モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

啓示

2020-05-10 18:33:06 | 福音について
啓示を受ける方法は色々とあります。

よく行う方法は、朝出かける前に手帳に心に浮かんだことや聖句を一つ書いて、
思い出すたびにその言葉を見て心に考えます。

それを繰り返すときに”心に浮かぶ思い”を神からの啓示と信じることができるなら、
楽しめるし、時には”新しい教えや導き”を受けることもできます。

或いは「思いつくものを次々と連想して行く」ときに御霊の導きを受けることがあります。
例えば聖餐の祈りから、御子の体の記念 → 主は地上で肉体を受け → わたしも今肉体を受け
→ 何のために → 人生の目的 → … → 昇栄すると御霊によって生きる

「この世では血によって生きているが、次の世では御霊によって生きる」と言われています。
聖餐の祈りは「体と血から始まって、御霊を受けるに至る」ための方法を教えています。

といった具合に、御霊の導きと啓示によって理解が与えられることも珍しくありません。

聖典を読むときに啓示を受けなければまったく面白くないし、
福音を学んでも啓示が伴わなければ得るものはないかもしれません。
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賜物

2020-05-10 17:43:46 | 教義と聖約
「あなたがこうしなければ…わたしはあなたに託したものを取り上げる」教義と聖約5:31

主の賜物(託されたもの)には何があるでしょうか。
主の業において人それぞれに役割が違うように、主の賜物も人それぞれです。
自分に与えられている賜物を知ることは信仰生活の励みとなるでしょう。

主の賜物には必ずそれを受けるための条件があります。
その条件に従わなければ賜物を維持することはできません。

「良い忠実な僕よ…あなたは…忠実であったから、多くのものを管理させよう」マタイ25:21
条件を満たすなら賜物は増し加えられ、喜びも増えるということでしょうか。

「持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、
持っていない人は持っているものまでも取り上げられる」マタイ25:29

”神の公平”を理解できなければ、このことは不公平に感じられるようです。
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誤りを認める

2020-05-10 12:04:55 | 教義と聖約
「へりくだり…誤った事柄を…認め…戒めを守ると聖約し、信仰を働かせ…」教義と聖約5:28

自分の誤りを理解して、それを認めるのは難しいものです。
聖典には預言者から誤りを指摘されても受け入れることができず、
腹を立てる人々の話が至るところに登場します。

イエスの言葉に怒り、彼を十字架につけた人々も同様です。
現代でも「主の教えを受け入れ自らの誤りを認める人は少ない」と言えます。

自らの誤りを認めることのできるのは、主の前にへりくだる人であり、
そのような人は主の戒めを守り、信仰を働かせて日々の生活を送ります。

主の前にへりくだる心があることは、
自分の誤りを認めて受け入れ、悔い改めることで判ります。
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聖約

2020-05-10 08:54:53 | 教義と聖約
「彼がこれを拒めば、彼が以前にわたしと交わした聖約を破ることになる」教義と聖約5:27

聖約を守ることができるならキリストの贖いに頼る必要はありません。
すべての人は聖約を守ることができないので主の救いを必要としています。

バプテスマを受けるときに主に従うことを誓ったので
主の言葉を拒むなら、それは聖約を破ることになるでしょう。

聖約を破れば罰を受けるかもしれないし、懲らしめもあるかも知れませんが、
赦されないということではなく、そのために主の贖いが備えられているのです。

聖約を守るつもりがないなら贖いを受けることはできません。
そのような人は”贖いの条件である悔い改め”をするつもりもないでしょう。

聖約は何のために与えられるのでしょうか。
聖約に従うために努力することによって人は成長します。
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