・またまた、久し振りの更新です。
この夏は、私の中では趣味ごとが忙しくて、
あちこち出歩いているのは勿論、
家にいてもあれこれと、ワクワクドキドキ、胸キュンな毎日を送っています。
そのあたりの具体的なことで聴覚に関するものは、
そのうちぼちぼち書きたいと思っています。
いつも適当に気ままに、まったりゆるゆるのスタンスで生きているので、
更新も、気が向いた時になるかと思いますが。
今日は、1年程前に、インターネット上で拾った、
ちょっと興味深い、聴覚障害の心理的な文章を紹介します。
健聴者には、理解できない世界の心理だと思いますが、
私のようなタイプの聴覚障害者には、本当に心の奥を代弁してくれたのかような、
そんな文章たちです。
文面は、多少、手を加えています。
また、色んな方の文章を合わせています。
ご了承ください。
↓
・中途聴覚障害者や難聴者は、なまじ健聴者社会の行動規範を身につけているから、
開き直れない面があります。
障害者であっても、思考回路は健常者とほぼ一緒です。
・難聴者は横の繋がりが希薄な障害だから、
ネットが普及するまで、 福祉のこともろくに知らない人が多かったと思います。
障害者手帳は何級でもらえるのか?
どのぐらい悪くなるともらえるのか?
それをもらう申請方法も知らないなど、福祉に対して殆ど無知だったと思います。
・聴覚障害=手話と言うイメージが一人歩きしているのは、問題だと思います。
これからは、手書きの要約筆記だけではなく、
情報量の多いパソコン要約筆記が普及すると良いと思います。
・難聴者は、普通校で健常者に必死でついて行きます。
学校の教師も教壇で、平気で「ついていけない者は置いて行く」。
そして、そのまま社会人スタートし、焦りと不安感に襲われ、
心も体も精神もついて行けないのです。
職場では健聴者は、「つんぼ」をとても嫌がります。
聴覚障害はそもそも、コミュニケーション・スキルを磨く機会が少ないのです。
そのあたりの心理的な圧迫状態を、
難聴児を持った親たちにしっかり知ってもらいたいと思います。
・感音難聴という症状によって最も影響されるのは、対人関係です。
複数の人間の 話し合う内容が、いったい何を目指しているのか、その場の流れがどうなっているのか、
自分はどう振る舞ったらよいのか、ということが分かりにくいのです。
そのために、きちんとした応対ができなかったり、時に的はずれな言動をしたり、
後になってひどく疲れたりすることがあります。
・聴覚障害は世界の全体像を、
聴覚の損傷もしく欠損によって適切に把握できなくなる 障害だと思います。
被害妄想は聴覚障害も生じやすいです。
かなりコミュニケーションに困っているのに、
「ちょっと耳が悪いだけよ」と自己防衛に走ったりしてしまいます。
もっとも現実的に対応してもらう為に、軽・中度難聴を発掘すべきではないでしょうか?
・感音性難聴は内耳の有毛細胞が死滅しているため、
言葉を感知する機能自体が落ちています。
それを精密機械とはいえ、補聴器ごときで補償できる訳はないのです。
「騒音の中でも聞こえる!」はほとんどの場合、騒音に掻き消されてしまいます。
↑
バラバラな文章の中に、私が日々、心の奥で思っていることが凝縮されていました。
どなたの言葉かわかりませんが、
「自分自身の欠点や短所を、ユーモアをもって笑いとともに語れる男はモテる。
出発点がマイナスであればあるほど、それをプラスに変えることができる、黄金の魔法がそこにあるのだ。」
聴覚障害があることを、別に欠点だとは思いたくないし、私は男ではないけれど、
そのコンプレックスを、ユーモアを持って笑いとともに語れたらいいですよね。
しかしですね。
「耳が悪い」「聞き取りにくい」「聞き取れない」「耳が不自由」と言う実態って、
相手が絶対、笑いに取ってくれないですよね。
どうしたら、ユーモアに変えられるんでしょう。
ドリフのコントのような、おばあちゃんが聞こえない様で、
笑いを取るようなことは、やっぱりできませんよね。
でも、ひとつだけ、障害には関係ないけど、
「今日の天気がいいことを喜べる人は幸せなのよ」との名言。
この言葉で、私って、幸せな人なんだなと思い、心が晴れます。
不便なことは多いけど、この名言を胸に刻めば、
いつも心をも「晴れ」になりますよね。
この夏は、私の中では趣味ごとが忙しくて、
あちこち出歩いているのは勿論、
家にいてもあれこれと、ワクワクドキドキ、胸キュンな毎日を送っています。
そのあたりの具体的なことで聴覚に関するものは、
そのうちぼちぼち書きたいと思っています。
いつも適当に気ままに、まったりゆるゆるのスタンスで生きているので、
更新も、気が向いた時になるかと思いますが。
今日は、1年程前に、インターネット上で拾った、
ちょっと興味深い、聴覚障害の心理的な文章を紹介します。
健聴者には、理解できない世界の心理だと思いますが、
私のようなタイプの聴覚障害者には、本当に心の奥を代弁してくれたのかような、
そんな文章たちです。
文面は、多少、手を加えています。
また、色んな方の文章を合わせています。
ご了承ください。
↓
・中途聴覚障害者や難聴者は、なまじ健聴者社会の行動規範を身につけているから、
開き直れない面があります。
障害者であっても、思考回路は健常者とほぼ一緒です。
・難聴者は横の繋がりが希薄な障害だから、
ネットが普及するまで、 福祉のこともろくに知らない人が多かったと思います。
障害者手帳は何級でもらえるのか?
