサートDVDのMCに字幕をつけて欲しいとか、番組に字幕をつけて欲しいと言う要望は、
各所のバリアフリーの取り組み上、叶うことが多いかもしれません。

テレビ局のサイトには、「字幕放送についてのご意見」的なフォームがあることが多いです。

そこを利用し、要望や思いを発信するといいかもしれません。

実際、嵐のコンサートのDVDのMCに字幕がついたそうだし、
私も今まで、ドラマの予告にも字幕をつけてほしいと要望を発信し、
全て叶えてくれていただけています。

最近は、ジャニーズの公式サイト「J-net」や「J-web」のメッセージ動画にも、
簡易字幕がついていますよね。

字幕数も多くなっているかと思います。

メッセージ動画の字幕については、何度か要望を発信したことがあります。

それが少しずつ、叶っているのだと勝手に思っています。

最近は、字幕を強化していることが見受けられますよね。


そう言えば、コンサートで、
視覚から言葉が理解できるパフォーマンスに取り組んでくれてることがありました。

彼らの衣装に、彼らの願望が書いてあったり、
電光掲示板に文字が出てくるものを身につけていたり。

勿論、彼らはそんなことまで考えてのことではないと思いますが、
私にとっては、字幕衣装のようなものになったりしています。

有り難いことです。


でも。

要望は、我ままとは違うと思うんです。

ご厚意(好意ではない)で叶えてくれるわけで、叶えてくれる際の手間や費用を考えたら、
「こうしてくれ」的な上からの意見ではなく、
「こうしてくれると助かります」と言う姿勢での要望がベストかと思うのです。

調子に乗って、コンサートMCに手話通訳をつけろ、要約筆記をつけろ、
その時は良席を寄こせと言うのは、要望ではなく我ままだと、私は思います。

我ままな発信は、そのハンデの印象を悪くし、
要望への道を遠くしてしまう可能性もあると思うのです。

事務所や関係各所と言う組織への発信と言えども、
受け止めてくれるのは、機械ではなく人間ですからね。

手話通訳をつけてくれるディズニーのショーや舞台もあるので、
コンサートMCでも可能かもしれないけれど、
だからと言って、その時に良席を確保と言う優遇は、やっぱり違うと思います。

もしコンサートMCに要約筆記をつけてくれるのなら、
他のお客さんの迷惑にならない所(天井席のどこかのブロック)を利用でと要望しますね。

一番良い方法は、スクリーンに生放送用の字幕をつけてもらえることです。

何度か要望を発信していますが、これはなかなか叶わないでしょう。

そういう能力や技術を持つ人を多数雇わなくてはならないですから。

叶わなくてもいいんです。

そういう「声」を届けることが、これからの取り組みに繋がるかもしれないと思うからです。


少しずつでもいいので、
ジャニーズにおいて、聞こえのハンデにおけるバリアフリーが実現していくといいですよね。

アリーナやドームのコンサートにて、スクリーンの全曲歌詞字幕が導入されて10年くらい。

字幕系はかなり進んできていると思っています。

本当に有り難いことです。



とりあえず、私の書いたことや行動に反響があったことで、
それが、これからの「何か」になるといいな~と思います。

関わって下さった、心温かい方々。

もう、こんなブログは立ち寄らないとは思いますが、ありがとうございました。

インターネット上で拾ったもろもろ。

2011年08月16日 | インターネット上のこと
・またまた、久し振りの更新です。

この夏は、私の中では趣味ごとが忙しくて、
あちこち出歩いているのは勿論、
家にいてもあれこれと、ワクワクドキドキ、胸キュンな毎日を送っています。

そのあたりの具体的なことで聴覚に関するものは、
そのうちぼちぼち書きたいと思っています。

いつも適当に気ままに、まったりゆるゆるのスタンスで生きているので、
更新も、気が向いた時になるかと思いますが。



今日は、1年程前に、インターネット上で拾った、
ちょっと興味深い、聴覚障害の心理的な文章を紹介します。

健聴者には、理解できない世界の心理だと思いますが、
私のようなタイプの聴覚障害者には、本当に心の奥を代弁してくれたのかような、
そんな文章たちです。

文面は、多少、手を加えています。

また、色んな方の文章を合わせています。

ご了承ください。





・中途聴覚障害者や難聴者は、なまじ健聴者社会の行動規範を身につけているから、
 開き直れない面があります。

 障害者であっても、思考回路は健常者とほぼ一緒です。


・難聴者は横の繋がりが希薄な障害だから、
 ネットが普及するまで、 福祉のこともろくに知らない人が多かったと思います。

 障害者手帳は何級でもらえるのか?
 どのぐらい悪くなるともらえるのか?

