モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

主の方法

2020-12-27 07:22:59 | 総大会
キリストの福音と調和した生活を送り、…そうして初めて「人知では到底測り知ることのできない神の平安」を得ることができ…「心と思いとをキリスト・イエスにあって守る」ことができるのです。
(あらゆる思いの中でキリストを求める   ソアレス長老)

「キリストの福音と調和した」行いこそが‟主の方法”ではないでしょうか。

幸せな生活のためにお金は必要です。
しかしお金があっても、その使い方を誤っていたとしたら、
お金は幸せになるための役に立っているでしょうか。

福音は幸せをもたらすためにあります。
福音による幸せを得るには、主の言葉と共に、
‟主の方法”を知り、それに従う必要があります。

福音を学び、信仰を働かせ、選び、備え、行動するときに、
それは「キリストの福音と調和した」行い、
‟主の方法”である必要があります。
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試し

2020-12-27 07:20:24 | 福音について
御霊に頼って生きようとする人にとって、‟心の平安と御霊を失わせること”があるなら、
それはすべて「試し」かも知れません。

寒さで布団から出ることが億劫に感じられたとしたら…
何かの出来事で気持ちが落ち込んだとしたら…
なんとなく気持ちが落ち着かないとしたら…

そんなことでさえも、心の平安を失うとしたら、それは試しに成り得ます。
心の平安と御霊を保つために、どのように備えることができるでしょうか。

「そんなことを考えること自体が試練に思える」何て言われると、困るのですが…
それさえもあり得ることです。
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主の方法

2020-12-26 06:36:04 | 福音について
ある夫婦は言い争うときに互いが聖典を持ち寄って、
「ここにこう書いてある」と互いに言い合うのだそうです。

ビショップは二人にこう言いました。
「それは確かに主の言葉かも知れませんが、主の方法ではありません」

福音は人を幸せにするものですが、
そのためには‟主の言葉”を‟主の方法”によって用いなければなりません。

わたしたちはこう問いかける必要があるかもしれません。
「これは主の方法ですか?」
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平安と平穏

2020-12-26 06:33:14 | 総大会
混乱のときには…信仰が…限界まで試され…恐怖心…が…神の慈しみを忘れさせ…ることもあります。しかし…信仰が…強められるのは、このような…時です。

救い主は嵐がわたしたちの周りで激しく吹き荒れ、大波がわたしたちの希望を沈ませようとしている時であっても、平安と平穏を感じる方法を教えてくださっています。
(静まれ、黙れ   ハークネス姉妹)

「平安と平穏を感じる方法」とはどのようなものでしょうか。
それは「主の方法」に通じているかもしれません。

「平安と御霊を失わなければ、あなたに損失はない」
これは主の言葉でしょうか。
そうであるとすれば、そのために何ができるでしょうか。
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祈り

2020-12-25 05:58:00 | 総大会
祈りはわたしたちを高め、人々や家族、教会、世界を一つにします。…慰めを与え…何をすべきかが分かるように導いてくれます。
(たえず目を覚まして祈っていなさい   バラード長老)

祈りは何をもたらしてくれるでしょうか。

祈らなくても、一日は始まります。
祈っても、周囲の出来事は何も変わらないように思えるかもしれません。
それでも、祈ることによって自分自身は確かに変わります。

そのことに気付けば、戒めや義務としてではなく、自らの望みによって祈るようになります。
いつでも、どこにいても、いつの間にか、祈っている自分に気付くことでしょう。
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