茶々日和~まったりしましょ~

愛犬茶々(Mダックス・メス)とのまったりした暮らしと、趣味の観劇記です。よろしくお願いします。

初雪だってよ

2015-11-24 20:28:10 | 中国
中国のお父ちゃんから、初雪の便りが届きました。
昨年より早い冬の訪れなんだそうですが、部屋の中は暖房が入っているので、温かいんだとか。

ところで、この孔子像(違う?)、雪のせいで、ピースしているみたいにみえませんか?
ひそかにツボです。



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コナンと兵馬俑

2015-10-28 21:28:06 | 中国
中国では、日本のアニメが大人気。
お父ちゃんは、「コナン」の映画を学生と一緒に見に行って来たそうです。
今年のGWの映画ですね。

日本では、国立博物館で「始皇帝と兵馬俑展」が始まりました。
混雑しているのでしょうか?

このブログでも紹介した兵馬俑も来日しているようです。
会期が来年の3月までと長いので、のんびり様子を見て出かけてみようかな?
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中国便り

2015-05-11 19:34:09 | 中国
お父ちゃんが、斉の都だった淄博の写真を送って来てくれたので、記事をアップします。



こちらは『聊斎志異』の作者、蒲松齢の故居。
蒲松齢は科挙に合格できず、出世できなかったので、家は小さくて簡素な造りなのだとか。



白狐。
お父ちゃんのメールには、「『聊斎志異』といえばやはり狐です。」とあったのですが、私は不勉強で読んだことがないので、分かりません。
故居の近くにあった聊斎城というテーマパーク(あまり面白くなかった)にいたそうです。
何頭もいた中で、一番愛嬌があって可愛かった子だそうですが、犬と言われても納得するかもしれませんね。

淄博の一番の見どころは「臨淄(りんし)」です。
臨淄は、春秋時代「千乗の国」といわれた斉の都があった場所です、漢の時代にはこの街に斉王府がありました。
(千乗とは、戦車1000台と言う意味で、千乗の国とは、大国と言う意味です。
「論語」の学而篇に、「千乗の国を治めるには、」という一節がありましたよね。)



「斉国古城城垣」 
秦の始皇帝が長城を築く以前の城壁です。
今は数十メートルしか残っていませんが、とても貴重な歴史遺産です。



「斉古城排水道口」 
今から3000年近く前に排水施設を完備していたとは驚きです。



「古車博物館」 
春秋時代の戦車10輌と馬32頭が埋められていたのが、高速道路の建設中に偶然発見されて話題になったそうです。
近くには600頭もの馬を埋めた「殉馬抗」、淄博の漢斉王墓には何と犬を殉葬した「殉狗抗」もあり、見学したようです。



「晏嬰墓」 
「晏子之御」で有名な晏子の墓。
三代にわたって宰相を務めたのにもかかわらず、偉ぶることなく、30年間1枚の毛皮のコートを着続けたという、質素倹約を信条とした人らしい、つつましやかなお墓です。
ひっそりと佇んでいるかのような趣。



こちらは、「管仲墓」 
「管鮑之交」の管仲の墓。
こちらは、とても立派な墓です。
臨淄の人達は管仲を誇りにしているそうです。
(私は鮑叔牙の方が好きですが)

博物館の動物は、次回にします。 
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徐州博物館より

2015-04-12 18:25:11 | 中国
清明節の休日に、江蘇省の徐州に出かけていたお父ちゃんから、写真が届きました。
ところで、私は「徐州」と聞くと、なぜか軍歌の「麦と兵隊」を脳内再生してしまうのですが、なぜなんでしょうね。
あの、暗い陰鬱なメロディーと厭戦感さえ漂う歌詞で、軍歌?というギャップでしょうか?

