~聴覚障害6級~

話せる。歌える。
聞こえているけど聞き取りにくい。
感音性難聴者が適当に呟きます。

話しのすりかえ

2016年04月22日 | 対人関係
久し振りの投稿になってしまいました。(2ヶ月ぶりでした)

難聴関係の唯一のブログ友さんが、しばらくブログをお休みすることになってから、
何となく、ここを開くこともなくなってしまってました。

毎日更新している私の趣味のブログにも、ブログ友さんのブログを読者登録をしているので、
更新されれば、そこでわかるようになっているので、こっちをチェックしなくても大丈夫だからね。


映画「レインツリーの国」のDVDとBlu-rayの発売まで、あと1ヶ月。

と言うことで、
「レインツリーの国」とは無関係だけど、少し前に体験したことを。

ちょっと毒も入っているので、嫌な気分になりたくない人は読まないように。



趣味の関係で、子ども達のPTAで活躍している人と知り合いました。

PTAの活躍を褒めてほしいのかな、と思うくらい、毎度毎度、
無関係の私にその話しをしてくるので、その都度、褒めてました。

勿論、純粋に素晴らしいと思うから、本音でもあります。

今日はこうだった、昨日はこうだったと、今度こうこうする、など、
PTA関係で毎日のように飛び回っている様子。

私は子ども達のPTA活動を、嫌々やっていた口だから余計、
PTA活動を頑張っててるママさんが眩しい。

嫌々やってたことについては、6年半位前にエントリーしてあります。

→ 「PTA」

難聴のため、会議も役立たずだし、
コミュニケーションもうまく取れないから役員は無理だと申し出たのに、
みんなで協力するから大丈夫だと、副会長にと、押し切られたことがあります。

何が大丈夫だったのか。(汗)

役員だった日々は、それなりにとても良い経験ではあったけれども。


それはさておき、そのPTAで活躍している人が、
今の私の消極性に疑問を抱いているのがわかるのです。

ことあるごとに、
今、どうしてそんなに表に出て来なくなっているのかと。

今の私は、地元でのんびり生きるのが、一番の幸せ。

そして「楽」。

のんびりしていることが、何よりも楽しい。

活発に外を飛び回る人には、こういう幸せはわからないのかもしれません。

都会が一番(田舎にいるなんてつまらない)、
沢山の人とワイワイするのが一番(1人で何かするのはつまらない)、みたいな考えだったりしますから。


あまりにそういう質問が多いので、私は「難聴」だと申告をしました。

難聴だから、人とコミュニケーションがうまく取れないから、
片田舎でのんびりと好きなことをするのが好きだと。

これは言い訳にしか聞こえかったのかもしれません。


そして。

その申告をしたらすぐに、
「私も○年前に突発性難聴やったよ」と返答がありました。

突発性難聴で入院したこと、その時は子どもが小さかったので大変だったこと、
入院中、悲しくて辛かったこと。

だから難聴くらい大丈夫と。

気にすることないよと。

難聴なんて、たいしたことじゃないじゃん、と言うニュアンス。

みごとに話しをすりかえられました。

彼女なりに励ましてくれたんだろうけれども。

話しをすりかえられたので、結局、こっちが「入院、大変だったですね」と、
その人側の心に寄りそうしかなくなりました。

「そうなの。入院したから本当に大変だったのよ」と返答されました。

こちらが難聴なことは、全く触れることも寄りそってくれることもなく、
ひたすら入院したから大変だったし、
入院してない人は別に大変じゃない的なニュアンスも感じ取れました。

つまり、私は入院したわけじゃないから、たいした難聴じゃないと言うニュアンス。


だから、難聴だとカミングアウトしたくないんですよ。

突発性難聴になり入院した経験は、辛かったかもしれないけれど、
本物の難聴者とは、精神的な部分で根本的に違うように思うから。

逆に言えば、突発性難聴をやっていても、
私のような難聴者の心を理解するのは、とても難しいと言うことですね。

難聴とは無縁の人の方が、かえって心配や配慮があるかもしれません。


だからこそ、映画「レインツリーの国」は、難聴者の心に寄りそう素晴らしい作品だと思います。

5/25発売です。

買おう。


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健聴者からの励まし?

