モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

多数に従って

2020-05-24 15:29:34 | 旧約聖書
「あなたは多数に従って悪を行ってはならない」出エジプト23:2

「民の声が正しいことに反する事柄を望むのは稀であるが、
民の少数が正しくないことを求めるのは度々ある」モーサヤ29:26

その少数の集団に入れば”みんなと一緒”的な意識になるのかも知れません。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というジョークが昔ありました。

”炎上”という言葉をネット上で聞くことがあります。
全体から見ればそれは少数の人々の意見が発端なのですが、
まるで大多数の意見のように誤解され、正確な情報もないままに、
その意見に誘導されていることがあるように見えます。

「もしも民の声が罪悪を選ぶ時が来れば、
それは神の裁きがあなたがたに下る時であ…る」モーサヤ29:27

良心を欠いた”多数決”が過ちを選ぶことは昔の時代からあるようです。
民主々義がもてはやされる現代において、注意すべきことかも知れません。
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主の傷跡

2020-05-24 12:02:22 | 教義と聖約
「わたしの脇を突き刺した傷跡と、わたしの手と足にある釘の跡を見なさい」教義と聖約6:37

主の傷跡を見るとき、わたしたちは心に何を思い、感じるでしょうか。
その痛みを思うでしょうか。

捕らえられ、鞭打たれ、十字架上で死に至るまでの苦しみでしょうか。
何のために、誰のためにその傷跡があるのかを思い起こすのでしょうか。

或いは、自分の救いのために主がどれだけの犠牲を払ったのかを思い、
その愛に心からの感謝をし、主に忠実であろうと心に誓うのでしょうか。

人それぞれに色々な思いがあると思います。
それがその人の主に対する信仰を表しています。
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主を仰ぎ見る

2020-05-24 05:53:58 | 教義と聖約
「あらゆる思いの中でわたしを仰ぎ見なさい」教義と聖約6:36

主に対する喜びが心にあるとき人は”主を仰ぎ見て”います。
主を仰ぎ見るときにわたしたちは主の足跡を見分けることでき、それを辿ることができます。

何かに対して喜ぶとき、その喜びが大きいほどに心の中はそのことでいっぱいになり、
そのことを忘れると喜びも去って行きます。

祈りの中で感謝をするのは、心からの感謝には喜びが伴い、
その喜びによって主を仰ぎ見ることができるからです。

この世にあるすべての善いものはキリストの賜物であり、
そのことを認めるなら「あらゆる思いの中で主に感謝する」ことができます。
それはつまり”主の創造の業を認める”ことでもあります。
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