このブログにおいても事あるごとにその仲の悪さについて触れてきたわけですが、
「海軍が士官兵問わず圧倒的にモテていた」
などという、エリス中尉好みの話題など不謹慎に感じるほどにその確執は深刻で、
「満州事変以来15年の日本海軍の歴史は、陸軍との抗争の歴史であった」
と断じる向きもあるほどです。
三国同盟締結、開戦から終戦まで、飛行機の取り合い、戦争のやり方、果ては特攻の数に至るまで・・・。
中でもこの「竹槍事件」は、言論の封殺や一般人への権力者の圧力といった、
現代にも通じる問題を含む象徴的な事件でした。
今日は、その当事者である新名丈夫氏(当時毎日新聞記者)が巻き込まれた事件についてお話ししましょう。
経過が長いので何回かに分けて書くつもりです。
この事件は、いかに後世が私情を挟まぬ公正な目を以て見ようとも
「やはり海軍は陸軍より現実的かつ科学的で陸軍は侵略主義の非人道的立場にあった」
と断じたとしても仕方がないような一面を持つ歴史の証言でもあります。
以下、当事者である新名丈夫氏の著書
「太平洋戦争」から本人の証言を中心に竹槍事件の概要を説明します。
新名丈夫(しんみょう・たけお)は明治39年生まれ。
毎日新聞東京社会部で太平洋戦争時は海軍担当の記者でした。
昭和19年2月、当時開戦後日本の国力はすでに末期的症状を呈していました。
日本から遠く離れた太平洋では連合艦隊の根拠地たるトラックがアメリカ軍の攻撃を受け、
西太平洋の島々ににアメリカ艦隊を迎え撃つという太平洋戦略は崩壊します。
大本営は「撤退」を「転戦」に、戦争末期には「全滅」を「敵に打撃を与えながらも玉砕」
と言い変え、相次ぐ敗戦を国民から糊塗していました。
そんなある日の毎日新聞朝刊、東条首相が前日の閣議で発表した「非常時宣言」の記事の下に、
新名始め毎日新聞記者たちが社の存続さえ賭けた決死の記事が載ります。
「勝利か滅亡か、戦局はここまで来た」
「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ、海洋航空機だ」
開戦以来「勝った、勝った」の大本営発表しか知らされていなかった国民に対して、敗戦の事実を告げたものです。
その内容を長くなりますが以下挙げます。
「米作戦の狙いはどこにあるか。南はソロモンよりラバウルをつき、東はギルバートからマーシャルを襲ったのは、
その二つの新航路の合するところ、すなわちトラックを狙っているもので、
トラックが米国飛行機の勢力圏内に入るようになっては、日本の太平洋作戦は成立しない。
大東亜戦争は太平洋戦争であり、海洋戦である。
今こそ我らは戦局の実態を直視しなければならない。
戦争は果たして勝っているのか。
ガダルカナル以来一年半、太平洋の戦線は次第に後退の一路をたどり来たった。
われらの最大の敵は太平洋より来りつつあるのだ。海洋戦の攻防は海上において決する。
太平洋の決戦は日本本土沿岸において戦われるのではない。
数千海里の基地の争奪をめぐって戦われるのである。
本土沿岸に敵が侵攻し来たるにおいては、もはや万事休すである」
「敵が飛行機で攻めてくるのに、竹槍では戦えない。
問題は戦力の結集である。内線作戦では兵力の集中による各個撃破が絶対条件である。
挙国一致、我が戦力の結集がおこなわなければならない。
日本の存亡を決するものは、我が海洋航空兵力の飛躍増強に対する戦力の結集いかんにかかる」
「竹槍では間に合わぬ」
これは「竹槍主義」という陸軍思想の否定でもありました。
開戦後2年、マーシャルに敵がきたとき、同方面所在の海軍航空兵力は百機にも満たない状態でした。
「海軍は飛行機がなくて戦争はできない。だが政治力がなくてどうすることもできない」
「せめて我に一千の飛行機を与えよというのが、全海軍の血涙の叫びだ」
