唐茄子はカボチャ

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相棒-劇場版-絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン

2008年12月20日 | 映画 あ行
相棒-劇場版-絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン <通常版> [DVD]

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うまく表現できないけれど、なんか全体的にははめ込まれた感じとでも言いますか・・・ストーリーが感覚的に頭の中に入ってくるというよりは、映画のなかで説明された感じというか、そんなところもありました。

でも、事件を追うところなんかは普通にどきどきできて、出演している人たちのやり取りも違和感がなく、そこはそんなに悪くなかったと思います。

ただ、やっぱり政治が絡んでくると、どうしても身構えちゃうというか、ただ、ボランティアの人が政府によって見殺しにされたという、テーマとしては重いものなんだけど、それを取り上げるなら、もっと、社会背景とか、国家が何でそうしたのかとか、その辺の深いところで入ってくるようなものがあるとリアルになったんだろうけど・・・
なんかうすっぺらい感じがしてしまいます。

それをテーマにしただけでもたいしたもんだというのもあるかもしれませんが・・・・

政府やマスメディアのの情報操作の描き方も、いいたいことはわかるし、そのとおりだとも思えるんだけど、やっぱりどこか、「忘れる」というところに重点が置かれているところがなんっか違うような気がして、それでも、運動も含めてその積み重ねが原動力になるし、同じ繰り返しに見えても、質的な変化はおこっていると思えるので、そんなに「忘れる」とか、同じ繰り返しみたいな感じはやっぱり違和感がある。
感覚的に大衆は瞬間加熱してさっとさめてしまうみたいな批判的な感じにも受け止められるからなおさらです。
民主党の人気ぶりとか、ちょっと前の小泉旋風とか見てると、そういう傾向はあるのは確かだけれども、それで全て白紙になってしまうんじゃないと思うんです。

そこの0か1かじゃない部分が出てこないと、なんとなく映画のためにはめ込んだみたいな印象になってしまうのではないかと思います。

政治がなかったほうが、自分としては気楽に見れていいです。

犯人との駆け引きでは、誰かの映画評に結果的に必然がないみたいなこと書いてありましたが、確かにそういわれればそんな気がします。

一番必然じゃないのは、殺人そのものかな?殺人を犯しておいて、何を言うか!という感じです。
自分の主張を通すために殺人を犯したら、息子を殺したテロリストと同じことを自分がしていることになるわけで、結果的には、自分のそのやり方が息子を殺してしまったともいえるんじゃないかと思いました。