 それをもらう申請方法も知らないなど、福祉に対して殆ど無知だったと思います。


・聴覚障害=手話と言うイメージが一人歩きしているのは、問題だと思います。

 これからは、手書きの要約筆記だけではなく、
 情報量の多いパソコン要約筆記が普及すると良いと思います。



・難聴者は、普通校で健常者に必死でついて行きます。

 学校の教師も教壇で、平気で「ついていけない者は置いて行く」。
 
 そして、そのまま社会人スタートし、焦りと不安感に襲われ、
 心も体も精神もついて行けないのです。

 職場では健聴者は、「つんぼ」をとても嫌がります。

 聴覚障害はそもそも、コミュニケーション・スキルを磨く機会が少ないのです。


 そのあたりの心理的な圧迫状態を、
 難聴児を持った親たちにしっかり知ってもらいたいと思います。



・感音難聴という症状によって最も影響されるのは、対人関係です。

 複数の人間の 話し合う内容が、いったい何を目指しているのか、その場の流れがどうなっているのか、
 自分はどう振る舞ったらよいのか、ということが分かりにくいのです。

 そのために、きちんとした応対ができなかったり、時に的はずれな言動をしたり、
 後になってひどく疲れたりすることがあります。



・聴覚障害は世界の全体像を、
 聴覚の損傷もしく欠損によって適切に把握できなくなる 障害だと思います。

 被害妄想は聴覚障害も生じやすいです。


 かなりコミュニケーションに困っているのに、
「ちょっと耳が悪いだけよ」と自己防衛に走ったりしてしまいます。

もっとも現実的に対応してもらう為に、軽・中度難聴を発掘すべきではないでしょうか?


・感音性難聴は内耳の有毛細胞が死滅しているため、
 言葉を感知する機能自体が落ちています。

 それを精密機械とはいえ、補聴器ごときで補償できる訳はないのです。

「騒音の中でも聞こえる!」はほとんどの場合、騒音に掻き消されてしまいます。





バラバラな文章の中に、私が日々、心の奥で思っていることが凝縮されていました。



どなたの言葉かわかりませんが、
「自分自身の欠点や短所を、ユーモアをもって笑いとともに語れる男はモテる。
 出発点がマイナスであればあるほど、それをプラスに変えることができる、黄金の魔法がそこにあるのだ。」


聴覚障害があることを、別に欠点だとは思いたくないし、私は男ではないけれど、
そのコンプレックスを、ユーモアを持って笑いとともに語れたらいいですよね。


しかしですね。


「耳が悪い」「聞き取りにくい」「聞き取れない」「耳が不自由」と言う実態って、
相手が絶対、笑いに取ってくれないですよね。

どうしたら、ユーモアに変えられるんでしょう。

ドリフのコントのような、おばあちゃんが聞こえない様で、
笑いを取るようなことは、やっぱりできませんよね。


でも、ひとつだけ、障害には関係ないけど、
「今日の天気がいいことを喜べる人は幸せなのよ」との名言。

この言葉で、私って、幸せな人なんだなと思い、心が晴れます。


不便なことは多いけど、この名言を胸に刻めば、
いつも心をも「晴れ」になりますよね。

ちょっとした書き込み

2010年11月09日 | インターネット上のこと
障害とは全く関係ない匿名掲示板で、
こんな内容の書き込みを見つけました。

ほんのちょっとした書き込みだけど、ぐさっときたな。





声がデカイ人は耳が遠いんだよ

うぜえよ





健聴者の、聴こえているし話せる聴覚障害への認識と本音は、

「うぜえよ」

これに尽きるんだろうね。



人との会話で、発声は抑え気味にしているつもりだけど、
健聴者からすると大きい声なのかもしれない。



聞き取れなくて聞き返すことも、きっと、

うぜえよ

なんだろう。



大きい声よりも、もっと、

うぜえよ

なんだろうね。



こんなほんのちょっとした本音がわかっているから、
人と関わることが怖くなるんだよね。

聞き取ろうと身構えると、余計、聞き取りが悪くなるし、
聞き返した時の対応と反応は、どんな人もだいたい同じ。



自分はうぜえ人間なのか…。


たぶん、うざいと言うより、必要ない人間ってことなんだろうね。


関わりたくないってことだもんね、うざいって。


あ~あ。

続・代弁

2010年09月05日 | インターネット上のこと
引き続き、老舗サイトの掲示板で、見つけた書き込みで、
私の気持ちを代弁して下さっているかのような文章を紹介します。

