~聴覚障害6級~

話せる。歌える。
聞こえているけど聞き取りにくい。
感音性難聴者が適当に呟きます。

代弁

2010年08月27日 | インターネット上のこと
久し振りに聴覚障害の方が運営している老舗サイトの掲示板を覗いて来ました。

この老舗サイトについては、ココや、ココで綴っています。


掲示板に書き込みされていらっしゃる主な方は、ほんの数名ですが、
皆さん、本当にいい方ばかりのように感じました。

年齢は、30代~50代の男女かな。

以前、何だか不快な気分になるような方の書き込みがあったので敬遠していたけれど、
今はいい方だけが、残った感じなのかしら。


今回、私の気持ちを代弁してくれたかのような書き込みを読みました。

この老舗サイトの運営者の方(男性)でした。

本当に素晴らしい方だな。
密かに尊敬していますわ。



以下。

老舗サイトの掲示板で、
私の気持ちを丸ごと代弁していただけたような、
運営者の方の書き込みを紹介します。

勝手にすることなので、多少、手を加えます。


私が言いたいこと全てが詰まっています。





「聞き取れない」という言葉に辿り着くのに、30年以上かかりました。

「聞こえているから障害じゃない」という時代に育ったので、
すなわち普通の範疇だと思ってました。

でも周りのみんなは出来るだけ聞き取れないように話すんです。
テレビもラジオも出来るだけ聞き取りにくいように話す。

それが長年の不満であり疑問でした。

聾ではないんだけど、かといってちゃんと聞こえてるワケじゃないが、
それじゃ一体何なんだろうと考えました。

ある日気が付いたんです。
聞こえてるからといって障害じゃないということはない。

聞こえる聴覚障害というものだってあるはず。
真ん中があるのは当たり前じゃないかと思い至りました。



難聴者が気を付けなきゃならないのは、聞こえない・聞き取れない時よりも、
自分では聞こえてると思っている時だと思います。

その聞こえてる内容が本当にその通りなのか、全部聞き取れているのか、
その場で検証のしようがないからです。

自分は「え?そうだったの???」が結構ありました。
仕事で致命傷になりかけたことも。


それと、聞き取れないことを申し出るのも、加減はあると思います。
その都度言ってるとウンザリされて肝心な時に相手にされなかったりします。

相手に理解があるなら、手や指を使ったサイン(手話でも良いでしょう)や、
筆記を取り混ぜてみる方法や、
Boogie BoardやiPadなどを活用する方法もあるかと思います。


