月の瓶詰~ブログ版~

こぼれゆく時の欠片を瓶詰に。

『もの食う人びと』に思うこと。

2012-01-08 13:43:29 | モノガタリ
ノンフィクション、ドキュメンタリー、ルポルタージュ。
そういう類のものが、どうも苦手である。
大上段に構えて正論を言われると、内心至極ごもっともと思ってはいても、
「でもさあ…」
と反論したくなってしまう。要は、天の邪鬼なのである。

そんな私が、ひょんなことから
辺見庸さんの『もの食う人びと』(角川文庫)を読むことになった。
「ひょんなこと」の正体は『日経エンタテインメント!』2011年9月号にあるのだが…。

それはともかく。
裏表紙の「ルポルタージュの豊潤にして劇的な革命」という宣伝文句に
おののきつつ読み始めたところ、この本はまったく説教臭くなかった。
そこには、ただただ「この世」が広がっているばかり。

この本が書かれたのは90年代。
時は流れ、様々な変化があったはずだが、
今とあまりに似ていてぎょっとさせられることしばしば。
20世紀と21世紀とは地続きなのだ…と、当たり前のことを考えた。
何だか、努めて気付かないふりをしてきた
積もり積もった宿題を、ぐいっと突きつけられたような思い。
…宿題って、増えていくんだなあ。
まあ、感心している場合ではなく、少しでも片付けなければならない訳だが。


もっと、目の前の世界に目を凝らさなければ。
耳を澄まさなければ。頭を働かせなければ。
そして、動かなければ。


しかし、宿題を宿題のまま抱えておくというのも、なかなか難しいことなのだなあ。
すぐ他人事にしてしまう。切実さが風化していってしまう。
…とはいえ、まさか宿題を次の人達へ丸投げという訳にもいかず。

答えはない、というのが答えだとしても、答えは探し続けたい。
答えがどこかにあることを信じて。
…って、何だか説教臭い感想になってしまったなあ。