唐茄子はカボチャ

映画と音楽と・・・

トップをねらえ!

2010年02月16日 | アニメ
トップをねらえ! Vol.1 [DVD]

バンダイビジュアル

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はじめてみました。
しかも、ユーチューブで。
島本和彦さんのアオイホノオに出ている庵野さんを見て、こういう作品をつくるのも納得です。巨大ロボットものへの憧れをそのまま・・・そのままでなく、それっぽく作り上げた感じがいいです。題名もそうだけど、エースをねらえの関係をそのまま使っちゃうところなんかも面白いですね。あの後半の音楽の流れは、宇宙戦艦ヤマトや999を彷彿させる
し・・・スポ根巨大ロボットSFもの。
パクリというよりは、いままでみてきて憧れたアニメが頭の中に染み付いて、それがあふれ出てしまうような感じかもしれません。

お姉さまが美しいんです。
美樹本さんのキャラならではの美しさです。

男はつらいよ 花も嵐も寅次郎

2010年02月14日 | 男はつらいよ・山田洋次
男はつらいよ 花も嵐も寅次郎

松竹

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1982年 30作

田中裕子さんがきれいでかわいくて、たまらないです。寅さんが駅に迎えに行ったときのあの喜びよう。そして寅さんの腕にぎゅっとしがみついて・・あんなことされたらたまらんでしょうなあ・・・

あんな女の子には幸せになってほしいと思うのもわかります。でも、彼女が幸せになるってことは、自分の手を離れることなんですね。寅さんはつらいところです。

最後の電話でのやり取りも泣けます。「何で黙っていっちゃったの?いっぱい話したいことあったのに・・・」こんなこといわれたら、もう、どうにかなっちゃうよ。しかも最後の別れ方がちょっと気まずい別れ方だっただけにいっそうきますね。

寅さんに悩みを打ち明けるシーンの「好きだから悩んでるのよ。わかってよ」といって涙をつっと流すところがまた良いです。「寅さんにしかられた」といったときの表情もたまらんです。

寅さんがあまりはちゃめちゃなことをしないので安心してみることができました。寅さんもすこしずつ年を取っているのでしょう。

「おれから恋をとったら造糞器だよ」ってのは面白かったです。

また記事が消えてしまった・・・まったく・・・

沢田さんと寅さんのやり取りを楽しそうに見ているさくらさんが良いです。

最後の「二枚目はいいなあ・・・少し妬けるぜ・・・」みたいなセリフも「少し泣けるぜ」

殿山さんがお坊さん役で出てましたね。

2008-02-01

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「花もー嵐もー」と歌う寅さんの歌詞がそのまま題名になっていました。(いまさら気づいたのか?)
寅さんは「ああ、三郎青年の運命やいかに」みたいに最初は二枚目だけど融通が利かない三郎青年の恋の行方をちょっと引いたところから面白そうに見ています。三郎青年よりも自分のほうを蛍子さんは好いてくれているという、「勘違い」からなのですが、やっぱり蛍子さんは最初の段階から、三郎青年の「付き合ってください」といういきなりの告白の意味がひっかかって、気になっていたのですね。
2枚目だからあんなことを平気で言えるのかもという疑いもあったと思います。あの寅さんと2人での飲み屋のシーンは表向きの言葉の中に見え隠れする本当の気持ちがでていました。それを寅さんは三郎青年はふられたと思い込んだわけですが・・・

寅さんのいいところは、そのあとに自分のことはおいといて、三郎青年と蛍子さんをくっつけようと奮闘するところなんですけど・・・さくらさんはそんなおにいちゃんをみて、人のことより自分のことを心配してほしいわけですけど・・・

2人の仲がうまくいったときに、寅さんは、自分が用無しだったことに気づいちゃったのですね。2人は2人で勝手にうまくやっていく。自分は確かにみんなに好かれるけれども、人生を左右するような重要な位置には結局入り込めない存在でした。

