以前、2ちゃんねるの感音性難聴関連のスレッドを覗いた際、
あ~、私はこういう障害なのかと、
改めてうなづいた文章が沢山ありました。
手帳にメモってあったので、ちょっと紹介します。
私が書いた文章ではなく、
日本のどこかにいる同じ障害を持つ方々の文章たちです。
今の私の状況を客観視すると、本当に的確すぎることばかりです。
文章は多少変えてあります。
↓
・障害年金は貰えない。
・人脈作りが難しい。→人脈がない。
・地域に溶け込めない。
・ウツになりやすい。
・障害の特異性ゆえ、理解を得にくい。
・忍耐とか寡黙。
・将来ない。
・どこに行っても蚊帳の外な人生。
↑
ここまで暗い人生ではないと思いますが、
健聴者がごく普通に楽しめていることができないもどかしさは、
いつものこと。
そして、対人関係にかなり影響していること。
これが難聴者にとって、一番辛い部分です。
聞き取れないことよりもずっと。
対人にそれほど関係ないものでも、
楽しむこと、利用することなどを諦めなければならないことが、
結構色々あります。
携帯電話社会において、
着信メロディーや着信ボイス、着うたなど、
私にはどうしても聴こえない音なので、
これらを楽しむことは諦めました。
昔、趣味の仲間で着メロを自作で作成していました。
みんなが楽しんでいたことなので、
これらの音が聴こえないことは言えませんでした。
喜んで欲しいと厚意で作成してくれた仲間に
「ありがとう。」と言うのが精一杯でした。
失礼なことだったかもしれません。
電子レンジのチン音や、家電のピー音も聴こえないので、
こられの機能をちゃんと活用できないわけです。
家電のベルの音も聴こえないこともありますし、
留守電もスピーカーに耳を近付けて聞かないと、
何を言ってるのかさっぱりわかりません。
ドラマなどでよく、普通に部屋をうろうろしながら、
留守電を聞くシーンがあったりするけれど、
健聴者は色んなことをしながら、そして距離があっても、
そんな風に言葉が耳と脳に入ってくるんですね。
聞き取りにめいっぱい集中しても、聞き取れない身からすると、
こんな風に普通に聞き取りができるのなら、
世渡り上手になれるだろうなと思うくらいです。
また、興味のある講義や講座などに参加したい気持ちはあるけれど、
参加したところで、経験上、内容の1割以下しか理解できません。
マイクを通した言葉の聞き取りは、とても難しい。
遠い異国の外国語を聴いているかのような理解度なので、
参加することに意義があるとは言え、躊躇します。
耳から入る内容がなくても諦めていない分野もありますから、
そのあたりは趣味の部分なので、またいずれ。
対人関係だと、もっと色々な場面を諦めているかもれません。
グループに溶け込んで、わいわいしている人達が本当に羨ましい。
私もあの中に入りたいけど、入ったところで、
タイムリーな話題に乗り掛かれず、表面上は笑っていても、
心の中はすきま風だらけになるのは初めからわかっている。
会話のキャッチボールがスムーズにできないから、
おとなしい人、ノリの悪い人と言う印象ばかり作ってしまう。
そうしているうちに、人脈を作れなくなってしまう。
ベランダとベランダや、庭と道路などで10メートル以上離れているのに、
普通に会話している近所の人達。
健聴者はあんなに距離があるのに、ほぼ普通の声で会話できるんですよね。
1メートルも離れていなくても、聞き取れない私からしたら、
あんな距離でも会話ができれぱ、近所付き合いも楽しいだろうな。
私はそれができないから、そういう距離に近所の人がいたら、
挨拶だけして会話しませんって言うオーラを放出してしまう。
そうしているうちに、近所に溶け込めなくなってしまう。
対人スキルがなく、人脈も作れず、
どこに行っても蚊帳の外。
家族といる時と1人でいる時が、一番安らぎます。
そして、社会で頑張っている難聴者達が「将来ない」なんておかしい。
頑張っても頑張っても、
聞き取れていないことでその頑張りが全て駄目になる経験もあります。
難聴と申告していても、社会はそういうところ。
そんな社会を少しずつでも変えてみたい。
中度難聴だからこそ、できること。
何かないかしら。