一歩引いて、出来るところと出来ないところを割り切る、
という視点も必要かと思います。


一度に全てが解決することはありませんが、
手探りで前に進めばそれだけ道は開けると思います。




ハッと思った言葉がありました。

それは、「聴こえる聴覚障害」。


聴覚障害と言うと、
全く聴こえないとか、かすかにしか聴こえない感じを想像すると思います。

障害手帳6級や4級、もくしは手帳が取得できない難聴の方は、
聴こえるし、話せるんです。


だから、そっか、私は「聴こえる聴覚障害」なんだなと。

そういう障害があることを、自分の周りからでも伝えていくことが、
今の私ができることなのかなと思いました。





また、50代の男性から、こんな書き込みもありました。

これも、私の言いたいこと全てです。




聞こえの障害というとすぐに大きな声で話されたり、耳元で話されたりするけれど、
感音性難聴は、そんなことをしても聞き分けが出来ないこと。

正面からゆっくりと話をしてくれれば聞き分けが出来ること。

「聞こえた・聞こえる」ではなく「聞き分けられた・発音が分かった」の違い。





そうなんです。
難聴だと申告すると、だいたいの人が、
耳元で話してくれたり、大声で話してくれるんです。

でも、そういうことをしていただけても、かえって聞き取れない。


正面からゆっくり話してくれるのが、一番聞き取れる方法です。


でも、耳元でとか、大きな声でと配慮してくれる人は、
親切ないい方だと思っています。

ただ、それで聞き取れないことを知らないだけですものね。


「難聴なので聞き取りにくいため、ゆっくり話して下さい」と頼んでも、
全く変わらず早口で話しまくる場合も、よくあることです。

たぶん、聴こえてるじゃん、聞く気がないだけじゃん的にしか、
思われていないんだろうなと。




同じ障害を持つ方の意見。

本当にためになります。

人生の先輩でもありますしね。

2ちゃん続き

2009年12月02日 | インターネット上のこと
2ちゃんねるに書き込みしてあった、
日本のどこかにいる同じ障害を持つ方々の文章たちを、さらに紹介。

私が常に思っていることを、ずばり書いて下さっています。
文章は多少変えてあります。



一口に難聴者といっても、障害の態様は多様です。
家庭内や日常生活のレベルでは、ほとんど(さほど)ハンディがないけど、
学校や仕事や社交などでは、
良く聞こえないことによるストレス・ハンディを感じるのが、
中度感音性難聴者。
治療の方法も無く、補聴器を使用しても十分とまでは言い難い。


健聴者と言うのは「ん?この人耳遠い?」と思っても、
はっきりしない間は普通に接してくれるけど、
はっきりと難聴と発覚しちゃうと、態度が急変する人が多い。
よそよそしくなったり、周囲の人にヒソヒソってやって見せたり、
明らかに以前とは違う溝が出来て行く。


難聴の悩みなんて、単に人との付き合いがが嫌な、
なまけ病で、障害ではないと言う健聴者もいる。


聞こえ悪いわ、手話は出来んわで、
「めんどくせ~」って感じの対応もされる。


学生時代までは何とかなっても、
社会人になると、完全に振るいにかけられる。
毎日、聞き返しの連続で、聞こえたふりをしない日がないくらい。
一生懸命はやっているんだけど、やっぱり耳から入る情報の大きさを感じる。


一人での孤独より、大勢での孤独のほうが辛い。


コミュニケーション障害と思われていると思う。
実際、会話(接触)を協力避けているし
聴覚障害なんだから他の障害よりマシだろってぐらいで。
これは目に見えない障害の急所だね。



何人かの方の文章たち。

本当に痛いほどわかる。
聴覚だけの障害じゃないんです。


そう言えば、難聴を申告していない頃、
よく電話をかけてきてくれた友達数人は、
私が難聴を申告したら、電話は一切かけてこなくなりメールのみになりました。

明らかに溝ができてしまうんです。

難聴の人に電話なんてできないと思うだろうし、
どれくらい聞き取れているかなんて、感覚的に全くわからないから、
どう接して良いのか戸惑ってしまうのかもしれません。

普通に接して欲しくても、健聴者にとしてはそうもできない。
普通に話せば聞き取れていないし、
かと言って、どの程度の大きさの声で話せば聞き取れるのか難しい。

本当に中途半端で面倒くさい障害だと思う。


主人にも「全く聴こえないわけじゃないから良かったね。」
とよく言われます。
健聴者からしたら、それが普通の考えだと思います。

音楽も楽しめるし、1対1や日常なら会話もできるし、
ヘッドホンを付ければ健聴者とほぼ同じようにテレビなども楽しめます。

そして、話せる。


難聴から生ずる様々なストレス。
対人スキルの低下。
単なる付き合い下手。
コミュニケーション能力不足。

これらの障害でもあることを理解していただくのは、本当に難しい。
理解していただけなくても、日常生活だけではなく、
社会生活の中でも心穏やかに過ごしたいものです。


難聴ながらも社会に出て頑張っていらっしゃる若い方々へ、
心からエールを送っています。

2ちゃん

2009年11月30日 | インターネット上のこと
以前、2ちゃんねるの感音性難聴関連のスレッドを覗いた際、
あ~、私はこういう障害なのかと、
改めてうなづいた文章が沢山ありました。