寅さんはみんなを引っ掻き回すようなイメージがあるけれど(とらやの騒動のせい?)、じつは、自分の人生を引っ掻き回されてしまっているような気がしました。まあ、性格のせいもあるけれど、本気でがんばっているのに報われなくて、周りの笑いものになってしまうわけです。一回ぐらいうまくいってもいいのに、うまくいきそうなときも自分で壊してしまう。

一番融通の利かないのは結局寅さんですね。

最後に螢子さんとの電話のシーンはまた泣いちゃいました。螢子さんが寅さんをすごく頼っていたことがわかるシーンでもあり、同時に寅さんなしでも生きていくんだなあ・・・と思っわされちゃうところでもあります。

駅に迎えに行くシーンは名シーンだなあ・・・

2008-08-23

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いつもの失恋しちゃう寅さんとはちょっと違います。失恋だったのかな・・・
まあ、いつもの、自分中心に思い込んでいて、一方的な思い込みを打ち砕かれるのとか、逆に相手が寅さんを思いはじめて、逃げていっちゃうようなやつとは違って、2人をくっつける役割を果たします。

あれだけ蛍子さんに甘えられたら、男だったらいい気持にならないわけがありません。
三郎青年よりおれのが良いんだってよ!と、うかれちゃうのもわかります。ああいう状況であれば、みんな心で思うことです。寅さんの場合、それが顔や行動に出ちゃうというだけですもんね。

でも、今回は、それだけなんです。

ふられて落ち込んだ三郎青年を見て、ほっとけなくなって、自分をえさに蛍子さんを呼び出して、見事三郎青年とくっつけるわけです。

仮に、そのまま寅さんを蛍子さんが好きになっちゃったとしたら、寅さんは黙って出て行くんでしょうね。

今回も、ここしかないタイミングで去ります。寅さんの去り際はいつも見事です。2枚目でかっこつけです。

そのかっこよさは、たぶん、男の美学、寅さんの美学があるんでしょうね。シリーズのどこかで、ちらさんが、かっこつけずに、自分の好きという気持ちでかっこ悪くても相手にぶつかれば、何回かは結ばれていたでしょう。でも、たぶん、長く続かないのかもしれませんが・・・
それがわかっているからこそ、寅さんは逃げるように旅立ってしまうんですね。

今回も、最後の電話のシーンが泣けます。
どうして黙って行っちゃったの?と蛍子さんに愛情たっぷりに責められたら、もう、たまりませんなあ…あれは田中裕子さんならではですね。

恐ろしく甘え上手ですね。男はみんな落ちますね。


おとうと

2010年02月13日 | 男はつらいよ・山田洋次
とても心にずしんとくる映画でした。
見終わった後、映画館から出るときに、言葉を出すことができない状態・・・たぶんみんなそうだったと思います。みんな終始無言で長いエスカレーターを降りていました。

人が死ぬというだけで、悲しい話にもって行くことはできるんだろうけど、そういった死んで悲しい・・という感情もありつつ、それだけでない、深いところで考えてしまう…感じてしまう、重い映画だと思います。

正直最初はひいてみてました。

まず、鶴瓶さん演ずる弟のめちゃくちゃさ。寅さんみたいに笑いだけでは収まらないようなどうしようもなさ…あんな人間いたら、正直迷惑だし、疎まれて当然だと、思いました。

そして、娘役の蒼井優さんが、はまってこないんです。山田洋次の映画は、つくりあげられた自然体という印象があるんですけど、なんか、それがしっくりこないんですよね。もっと、ふにゃふにゃな感じというか、つくらない自然体が彼女の魅力だと勝手に思ってますが、それがどうも、言わされてる感じに思っちゃって…

吉永小百合さんも、無理して関西弁みたいな言いまわししなくてもいいんじゃないかな?と思ったりして…そこまで考えちゃうのは、やっぱり、集中してなくて、ひいてみてたからなんだろうけど・・・

