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バッファロー・ネイバルパークふたたび

2024-07-09 | 博物館・資料館・テーマパーク

今日からエリー湖畔の海軍博物館、バッファローネイバルパークに展示された
海軍艦の紹介シリーズをじっくりと進めていこうと思います。

■再開したバッファローネイバルパーク

2021年の冬、ピッツバーグに滞在したときに、
大学がクリスマス休みに入ったMKとナイアガラまで一泊旅行をし、
その途中に旧海軍艦艇が見学できる場所があるのを知りました。

早速帰りに立ち寄ることにしたのですが、
当時はコロナ禍真っ最中だったこともあって、休止していたので、
車を停めて、歩道から艦艇の写真を撮るに止まりました。

真冬の五大湖のほとりは雪と氷で覆われ、ほとんど人無人の歩道は凍結し、
何度か氷に足を取られて転びそうになりヒヤヒヤしながら歩いたものです。
しかし、ここは本来であれば年中無休で、冬季も公開しており、
この時は非常事態宣言を受けて特別だったのだと後から知りました。

2022年、アメリカはすっかり自粛も解けて社会が平常に戻っていたため
我々はシカゴからアメリカ入りしてピッツバーグまで車を運転し、
道中、五大湖沿いの海軍博物館を訪ねるという計画を立てます。

シカゴの科学産業博物館でU-505の見学に始まり、
マスキーゴンの潜水艦「シルバーサイズ」、
同じくマスキーゴンの揚陸艦LST-393、
ヒューロン湖沿いに係留されていたベトナム戦争時代の駆逐艦「エドソン」、
そしてエリー湖のここバッファローネイバルパークが
この壮大な「海軍艦船を訪ねる旅」の最終地となりました。

バッファローネイバルパークはバッファロー市の都市再生庁が
海軍省と協力して寄贈された海軍艦を集め展示している海軍公園です。

地元の開発公社などが加わり、都市活性のための整備を行いました。





この日の朝、わたしはオハイオ州クリーブランドのホテルで目覚めました。

クリーブランドはエリー湖の南岸にあり、
ペンシルバニア州との境からは100キロの距離にあります。

写真一番左の建物はクリーブランドのシンボルタワー、
駅の上にあるため「ターミナルタワー」と名付けられたもので、
1930年に完成し、1991年までは一番高かった(52階建)そうです。

ここクリーブランドからエリー湖沿いにインターステート90を
およそ3時間走ると、そこにバッファローネイバルパークがあります。

ちなみにボストン在住時、この州間高速道路90にお世話になりましたが、
この道路は世界でもっとも距離が長い高速道路として知られます。

映画「グッドウィル・ハンティング」は、主人公のマット・デイモンが

ボストンからこのI-90で西を目指し走る車のシーンで終わりますが、
I-90はオハイオ州から五大湖に沿ってその後イリノイ州、ミネソタ州、
最終的には西海岸のワシントン州までほぼまっすぐ続きます。



コロナの時には近くの道路に停めましたが、今回はそうもいかず。
パーキングはアプリを入れてオンラインで支払うものしかなく、
しかもこれが外国人にはとても使いにくいものでした。



潜水艦「ボストン」のセイルの横に、案内板がありました。
ネイバルパークの全体地図が示され、説明が添えられています。


変わりゆく水辺 Changing Waerfront

今ここにいるあなたの目にみえているのは
元々はエリー運河の西の終点だったスリップ全盛期には、
この地域は、運河、湖上、そして陸路の鉄道交通が行き交い、
主要な交通の中心地の 1 つとして、
世界中から人や物資が集まる賑やかな港でした。


バッファローリバーからダウンタウンを臨む

コマーシャル・スリップ(Commercial Slip)

この水路はエリー運河の西の終点を示し、
1825 年から 1918 年までは五大湖上流への玄関口でした。

20世紀のほとんどの間、水路は雨水管として地中に埋まっていましたが、
歴史的な遺跡から回収された石を使用して再建されました。

その他ウィップルトラスと言われる様式のアーチ橋、
付近に残る当時の建物、そして埠頭。


エリー湖に流れ込むバッファロー川は、このように夏には
水辺を楽しむボートや水上バイク、カヌーが賑やかに行き交います。

ここにあらたに加わったバッファローのランドマーク、
それがナーバル アンド ミリタリー ミュージアムです。

ここには巡洋艦「リトルロック」駆逐艦「サリヴァン」、
潜水艦「クローカー」
などの「フローティングヒストリー」以外にも、
航空機やボート、戦車などの展示が人々を引き寄せています。

