唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

殯の森

2007年11月21日 | 映画 ま・や・ら・わ行
そうか・・・映画館で見てもセリフはよく聞き取れないのか。ある意味、日本人より外国人のが何を言ったのか認識してるかも。
・・・そうはいっても、DVDで見た2作品よりずっと聴きやすかったのは映画館で観たからなんでしょう。

まあ聞き取れないってことはあまり問題ではなく、映像がいろんなことを語ってくれています。聞き取れなくても何をいってるのかがわかります。(たぶん)

真千子さんがきれいだな・・なんて思いながら見続けていくと、どこかで見たような・・・ああ!あの萌の朱雀にでてた女の子でした。すごいいろんな意味ですごい演技でした。演技じゃないみたいな演技です。いいなあのおじいちゃん。得したねえ・・・震えてみるもんですね。うらやましい。そんなことじゃなくて、白い服が濡れるのっていいんだよねえ・・・・そんなことでもないんです。

緑の中に飲み込まれそうな景色がすごいです。風で緑がなびくと、本当にそこに魂が宿っているかのよう。

生きるというのは食べたり飲んだりうんこしたり・・・生物として生きるといういみと、生きる目的というか、存在意義というか、お坊さんはなんていってましたかね。まあ、そんなものが必要で、それがなければ、生物的に生きていても、生きている意味を見出せない、生きた心地がしない状況になります。

2人とも愛する人が死んでしまって、その死を引きずって生きています。そんな過去を引きずっている2人を森は厳しく、優しく迎えてくれました。森によって、「喪あがり」するといいことみたいです。そして、はじめて未来へ目が行くのかもしれません。

「行かんといて・・・ごめんなさい・・・」と叫ぶシーンは、死んだ子どもへの思いがでてて良かったです。

おれもあんなきれいなお姉さんと森で迷子になりたいもんだ。

隠し剣 鬼の爪

2007年11月21日 | 映画 か行
隠し剣 鬼の爪 特別版

松竹

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この永瀬正敏は存在感がありそうでなさそうで・・・でも、このお侍さんの立場自体がそんなところなのかもしれません。剣がすごいったって、それで出世できるわけでもなく、外国から入ってきた武器が余計に存在感を無くしていきます。藩という組織が武士の心を必要としていません。日本の社会が必要としなくなっていったんだろうなあ・・・

そして、自身も武士を捨てて好きな女の人と北海道へ渡ります。その時代には、そんな人が結構いたのかもしれません。武士の社会の崩壊が新しい価値観をつくっていったのかも。

鬼の爪のシーンは何度見てもいい。・・といっても、2度目ですが・・・