今は何も浮かばない。
無力だな。
あ~、私はこういう障害なのかと、
改めてうなづいた文章が沢山ありました。
手帳にメモってあったので、ちょっと紹介します。
私が書いた文章ではなく、
日本のどこかにいる同じ障害を持つ方々の文章たちです。
今の私の状況を客観視すると、本当に的確すぎることばかりです。
文章は多少変えてあります。
↓
・障害年金は貰えない。
・人脈作りが難しい。→人脈がない。
・地域に溶け込めない。
・ウツになりやすい。
・障害の特異性ゆえ、理解を得にくい。
・忍耐とか寡黙。
・将来ない。
・どこに行っても蚊帳の外な人生。
↑
ここまで暗い人生ではないと思いますが、
健聴者がごく普通に楽しめていることができないもどかしさは、
いつものこと。
そして、対人関係にかなり影響していること。
これが難聴者にとって、一番辛い部分です。
聞き取れないことよりもずっと。
対人にそれほど関係ないものでも、
楽しむこと、利用することなどを諦めなければならないことが、
結構色々あります。
携帯電話社会において、
着信メロディーや着信ボイス、着うたなど、
私にはどうしても聴こえない音なので、
これらを楽しむことは諦めました。
昔、趣味の仲間で着メロを自作で作成していました。
みんなが楽しんでいたことなので、
これらの音が聴こえないことは言えませんでした。
喜んで欲しいと厚意で作成してくれた仲間に
「ありがとう。」と言うのが精一杯でした。
失礼なことだったかもしれません。
電子レンジのチン音や、家電のピー音も聴こえないので、
こられの機能をちゃんと活用できないわけです。
家電のベルの音も聴こえないこともありますし、
留守電もスピーカーに耳を近付けて聞かないと、
何を言ってるのかさっぱりわかりません。
ドラマなどでよく、普通に部屋をうろうろしながら、
留守電を聞くシーンがあったりするけれど、
健聴者は色んなことをしながら、そして距離があっても、
そんな風に言葉が耳と脳に入ってくるんですね。
聞き取りにめいっぱい集中しても、聞き取れない身からすると、
こんな風に普通に聞き取りができるのなら、
世渡り上手になれるだろうなと思うくらいです。
また、興味のある講義や講座などに参加したい気持ちはあるけれど、
参加したところで、経験上、内容の1割以下しか理解できません。
マイクを通した言葉の聞き取りは、とても難しい。
遠い異国の外国語を聴いているかのような理解度なので、
参加することに意義があるとは言え、躊躇します。
耳から入る内容がなくても諦めていない分野もありますから、
そのあたりは趣味の部分なので、またいずれ。
対人関係だと、もっと色々な場面を諦めているかもれません。
グループに溶け込んで、わいわいしている人達が本当に羨ましい。
私もあの中に入りたいけど、入ったところで、
タイムリーな話題に乗り掛かれず、表面上は笑っていても、
心の中はすきま風だらけになるのは初めからわかっている。
会話のキャッチボールがスムーズにできないから、
おとなしい人、ノリの悪い人と言う印象ばかり作ってしまう。
そうしているうちに、人脈を作れなくなってしまう。
ベランダとベランダや、庭と道路などで10メートル以上離れているのに、
普通に会話している近所の人達。
健聴者はあんなに距離があるのに、ほぼ普通の声で会話できるんですよね。
1メートルも離れていなくても、聞き取れない私からしたら、
あんな距離でも会話ができれぱ、近所付き合いも楽しいだろうな。
私はそれができないから、そういう距離に近所の人がいたら、
挨拶だけして会話しませんって言うオーラを放出してしまう。
そうしているうちに、近所に溶け込めなくなってしまう。
対人スキルがなく、人脈も作れず、
どこに行っても蚊帳の外。
家族といる時と1人でいる時が、一番安らぎます。
そして、社会で頑張っている難聴者達が「将来ない」なんておかしい。
頑張っても頑張っても、
聞き取れていないことでその頑張りが全て駄目になる経験もあります。
難聴と申告していても、社会はそういうところ。
そんな社会を少しずつでも変えてみたい。
中度難聴だからこそ、できること。
何かないかしら。
今は何も浮かばない。
無力だな。