唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

第42作 男はつらいよ  ぼくの伯父さん

2007年03月14日 | 男はつらいよ・山田洋次
1989年作品

男はつらいよは時代の証言者ですね。その時代を映像で残すという意味では、貴重ですよね。バイクを乗り回す浪人生の光男と親の離婚で叔母の家に身を寄せている泉ちゃんに時代を感じました。

それで最後お正月で終わるところも確か恒例なんでしょう?これをみて、みんなああ・・・新年なんだなあ・・・と感じるんでしょうね。

最後に一人寒そうに公衆電話でみんながいる団子屋さんに電話をしているシーンは、哀愁を感じました。これで最後?と思っちゃうような悲しさです。

温かい家庭・・・温かい愛に囲まれた家があるのにと孤独の寒さを選んで生きている寅さんですが、そういう寂しさを人一倍感じるからこそ家に戻るんでしょうねえ・・・

実は、この映画、はじめてみたんですけど、思い入れがあるんです。前にも書きましたが、息子の試写会を大船撮影所でしたときに撮影所見学もしまして、そのときにちょうど泥鰌やさん(うなぎやかと思ってた)の撮影をセットでしていたんです。

それで、渥美清さんがセットに入ってきたときに撮影が始まって、自分のすぐヨコに立ち止まったんです。撮影が始まったらじっとしてなきゃいけないからフィルムが止まるまで自分のヨコでじっとしていました。でかい人でした。本当にでかいのか、存在がでかいのかよくわかりませんが、でかい人でした。

壇ふみさんとの最後のお別れのシーンがなんとなく切ないですね。この場合、「奥さん」ですから、ふられるとかいう以前の問題なんですが、たぶん、満男の恋があるからくどくならないように寅さんのほうはあっさりさせたのかもしれませんが・・・それでも、お互いにちょっと引き合うというか、離れがたいというか、ちょこっとそういうのを思わせるわけです。奥さんが私もそんな生活してみたい・・・みたいなことを言うんですが、愛とか恋とかそういうレベルではないですが、今の生活のべったり根を張った生活か開放されたいとちょっとだけつぶやくわけですなあ・・・あんな旦那だし・・・まあ、おじいちゃんの世話もあるだろうし・・・でも、それで別にひっぱるわけでもなく、ちょっといっただけで本当にそうしたいということじゃなく、その生活を捨てるわけでもなく、ただいってみただけってところがいいんです。それをボソッといえたのは、やっぱり寅さんだからなんでしょう。

その前のシーンの旦那との会話は、何も言わないでそのまま立ち去ることもできたのに、あえて振り返って、満男を立派だといってやったところもいいところです。