どのぐらい悪くなるともらえるのか?
それをもらう申請方法も知らないなど、福祉に対して殆ど無知だったと思います。
・聴覚障害=手話と言うイメージが一人歩きしているのは、問題だと思います。
これからは、手書きの要約筆記だけではなく、
情報量の多いパソコン要約筆記が普及すると良いと思います。
・難聴者は、普通校で健常者に必死でついて行きます。
学校の教師も教壇で、平気で「ついていけない者は置いて行く」。
そして、そのまま社会人スタートし、焦りと不安感に襲われ、
心も体も精神もついて行けないのです。
職場では健聴者は、「つんぼ」をとても嫌がります。
聴覚障害はそもそも、コミュニケーション・スキルを磨く機会が少ないのです。
そのあたりの心理的な圧迫状態を、
難聴児を持った親たちにしっかり知ってもらいたいと思います。
・感音難聴という症状によって最も影響されるのは、対人関係です。
複数の人間の 話し合う内容が、いったい何を目指しているのか、その場の流れがどうなっているのか、
自分はどう振る舞ったらよいのか、ということが分かりにくいのです。
そのために、きちんとした応対ができなかったり、時に的はずれな言動をしたり、
後になってひどく疲れたりすることがあります。
・聴覚障害は世界の全体像を、
聴覚の損傷もしく欠損によって適切に把握できなくなる 障害だと思います。
被害妄想は聴覚障害も生じやすいです。
かなりコミュニケーションに困っているのに、
「ちょっと耳が悪いだけよ」と自己防衛に走ったりしてしまいます。
もっとも現実的に対応してもらう為に、軽・中度難聴を発掘すべきではないでしょうか?
・感音性難聴は内耳の有毛細胞が死滅しているため、
言葉を感知する機能自体が落ちています。
それを精密機械とはいえ、補聴器ごときで補償できる訳はないのです。
「騒音の中でも聞こえる!」はほとんどの場合、騒音に掻き消されてしまいます。
↑
バラバラな文章の中に、私が日々、心の奥で思っていることが凝縮されていました。
どなたの言葉かわかりませんが、
「自分自身の欠点や短所を、ユーモアをもって笑いとともに語れる男はモテる。
出発点がマイナスであればあるほど、それをプラスに変えることができる、黄金の魔法がそこにあるのだ。」
聴覚障害があることを、別に欠点だとは思いたくないし、私は男ではないけれど、
そのコンプレックスを、ユーモアを持って笑いとともに語れたらいいですよね。
しかしですね。
「耳が悪い」「聞き取りにくい」「聞き取れない」「耳が不自由」と言う実態って、
相手が絶対、笑いに取ってくれないですよね。
どうしたら、ユーモアに変えられるんでしょう。
ドリフのコントのような、おばあちゃんが聞こえない様で、
笑いを取るようなことは、やっぱりできませんよね。
でも、ひとつだけ、障害には関係ないけど、
「今日の天気がいいことを喜べる人は幸せなのよ」との名言。
この言葉で、私って、幸せな人なんだなと思い、心が晴れます。
不便なことは多いけど、この名言を胸に刻めば、
いつも心をも「晴れ」になりますよね。