HERSHEY'Sのキスチョコ!
キスチョコには思い出があります。
大学の研究室のテーブルの真ん中には菓子入れが置いてあって、そこにはいつもあふれんばかりのキスチョコが入っていました。
卒論のためと称し、研究室に入り込んでは、あーだこーだとお喋りに花を咲かせるゼミ生のために、教授が用意してくださっていたものです。
どんなに沢山食べても、翌日にはまたいっぱいになっている不思議な菓子入れで、私たちは「キスチョコのあふれる壺」とよんでいました。
不思議でもなんでもなくて、教授がせっせと補充してくださっていただけなのですが、若くて無邪気な私たちは、その有り難さに目をつぶっていました。
ある時友人のひとりから「そんなにむしゃむしゃ食べたら、先生に悪いよ」と注意されました。
けれども、食いしん坊で意地汚く、罰当たりだった私は、「先生は、朝、菓子入れの蓋をあけてキスチョコが減っているのを見て、みんな昨日もここに集まって勉強していたんだなって、嬉しく思いながら補充してるのだから、食べなきゃだめ!」と言い放ちました。
お恥ずかしいかぎりです。
その後もずっと、卒業まで、キスチョコはあふれ続けていました。
あのあふれ続けるキスチョコは、先生の無償の愛だったんだと思うようになったのは、卒業してからのことです。
そして、今、当時の先生の年齢に近づきつつある私は、やっぱり先生は、毎日減っているキスチョコを見て、ちょっと嬉しく思っていらしたのではと改めて思うのです。
先生、ありがとうございました。
キスチョコには思い出があります。
大学の研究室のテーブルの真ん中には菓子入れが置いてあって、そこにはいつもあふれんばかりのキスチョコが入っていました。
卒論のためと称し、研究室に入り込んでは、あーだこーだとお喋りに花を咲かせるゼミ生のために、教授が用意してくださっていたものです。
どんなに沢山食べても、翌日にはまたいっぱいになっている不思議な菓子入れで、私たちは「キスチョコのあふれる壺」とよんでいました。
不思議でもなんでもなくて、教授がせっせと補充してくださっていただけなのですが、若くて無邪気な私たちは、その有り難さに目をつぶっていました。
ある時友人のひとりから「そんなにむしゃむしゃ食べたら、先生に悪いよ」と注意されました。
けれども、食いしん坊で意地汚く、罰当たりだった私は、「先生は、朝、菓子入れの蓋をあけてキスチョコが減っているのを見て、みんな昨日もここに集まって勉強していたんだなって、嬉しく思いながら補充してるのだから、食べなきゃだめ!」と言い放ちました。
お恥ずかしいかぎりです。
その後もずっと、卒業まで、キスチョコはあふれ続けていました。
あのあふれ続けるキスチョコは、先生の無償の愛だったんだと思うようになったのは、卒業してからのことです。
そして、今、当時の先生の年齢に近づきつつある私は、やっぱり先生は、毎日減っているキスチョコを見て、ちょっと嬉しく思っていらしたのではと改めて思うのです。
先生、ありがとうございました。