ホスピスの自然さが何となく宗教チックに感じてしまったところもあって、不自然に思えたり、鶴瓶さんが出る前の結婚式のシーンもなんか違う感じがして。

加瀬亮さんの好青年も、山田洋次的好青年って感じがしちゃって、なんとなく違和感が…山田洋次さんの感じている青年像と、ずれがあるのかもしれません。

そんな、違和感の流れの中で、たんたんと、話が進んでいきます。前半だけみたら、終わったかな?とも思いました。寅さんの映像とかも、正直そこまで縛られなくても…・と思ってしまったし…

山田洋次さんの作品で、こんなに否定的に書いたのは初めてだと思いますが…

さて、それで、後半に入ると、なんか、ずっと涙を流していました。大泣しちゃったというんじゃなくて、涙がすこしずつ、とめどなく流れるというか…あまり感情の起伏もなく、自分の頭の中で何が涙を誘ったのかがよくわからないんですけど…なぜか気がつくと涙って感じで…

きっかけは、お姉さんが、弟を追い出したあと、弟の行方がわからなくなり、警察から連絡が来て、お姉さんが大阪まで会いに行こうとする時の娘とのやり取りのところ。新幹線に場面がうつりながら、小春の名前を付けてもらったときのエピソードが語られるわけですけど、あのときの、旦那の話。他の姉妹に踏みつけられて、ずっと褒められないで生きてきたんじゃないかなあ…だから、娘の名前を付けてもらって、ちょっとぐらいへんな名前でも、思いっきり感謝しようと思っていた・・・とかいうセリフのところがズシッと突き刺さったわけです。

そこで、今までのシーンで、おとうとさんに向けてた嫌悪の気持を自分自身も、見透かされた感じがして…まあ、あんな行動されたら当たり前ですが…要は、人の社会の歯車に会わない人間は、みんな邪魔もので、足蹴にしていいのか、考えてしまったわけです。わけへだてなく、みんなを愛せよと言われているんじゃないけれど、自分が今までの生活の中でつくりあげてきたある種の基準というか、常識とか、その場での人のあるべき姿とか、はっきりしないあいまいなもので、みんな人を区別して来てしまったんじゃないかと・・・それは批判というか、ただそうだったんじゃないかと…そうなったときに、そのはじかれた方はどのような思いをして、生きていかなくちゃいかないのかと考えたときに、お姉さんと同じように(かわからないけど)、負い目を感じてしまったんです。

そこから弟さんが死ぬまでの話も、別に劇的なことがあるわけじゃないし、木の聴いたセリフがアクセントになるわけでもないし…と言いながら、重要なせりふはけっこうあるんですが、ここで涙を流してもらいます的なはっきり視聴者の心を代弁しちゃうようなせりふはあえて消してしまったみたいで・・・。そんなたんたんとした市へ向かい流れにの中で、少しだけ最後まで涙が流れていたわけですが…

セリフを言わさないことで、みている側にわからせるテクニックはすごいです。
たとえば、その小春の名前でおじさんを傷つけて死ぬ前に、会いに行かなきゃと、娘を車で走らせ、会いに来させるわけですけど、普通だったら、「あんなこと言ってごめんなさい」なんて言うのが普通の劇ですが、そこをそういうセリフを出さないところに、美しさを感じました。言葉で説明するまでもなく、あれが彼女の引っかかりだとみんなわかってるわけですからね。

危篤だと知らされる電話のシーンも、母親の方に娘がさりげなく手をのせますが、あんなところも美しい映像です。

一緒に行った友達が言ってたんですけど、弟に通天閣を見てみろと言われて窓の方を向くお姉さんのシーンがあるんですけど、そこで通天閣のピントがぼけてたそうです。
そういえば、あの時のお姉さんの窓の方を向く目線の重たい感じがしてましたが、そうだったんですね。そんなの見るような状態じゃないわけで、目線はそこへ向けても、とても、通天閣を見るような気持じゃなかったんでしょうね。それがあのシーンになったんじゃないかと。