中にはこんな展示も・・。

■ 潜水艦 USS「ボストン」


ここでも何度かご紹介している潜水艦「ボストン」のセイル部分。
見覚えのない新しい金のプレートが艦体に追加されていました。


ありし日の「ボストン」



USSボストン SSN703

マサチューセッツ州の首都にちなんで命名された7番目の米国軍艦

就役日:1952年1月30日 退役日:1999年5月19日

コネチカット州グロトン
ゼネラル・ダイナミクスエレクトリックボート部門により建造

歴代指揮官

1982/01-1932/08 COR J. マイケル・バー USN
1982/08-1585/07 CDR H リーブス・アデア USN
1985/07-1988/08 COR ウィリアム J. リッター USN
1988/08-1991/05 CDR ジョン P. ジャラバク USN
1991/06-1993/06 CDR ピーター A. スカラ USN
1993/06 -1994/11 COR ウィル・H・ジョーダン USN
1994/11-1997/04 COR クリストファー・A・クライン USN
1997/04- 1999/11 CDR デビッド A. オリヴィエ USN

それまでの「ボストン」

誘導ミサイル巡洋艦 CAG-1 1955-1970 
重巡洋艦 CA-69 1943-1946 
防護巡洋艦 1887-1940
スループ 1826 ~ 1846 年
フリゲート艦 1799-1814
フリゲート艦 1777-1780
ガンダロウ 1770-1776

1776年から明日へ

メリカ海軍艦艇に「ボストン」と名付けられたものは8隻あります。
今のところ最新の「ボストン」は、ここにセイルのある
「ロスアンゼルス」級原子力潜水艦であるわけですが、
最古の「ボストン」は1770年、米英戦争に出撃した「ガンダロウ」です。

Gundalow「ガンダロウ」とは、アメリカの一部でかつて見られた
一種の平底の帆船のことです。
今では観光用にごくわずかなガンダローが操業しています。



初代「ボストン」

「1776年から未来へ」というのは、おそらく今後も
「ボストン」の名を持つ海軍艦は登場するでしょう、ということです。


前回写真が撮れなかった説明がなんとか見られるようになりました。

USSボストン (SSN-703)

USS 「バッファロー」 (SSN-715) の姉妹船である 
USS「ボストン」 (SSN-703) の実際の司令塔「セイル」です。
USS 「バッファロー」は現在も就役しており、グアムを母港としています。

歴史
USS「 ボストン」は「ロサンゼルス」級攻撃型潜水艦で、
1978 年 8 月 11 日にコネチカット州グロトンの
ゼネラル ダイナミクス社のエレクトリックボート部門で起工されました。

1980 年 4 月 19 日に進水。
1982 年 1 月 30 日に就役。 1999 年 11 月 19 日に退役し、
同時に海軍登録簿から抹消されました。

最終処分
「ボストン」は2002年1月1日、ワシントン州ブレマートンの
ピュージェットサウンド海軍工廠において、NPSSRP
(原子力艦&原子力潜水艦リサイクルプログラム) により処分されました。

スペック
水上:6000t、水中:6927t、
全長;110.3 m 全幅;10m 喫水;9.7m
速力;海上25kt(46km/h)水中30kt(56km/h)
潜航深度;950ft(290m)

乗員;士官12 下士官兵98

兵装
4×21インチ(533mm)魚雷発射管
MK.48 ADCAP魚雷
トマホーク陸上攻撃巡航ミサイル(TLAM)
MK60地雷
MK67 SLMM機雷

■ ネイバルパークに入場

ネイバルパークは、埠頭を歩き、芝生に点在する軍慰霊碑を見るだけなら
無料ですが、浮いている艦船の中を見学するには入場料が必要です。

ちなみに入場料は大人18ドル、17歳以下12ドル、4歳までの乳幼児無料、
シニア15ドル、退役軍人13ドル。
無料なのはメンバーと現役軍人、展示されている艦艇の元乗組員。