手帳にメモってあったので、ちょっと紹介します。
私が書いた文章ではなく、
日本のどこかにいる同じ障害を持つ方々の文章たちです。

今の私の状況を客観視すると、本当に的確すぎることばかりです。
文章は多少変えてあります。



・障害年金は貰えない。
・人脈作りが難しい。→人脈がない。
・地域に溶け込めない。
・ウツになりやすい。
・障害の特異性ゆえ、理解を得にくい。
・忍耐とか寡黙。
・将来ない。
・どこに行っても蚊帳の外な人生。



ここまで暗い人生ではないと思いますが、
健聴者がごく普通に楽しめていることができないもどかしさは、
いつものこと。

そして、対人関係にかなり影響していること。
これが難聴者にとって、一番辛い部分です。
聞き取れないことよりもずっと。



対人にそれほど関係ないものでも、
楽しむこと、利用することなどを諦めなければならないことが、
結構色々あります。



携帯電話社会において、
着信メロディーや着信ボイス、着うたなど、
私にはどうしても聴こえない音なので、
これらを楽しむことは諦めました。

昔、趣味の仲間で着メロを自作で作成していました。
みんなが楽しんでいたことなので、
これらの音が聴こえないことは言えませんでした。
喜んで欲しいと厚意で作成してくれた仲間に
「ありがとう。」と言うのが精一杯でした。
失礼なことだったかもしれません。


電子レンジのチン音や、家電のピー音も聴こえないので、
こられの機能をちゃんと活用できないわけです。

家電のベルの音も聴こえないこともありますし、
留守電もスピーカーに耳を近付けて聞かないと、
何を言ってるのかさっぱりわかりません。

ドラマなどでよく、普通に部屋をうろうろしながら、
留守電を聞くシーンがあったりするけれど、
健聴者は色んなことをしながら、そして距離があっても、
そんな風に言葉が耳と脳に入ってくるんですね。

聞き取りにめいっぱい集中しても、聞き取れない身からすると、
こんな風に普通に聞き取りができるのなら、
世渡り上手になれるだろうなと思うくらいです。


また、興味のある講義や講座などに参加したい気持ちはあるけれど、
参加したところで、経験上、内容の1割以下しか理解できません。

マイクを通した言葉の聞き取りは、とても難しい。
遠い異国の外国語を聴いているかのような理解度なので、
参加することに意義があるとは言え、躊躇します。


耳から入る内容がなくても諦めていない分野もありますから、
そのあたりは趣味の部分なので、またいずれ。



対人関係だと、もっと色々な場面を諦めているかもれません。

グループに溶け込んで、わいわいしている人達が本当に羨ましい。
私もあの中に入りたいけど、入ったところで、
タイムリーな話題に乗り掛かれず、表面上は笑っていても、
心の中はすきま風だらけになるのは初めからわかっている。

会話のキャッチボールがスムーズにできないから、
おとなしい人、ノリの悪い人と言う印象ばかり作ってしまう。

そうしているうちに、人脈を作れなくなってしまう。


ベランダとベランダや、庭と道路などで10メートル以上離れているのに、
普通に会話している近所の人達。
健聴者はあんなに距離があるのに、ほぼ普通の声で会話できるんですよね。

1メートルも離れていなくても、聞き取れない私からしたら、
あんな距離でも会話ができれぱ、近所付き合いも楽しいだろうな。
私はそれができないから、そういう距離に近所の人がいたら、
挨拶だけして会話しませんって言うオーラを放出してしまう。

