唐茄子はカボチャ

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男はつらいよ 葛飾立志篇

2010年02月09日 | 男はつらいよ・山田洋次
男はつらいよ 葛飾立志篇

松竹

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1975年 第16作

んーたまらないです。
教授のふられ方が…ん・・・きついですねえ…
かえってつらい思いをさせて・・・すまなかったね・・・
というセリフがなんか泣かせます。
あんな手紙書かなきゃよかった…いや、それでは、私の気持ちがうんぬんかんぬん…
つらいところですね。
良くわかります。
ふられて後悔しつつも、自分の気持ちを伝えたという一歩前に踏み出した自分に対して、好きっとした部分もあるでしょうし…

でも、この教授もある意味うらやましいのは、旅に出るか・・・で、ふらっと出て行っちゃえる…冬休みだったからかもしれないけれど…そんな逃げ場があるのはうらやましいなあ・・・・ふられて、そのまま一緒に顔を突き合わす…そりゃ地獄ですぜだんな・・・

でも、結局、帰ったら、彼女と会わなければいけないけれどね。仕事場が同じなら、そこから逃げることはできないからね。
ふられて、それで、2人の関係は終わりなの化というと、そうじゃないですもんね。
そこからが始まりかもしれないのに…
結局2人とも、ふられべたなのかもね。人のこと言えないが…

この先どうなるのでしょうか・・・というか、どうなったのでしょうか・・・・

マクラの夢のシーンは、今回はっと思ったんですねど、寅さんの頭の中の理想の寅さん像なのかなって…
妹やみんなが帰りを待っていてくれる。そこに、さっそうと現れる・・・そして、旅立つ時もかっこよく、みんなに惜しまれながら・・・余韻に浸りながら…
そういう2枚目の理想の姿がああやって夢に出てくるんだろうな・・・

そして、また3枚目をやっちゃった…と、逃げるように出て行く寅さん。
でもこっちの寅さん…心に傷を負いながら、旅に出る寅さんの方が、やっぱり好きなんだよなあ…
そっちの方がかっこいいんですよね。

もうこんな気持ち耐えられない!と思うようなことを何度も何度も繰り返しているのに、それでも、恋をしてしまう寅さんが、やっぱり好きなんですよね。

桜田淳子さんのシーンがとても印象に残ります。
見ず知らずの自分を一生懸命励まそうとするとらやの人たち。それもかっこよくないんだけど、そこが人のきれいなところなんでしょうね。
人のために、役に立ちたい。その人の喜ぶ顔が見たい。その手助けをしたい。その気持ちが、とてもうれしいですよね。

淳子さんのお母さんのことを寅さんが家族に話すシーン…普通だったら、回想シーンとなるところを、寅さんの語りだけで、済ませてしまいます。
ここが寅さんシリーズのすごいところで、落語的なんですよね。

言葉だけでみる側に情景を浮かばせて、お雪さんのことも、想像させてしまうわけです。その辺が渥美さんの演技のすごいところだし、それを映像で見せてしまうっていう作り手のすごさもあります。

何気ないセリフがぽっと入ったり、何気ないしぐさとか動きで、次につなげたり・・・そのつながるときも、自然につなげるところがすごい。寅さんがその語りを終わった後に、ちゃぶ台の方に歩いてくるんだけど、その時のさくらの表情と目線がとてもさりげなくて素晴らしいんです。こういう、仕掛けられた自然さがとても、気持ちがいい。いやらしさもないんですよね。
自然にしようとするばっかりに、わけわかんなくなっちゃうのとか、独りよがりになっちゃうのとか、あるけれど、やっぱり、自然な演技とか、自然な撮影というのは、よほど計算されていないとだめなんだろうなと。その計算がないと、計算以上のことができないというか…なんだかわからないですかね?まあ、今日はこの辺でお開きということで…

学問の話も良かったですね。
お雪さんが学問があれば、だまされずに済んだと言っていたこと、それで、最後に、先生の結婚話を聞いても何がなんだかさっぱり分からなくて、学問がなくて悔しいと言った寅さん。学問は己を知ることなんて、理屈で言う見んじゃなくて、感覚で、学問の必要性を感じているところが、泣けちゃいます。

野球しているときに、今年は家にいようかな…というシーンもいいです。寅さんは、やっぱり人並みに幸せがほしいんですよね。腰を落ち着けて好きな人と暮らしたいという…それだけが望みなのに・・・それができないんですよね。周りがそれをバカにするけれど、それって、本当に残酷なことで、なに様なんだよ!と思いつつ…