さて、ご紹介するのは、日中戦争よりももっと古い時代のお宝です。
徐州は昔は「彭城」と呼ばれ、項羽が都としたところです。
(劉邦の出身の沛県も、徐州市域だそうです)
現在の徐州は江蘇省の大都会で、そこにある徐州博物館は、漢の時代の展示品を主に展示してあるそうです。


錯金銀鳥飾銅戈(前漢)
 戈の頭の部分でしょうか?
 かわいい鳥がとまっています。
 優雅ですが、これで闘うなんてとんでもない。
 実戦用ではなくて、儀礼用なのでしょう。


亀鈕金印(前漢)
 小さな金印です。
 志賀島のもそうですが、金印は概して小さいですね。


金帯扣(前漢)
 金のバックル。
 お父ちゃんは、虎のようだと言っていますが、私には、龍と熊(または犬)が麒麟を喰らっている図に見えます。
 


豹形石鎮(前漢)
 豹の彫刻は珍しいらしい。(パッと見では虎か豹か判りませんが)


鍍金銅龍架玉枕(前漢)
 この枕では、安眠はできません。

金縷玉衣(前漢)
 これが、この博物館のイチ押し。
 国宝中の国宝です。(他に、銀縷玉衣、銅縷玉衣も展示されています。)
 金縷玉衣は漢代独特の埋葬形式です。
 あまりに豪華であるために、多くの盗掘者を呼び寄せる結果となり、魏の曹丕によって禁止令が出され、それにより途絶えました。
 中国には何体かの金縷玉衣が発見されて日本の展覧会にも来ていますが、その中でも、この徐州の金縷玉衣が一番だといわれています。
 (その1)一番古い。BC154年をさかのぼるといわれています。
  (その2)一番多くの玉片が使われている。普通の玉衣は玉片の数が2000枚以下だそうですが、これは4000枚以上の玉片が使われていて、
    他のものに比べて桁違いに多いのだそうです。
    加えて、この金縷玉衣には純度99%の金糸が1576gも使用されていた点も特筆されます。
   (ただし、金糸のほとんどの部分は盗掘の被   害に遭っています)
   (その3) 玉の質が良い。
   (その4) 一番精巧に造られている 。        


蟠龍玉佩(前漢)
  これも精巧な造りです。


銅鑲玉獣(明)
  これは、明の時代の物ですが、可愛いかったので。



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珍獣あれこれ

2015-03-28 18:46:44 | 中国
陝西歴史博物館で見かけた「妙ちくりんなもの」。
中国から、お父ちゃんが送ってきました。



「十二支俑」(唐)
十二支獣が着物を着た不思議な俑です。
同じようなものは中国各所で出土しているようで、青州の博物館でも見かけたそうです。
京都の醍醐寺には、このような獣頭平服の十二神将の図像が所蔵されています。
十二神将が十二支と結びつく課程で、このようなものが影響を与えたのでしょうか?


子丑寅……


……戌亥


「雁魚銅灯」(漢)
雁がくわえているのは魚です。
この部分にあかりを灯します。
こんな大きな魚、呑みこめないって!


「鎮墓獣」(南朝)
鎮墓獣とは、墓を守る魔除けの怪物です。
なんか不気味。
でも、どことなく愛嬌があって、私は好きです。


「鎮墓獣」(唐)
唐の時代になるとさすがに洗練?されてきました。
なんとなく雰囲気が、狛犬に似ていますよね。


これも「鎮墓獣」でしょうか?
翼のはえた一角獣です。
お父ちゃんは「豚にしか思えませんが……」と言っています。
かわいいやつです。


「牛尊」(周)
牛の上に乗っているのは虎。
どのような用途に使われたのかわからないんだそうです。
丑の次が寅だからなのでしょうか?


「日己觥」(周)
極めつけはこれ。
ナメクジ?
もう、訳がわからん!
しかし、なんか、気になる奴です。
正面をどうぞ。


陝西歴史博物館の、その名もズバリ「金怪獣」(鷹嘴獣身神)。
戦国時代の物です

ちょっと美しい造形ですよね。
「山海経」に出てくる怪物じゃないかと、お父ちゃんは言っていました。
こういう想像力の源は、どこにあるのでしょうね。

かなり前に送られていた写真ですが、忙しいのと体調不良で、なかなか余裕がありませんでした。
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これで最後です!