薬局の前の坂もいい味出してました。山田さんはああいった小さな駅の傾斜がきつい場所が好きなのかもしれませんね。
あの坂を使っていろんな表現してて、その坂のシーンも面白いです。

そういういろんなことも感じられて、最終的に、いい映画でした。

ヒトラー 最後の12日間

2010年02月10日 | 好きな映画・良かった映画
ヒトラー~最期の12日間~スタンダード・エディション

日活

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ヒトラーの側にいた人たちからの視点で戦争が描かれています。戦争をやる一番遠くにいる人たちが現場の戦争に一番近くなったときに、どういう行動をとるのか。あきらめて酒びたりになる人たちもいるし、最後まで忠誠を誓って自ら氏を選ぶ人もいます。何とか、生き延びようとする人たちも。

恐ろしいと感じたのは、信じ込まされること。根拠のない何かにすがった結果、自分の首をしめることになるわけですが、そこまで追い詰められても、なおヒトラーの力を信じる人たち、ヒトラーとともに命を捨てようとする人たち。子ども達までもが、忠誠のために戦って死のうとします。

最後の本人のインタビューで、「ユダヤ人を大量虐殺したという話をきいたときにショックを受けたが、自分とは関係ないところでおこったことだと思っていた。でも、同じ時に生まれて、自分が秘書になったときに殺された人の銘板を観て、若かったからというのは言い訳にならない。ちゃんと見開いていれば、気づけたはずだ」といっています。

これは、これからの自分達にもいえることで、小泉を支持しました。安倍も支持します。いやいや、民主党です。なんていっていてはいけないと思うのです。
「あの戦争は正しかった」とする靖国神社参拝を公然と行い、憲法、教育基本法を変えようとしている、また戦争をする国にしようとしている人たちが国会で多数を占めている状況の中で、今、自分達は、それを知らなかったでは済まされないのではないかと思いました。
ヒトラーの「国民が自分達を支持したのだから犠牲になるのは当然」といっていた言葉は、「あおっておいてなんだこいつは!」と思いつつも、支持した事実はあるわけで、だからこそ真実を見抜くことができないといけないとも思ったわけです。

にほんも、あの戦争を知らなかったでは済まされないのです。あの戦争の過ちを認めた土台の上に、国際社会の中の自分達の地位があることを知らなければ、無法を繰り返す北朝鮮とまったく同じだと思います。

もう一方で、ただ単にユダヤ人を大量虐殺したとか、戦争犯罪人だとかいう理屈でこの進攻で失った市民の命は仕方のない犠牲となるのでしょうか。
戦争を仕掛けた人たちが死ぬのは勝手に死ねば言いと思うんですが・・・実際には武器を持たない一般市民が一番犠牲になるということをやっぱり考えないといけないと思いました。

人間は、基本的には幸せに長生きしたい。という個人なり家族なりのささやかな願いがあるわけで、それは、どの時代でも、どんな場所でも、どんな家族でも、もっと言うと、どんな地位の人でも同じだと思います。普段はその歯車がきちんと回っているはずなのに、その小さな幸せを飲み込んで歯車を壊していしまうような社会にはしたくないです。

それこそ加害者の地位にいた人でも、子ども達を薬で殺さなくてはいけなかった母親の気持ちというのは相当なものだと思います。

国家の理想とか、正義のための戦争とか、そんなもののためには命をかけたくありません。どうせかけるならささやかな幸せのために力を尽くしたいとそう思いました。命をかけるとはいえませんが・・・

2006-10-28

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ヒトラー57歳と書いてあったと思いますが、もっと年寄りに見えてしまったのは、役者のせいなのか、それとも、当時の57歳はあんな感じだったのか…

最後の12日間、ヒトラーの周りの人たちと一緒にこもっている状態になるわけですが、そこでのやり取りは、なるほど人間なのです。

死を恐れたり、怖さを紛らわすために踊ったり飲んだり…
最後までベルリンを守ろうと命がけで戦ったり…・
ここにいる人たちは、特殊な、悪魔のような人たちが集まった集団ではないわけで…
みんな人間です。ヒトラーも人間です。

