子育てで専業主婦が続いた私は、
趣味関係で遣うお金を自分で捻出したくて、働き始めました。
フルタイムではなくパートですが、私にすれば一大決心です。
ずっとやってみたかった仕事があったので、
その仕事の求人募集を知り、応募し、面接を受けました。
35才の時でした。
結婚して、10年ちょっとぶりの社会復帰です。
面接は、その営業所の所長の女性上司と1対1でした。
距離が近かったためかスムーズに面接ができてしまい、
難聴のことは言えませんでした。
採用され働くことになり、本社で1週間ほど研修を受け、
さらに3週間ほど、女性所長と先輩女性に指導を受けました。
所長は私の難聴に気付くことはなかったのですが、
指導係の先輩が、「あなた、ちょっと耳が遠いよね。」と。
そして、所長に報告したようです。
所長は私を営業所の裏に呼び出し、
「何で面接の時に耳が悪いことを言わなかったの?」と、少々怒り気味。
「耳が悪いことを言えば、採用してもらえないと思ったからです。」
と、正直に答えてしまいました。
「でも、みんなとコミュニケーションがちゃんと取れないと、
感じ悪いとか誤解を受けるのはあなただよ。
誤解される前に、ちゃんと耳が悪いことをみんなに言わなきゃ。
何かあってもあなたの責任だからね。
それでもいいのなら仕事を続けてください。」
と、このようなことを言われました。
所長の仰ったことは、正に的確でその通りだと思います。
きちんと言わなかった私が悪い。
本来なら面接で言うべきことだったと思っています。
言えば、採用されないだろうし、
言えば、壁を作られるし作ってしまう。
そして、新人の私が、先輩達みんなに簡単に言えるなら、
最初から言ってます。
言いたくても言えなかった心理。
でも、言わなかったら責められる。
所長はとても優秀な人だったけれど、
私は、これらの言葉がずっと胸にこびりついていて、
心を開くことはなかったです。
私が働き始めて1年しないうちに異動して行った時は、正直ホッとしました。
それ以外の仕事の仲間はいい人達に恵まれました。
しかし、昇格もなく、班長や企画長など任されることもなかったです。
会議での発言力がほとんどないので、
長の付くポジションは無理と判断されていただろうし、
ただもくもくと自分の仕事をしっかりやり遂げるのみでした。
精神面で色々と限界を感じ退職したのは、ちょうど5年間勤務を続けた頃。
もう夢を仕事にしないと、再度決めました。
その後、今の仕事に出会うまで、
短期アルバイトをたくさん経験しました。
短期で、大勢の中での仕事だからか、
難聴で困ったことはほぼなかったです。
巨大倉庫で、本やCDの梱包。
クリスマス時期の玩具の仕分け。
洋服メーカー倉庫でピッキングやタグ付け。
食品メーカーでお歳暮伝票整理。
飲料メーカー工場で景品付け。
郵便局で葉書の仕分け。
葬祭場でのパントリーや清掃。
国勢調査員。
私としてはとても楽しいアルバイト生活でした。
今の仕事に出会ったのも、これの経験があったからだと思ってます。
まぁ、そんな大袈裟な仕事ではなく、
誰にでもできる、ほんの小遣い程度のささやかな仕事です。
今の仕事は、4年目に突入。
1人で自由な時間にできるので、ストレスが全くないです。
仕事をくれるお取引先が、私の難聴を考慮し、
メールで伝言をくれることも助かっているひとつです。
私からの仕事の報告も、メールでできるようにして下さっています。
体力気力の限り、またお取引先が仕事を持ってきてくれる限り、
ずっと続けていけるといいなと思っています。
今後も変わらず、よろしくお願いします。
趣味関係で遣うお金を自分で捻出したくて、働き始めました。
フルタイムではなくパートですが、私にすれば一大決心です。
ずっとやってみたかった仕事があったので、
その仕事の求人募集を知り、応募し、面接を受けました。
35才の時でした。
結婚して、10年ちょっとぶりの社会復帰です。
面接は、その営業所の所長の女性上司と1対1でした。
距離が近かったためかスムーズに面接ができてしまい、
難聴のことは言えませんでした。
採用され働くことになり、本社で1週間ほど研修を受け、
さらに3週間ほど、女性所長と先輩女性に指導を受けました。
所長は私の難聴に気付くことはなかったのですが、
指導係の先輩が、「あなた、ちょっと耳が遠いよね。」と。
そして、所長に報告したようです。
所長は私を営業所の裏に呼び出し、
「何で面接の時に耳が悪いことを言わなかったの?」と、少々怒り気味。
「耳が悪いことを言えば、採用してもらえないと思ったからです。」
と、正直に答えてしまいました。
「でも、みんなとコミュニケーションがちゃんと取れないと、
感じ悪いとか誤解を受けるのはあなただよ。
誤解される前に、ちゃんと耳が悪いことをみんなに言わなきゃ。
何かあってもあなたの責任だからね。
それでもいいのなら仕事を続けてください。」
と、このようなことを言われました。
所長の仰ったことは、正に的確でその通りだと思います。
きちんと言わなかった私が悪い。
本来なら面接で言うべきことだったと思っています。
言えば、採用されないだろうし、
言えば、壁を作られるし作ってしまう。
そして、新人の私が、先輩達みんなに簡単に言えるなら、
最初から言ってます。
言いたくても言えなかった心理。
でも、言わなかったら責められる。
所長はとても優秀な人だったけれど、
私は、これらの言葉がずっと胸にこびりついていて、
心を開くことはなかったです。
私が働き始めて1年しないうちに異動して行った時は、正直ホッとしました。
それ以外の仕事の仲間はいい人達に恵まれました。
しかし、昇格もなく、班長や企画長など任されることもなかったです。
会議での発言力がほとんどないので、
長の付くポジションは無理と判断されていただろうし、
ただもくもくと自分の仕事をしっかりやり遂げるのみでした。
精神面で色々と限界を感じ退職したのは、ちょうど5年間勤務を続けた頃。
もう夢を仕事にしないと、再度決めました。
その後、今の仕事に出会うまで、
短期アルバイトをたくさん経験しました。
短期で、大勢の中での仕事だからか、
難聴で困ったことはほぼなかったです。
巨大倉庫で、本やCDの梱包。
クリスマス時期の玩具の仕分け。
洋服メーカー倉庫でピッキングやタグ付け。
食品メーカーでお歳暮伝票整理。
飲料メーカー工場で景品付け。
郵便局で葉書の仕分け。
葬祭場でのパントリーや清掃。
国勢調査員。
私としてはとても楽しいアルバイト生活でした。
今の仕事に出会ったのも、これの経験があったからだと思ってます。
まぁ、そんな大袈裟な仕事ではなく、
誰にでもできる、ほんの小遣い程度のささやかな仕事です。
今の仕事は、4年目に突入。
1人で自由な時間にできるので、ストレスが全くないです。
仕事をくれるお取引先が、私の難聴を考慮し、
メールで伝言をくれることも助かっているひとつです。
私からの仕事の報告も、メールでできるようにして下さっています。
体力気力の限り、またお取引先が仕事を持ってきてくれる限り、
ずっと続けていけるといいなと思っています。
今後も変わらず、よろしくお願いします。