2015-02-15 10:47:03 | 中国
おつきあいいただいたお父ちゃんの中国旅行編も、これでラストです。

少し、中国の歴史の復習になりますが、北魏は6世紀の前半に東魏と西魏とに分かれます。
お父ちゃんが暮らす山東省は東魏、今回旅行した陝西省は西魏の領土でした。
東魏の仏像は、以前紹介した青州の博物館にたくさん素晴らしいものが残っていますが、今回ご紹介するのは、済南の山東省博物館の菩薩像です。


法隆寺の止利仏師作の釈迦三尊に表情が似ており、北魏の仏像の面立ちを色濃く残しています。


この菩薩像は冠に蝉が造形されています。
日本ではこのような意匠の冠は見たことがありませんが、以前紹介した青州博物館の菩薩像の冠にも蝉が造形されているものがあります。
(画像は2015年1月7日の「青州博物館其の壱」をご覧ください。)
気になって調べてみたところ、このような冠は北魏末期から東魏の時代の菩薩像に見られる特徴で、戦国時代以来、皇帝の近臣や高級宦官が清廉の証として冠の正面に蝉の飾りをつけた伝統に由来するそうです。
また、この菩薩像は、MIHO MUSEUMが1995年に英国の美術商から1億円で購入したものの、後にこれが盗品だと判明し、同館が無償で中国に返還し、本来の出土地である山東省に戻ってきたという経歴を持つ菩薩像だったということもわかりました。


菩薩像(西安博物院蔵)
西魏時代の菩薩像。
可憐で優しい顔立ちの菩薩像です。
この菩薩像は仏像展示室の一番奥にひっそりと佇んでいたそうです。。
お父ちゃん曰く、西安博物院は陝西歴史博物館の陰に隠れてあまり目立たないけれども、なかなか素晴らしい展示品が多く、穴場的な場所だそうです。

もし、訪れる機会があったら、あなただけの素敵な仏様を見つけられるかも知れませんね。

お付き合い、ありがとうございました。
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おまたせ!パンダ

2015-02-15 10:41:21 | 中国
西安旅行のおまけ。
済南動物園の写真です。


パンダ。
寒いので、中国でも冬はパンダは室内にいます。


パンダ。
どこのパンダも、あまりサービス精神は無いようです。
おっさんみたいなやさぐれた背中が哀愁を漂わせています。


豹の子。
以前紹介した時はまだ赤ちゃんだった豹の子もずいぶん大きくなって、こんなに精悍な顔付きになりました。
ちょっと眠たい?
不機嫌そうな目つきですね。
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西安旅行第五弾

2015-02-15 10:05:49 | 中国
大雪にみまわれたという西安旅行。
タイトル画像は雪の高速道路。
こんな状態でも、中国の人はほとんどスノータイヤを着けないんだって。
走っている車は、ヒュンダイが多いそうです。


雪の乾陵。
乾陵は唐の高宗と則天武后の合葬墓です。
雪なので、誰もいません!
まあ、当たり前かも。
大雪の日に、わざわざ奈良の古墳巡りをするような人はいないでしょうから。
山の上に墓があります。


乾陵参道のペガサス像。


乾陵の碑。
今、中国では『武媚娘伝奇』というドラマが人気で、学生に紹介されてお父ちゃんも毎日観ていたそうです。
范冰冰(ファン ビンビン)という女優さんが武媚娘(則天武后)を演じています。
残念ながら、雪のために墓の前までは行けなかたそうですが、乾陵の地下には地下宮殿が存在し、それはおそらく未盗掘だろうと言われているそうです。
今後この地下宮殿が発掘された時、どのような宝が見つかるか……。
楽しみですね。


唐代婦人の壁画
乾陵の陪葬墓(付随する墓)である章懐太子(李賢:高宗と則天武后の子で、謀反の疑いをかけられ太子を廃され自殺させられた人。陝西歴史博物館の項で説明した邠王李守礼の父です。)墓の壁画。
高松塚の婦人像とは趣きが異なり、お父ちゃんはこちらの方が好きなんだって。
残念なことに展示の環境が悪く、保存状態が良くなくて、このままではやがて壁画が消滅してしまう虞があるようです。
キトラなんかと同じ悩みですね。


茂陵
こちらは最終日に訪れた漢の武帝(劉徹)の陵。
今、CSで武帝の皇后を描いた『衛子夫』というドラマを放送しています。
茂陵の陪葬墓には彼女の弟の衛青や霍去病の墓はありますが、衛皇后の墓はありません。
衛青の墓はこちら。

これが、武帝に大抜擢(寵愛?)されたという霍去病の墓。



青銅の犀(漢 前1世紀頃)
茂陵博物館の逸品。
かなりリアルな造形です。
国宝なのですがこれもあまり展示の環境が良くないそうです。
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西安旅行第四弾は碑林博物館

