ノンフィクション、ドキュメンタリー、ルポルタージュ。
そういう類のものが、どうも苦手である。
大上段に構えて正論を言われると、内心至極ごもっともと思ってはいても、
「でもさあ…」
と反論したくなってしまう。要は、天の邪鬼なのである。
そんな私が、ひょんなことから
辺見庸さんの『もの食う人びと』(角川文庫)を読むことになった。
「ひょんなこと」の正体は『日経エンタテインメント!』2011年9月号にあるのだが…。
それはともかく。
裏表紙の「ルポルタージュの豊潤にして劇的な革命」という宣伝文句に
おののきつつ読み始めたところ、この本はまったく説教臭くなかった。
そこには、ただただ「この世」が広がっているばかり。
この本が書かれたのは90年代。
時は流れ、様々な変化があったはずだが、
今とあまりに似ていてぎょっとさせられることしばしば。
20世紀と21世紀とは地続きなのだ…と、当たり前のことを考えた。
何だか、努めて気付かないふりをしてきた
積もり積もった宿題を、ぐいっと突きつけられたような思い。
…宿題って、増えていくんだなあ。
まあ、感心している場合ではなく、少しでも片付けなければならない訳だが。
もっと、目の前の世界に目を凝らさなければ。
耳を澄まさなければ。頭を働かせなければ。
そして、動かなければ。
しかし、宿題を宿題のまま抱えておくというのも、なかなか難しいことなのだなあ。
すぐ他人事にしてしまう。切実さが風化していってしまう。
…とはいえ、まさか宿題を次の人達へ丸投げという訳にもいかず。
答えはない、というのが答えだとしても、答えは探し続けたい。
答えがどこかにあることを信じて。
…って、何だか説教臭い感想になってしまったなあ。
そういう類のものが、どうも苦手である。
大上段に構えて正論を言われると、内心至極ごもっともと思ってはいても、
「でもさあ…」
と反論したくなってしまう。要は、天の邪鬼なのである。
そんな私が、ひょんなことから
辺見庸さんの『もの食う人びと』(角川文庫)を読むことになった。
「ひょんなこと」の正体は『日経エンタテインメント!』2011年9月号にあるのだが…。
それはともかく。
裏表紙の「ルポルタージュの豊潤にして劇的な革命」という宣伝文句に
おののきつつ読み始めたところ、この本はまったく説教臭くなかった。
そこには、ただただ「この世」が広がっているばかり。
この本が書かれたのは90年代。
時は流れ、様々な変化があったはずだが、
今とあまりに似ていてぎょっとさせられることしばしば。
20世紀と21世紀とは地続きなのだ…と、当たり前のことを考えた。
何だか、努めて気付かないふりをしてきた
積もり積もった宿題を、ぐいっと突きつけられたような思い。
…宿題って、増えていくんだなあ。
まあ、感心している場合ではなく、少しでも片付けなければならない訳だが。
もっと、目の前の世界に目を凝らさなければ。
耳を澄まさなければ。頭を働かせなければ。
そして、動かなければ。
しかし、宿題を宿題のまま抱えておくというのも、なかなか難しいことなのだなあ。
すぐ他人事にしてしまう。切実さが風化していってしまう。
…とはいえ、まさか宿題を次の人達へ丸投げという訳にもいかず。
答えはない、というのが答えだとしても、答えは探し続けたい。
答えがどこかにあることを信じて。
…って、何だか説教臭い感想になってしまったなあ。