ケルンのヴァルラフ・リヒャルツ美術館にはレンブラント晩年の自画像がある。中央には勿論レンブラントなのだが、左手に背の高い人の姿を見ることができる。これが誰なのかはいまだに謎らしい。
この左の人物は、サーベルを腰から下げているようにも見えるし、レンブラントも「ほな、さいなら」とうっすら微笑んでいる(本当に関西弁風なのである、その微笑が)し、なんだか死神みたい、と思った。作成年(1662/63年)から彼の死(1669年)まで数年あるので、違うようにも思うが。
それにしても、この自画像の美しいことといったら。若い頃の作品のような緻密な装飾はないものの、首からかけられたストールが、茶系でまるで美しい木目-ヴァイオリンの木目-のように見えなくもない。
ただの絵の具とカンバスが、レンブラントの手にかかって絵画という芸術品になった。ただの木と膠が、ストラディヴァリウスの手にかかってヴァイオリンという芸術品になったように。時には同じ素材がゴミになるのに、不思議だ。
もし、この絵かストラドかどちらか選ばなければいけなかったら、どちらを選ぶだろう(でたでた、非現実的「究極の選択」)。ストラドもいいけれど、近所迷惑になるかなぁ。でも、レンブラントの絵は、見惚れて会社に遅刻するかも。
相変わらず絵の前で、とらたぬ(=取らぬ狸の皮算用)以前のおめでたい空想を繰り広げた、幸せな土曜日の午後。