問題は、そんな人間が、何であれだけのことをやってしまったのかということです。

ヒトラーは思想で人を殺しました。

ひとりひとりの死はヒトラーにとって、ただの数字でしかなくて・・・
ヒトラーは頭の中で考えたことをただ実行させるだけで、ある意味、鉛筆で書いた間違ったところを消しゴムで消すような作業でしかなかったのではないかなあ…なんて思いました。
相手の立場に立った想像力がなければ、何万人殺そうが、何十万人殺そうが、何百万人殺そうが、そんなものは、ただのデータでしかなくて…

身近な人と接するときの人間的なやさしさがそのまま敵に対してあらわれるわけではなくて、そこは切り替えがされるわけです。
切り替え方は、同じ人間じゃないという切り替えだったり、現場にいなければ感情と関係ないところで容易にその切り替えはできるでしょう。
無感覚になることができなければ、残虐行為は絶対できません。

主人公の女の子も、ユダヤ人の虐殺のことを知らなかったから、そのような人たちの手を貸す側にいたわけで…

知らないということは、ただ何もできないというだけでなくて、恐ろしいことをやってしまうもとにもなってしまうんじゃないかと、そんなことを考えました。

男はつらいよ 葛飾立志篇

2010年02月09日 | 男はつらいよ・山田洋次
男はつらいよ 葛飾立志篇

松竹

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1975年 第16作

んーたまらないです。
教授のふられ方が…ん・・・きついですねえ…
かえってつらい思いをさせて・・・すまなかったね・・・
というセリフがなんか泣かせます。
あんな手紙書かなきゃよかった…いや、それでは、私の気持ちがうんぬんかんぬん…
つらいところですね。
良くわかります。
ふられて後悔しつつも、自分の気持ちを伝えたという一歩前に踏み出した自分に対して、好きっとした部分もあるでしょうし…

でも、この教授もある意味うらやましいのは、旅に出るか・・・で、ふらっと出て行っちゃえる…冬休みだったからかもしれないけれど…そんな逃げ場があるのはうらやましいなあ・・・・ふられて、そのまま一緒に顔を突き合わす…そりゃ地獄ですぜだんな・・・

でも、結局、帰ったら、彼女と会わなければいけないけれどね。仕事場が同じなら、そこから逃げることはできないからね。
ふられて、それで、2人の関係は終わりなの化というと、そうじゃないですもんね。
そこからが始まりかもしれないのに…
結局2人とも、ふられべたなのかもね。人のこと言えないが…

この先どうなるのでしょうか・・・というか、どうなったのでしょうか・・・・

マクラの夢のシーンは、今回はっと思ったんですねど、寅さんの頭の中の理想の寅さん像なのかなって…
妹やみんなが帰りを待っていてくれる。そこに、さっそうと現れる・・・そして、旅立つ時もかっこよく、みんなに惜しまれながら・・・余韻に浸りながら…
そういう2枚目の理想の姿がああやって夢に出てくるんだろうな・・・

そして、また3枚目をやっちゃった…と、逃げるように出て行く寅さん。
でもこっちの寅さん…心に傷を負いながら、旅に出る寅さんの方が、やっぱり好きなんだよなあ…
そっちの方がかっこいいんですよね。

もうこんな気持ち耐えられない!と思うようなことを何度も何度も繰り返しているのに、それでも、恋をしてしまう寅さんが、やっぱり好きなんですよね。

桜田淳子さんのシーンがとても印象に残ります。
見ず知らずの自分を一生懸命励まそうとするとらやの人たち。それもかっこよくないんだけど、そこが人のきれいなところなんでしょうね。
人のために、役に立ちたい。その人の喜ぶ顔が見たい。その手助けをしたい。その気持ちが、とてもうれしいですよね。

