1934年に行われた、ナチスの党大会を記録した映画です。その意図は、プロパガンダなわけです。
完成度の高さとか、当時ではとても斬新な撮影方法とか、内容の意図はどうであれ、映画として、芸術作品としてみたときに、歴史に残る名作みたいに言われていたので、思わず飛びついて買ってしまいました。
最初に観たときに、薬のせいもあって、途中でうとうとしてしまいました。
芸術的なすごさとそういう点では何もコメントできるものは自分は持ってませんけど、ヒトラーに対する、国民の熱狂ぶりがすごいです。
演出とかではなくて、本当に、国民の熱い視線がヒトラー一人に向けられているのです。「独裁」というのは、こういうことなのか…と思ったりもしました。事実この時期にヒトラーの独裁体制は確立されたのでしょう。
「ヒトラーの意思は、国民の意思」、「ヒトラーはドイツ」・・・といった感じの映画の中で出てくる言葉は、ただ、ヒトラーを礼賛しているというだけでなく、党の熱い期待として、ヒトラーに向けられている言葉のようにも感じました。そして、その熱い期待は、パレードの両端を埋め尽くす国民の期待でもあるのでしょう。
かなり違和感があります。党大会でいろんな人が、個人に対してこれだけの美辞麗句を並べ立てて、聞いてて気持ちが悪くなります。でも、この映像の中の人たちには全く違和感がないのでしょうね。
そういう状態って、当時の日本とか、現代の政治もやっちゃうどこかの宗教団体とか、そんな自分の身近なところにも、実はあったりするんじゃないかと。そんなことも思いました。
人はそれぞれ別の意思を持った生き物ですけど、その個人の意思と思っているものは、案外簡単に支配されちゃうってこともあるのかもしれないなあ…と、そんなことも考えました。
あの小泉首相の時の熱狂ぶりとか考えると、国家が国民の意識を操作することも一定可能だとも思います。
でも、ヒトラーの支配体制は、そのあと10年ぐらいで崩壊しちゃうわけで、やはり、国民を押さえつける国家の力というのは、その時は絶対的であっても、必ず国民の本当の意思に反している以上、必ず崩壊するということです。
国民が期待して誕生した政権は、国民に対する裏切りを続けていては、必然的に崩壊します。
意志の勝利…最終的には、国民の意思がヒトラーを打倒したともいえるのかもしれません。戦争で負けたとかではなくて、必ずその矛盾というのは、国家の体制のゆがみとか、ひずみになって、それが収集つかなくなって噴き出すときが必ず来ますからね。
ソ連の崩壊もそうだし、自・公政権の退場もそうでしょう。
おまけのブックレットには、津川雅彦のくだらない文章がのっていますが、日本の侵略戦争が正しい戦争だったというのが日本で平気で語られちゃうところに、日本の遅れを感じます。
表現の自由なんて言葉を使っていますが、事実をねじ曲げたものを表現するというのは、自由というより、ただの無秩序というか…
そして、そういう人に限って、反対の意見を排除しようとするんですよね。そもそも自由のない、侵略国家だった日本を、正しいと思い込んでいる時点で、そういう表現の自由を本当に実現しようと思っていない証拠だと思うけれど…
こういう人たちの主張は、ただ言葉を並べ立てるだけで、自分の言葉に責任を持たず、検証することもせず、ただ、言い放つだけ。って感じがします。
この人の言う文化国家というのは、他国の文化を壊し、自国の文化を規制することなのだろうか…
いい加減、他虐史観の考え方から抜け出さないと、日本が本物の文化国家にはならないんじゃないかなあ…でも、この人たちには無理ですね。事実を検証することができないから。検証しないことでやっと生き長らえる人たちだから。大東亜戦争の意思の勝利は未来永劫あり得ないでしょうね。
一回見た後に、歴史学者の解説のやつをちょっとだけ見ましたが、それがなかなか面白いです。
映像の意味なんかを話してくれるんです。たとえば、最初の飛行機で降りてくるシーンは、救世主が空から降りてくるという構図なんだとか、ヒトラーを前面に押し出すために、画像では、ヒトラーは一番大きく映るようにしているだとか、ヒトラーの嫌いな旗はうつっていないとか、最初を見ただけでも結構楽しめました。