2015-02-14 20:23:25 | 中国

ここは、もと孔子廟だったところを博物館としたもので、石碑が林のように林立しているところから碑林と名付けられました。(ここは有料)

お父ちゃんが今回の西安旅行で一番行きたかった所だそうです。
ところが、ここで痛恨の大失態!
この日、陝西歴史博物館、西安博物院と写真を撮りまくってきたため、碑林の門を撮影しようとしたところでカメラのバッテリーが切れてしまったとか。
諦められなかったお父ちゃんが運転手に「どうしてももう一度行きたい!」と談判したところ、彼はとてもいい人で「最終日の朝一に、一時間だけなら」と言って何とか時間をやり繰りしてくれたそうです。
だから、写真は仏像だけになっています。


朝一番で誰もいないせいか、ピーンと張り詰めたような雰囲気が伝わってきます。

このあと紹介する仏像は、いずれも過去の展覧会で来日したことがある像です。
 

馬頭観音(唐 8世紀)
中国では「馬頭明王」と呼ばれています。
頭頂の馬頭が欠損しているのが残念ですが、眉根を寄せて目を大きく見開き、歯牙をあらわにする忿怒相の中にも、端正で均整のとれた優れた作風が感じられます。
日本の馬頭観音の原形を感じさせる興味深い像とのこと。


降三世明王(唐 8世紀)
珍しい降三世明王の坐像です。
馬頭観音に比べるとやや手足の肉付けが少ないように感じられますが、表情には精彩があります。

どちらも中国では珍しい密教系の尊像です。
これらは長安城の東北、長楽坊にあった安国寺址から出土したもので、唐の武宗による廃仏の際に難を逃れるために地下に隠されたのではないかと考えられています。
(実はこれら安国寺址から出土した仏像群について、博物館のかなり上級の職員から特別に仰天の情報を入手したのですが、重大すぎてとてもブログには載せられません、とお父ちゃんが言っておりました)


観音菩薩(唐 8世紀)
玄宗の離宮があった景龍池の廟に伝来したと伝えられる白大理石の美しい像です。
光背を欠くものの、像本体、台座の各部にいたるまでほとんど損傷が見られず、保存状態のとても良い像です。
ふっっくらとした面相や、頭髪の毛筋まで克明に表現されていて、優れた作です。

仏像解説は、すべてお父ちゃんによるものです。
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陝西歴史博物館

2015-02-14 19:56:05 | 中国
第三弾は陝西歴史博物館。

中国の博物館は、受付で身分証明書(外国人はパスポート)を提示すると無料で入館できるんだそうです。
おまけに写真撮影もOK!
太っ腹です。
(なぜ日本に来ると写真撮影がNGなんでしょうね?)
陝西歴史博物館は北京、上海と並ぶ第一級の博物館です。
そのなかからお父ちゃんお気に入りのいくつかを、蘊蓄とともにご紹介。


杜虎符(とこふ)(秦 前3世紀頃)
青銅製の虎の形をした割符です。
軍事行動を行う際、君主がこれを左右に分割し、左方を将軍に与えたそうです。


獣首角杯(唐 8世紀)
角杯は西方のリュトンと同種の器物で、本来は犀や牛などの角の内側を刳り抜いて杯としたものです。
これは金栓を除きすべて瑪瑙の一材を削り研ぎ出して成形したもので、牛頭に羚羊(れいよう)の角を組み合わせた造形と言われています。
精巧な造りが観る者のロマンをかき立てる逸品。
とても美しい杯ですよね。
お父ちゃんは、この杯を見て、「葡萄美酒夜光杯」という王翰の『涼州詞』の一節が頭に浮かんだそうです。
「夜光杯」というと、一般的には正倉院宝物にある瑠璃杯のようなガラス製の杯を思い浮かべますが、中国では次のような玉製の杯と考えられているようです。

玉製の杯(唐)西安博物院蔵。


獣紋六花形盤(唐 8世紀)
「飛廉文銀盤(ひれんもんぎんばん)」とも呼ばれています。
一枚の銀板を打ち出して花形に成形した盤で、中央に一頭の神獣を表現し、その紋様の部分に鍍金が施されています。
この神獣は、中国の神話伝説に登場する「飛廉」という風の神を表現したものと言われています。
どことなく表情が茶々子ちゃんに似ているので、私は気に入っています。
お腹と言うか胸のあたりとか、なんか、茶々子っぽい。(親ばかです)
また、この神獣は、正倉院宝物の「紅牙撥鏤撥(こうげばちるのばち)」に表わされる「一角の馬頭と脚に蹄を持つ鳥」の意匠にとてもよく似ています。