淳子さんのお母さんのことを寅さんが家族に話すシーン…普通だったら、回想シーンとなるところを、寅さんの語りだけで、済ませてしまいます。
ここが寅さんシリーズのすごいところで、落語的なんですよね。

言葉だけでみる側に情景を浮かばせて、お雪さんのことも、想像させてしまうわけです。その辺が渥美さんの演技のすごいところだし、それを映像で見せてしまうっていう作り手のすごさもあります。

何気ないセリフがぽっと入ったり、何気ないしぐさとか動きで、次につなげたり・・・そのつながるときも、自然につなげるところがすごい。寅さんがその語りを終わった後に、ちゃぶ台の方に歩いてくるんだけど、その時のさくらの表情と目線がとてもさりげなくて素晴らしいんです。こういう、仕掛けられた自然さがとても、気持ちがいい。いやらしさもないんですよね。
自然にしようとするばっかりに、わけわかんなくなっちゃうのとか、独りよがりになっちゃうのとか、あるけれど、やっぱり、自然な演技とか、自然な撮影というのは、よほど計算されていないとだめなんだろうなと。その計算がないと、計算以上のことができないというか…なんだかわからないですかね?まあ、今日はこの辺でお開きということで…

学問の話も良かったですね。
お雪さんが学問があれば、だまされずに済んだと言っていたこと、それで、最後に、先生の結婚話を聞いても何がなんだかさっぱり分からなくて、学問がなくて悔しいと言った寅さん。学問は己を知ることなんて、理屈で言う見んじゃなくて、感覚で、学問の必要性を感じているところが、泣けちゃいます。

野球しているときに、今年は家にいようかな…というシーンもいいです。寅さんは、やっぱり人並みに幸せがほしいんですよね。腰を落ち着けて好きな人と暮らしたいという…それだけが望みなのに・・・それができないんですよね。周りがそれをバカにするけれど、それって、本当に残酷なことで、なに様なんだよ!と思いつつ…

人を好きになったり、好きな人にふられて、苦しい時って、人間の感情としては、一番その人が美しい時というか、輝いているときなんだろうけど、そんな状態を何度も繰り返すことができる寅さんは、ある意味うらやましい気もしたりして…

でも、そんな寅さんも、ひとりの時にふと思うんでしょうね。落ち着ける家があることの素晴らしさ。家族がそろって家にいることの素晴らしさ。
だから、寅さんはついつい家に帰ってきてしまうんですね。

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寅さんは今回はふられたというのではないけれど・・・結局ふられたのかなあ・・・

寅さんは、もし、プロポーズの話がなかったら、どうしたのでしょうか・・・
れい子さんがとらやにいる間はずっと、今までのように楽しくやっていくのだろうけど、寅さん自身もそれ以上深いところまでいこうと思ってないのかもしれません。深く行く自信が無いか、深く行くのが怖いのか・・・

寅さんが自分にとって「愛」とは何かをいうところがあります。

あーいい女だなあ・・・と思う、
その次には、話をしたいなーっと思う、
ね?その次には、もうちょっと長くそばにいたいなーっと思う、
そのうちこう・・・なんか気分がやわらかーくなってさ、
あーもう、この人を幸せにしたいなーっと思う、
もう、この人のためだったら命をかけてもいい。もう死んじゃってもいい!そう思う。
それが愛ってもんじゃないかい?