なお、「サリバン」は元駆逐艦乗組員であれば乗組艦問わず、
駆逐艦ベテランの団体「ティンカン セイラーズ」会員であれば無料です。



ディープフライしたオレオ、という言葉の響きにショックを受け、
思わず写真に撮って、以前もここでご紹介した写真です。

つまり、クリームサンドのオレオに小麦の衣をつけ、
それを揚げた天ぷらにフロストシュガーをまぶすという神も恐れぬ仕業。

念の為に調べてみたところ、この「揚げオレオ」、
2001年にアメリカ在住の16歳のアルメニア人、
別名「なんでも揚げる男」"The Man Who Fries Everything,"
チキン・チャーリーことチャーリー・ボゴシアンが開発したものだそうです。

流石のアメリカ人もこれには眉を顰める向きが多いようですが、
ところがどっこい、フェスティバルなどの会場では一般的になり、
カルト的な人気を得ている正式なゲテモノなんだそうです。

しかし、ただ普通にオレオをそのまま放り込むのではなく、
クッキーは揚げる前に3時間冷凍し、油も350度と厳密に決まっていて、
パンケーキミックスにはバターミルクを入れるべし、と正式な方法があり、
ロサンゼルスでの誕生以来、いくつかの国で浸透しています。

健康に良くないことはもう百も承知で、つまり、特別な日に
「怖いもの食べたさ」で食べるジャンク、という地位は揺るぎなし。

ちなみに、
揚げたオレオはたった5個で900カロリー
になるそうです。


クリーブランドからノンストップでやってきたので、
併設のカフェでランチを取ることにしました。

アメリカ人は陽が当たっていても全く平気ですが、
私たちには辛かったので、室内のテーブル(ガラガラ)に座りました。


レストランの2階は各種団体の事務所になっているようです。

左のバナーは、地元出身のベテランが寄付した資料などが
どこかに展示されるというお知らせです。
セーラー服を着た写真のロバート・ビーラーという人物は、
自動車販売業の会社で成功した名士で、
1946年から2年間海軍に入隊していた期間のほとんどを
日本で過ごした、ということがわかりました。

おそらく、彼の残した資料はほとんど日本での海軍生活で
手に入れたものだと思いますが、それがどんなものかはわかりません。

ドブ板通りで手に入れたお土産品とかかな。

このバナーが飾られたのは2022年6月ですが、
ビーラー氏はその1ヶ月前、92歳で亡くなっています。



入場料を支払うために売店に行きました。
支払うと、手首にリングをはめてくれます。

売店の壁には、主に戦争公債(ウォーボンド)を買いましょうのポスターと、
機密を守るための防諜ポスターがずらりと並んでいます。



女性の入隊を募集するポスターも。
並んだ顔写真はおそらく地元出身のベテランのものでしょう。


というわけで、腕に入場許可証をつけて出撃です。



地上展示の戦闘機2機については以前も解説しました。
手前は

海軍 FJ-4B 「フューリー」ジェット

空軍F-86セイバージェットの海軍版。
マーチン・ブルパップ・ミサイル5発と、
低空攻撃用の20ミリ砲4門を機首に装備していました。
ライト・ターボ・ジェット・エンジンを搭載し、
海面での最高速度は時速680マイル。


向こう側は、

空軍F-101F「ブードゥー」戦闘迎撃機

1971年〜1982年の間ナイアガラフォールズ航空基地に配備されていました。
F-101Fは、ニューヨーク州空軍の第107戦術迎撃群によって、
"レインボー飛行隊 "の一員として就役していました。
就役中、機体はナイアガラの滝にかかる虹を表す、
赤、青、黄色のストライプの尾翼で飛行していました。

また、ここには冬来た時にPTボートがあったのですが、



修復中でした。
スポンサーはホームデポ、ノースロップグラマンなど。

All about PTF-17! From Vietnam to the Great Lakes

今年修復は完成したようです。
新品のように綺麗に塗装されていますね!

