昨日の「真田丸」が、新納秀次の最期でした。
京都三昧の散歩の途中、ふと見つけた木屋町三条の瑞泉寺でその存在を知り、「クラブハリエ」の焼き立てバームめあての近江八幡で、その整然とした街並みに「殺生関白」という呼び名に疑問を抱いたのが、私と秀次の邂逅でありました。
2010年ごろのことでしょうか?
その後、本を読んだり、いろんなドラマを見たりして、私なりの秀次像もなんとなく出来あがっていました。
このブログでも何度か書いたことがありますが、決して暗愚ではないが英邁でもなく、平凡な人間が関白にまで祭り上げられ、邪魔になって殺されてしまった悲劇的な人物。
と、いうもの。
新納秀次は、私の抱いていた秀次像に近いもので、初登場の、枇杷(だったよね?)を抱いてにこにこ無邪気に笑う姿に癒されました。
純粋無垢で、お馬鹿で、可愛い孫七郎。
「検地で何がわかる」と聞かれて「いろんなことがわかります」と答える邪気のなさ(お馬鹿っぷり?)。
そつなく答える三成が腹黒に思えるくらいの天然キャラ。
いやあ、ホントにお馬鹿だなあ、と呆れつつ、毎回ちょこっとずつの秀次の登場シーンを楽しみにしていました。
少しずつ賢くなろうと努力し、秀吉に認められたいと願い、一挙手一投足に真意を測りかねて苦悩する秀次。
毎回、ほんのわずかなシーンの積み重ねの中で描かれ、深まっていく新納秀次を見守っていたわけですが、そのつど新しい秀次の発見がありました。
人がよく、穏やかで、優しく、明るくて、お馬鹿で、賢い秀次。
福島正則じゃないけど、いやあ、よく頑張ったよねえ、もういいよ、と言ってあげたくなる新納秀次。
その最期は、ボタンの掛け違いというか感情のすれ違いというか、なんともやるせないものでした。
号泣ではなく、あとからじわじわこみあげてくる、かなしみ。
十字架に架けられたキリスト像を眺め、自分の人生を振り返るかのように微笑する秀次の、溢れる涙がこぼれそうになって、きらきら光る瞳。
なんか、捨てられた子犬みたいで、ほんと、きゅんきゅんするって、こういうこと?
乙女に戻ったひととき。
新納秀次の最期は、心に残るものになりました。
お疲れ様でした!
素敵な秀次を、ありがとう!
舞台でまた会えるのを楽しみにしています。
ところで、十字架にかけられたキリスト像を見るシーンで、私は新納さんが主演されたミュージカル「GODSPEL」を思い出しました。
10年以上前の舞台です。
新納さんはキリスト役。
とはいえ、ヒッピー文化(死語?)の中で生まれた伝説的なミュージカルなので、ごくごく普通の?ヒッピーの若者でした。
あのキリスト像も、そういえば、平凡で純粋で無邪気な青年だったなあ。
まあ、そんなの関係ないんだけど、三谷さんはあて書きだから、少しは意識したのかな?
これは、ミュージカルおたくのつぶやきってことで。
京都三昧の散歩の途中、ふと見つけた木屋町三条の瑞泉寺でその存在を知り、「クラブハリエ」の焼き立てバームめあての近江八幡で、その整然とした街並みに「殺生関白」という呼び名に疑問を抱いたのが、私と秀次の邂逅でありました。
2010年ごろのことでしょうか?
その後、本を読んだり、いろんなドラマを見たりして、私なりの秀次像もなんとなく出来あがっていました。
このブログでも何度か書いたことがありますが、決して暗愚ではないが英邁でもなく、平凡な人間が関白にまで祭り上げられ、邪魔になって殺されてしまった悲劇的な人物。
と、いうもの。
新納秀次は、私の抱いていた秀次像に近いもので、初登場の、枇杷(だったよね?)を抱いてにこにこ無邪気に笑う姿に癒されました。
純粋無垢で、お馬鹿で、可愛い孫七郎。
「検地で何がわかる」と聞かれて「いろんなことがわかります」と答える邪気のなさ(お馬鹿っぷり?)。
そつなく答える三成が腹黒に思えるくらいの天然キャラ。
いやあ、ホントにお馬鹿だなあ、と呆れつつ、毎回ちょこっとずつの秀次の登場シーンを楽しみにしていました。
少しずつ賢くなろうと努力し、秀吉に認められたいと願い、一挙手一投足に真意を測りかねて苦悩する秀次。
毎回、ほんのわずかなシーンの積み重ねの中で描かれ、深まっていく新納秀次を見守っていたわけですが、そのつど新しい秀次の発見がありました。
人がよく、穏やかで、優しく、明るくて、お馬鹿で、賢い秀次。
福島正則じゃないけど、いやあ、よく頑張ったよねえ、もういいよ、と言ってあげたくなる新納秀次。
その最期は、ボタンの掛け違いというか感情のすれ違いというか、なんともやるせないものでした。
号泣ではなく、あとからじわじわこみあげてくる、かなしみ。
十字架に架けられたキリスト像を眺め、自分の人生を振り返るかのように微笑する秀次の、溢れる涙がこぼれそうになって、きらきら光る瞳。
なんか、捨てられた子犬みたいで、ほんと、きゅんきゅんするって、こういうこと?
乙女に戻ったひととき。
新納秀次の最期は、心に残るものになりました。
お疲れ様でした!
素敵な秀次を、ありがとう!
舞台でまた会えるのを楽しみにしています。
ところで、十字架にかけられたキリスト像を見るシーンで、私は新納さんが主演されたミュージカル「GODSPEL」を思い出しました。
10年以上前の舞台です。
新納さんはキリスト役。
とはいえ、ヒッピー文化(死語?)の中で生まれた伝説的なミュージカルなので、ごくごく普通の?ヒッピーの若者でした。
あのキリスト像も、そういえば、平凡で純粋で無邪気な青年だったなあ。
まあ、そんなの関係ないんだけど、三谷さんはあて書きだから、少しは意識したのかな?
これは、ミュージカルおたくのつぶやきってことで。