~聴覚障害6級~

話せる。歌える。
聞こえているけど聞き取りにくい。
感音性難聴者が適当に呟きます。

インターネット上で拾ったもろもろ。

2011年08月16日 | インターネット上のこと
・またまた、久し振りの更新です。

この夏は、私の中では趣味ごとが忙しくて、
あちこち出歩いているのは勿論、
家にいてもあれこれと、ワクワクドキドキ、胸キュンな毎日を送っています。

そのあたりの具体的なことで聴覚に関するものは、
そのうちぼちぼち書きたいと思っています。

いつも適当に気ままに、まったりゆるゆるのスタンスで生きているので、
更新も、気が向いた時になるかと思いますが。



今日は、1年程前に、インターネット上で拾った、
ちょっと興味深い、聴覚障害の心理的な文章を紹介します。

健聴者には、理解できない世界の心理だと思いますが、
私のようなタイプの聴覚障害者には、本当に心の奥を代弁してくれたのかような、
そんな文章たちです。

文面は、多少、手を加えています。

また、色んな方の文章を合わせています。

ご了承ください。





・中途聴覚障害者や難聴者は、なまじ健聴者社会の行動規範を身につけているから、
 開き直れない面があります。

 障害者であっても、思考回路は健常者とほぼ一緒です。


・難聴者は横の繋がりが希薄な障害だから、
 ネットが普及するまで、 福祉のこともろくに知らない人が多かったと思います。

 障害者手帳は何級でもらえるのか?
 どのぐらい悪くなるともらえるのか?

 それをもらう申請方法も知らないなど、福祉に対して殆ど無知だったと思います。


・聴覚障害=手話と言うイメージが一人歩きしているのは、問題だと思います。

 これからは、手書きの要約筆記だけではなく、
 情報量の多いパソコン要約筆記が普及すると良いと思います。



・難聴者は、普通校で健常者に必死でついて行きます。

 学校の教師も教壇で、平気で「ついていけない者は置いて行く」。
 
 そして、そのまま社会人スタートし、焦りと不安感に襲われ、
 心も体も精神もついて行けないのです。

 職場では健聴者は、「つんぼ」をとても嫌がります。

 聴覚障害はそもそも、コミュニケーション・スキルを磨く機会が少ないのです。


 そのあたりの心理的な圧迫状態を、
 難聴児を持った親たちにしっかり知ってもらいたいと思います。



・感音難聴という症状によって最も影響されるのは、対人関係です。

 複数の人間の 話し合う内容が、いったい何を目指しているのか、その場の流れがどうなっているのか、
 自分はどう振る舞ったらよいのか、ということが分かりにくいのです。

 そのために、きちんとした応対ができなかったり、時に的はずれな言動をしたり、
 後になってひどく疲れたりすることがあります。



・聴覚障害は世界の全体像を、
 聴覚の損傷もしく欠損によって適切に把握できなくなる 障害だと思います。

 被害妄想は聴覚障害も生じやすいです。


 かなりコミュニケーションに困っているのに、
「ちょっと耳が悪いだけよ」と自己防衛に走ったりしてしまいます。

もっとも現実的に対応してもらう為に、軽・中度難聴を発掘すべきではないでしょうか?


・感音性難聴は内耳の有毛細胞が死滅しているため、
 言葉を感知する機能自体が落ちています。

 それを精密機械とはいえ、補聴器ごときで補償できる訳はないのです。

「騒音の中でも聞こえる!」はほとんどの場合、騒音に掻き消されてしまいます。





バラバラな文章の中に、私が日々、心の奥で思っていることが凝縮されていました。



どなたの言葉かわかりませんが、
「自分自身の欠点や短所を、ユーモアをもって笑いとともに語れる男はモテる。
 出発点がマイナスであればあるほど、それをプラスに変えることができる、黄金の魔法がそこにあるのだ。」


聴覚障害があることを、別に欠点だとは思いたくないし、私は男ではないけれど、
そのコンプレックスを、ユーモアを持って笑いとともに語れたらいいですよね。


しかしですね。


「耳が悪い」「聞き取りにくい」「聞き取れない」「耳が不自由」と言う実態って、
相手が絶対、笑いに取ってくれないですよね。

どうしたら、ユーモアに変えられるんでしょう。

ドリフのコントのような、おばあちゃんが聞こえない様で、
笑いを取るようなことは、やっぱりできませんよね。


でも、ひとつだけ、障害には関係ないけど、
「今日の天気がいいことを喜べる人は幸せなのよ」との名言。

この言葉で、私って、幸せな人なんだなと思い、心が晴れます。


不便なことは多いけど、この名言を胸に刻めば、
いつも心をも「晴れ」になりますよね。