続く。






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2 Comments

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楽しみにしています。 (お節介船屋)
2024-07-09 10:05:50
>海軍艦の紹介シリーズをじっくりと進めていこうと思います。
大変楽しみにしています。

>USS 「バッファロー」は現在も就役しており、グアムを母港としています。
残念ながらSSN-715は2017年9月退役しました。就役が遅れています「ヴァージニア」級ですがそれでも22隻竣工しましたのでそれに伴い62隻建造された「ロスアンゼルス」級の退役が進み25隻余りに減少しています。心配なのは米造船所の建造遅延で空母、潜水艦の竣工が大変遅れています。

PTFですが高速哨戒艇で、PT魚雷艇と区分されています。またPTGの高速哨戒魚雷艇もありました。改造ないし、転用で船体は同様です。
米魚雷艇は第2次世界大戦中700隻余り、建造され、太平洋や地中海の島の多い海域で哨戒、水上艦船攻撃、護衛、機雷敷設、救助、コマンドーの揚陸等に活躍しました。遠い過去にコメントしたことがありますがイギリスの高速艇を基に開発され、船型もエリコのPT-103型、ヒギンズのPT-71型、ボォスパーのPT-368型が主流でした。
排水量50t、魚雷2または4本、20㎜機銃1ないし2基、速力40ktでした。
動画で魚雷装備せず、機銃が数基装備されており、高速哨戒艇がわかります。

Gundalow「ガンダロウ」
アメリカは1600年代からイギリス人が主流となって大西洋岸に植民し、1730年頃13の植民地が成長していました。英本国は産業革命の時期となり、工業製品輸出で利益を上げる重商主義となり、植民地の商船や貿易に重税をかける法律が定められ、植民地の不満となりました。英国からみれば蜜輸出入となる米商船を英国軍艦が拿捕するようになり米植民地の不満が暴動となり、1775年独立戦争に発展しました。
植民地議会が創立した「大陸海軍」が漁船、商船を武装したスクーナーやガレー、ガンダローで英商船や西インド諸島の兵器庫を襲い武器を奪いました。フリゲイト13隻建造も決定されましたが英海軍には太刀打ちできる勢力ではなく、フランスに頼りました。
ガンダローの戦いで有名なのは1776年10月「ヴァルカー島の戦い」でハドソン渓谷の北端シャイプレイン湖でスクーナー3隻、ガレー4隻、ガンダロー8隻の湖上艦隊が英スループ等25隻艦隊と戦いましたが革命軍は水上戦闘では英海軍に及ばず、多大な損害を受け、陸上に退却しましたが英軍の南進を防ぎ、1777年10月のサラトガの英軍降伏へとつながりました。
参照海人社「世界の艦船」No269,567,988、1016
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懐かしのタロスミサイル (Unknown)
2024-07-09 12:30:10
「リトルロック」はタロス(長射程艦対空ミサイル)艦ですね。最初と最後の写真に、発射機に装てんされた青いダミー弾が見えます。

タロスミサイルは、今のSM-2と比べると大きく、VLSと違って「はたかぜ」型のターターのように、発射前には艦内からミサイルが出て来るので、存在感がありました。

発射機への装てん、抜弾(艦内に格納すること)を模型化した動画です。発射機の側に人が立っているので、大きさが掴めると思います。
https://www.youtube.com/watch?v=5qOpQeZbO-o

ミサイルの搬入、組み立てから発射までの流れを説明した米海軍の教育資料(動画)を紹介します。https://www.youtube.com/watch?v=1Ep7yebWq4s

誘導部(シーカー)と推進部(ロケットモーター)は、それぞれ別に搬入されます。その中からいくつかを組立て、発射可能な即応弾として、専用区画に保管します。発射前のミサイルは、ここからコンベヤーで来ます。

SM-2等、今のミサイルは完成弾としてVLSのキャニスターに装てんされた状態で搬入され、直ちに発射可能ですが、タロスの時代は搬入から、組立、発射機への装てんはなかなか大変でした。

即応弾は、そのままではまだ発射可能ではなく、フィン(羽根)は発射前に人力で取り付けていました。動画では取付状況が見られますが、大きく重いです。今は、ボタンを押せば、ひょいっと発射出来るので、こういう手間は全くありません。

当時は「3T」(長射程のタロス、中射程のテリア、短射程のターターとワンコシリーズ)でした。タロスは精度が低かったので、絶滅しましたが、テリアはSM-2に、ターターはSM-1になって、生き残りました。形もほとんどテリア、ターターそのままです。
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