ということなんですけど、名台詞です。

寅さんはこのスタンスでいる限り、結局だれともくっつかない気がしますね。
寅さんの愛は、相手に求めるものが無いんだと思います。
話をしたい。幸せにしたい。この人のためだったら死ねる。・・・それを聞けば聞くほど、その愛している対象に近づけなくなるような気がしちゃいます。

彼女にとって、自分(寅さん)がいること自体が幸せだとは絶対考えないだろうからね。遠くから、やさしく見守る感じというのかな・・・ただ、その女の人が幸せそうに笑っているだけで、それだけで寅さんは幸せになれるのです。自分に愛情を注がれることが愛を感じるときではないのです。

寅さんは、本当にその女の人のためなら死ねると思います。ハブにかまれてじゃなくて、女のために死ぬのが寅さんです。でも、寅さんのために女の人が傷ついたり、苦労したり、人生を左右されたり、ということはすごく嫌うのではないでしょうか。好きな女の人を守ってあげたいという思いが、時たま過保護になってしまうときがありますが、それが寅さんなのです。

本当に気持ちがやわらかくなって・・・まなざしが優しくなる・・・自分もそうなりますが、やっぱりそれだけでは自分はダメで、相手の女の人に愛情を注いでほしくなるわけです。寅さんはそれは求めないのです。一方通行なんです。

ふられるというより、はなからくっつこうなんて思ってないんじゃないのかな・・・今のこの生ぬるいやわらかい気分でいることが寅さんは好きなんでしょう。一緒になるということは、それだけではすまないことでもあります。

礼子さんがプロポーズをされたことを寅さんに告白したあとに寅さんが、何を言ってるのか解らなくてこたえてあげられなかった・・・って泣くんですよね。ふられたことがショックなんじゃないんです。好きな彼女が悩んでいてあがいているのをどうしようも出来なかった自分の非力さをくやしがって泣くんです。笑っていない彼女を見るのがつらかった・・・それをどうしようも出来ない・・・そのとき、寅さんは、彼女にとって、自分の存在は必要ないものだと・・・勝手に思い込んじゃうんでしょうね。

2008-11-19

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寅さんが礼子さんからプロポーズされた相談を受けたときに、それを後押しするような行動をとるのかな?と思ったら、そのまま両方ふられちゃうなんて・・・

ただ、ゆっくり時間をかけて考えれば2人はうまくいくのではないでしょうかね。そこで結論を出さなくてもいいと思うのだが・・・そういう方向にもっていって行かないところがまたその人の相手に迷惑をかけたくないとか、自分の無様さから逃げ出したいとか、そういういろんな思いが・・・恋愛が苦手であれば余計そうです。真剣であればあるほど逃げたくなっちゃうのって・・・わかります。そういう人ばっかりじゃないだろうけどね。

(2008-01-04)

ヒットラー

2010年02月07日 | 映画 は行
ヒットラー <2枚組BOX> [DVD]

エスピーオー

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現代では、the rise of evil と書いてあります。

英語なのは気になりますが・・・
この前見た、プロパガンダ映画「意思の勝利」にちょうどつながったので、ヒトラーが、どのようにその独裁体制を敷いていったのかがよくわかりました。
いまでこそ、何でそんな過激なことが、国民の支持を獲てしまうのかと思ってしまいますが、実際には、独裁体制が確立されるまでにも、反対勢力の弾圧なども、かなりやられたんでしょうね。
「意思の勝利」では、大統領のヒンデンブルグの死を追悼する場面もありますが、こういうことだったんですね。

ヒトラー暗殺計画 ワルキューレ作戦

2010年02月02日 | ほか
ヒトラー暗殺計画 ワルキューレ作戦 [DVD]

ジェネオン エンタテインメント

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映画じゃないですけど・・・
この中に映像でも、意志の勝利の映像は使われていますね。
ナチスの軍部の中にも、矛盾があって、敗戦色が強くなってくると、こうした形で噴出していくんですね。

この前映画化されてましたが、その時はただの乗っ取り的な印象でしたが、ここの説明では、もうちょっと、正義感を感じました。

意志の勝利

2010年02月02日 | 映画 あ行
意志の勝利 [DVD]

是空

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1934年に行われた、ナチスの党大会を記録した映画です。その意図は、プロパガンダなわけです。
完成度の高さとか、当時ではとても斬新な撮影方法とか、内容の意図はどうであれ、映画として、芸術作品としてみたときに、歴史に残る名作みたいに言われていたので、思わず飛びついて買ってしまいました。