2012年01月14日 | 対人関係
少し前の話しだけど、長男の小中学校時代のママ友数人とランチをする機会がありました。

その日集まったママ友は、偶然だけど、私より全員年上ばかりでした。

私は耳の聞こえが悪いから、大勢での会話に加われない場面が多いと申告したためか、
そのフォローと言うか励ましが、かえって落ち込むものでした。

勿論、私を馬鹿にしているわけではないし、同情しているわけでもなく、
私へ気を遣ってくれていることなのは十分わかっています。

健聴者からすると、私のような聴覚障害者は、その程度のものなんだなとわかったからです。


「私もね、年のせいか最近、聞こえづらくなっちゃってるから大丈夫よ。」

「そうそう。私も耳が遠くなってるわよ。気にしなくても大丈夫よ。」

「年取ればみんな同じよ。」


ふぅ~。


そんな風に言えること自体が、たいしたことじゃないと思っていると言うか。


よくよく考えると、私より年下の人の方の私へのフォローは、
もっと実践的なことに改めて気付きます。

その場で、私が聞き取れていないことを察して、動いてくれると言うか。


でも、人それぞれ、理解してくれようとしていただけていることには、
感謝しなくてはいけませんよね。


今年は、高校時代の仲良し数人と逢う誘いがあるんだけど、
プチ同窓会になりそうなので、あまり気乗りしていません。

みんなに逢いたい気持ちはあっても、その場で精神的置いてきぼりになるのはわかっているからね。

個人面談

2010年08月05日 | 対人関係
先日、子どもの個人面談に出向きました。

この十数年間、3人の子ども達の個人面談や家庭訪問など、
先生と1対1、もしくは1対2での面談を受けてきましたが、
いつも全く支障がありません。

ここ数年は、集音器もしくは補聴器をつけていますが。


先日の個人面談も、教室の一角で、生徒の机を2つくっつけた状態での面談でした。

先生との距離は、1.5から2メートル程でしょうか。


静かな場所で、1対1ですから、
補聴器をつければ、聞き返すことも全くなく、先生のお話しも全て聞き取れました。

先生は発声も発音も綺麗な人が多いおかげでもあるかもしれません。


環境によって、支障のなくなる障害なので、
本当は聴こえてるんじゃないの?なんて、誤解されるんでしょうね。

普通に話せるし。


同じ場所(静かな場所)で、1対1で対応していても、
その同じ空間に数人の人がいたら、一気に聞き取りが悪くなります。

その空間の空気がざわざわするからなのか、
その空気が、声の周波に何か関係しているのか。


だから、同じ場所で静かなのに、保護者会では聞き取りが悪く、
内容がさっばりわからないことが多いのでしょう。


劇場などでも、同じ現象なのでしょうか。
マイク(機械)を通しての声だと、余計。

マイク(機械)に補聴器(機械)で、ダブルで機械を通すわけなので、
言葉が割れて、ぼやけて、聴こえているけれど異国語を聞いている感覚になります。




そう言えば、先日の横浜アリーナで、
マイクを通したタレント達のおしゃべりは、言葉が聞き取れなかったのに、
生声で「せーの」と叫んでくれた時は、はっきり聴こえたんです。