かなり前に読んだものですが、共感したのでコピーしておいたものです。


勿論、多少、手を加えます。



以下、私の言いたいこと全てです。






子どものころからの感音性難聴ですが、
高音以外は何とかなって長くごまかしごまかししてきました。


難聴って、聞き取りづらいという弊害よりも、
それを思い悩んで、びくびくしたりごまかそうとすることで、変なパワーを使っている。


聞こえづらさやコミュニケーションの取りづらさよりも、
それにコンプレックスを感じて、挙動不審になる、
抑うつ症状になる、自分の不幸不利益にばかり注目する、
耳を恨む、より耳に注目する。

結果、
他人に心を開かない、話しかけにくい人になってしまいがちなのでは、と。


話しかけられてわからない、ということよりも、
話しかけたくない人、になりがちではないか。


そこを何とか改善したほうが、難聴の人の人生を良くするには効果的ではないかと。

もちろん聞き取りづらさをフォローする働きかけや、
グッズは欠くべからざる重要なのですが。


自分の難聴に浸らず、耳以外の自分を、のびのびさせて高めて、人に示す。

明るく、他人の話を聞くこと。

聞こえのことではなく、気持ちの寄り添うこと、愚痴や悩みを受け取ること。

基本的に、こぎれいな格好をしてさわやかに対応すること。


そんなことの方が、聞き取りを少し良くするための必死の努力よりも、
よほど効果的なのではないかと。


難聴が、うつを併発しやすいのは、
上記のような悪状況になりやすいからかと、分析したわけです。


難聴以外の自分を大事にしていきましょう。










「聞こえてるんだから障害者じゃない」と小さい頃から言われ続けてきました。


悩んできたそれまでの自己を捨て、
自分は障害とどのように向き合って、新しい自己を形成していくか、
ということを考えているところです。


その手段の一つとして、手話・要約筆記通訳は欠かせませんが、
もう一つ大切なことは難聴の健全なコミュニティ・モデルが、
公的社会の中で存在することではないかと思います。

ろう社会があるように、難聴にも必要だと思います。







聴こえる聴覚障害と聾の方は、
一般的には、聴覚障害と言う同じ括りと思いがちですが、
世界(社会)が全く違うと私も思っています。


聾の方は、子ども時代は県や市から充分な手当て金があり、
20才からは年金が貰え、障害者枠で就職も決まりやすい。

年金は、普通の人が40年払って貰える基礎よりも、高額です。


そして、聾社会と言うものがあり、社会的にも認められていると言うか、
変な話し、聴こえる聴覚障害より地位が高いし、立場も上でしょう。
←ただの例えです。


聴こえる聴覚障害も障害手帳が取得できれば障害枠での就職は可能ですが、
企業側からすると、助成金が多く入るのは聾の方なので、
聾を採用する確率が高い。

聴こえる聴覚障害者は、年金は貰えません。

判定や審査により年金を貰える聴力だとしても、聾の方より金額はかなり少ない。


何より、障害手帳を取得できないギリギリの聴力だと、
健聴者と同じ扱いとなり、社会で挫折が多くなります。


つまり、年金を充分に貰え、就職先もあり、
必要ならば手話通訳などを常につけて貰える聾の方と、
年金もなく、就職も難しく、手話を習得していない聴こえる聴覚障害者では、
やはり社会が全く違うと思います。


私達、難聴者だって、幸せに穏やかに生きる権利があるし、
働くことだって諦めたくないと思ってます。

そのためには、聴こえる聴覚障害の「社会」を作ることも、
今後、必要なのかもしれません。


どうしたら良いものかは全くわかりませんが。


聴こえる聴覚障害の息子を持つ大沢氏が、
何か動いてくれないかと期待しているところですが、
彼のブログを読むと、それはちょっと無理かなぁと(笑)。

ただ、彼の息子くんを紹介しているメディアが、今も細々とあることは強み。

息子くんが、もう少し大人になった時、アクションが起こるといいな。


なーんて、他力本願ですね。
すみません。