何か特別なことが起こるわけではなく、詩人と若者(?)と、女の子の交流が描かれています。
特別なことが起こらない・・・日常的な生活の中で、若者にとっての詩人と詩との出会いや、詩人にとってのこの町と若者との出会い、女性にとっての若者との出会いは特別なことでした。
だれもがこのようなその人にとっての一生の思い出、人生を変えた一ページがあるのかもしれません。それは、何か劇的なことが起こるということではなくて、日常の中にそれがあるのでしょう。
詩のもつ力、人間のインスピレーションというのはすばらしい。あの女性が、最初はつんけんしてたのにもらった詩を大切に持っていて、あんな表情で喜べるなんて、すばらしいですね。
主人公は、だめだめなやつなんだけど、詩人との出会いで大切なものをいろいろもらった。最後の録音のシーンはとても印象的です。
これも、詩的なんですね。音で映像を頭の中に描く。波の音とか、そして、感動は、夜空に向けてマイクを向けるところです。その静けさ自体が音であり、その無音の中に映像が描かれるわけです。
この男の俳優さんは、心臓の病のなかでこの映画を撮ったとのことで、撮影終了した後に、41歳で亡くなったとききました。
自分も41歳を前にして、心臓で倒れて、退院後にたまたまこの時点で見たのは、何かの縁かもしれません。
あと、ネルーダについては残念ながら何も知りません。
一つだけ強烈に印象に残っているのは、実家の本棚に、ネルーダ最後の詩集という分厚い本があったことです。最後の・・っていうのがとても印象的で、ネルーダという人の名前はそれで記憶に残っています。でも、それだけなんです。
イタリアでの当時の共産党の強さがこんなところにも出てるのかなと、思いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ネルーダ,パブロ
1904年チリのパラル生まれ。チリ大学在学中に出版した『二十の愛の詩と一つの絶望の歌』により、中南米の有望な詩人として認められる。27年外交官となり、34年赴任したスペインでロルカ等と親交を結び、内戦では人民戦線を支援して『わが心のスペイン』を書く。45年上院議員に選出され、共産党に入党。48年独裁色を強める大統領を非難、逮捕命令が出たため地下に潜伏しながらアメリカ大陸の文化、地理、歴史、世界の階級闘争を包含する一大叙事詩『おおいなる歌』を執筆。49年亡命、52年帰国。70年世界初の民主革命政権の樹立に尽力、同政権下のフランス大使として赴任。71年ノーベル文学賞受賞。癌のため、帰国し療養中の73年9月、クーデター勃発、軍部監視の下、死去。伝統詩、ヘルメス主義、シュールレアリスモ、プロパガンダなど多彩な主張とスタイルが混在する豊かでスケールの大きな作品群により、20世紀最大の詩人と評価されている