その生声は、推定50メートル先からの声だったのに。

あ、勿論、補聴器をつけていました。


機械を通しての言葉は、本当に聞き取りにくい。


健聴者からしたら、同じ大きさで話していても、
聞き取れている時と、全く駄目な時があるなんて、
理解に苦しみそうですよね。

マイクの声などは大きく聴こえてくるのでしょうから、
何で聞き取れないのかも謎でしょうし。



これから自分の難聴を伝える際、
聴こえないじゃなくて、聞き取れないと説明したいと思います。

言葉がぼやけて聴こえてくる感じです。

カミングアウトのタイミング

2009年12月20日 | 対人関係
難聴であることをカミングアウトするのは、
簡単なようでとても気合がいるものです。

状況によっては申告しない方が良い場合もあるし、
申告しても、あまりいい状態にならない場合もあり、
また、申告のタイミングも掴みにくいものです。


先日、この記事の最後の方で書いた、
憧れの人が経営するバーへ来訪しました。

ほんのちょっぴりおしゃれもして出掛けました。
その日のために、美顔エステとアカスリエステ、
顔剃りエステと美容院にも行ったし、3キロ程のダイエットも成功しました。
理想体形には、まだまだ程遠いですが。


バーではお客さんは他にもいますから、
憧れの人と話しができるチャンスがあるかどうかは、その時の運です。

運よく、憧れの人が、私と友達の側に来てくれ、話しかけてくれました。

友達は、15才程年下の女性で、現役新聞記者。
著名人の取材や、カメラマンもしていましたから、
人の話しやいい表情を引き出すプロです。

彼女の高度な話術で、そんなに饒舌ではない憧れの人が、
いい表情を見せてくれ、素直にありのままに、
様々なことを語ってくれました。

語ってくれている内容がほとんどわからないもどかしさがあるものの、
時折、私からも質問したりして、それにもきちんと答えてくれたりで、
幸せなひとときを過ごせたのですが、
難聴を申告するタイミングがつかないまま、
憧れの人は他のお客さんのところへ行ってしました。

4時間程、長居させていただいたのですが、
帰る時に、諸事情で憧れの人は外出中で、
結局、難聴のことは言えませんでした。

帰る時にスタッフさんに、難聴を申告しました。

「最初に言ってくれたら良かったのにぃ。」と、笑ってくれましたが、
その最初をどう言えば良いのかが、
私のこれからの課題なのかもしれません。


何年か前に趣味の関係で知り合った片耳難聴の友達に、
今回の件を報告がてら、
申告のタイミングや申告方法をメールで尋ねてみました。

その友達によると、やはり、
申告する場合と、申告しない場合があるとか。

申告する場合は早く言った方がいいとのこと。

その友達の申告の仕方は、
「実は、先に言っておいた方がいいと思って…
 私、生まれつき難聴で言葉も聴きづらい時があって、
 何度も聞き直してしまう時があるから迷惑かけるかもしれないけど、
 ごめんね。」
と、先に宣言してしまうそうです。

私もこれからはこんな感じで申告できるように、
頑張ってみたいと思いました。

補聴器を見せる髪形にするのも、ひとつの手かなとも考えましたが、
友達は「無理しないようにね。」と言ってくれました。

補聴器を見せることへの精神的な部分を、
よくわかってくれてる心強い友達です。


またいつか憧れの人に逢いに行く機会があれば、
申告できるように頑張ってみるつもりです。

「目標ができましたね。」とも言ってくれました。
本当に素敵な友達です。



憧れの人が語ってくれた内容を、あとから現役新聞記者の彼女が、
全てを通訳してくれました。
本当に有り難いことです。

職業柄、本当にわかりやすく説明してくれます。

私が質問しておいて、聞き取れなかったことが、
彼女の通訳で明確になったり、
語ってくれた内容の濃さに感動したり。

私は、ただその場にいて、ただごまかし笑いしていただけだけど、
こうやって、あとからでもその時のことを知ることができたことに、
感謝しています。


それと同時に、タイムリーにこれらの話しが聞き取れていれば、
突っ込んだり馬鹿言ったり、さらに質問したりできるのにな、
と、私には不可能なことを考え、少し悲しく思いました。

できない中で幸せを見つけることは得意だし、
できないことを諦めるのにも慣れたけれど、
やっぱり私は、人として大切な、
人との触れ合いの軸が欠けている気がしてなりません。