(正倉院展図録より)


獣紋双桃形盤(唐 8世紀)
こちらは桃を二つ合わせたような形から桃形盤と呼ばれています。
二頭の獣は狐でしょうか?
ただ、中国では狐を神聖な動物と考えることはあまりないので、何らかの神獣かもしれません。(お父ちゃん談)
私にはカワウソのようにも見えます。

「獣首角杯」「獣紋六花形盤」「獣紋双桃形盤」は西安南郊の何家村(かかそん)の窖蔵(こうぞう)から出土したものです。
窖蔵とは埋納蔵のことです。
何家村は長安城の興化坊に位置し、かつてここは邠王(ひんのう)李守礼(章懐太子の子・高宗と武則天の孫にあたる)の王府のあった所で、これらは邠王家に縁のあった品物で、安史の乱に際してその難を逃れるために地下に埋納されたと考えられているそうです。
これらは特別展示になっていて、見学には20元が必要だったのですが、20元を払う価値は十分にあったそうです。
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雪の雁塔(写真追加しました)

2015-02-13 16:15:41 | 中国

こちらが「大雁塔」。
楷書のお手本になっている「雁塔聖教序」(褚遂良)の「雁塔」は、この大雁塔のようです。
大慈恩寺という、玄奘ゆかりのお寺だそうです。
大学の書道の授業で、わけもわからず臨書させられた「雁塔聖教序」。
書道の授業は、私にとっては、本当につらかったのですが、あの授業のおかげで、少しはまともな字が書けるようになりました。
それに、採用試験に、なぜか書道史が出たんですよね。
あの、辛辣で怖い先生は、お元気でしょうか?


こちらは「小雁塔」。
大雁塔とは離れたところに建っているそうですが、大雁塔とともに西安のシンボルなんだそうです。
頭のところが壊れているのは、地震で崩壊したからだそうです。

西安は雪で、とても寒かったんだって。

さて、ここからが追加。


西安博物院。
小雁塔のある公園?の敷地内にある結構立派な博物館。
今回の旅行報告にちょくちょく登場しますとのこと。


鐘楼。
明代の建築。
街の中心部にあり、周囲はロータリーになっているそうです。
夜はこんなふうにライトアップされているようです。


鼓楼。
明代の建築。
やはり夜はライトアップされていてきれいですね。




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兵馬俑(写真のサイズを大きくしました)

2015-02-13 05:41:59 | 中国

おとうちゃんの西安旅行記。
第一弾は兵馬俑です!

まず、一号抗と呼ばれる遺跡?の様子。
ぞわぞわするね。
一度は見てみたいものです。


同じく一号抗。
比較的若い兵士。


馬。今日の競走馬に比べると小型です。漢の時代に汗血馬が西方から輸入され、改良される前の中国馬の姿をとどめているそうです。


馬の尻尾。
尾の先端を縛るのは、尾が車馬具に絡まないためなのだそうですが、このスタイルからポニーテールが誕生したとか……。
ほんまかいな?
(写真は陝西歴史博物館のもの)


二号抗に展示されている比較的状態の良い兵士俑。一見カンフーをしているように見えますが立って弓を射る弓手です。


こちらは座弓手。
この人は、日本に来たことがあるんじゃないかな?
見たような覚えがあります。


将軍俑。他の兵士俑に比べて堂々としていて威厳があります。


文官俑。兵馬俑は発掘当初鮮やかな彩色が残っていたようですが、空気に触れてたちまち色褪せてしまったようです。
これは比較的彩色が残っているもの。(陝西歴史博物館にて)


銅馬車。
こちらは始皇帝陵の墳丘のわずか西20mの地中から出土したもの。
始皇帝が巡幸の際に使用された車馬を実際の1/2のスケールで作成したものと考えられています。
ただし、皇帝用の馬車は6頭立てなので、これは、始皇帝用の馬車ではありません。