人を好きになったり、好きな人にふられて、苦しい時って、人間の感情としては、一番その人が美しい時というか、輝いているときなんだろうけど、そんな状態を何度も繰り返すことができる寅さんは、ある意味うらやましい気もしたりして…

でも、そんな寅さんも、ひとりの時にふと思うんでしょうね。落ち着ける家があることの素晴らしさ。家族がそろって家にいることの素晴らしさ。
だから、寅さんはついつい家に帰ってきてしまうんですね。

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寅さんは今回はふられたというのではないけれど・・・結局ふられたのかなあ・・・

寅さんは、もし、プロポーズの話がなかったら、どうしたのでしょうか・・・
れい子さんがとらやにいる間はずっと、今までのように楽しくやっていくのだろうけど、寅さん自身もそれ以上深いところまでいこうと思ってないのかもしれません。深く行く自信が無いか、深く行くのが怖いのか・・・

寅さんが自分にとって「愛」とは何かをいうところがあります。

あーいい女だなあ・・・と思う、
その次には、話をしたいなーっと思う、
ね?その次には、もうちょっと長くそばにいたいなーっと思う、
そのうちこう・・・なんか気分がやわらかーくなってさ、
あーもう、この人を幸せにしたいなーっと思う、
もう、この人のためだったら命をかけてもいい。もう死んじゃってもいい!そう思う。
それが愛ってもんじゃないかい?

ということなんですけど、名台詞です。

寅さんはこのスタンスでいる限り、結局だれともくっつかない気がしますね。
寅さんの愛は、相手に求めるものが無いんだと思います。
話をしたい。幸せにしたい。この人のためだったら死ねる。・・・それを聞けば聞くほど、その愛している対象に近づけなくなるような気がしちゃいます。

彼女にとって、自分(寅さん)がいること自体が幸せだとは絶対考えないだろうからね。遠くから、やさしく見守る感じというのかな・・・ただ、その女の人が幸せそうに笑っているだけで、それだけで寅さんは幸せになれるのです。自分に愛情を注がれることが愛を感じるときではないのです。

寅さんは、本当にその女の人のためなら死ねると思います。ハブにかまれてじゃなくて、女のために死ぬのが寅さんです。でも、寅さんのために女の人が傷ついたり、苦労したり、人生を左右されたり、ということはすごく嫌うのではないでしょうか。好きな女の人を守ってあげたいという思いが、時たま過保護になってしまうときがありますが、それが寅さんなのです。

本当に気持ちがやわらかくなって・・・まなざしが優しくなる・・・自分もそうなりますが、やっぱりそれだけでは自分はダメで、相手の女の人に愛情を注いでほしくなるわけです。寅さんはそれは求めないのです。一方通行なんです。

ふられるというより、はなからくっつこうなんて思ってないんじゃないのかな・・・今のこの生ぬるいやわらかい気分でいることが寅さんは好きなんでしょう。一緒になるということは、それだけではすまないことでもあります。

礼子さんがプロポーズをされたことを寅さんに告白したあとに寅さんが、何を言ってるのか解らなくてこたえてあげられなかった・・・って泣くんですよね。ふられたことがショックなんじゃないんです。好きな彼女が悩んでいてあがいているのをどうしようも出来なかった自分の非力さをくやしがって泣くんです。笑っていない彼女を見るのがつらかった・・・それをどうしようも出来ない・・・そのとき、寅さんは、彼女にとって、自分の存在は必要ないものだと・・・勝手に思い込んじゃうんでしょうね。

2008-11-19

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寅さんが礼子さんからプロポーズされた相談を受けたときに、それを後押しするような行動をとるのかな?と思ったら、そのまま両方ふられちゃうなんて・・・

ただ、ゆっくり時間をかけて考えれば2人はうまくいくのではないでしょうかね。そこで結論を出さなくてもいいと思うのだが・・・そういう方向にもっていって行かないところがまたその人の相手に迷惑をかけたくないとか、自分の無様さから逃げ出したいとか、そういういろんな思いが・・・恋愛が苦手であれば余計そうです。真剣であればあるほど逃げたくなっちゃうのって・・・わかります。そういう人ばっかりじゃないだろうけどね。

(2008-01-04)