申告することで、人とさらに触れ合うことができるかな。

申告しないとわかってもらえない障害。
申告しても、ほんとに聞えてないの?と疑われる障害。

色々としんどいですね。

ある出会い

2009年12月08日 | 対人関係
何年か前、趣味関係で出会った女性のことを少し。

インターネットを通して、その女性と知り合いました。
あるイベントに同行するためです。

私より何才か年上で、遠くにお住まいだったので、
お会いするまでの期間はメールにて、
趣味にまつわる色々なお話しをしていました。

とても楽しくメール交換をしていました。

会う日が近づいてきたある日、
私は難聴であることを申告しました。
イベントで2~3時間一緒にいるわけですから、
不愉快な思いをさせては申し訳ないと思ったからです。

申告した方が、私自身も精神的負担が少ないし、
女性に対して、私なりに心を開いたつもりでもありました。

そしたら、女性は、
「私は義父母を介護しているし、身内にも障害者がいるので、
 全く偏見はないし、普通に接することができるから大丈夫。」
と言うような、心強い返信をいただきました。

その時は、何て有り難いと思ったのですが、
よくよく考えると、何か違うかなと。
何か違和感があると言うか。

でも、当日は楽しく過ごしたいと思っていましたから、
こんな私と1日お付き合いしてくれるのだから、
感謝しようと決め、当日を迎えました。


当日。
女性は、待ち合わせ時間に1時間半遅刻。
私が女性を待っている間、
イベント関連のあれとこれを買ってきておいて欲しい、
と女性からメールが届きました。

まぁ、私より遠い所から来るわけだし、
待ち合わせはイベントよりだいぶ早い時間にしていたし、
待ってる時間は暇なのでお使いくらい仕方ない。


初対面して、色々話しているうちに、おかしなことを感じました。

女性は声が大きく、至近距離で1対1の会話ですから、
私自身の聞き取りには困りませんでした。

しかし、私は普通の声で話しているにも関わらず、
女性が「えっ?」「何?」「はっ?」と、何度も何度も聞き返してくるのです。
あれっ、と思うくらい何度も聞き返してきました。

いつもとは逆の立場です。
そのたびに、聞き取りやすくゆっくり話したりしていました。


私が難聴を申告した時にいただいた返信とは、何だか印象が違う。
得体の知れない違和感は、これだったのかもしれません。


女性は恐らく、難聴だと思いました。
声が大きいことでもわかります。
まだ自覚はないのかもしれません。

だからこそ、空気も流れも気にせず、
何度でも聞き返すことができたんだろうなぁと。
まるで、こっちの発音が悪いのがいけないかのように。


女性は帰り際も、私が用意したある厚意を当たり前のように受け取り、
その上、今度はあれとこれを買って、自宅に送って欲しいと要求。
代金は立て替えておいてと。


何だかなぁ。

女性の普通に接するって、こういうことだったのかな。
障害を持っている人を特別扱いしないで、
付き合ってあげてるのだから、何でも利用すると。


後日、このイベントの出来事を、趣味のブログへ書いたら、
女性とは関係ない私の文章にケチをつけ、
「今度から気を付けてくださいね。」とメールが届き、
この女性とは、これで終了しました。

面倒くさい難聴者に1日付き合ってあげたんだから、
色々してもらって当然、何か貰って当然、
遅刻しても謝らない。

最終的には、こんな印象を持ってしまいました。
障害を持つあなたは、私よりも下の人間なんだから的な。

まぁ、そこまで、女性の悪意はないとは思いますが。


なら、申告しなければ良かった。
申告しなくても、何とかなった1日だったから。
その女性の方こそ、聞き返してばかりだったから。

そしたらまた違う1日だったかもしれません。

女性の言う、普通に接することができるって何だったんだろう。
偏見ないって何なのだろう。


その女性のことを思い出していたら、
「難聴の感覚はわからないんですが、
 正面からゆっくり話した方が聞こえやすいですよね?」と聞いてくれた、
年下の女性の優しさが、ぐっと胸にしみてきた毎日です。

これからもよろしくね。