3/20に、京都府与謝郡与謝野町にある加悦SL広場で展示中の旧国鉄の除雪車キ100形を撮りました。
1枚目は、構内で展示中のキ165の前部のラッセル部側です。
除雪車自身は自走のための動力を持っていませんが、機関車の前方に連結されるため、運転席のような前面窓、前照灯が設けられています。
2枚目は、キ165の機械室側です。
機械室屋根には機関車から送られてくる、左右の除雪翼を動作させるための圧縮空気を溜めておくエアタンクが6個設置されています。
3枚目は、車体側面に掲示されている「鉄道省 土崎工場 昭和13年」の製造銘盤です。
4枚目は、車内の様子を機械室側から運転台に向かって撮りました。
5枚目は、除雪翼を動作させるための空気シリンダです。
運転台に向かうのに、空気シリンダを跨ぐ板の上を歩いて行くのに驚きました。
6枚目は、乗務員の暖房用のダルマストーブです。
7枚目は、表面に付着した水滴や雪などを振り飛ばし、乗員の視界を確保するための旋回窓です。
8枚目は、運転台の除雪翼操作レバー 類です。
キ100形は、当時の鉄道省で初めての単線用鋼製ラッセル除雪車として、1928(昭和3)年から、戦後の国鉄時代の1956(昭和31)年にかけて176両が製造されました。
途中で単線用木製ラッセル車キ400形から、18両から鋼体化改造されて増備されてます。
除雪車の主力として全国の降雪地帯で使用されましたが、除雪列車の近代化と経費削減のためにラッセル式除雪装置の付いたディーゼル機関車DD15形、DD21形、DE15形の増備、機械扱いの排雪モーターカーの普及により引退が進みました。
1987(昭和62)年の国鉄分割民営化までに大半の車両は引退し、JR北海道に2両だけ継承されました。
これら2両も1989(平成元年)に引退しています。
キ165は1938(昭和13)年に秋田県の鉄道省 土崎工場で製造されました。
主に山陰方面で活躍し、1981(昭和56)年に国鉄より借用して旧加悦駅構内に展示されました。
1985(昭和60)年の加悦鉄道廃止後は、引き続いて加悦SL広場に展示されています。
1枚目は、構内で展示中のキ165の前部のラッセル部側です。
除雪車自身は自走のための動力を持っていませんが、機関車の前方に連結されるため、運転席のような前面窓、前照灯が設けられています。
2枚目は、キ165の機械室側です。
機械室屋根には機関車から送られてくる、左右の除雪翼を動作させるための圧縮空気を溜めておくエアタンクが6個設置されています。
3枚目は、車体側面に掲示されている「鉄道省 土崎工場 昭和13年」の製造銘盤です。
4枚目は、車内の様子を機械室側から運転台に向かって撮りました。
5枚目は、除雪翼を動作させるための空気シリンダです。
運転台に向かうのに、空気シリンダを跨ぐ板の上を歩いて行くのに驚きました。
6枚目は、乗務員の暖房用のダルマストーブです。
7枚目は、表面に付着した水滴や雪などを振り飛ばし、乗員の視界を確保するための旋回窓です。
8枚目は、運転台の除雪翼操作レバー 類です。
キ100形は、当時の鉄道省で初めての単線用鋼製ラッセル除雪車として、1928(昭和3)年から、戦後の国鉄時代の1956(昭和31)年にかけて176両が製造されました。
途中で単線用木製ラッセル車キ400形から、18両から鋼体化改造されて増備されてます。
除雪車の主力として全国の降雪地帯で使用されましたが、除雪列車の近代化と経費削減のためにラッセル式除雪装置の付いたディーゼル機関車DD15形、DD21形、DE15形の増備、機械扱いの排雪モーターカーの普及により引退が進みました。
1987(昭和62)年の国鉄分割民営化までに大半の車両は引退し、JR北海道に2両だけ継承されました。
これら2両も1989(平成元年)に引退しています。
キ165は1938(昭和13)年に秋田県の鉄道省 土崎工場で製造されました。
主に山陰方面で活躍し、1981(昭和56)年に国鉄より借用して旧加悦駅構内に展示されました。
1985(昭和60)年の加悦鉄道廃止後は、引き続いて加悦SL広場に展示されています。