馬の表情も一頭一頭違います。

兵馬俑って、私が神奈川に来てすぐの頃、展覧会を見に行ってびっくりした記憶があります。
兵馬俑という名前も、展覧会に行くまでよく知らなかったので、こんなのが畑の中から出てくるなんて中国の歴史ってすごいんだなあと、驚きました。
なんでも、図録を買うと、最初に兵馬俑を発見した方が(4人くらいて、ローテーションなんだって)サインをしてくれるそうですよ!
サインはもちろん、筆書き。
うん、中国っぽい。
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青州博物館其の弐

2015-01-08 17:45:47 | 中国


如来立像(北斉)
鮮やかな赤の彩色がよく残る如来像です。



菩薩立像(北斉)
艶めかしいのか厳しいのか、不思議と印象に残る表情の菩薩像です。



思惟菩薩像(北斉)
腕の部分が欠損してしまっていますが、いわゆる半跏像です。
穏やかな表情に加え、彩色もよく残っています。



お顔のアップもどうぞ。

なんでも、青州出身の学生もここを訪れたことがなく、「私の故郷にこんな素晴らしいものがあったなんて!」と驚いて感動していたとか。

お兄ちゃんなんか、京都の国立博物館まで歩いて行ける距離だったくせに、一度も行ってなかったし、私やお父ちゃんが誘わなければ、あんなにたくさんある神社仏閣にも出かけなかったしなあ。
もったいない!
どこの学生もあんまり変わらないということなんでしょうね。

また、お父ちゃんが学生たちに説明しているのを見た博物館の職員が日本人だとわかったのか、近づいて来て色々と親切に説明してくれたそうです。(もちろん中国語ですが。)
なんでも、「国宝展」開催後、日本人がよくこの博物館を訪れるようになったそうです。
「こんな小さな町の小さな博物館へ、日本からわざわざやって来てくれて嬉しい」彼はそう言って、優しい微笑みを浮かべていたとか。

反日って、本当なの?

お父ちゃんからのお便りを読むたびに、不思議になります。
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青州博物館其の壱(訂正版)

2015-01-07 20:08:41 | 中国
*編集中に草稿が自動バックアップされていたため、写真や説明が入れ違っていましたので、訂正しました。

青州博物館の展示品は、昨日紹介した龍興寺遺址で発見された南北朝時代の仏像群がメインなんだそうです。
その他にも各時代の遺品がたくさん展示されていたそうですが、それらは以前紹介した済南の博物館の方が優れているんだとか。



菩薩立像(北魏~東魏)
何年か前の「中国国宝展」に出品され、日本でも人気のあった菩薩像です。
渡金や彩色がよく残っています。
この像はとても穏やかな表情をしていて、「東洋の ヴィーナス」と呼ばれているそうです。



菩薩立像(北魏~東魏)
優しい微笑みを浮かべた菩薩像。
なんだか、ほんわかした気分になりませんか?
とても人間らしい感じがします。



菩薩立像(東魏~北斉)
ちょっと西域風な雰囲気のある菩薩像。
これも、彩色がよく残っています。


さて、「東洋のビーナス」と呼ばれる仏像は、他にもあって、次はタイの博物館の観音像だそうです。



観音菩薩像」(シュリヴィジャヤ期)

顔がなんとなく東南アジアっぽいなあと思いました。
これも「東洋のヴィーナス」と呼ばれているんだとか。
美しい仏像は、なんでもかんでも「東洋のヴィーナス」になるんでしょうね。

今日は、ここまで。
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青州

2015-01-06 09:17:23 | 中国
お父ちゃんの中国便りですよん。

今回、お父ちゃんがお正月休みに出かけてきたのは「青州」。
私が使っている帝国書院や二宮書房の高校生用の地図帳には載っていません。
お父ちゃんの説明によると、山東省北部に位置する町で、今は小さな町ですが、その由緒は古く、古代九州の一つとして、漢の時代は山東省のほぼ全域を青州と称していたんだとか。
歴史地図になら、載っているかもしれませんね。
南北朝時代は、南朝・北朝の係争地として目まぐるしく支配者を変え、かつては歴史的な建造物も残っていたようですが、文化大革命の時代にほとんど破壊されてしまったとのことです。



南陽河。
この大きな川は、凍っているようです。



龍興寺遺址。
この地中からすばらしい仏像が大量に発見されたんだそうです。



青州博物館。
小さな博物館ですが、なんだか、箱根辺りの温泉旅館のような趣がありますね。

さて、このあとこの青州博物館の収蔵物をご紹介させていただきますが、それは、次回に続く。
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