最初に観たときに、薬のせいもあって、途中でうとうとしてしまいました。

芸術的なすごさとそういう点では何もコメントできるものは自分は持ってませんけど、ヒトラーに対する、国民の熱狂ぶりがすごいです。
演出とかではなくて、本当に、国民の熱い視線がヒトラー一人に向けられているのです。「独裁」というのは、こういうことなのか…と思ったりもしました。事実この時期にヒトラーの独裁体制は確立されたのでしょう。

「ヒトラーの意思は、国民の意思」、「ヒトラーはドイツ」・・・といった感じの映画の中で出てくる言葉は、ただ、ヒトラーを礼賛しているというだけでなく、党の熱い期待として、ヒトラーに向けられている言葉のようにも感じました。そして、その熱い期待は、パレードの両端を埋め尽くす国民の期待でもあるのでしょう。

かなり違和感があります。党大会でいろんな人が、個人に対してこれだけの美辞麗句を並べ立てて、聞いてて気持ちが悪くなります。でも、この映像の中の人たちには全く違和感がないのでしょうね。
そういう状態って、当時の日本とか、現代の政治もやっちゃうどこかの宗教団体とか、そんな自分の身近なところにも、実はあったりするんじゃないかと。そんなことも思いました。

人はそれぞれ別の意思を持った生き物ですけど、その個人の意思と思っているものは、案外簡単に支配されちゃうってこともあるのかもしれないなあ…と、そんなことも考えました。

あの小泉首相の時の熱狂ぶりとか考えると、国家が国民の意識を操作することも一定可能だとも思います。

でも、ヒトラーの支配体制は、そのあと10年ぐらいで崩壊しちゃうわけで、やはり、国民を押さえつける国家の力というのは、その時は絶対的であっても、必ず国民の本当の意思に反している以上、必ず崩壊するということです。

国民が期待して誕生した政権は、国民に対する裏切りを続けていては、必然的に崩壊します。

意志の勝利…最終的には、国民の意思がヒトラーを打倒したともいえるのかもしれません。戦争で負けたとかではなくて、必ずその矛盾というのは、国家の体制のゆがみとか、ひずみになって、それが収集つかなくなって噴き出すときが必ず来ますからね。
ソ連の崩壊もそうだし、自・公政権の退場もそうでしょう。

おまけのブックレットには、津川雅彦のくだらない文章がのっていますが、日本の侵略戦争が正しい戦争だったというのが日本で平気で語られちゃうところに、日本の遅れを感じます。
表現の自由なんて言葉を使っていますが、事実をねじ曲げたものを表現するというのは、自由というより、ただの無秩序というか…
そして、そういう人に限って、反対の意見を排除しようとするんですよね。そもそも自由のない、侵略国家だった日本を、正しいと思い込んでいる時点で、そういう表現の自由を本当に実現しようと思っていない証拠だと思うけれど…
こういう人たちの主張は、ただ言葉を並べ立てるだけで、自分の言葉に責任を持たず、検証することもせず、ただ、言い放つだけ。って感じがします。
この人の言う文化国家というのは、他国の文化を壊し、自国の文化を規制することなのだろうか…
いい加減、他虐史観の考え方から抜け出さないと、日本が本物の文化国家にはならないんじゃないかなあ…でも、この人たちには無理ですね。事実を検証することができないから。検証しないことでやっと生き長らえる人たちだから。大東亜戦争の意思の勝利は未来永劫あり得ないでしょうね。

一回見た後に、歴史学者の解説のやつをちょっとだけ見ましたが、それがなかなか面白いです。

映像の意味なんかを話してくれるんです。たとえば、最初の飛行機で降りてくるシーンは、救世主が空から降りてくるという構図なんだとか、ヒトラーを前面に押し出すために、画像では、ヒトラーは一番大きく映るようにしているだとか、ヒトラーの嫌いな旗はうつっていないとか、最初を見ただけでも結構楽しめました。