そうしているうちに、近所に溶け込めなくなってしまう。


対人スキルがなく、人脈も作れず、
どこに行っても蚊帳の外。

家族といる時と1人でいる時が、一番安らぎます。


そして、社会で頑張っている難聴者達が「将来ない」なんておかしい。

頑張っても頑張っても、
聞き取れていないことでその頑張りが全て駄目になる経験もあります。
難聴と申告していても、社会はそういうところ。

そんな社会を少しずつでも変えてみたい。

中度難聴だからこそ、できること。
何かないかしら。

今は何も浮かばない。
無力だな。

素晴らしいサイト

2009年11月17日 | インターネット上のこと
難聴関連の生い立ちを綴ってみました。

24才で結婚してからも、
日々の生活の中や子育て関連などで、
難聴から生ずる様々な支障は勿論あります。

それはまた少しずつちょこちょこと綴ることにします。


今日は、素晴らしいサイトについて。


つい先日、久し振りに、中度難聴者の老舗サイトを、
拝見させていただきました。

私がこうやってブログで語っていることが馬鹿みたいに思えるくらい、
素晴らしいサイトです。
管理人さんが難聴者としてのあらゆることを綴っていらっしゃいます。

専門的なことから、補聴器のこと、雑感、
聞こえ具合、聞き取れない時のお願い方法など。
どの手記も、管理人さんの素晴らしいお人柄と本物の知性を感じます。


私がインターネットを始めたのは、今から11年半以上前。
私のマニアックな趣味関連で、
当時、どうしてもインターネットの世界の中で、
情報収集とネットワークを得たかった。

ネットの世界を楽しんでいた矢先、9年程前でしょうか。
この素晴らしいサイトを知りました。
難聴者の方とお知り合いになれる場でもありました。

管理人さんは、真の人格者だと思います。
メールで何度かお話ししましたが、本当に器の大きな方でした。

今も稼動しているのかはわかりませんが、
当時、管理人さん運営の中度難聴者のメーリングリストがあり、
私も登録していました。

指定メールアドレスにメールを送ると、
登録者全員にそのメールが届くシステムです。

私も趣味関連で、メーリングリストを運営していたことがありますが、
匿名掲示板やブログやmixiが普及してから、
急激に廃れたシステムになり、自然消滅してしまいました。


当時の難聴者の集まるメーリングリストのメンバーは、
主に手帳のない難聴者でした。
手帳を取得できていても、
年金など支給されない等級の方もいらっしゃたかと思います。

聞こえの分析や、それに生ずる対人関係、
難聴にまつわる様々なお話しなどをメールで話し合ったりして、
とても有意義に感じられたのですが、
どうしても精神衛生上耐えられないことがあり、
登録を辞めてしまいました。

それにともなって、この素晴らしいサイトとも遠ざかってしまいました。

mixiに登録していた頃も、それ関連のコミュなどあったようですが、
あえて避けてしまいました。

今も、匿名掲示板の難聴関連スレッドを見ると、
何となく気分が落ち込みますし、
この素晴らしいサイトの掲示板は何となく読むに至らない。

管理人さんの手記だけは、心穏やかに読めるのですが…。


その原因は、ある特定個人の価値観の問題なので、
ここではあえて書きません。
メーリングリストからのメールで、
その方の価値観を知り、愕然とし、モヤモヤが募りました。
ある意味、不正行為ですから。

その価値観の方が難聴者にいらっしゃることが、ショックで許せなかった。
それがトラウマなのか、難聴者の集まる場所に今も行けません。


正直、ネット上であっても、今は難聴の仲間はいらない。


その分、22年来の趣味の世界ではネット上に仲間がいる。
年齢も生い立ちも住んでいる場所も違うけれど、友達もいる。
趣味の世界が一番楽しい。
今はそれで十分。

来月、その仲間と22年来の憧れの人に会いに行きます。
46才にして、夜の歌舞伎町初体験です。

カウンターの向こうに、憧れの人がいるらしい。
話すこともできるらしい。
カラオケで歌ってくれることもあるらしい。

たぶん、会話は聞き取れないと思うので、
健聴の友達にフォローもらいます。
友達と言っても、私より1回り以上、年下の方ですが。

憧れの人にもちゃんと聞き取れないことを言うつもり。

万が一、フォローも聞き取れないことも考えて、
筆記でも対応できるように、メモとペンも持って行こうかな。


いつか、趣味の仲間と同じように難聴の方とお知り合いになって、
色んなことを語ることができる日がやってくるのかな。