当時海軍記者クラブでは大本営海軍報道部長栗原悦蔵少将が涙とともに悲痛な訴えをしていたのです。
この記事が新聞に載ったとき、真っ先に海軍が出した声明は
「本日の毎日新聞は、全海軍の言わんとするところを述べております。
部内の絶賛を博しております。以上」
というものでした。
映画「軍閥」ではこの栗山少将が加山雄三扮する新聞記者に
「トラックがやられた。太平洋で最大の海軍基地が壊滅した。
海軍は国民に事態の重大さを認識してもらうために真相を発表しようとしたが、
陸軍がこれを強引に抑えた」
というシーンがあります。
「なぜ?」と新名記者(映画では仮名の新井)。
「海軍に飛行機を渡すのが厭だからだ。東条は本土決戦を考えている。
このままでは日本は破滅だ」
これはほぼ当時の海軍の総意であったといってもいいでしょう。
海軍のみならず真実に飢えていた国民も、陸軍情報局ですらも当初この記事を称賛し、
新聞協会は徳富蘆花賞(新聞記者に対する最高の賞)を贈ると言いだしました。
しかし、東条首相は激怒しました。
首相、陸将、軍需相、参謀総長までを兼務し本土決戦をするにあたっていわば独裁体制を築いていた東条は
新政策「非常時宣言」を発令しました。
映画「軍閥」では、小林桂樹扮する東条首相がこのように演説します。
「これによって思想言論の取り締まりを徹底的に強化し、学徒の根こそぎ動員、生活の簡素化、
休日の縮減、高級料理店並びに歓楽場の閉鎖などの非常措置を取る。
全国民は一死報国、最後の一人まで竹槍を持って戦う覚悟を固めなくてはなりません」
その竹槍精神を国民に強要する記事と並べられた
「竹槍では間に合わぬ」の記事・・・。
それを書いたのが新名丈夫記者でした。
当時の新聞記事は基本的に各方面の検閲を受けなくてはいけなかったのですが、
海軍記者であるところの新名の執筆した記事は海軍省の検閲だけでよく、
かつ、記者によっては顔パスとでも言うべき慣例がありました。
新名記者はそれを利用したのです。
新名記者がこの記事を書いたのは、彼一人の義憤によるものではありません。
マーシャルの陥落の発表を大本営が二十日もの間ためらっていたとき、事態を憂えた新名氏が
「もはや言論機関が立ちあがるしかない。
一大プレスキャンペーンを起こして下さい」
と上に訴え、あらためて編集会議を経た結果、彼が任されたといういきさつがありました。
当初はキャンペーンは一週間は続ける予定でした。
しかし、さっそく東条首相による
「犯人探し」
「報復、懲罰」
が始まったのです。
「今朝の毎日新聞を見たか」
「観たのなら、なぜ処分せぬか」
足音も荒々しく陸軍の局部長級会議の行われている部屋に入ってきた東条首相はこう怒鳴りたてます。
陸軍は即刻毎日新聞社に対し、新名記者の即時退社、厳重処罰を要求しました。
しかし、高田元三郎編集総長はそれを断固拒否しました。
「筆者を処分することはできません。全責任は私が負います」
内務省の指示でその朝刊は発禁処分になりますが、元々キャンペーンを一週間継続する予定だった毎日新聞は、その日の夕刊で言わばダメ押しの追い打ちをかけます。
その日の夕刊一面トップ記事の見出しはこうでした。
「いまや一歩も後退許されず、即時敵前行動へ」
つまり、海空軍力を拡充せよ、太平洋決戦を断行し本土決戦に反対、と檄を飛ばすに等しい記事でした。
東条首相はまたも
「統帥権干犯だ!」
一報道機関ごときが作戦をうんぬんするとは、軍統率の最高権力を犯すものとして激怒します。
新名丈夫記者に対してすぐさま召集令が下りました。
東条首相はこの一個人「懲罰招集」を発動したのです。
この記者をめぐって陸軍と海軍の熾烈な綱引きが始まるのですが、それは次項に回します。
劇中、「毎日はかつては『陸軍の毎日』であった。
これでは『海軍の毎日』ではないかっ!」
と憤る陸軍報道部長に対し、毎日の高田編集総長(志村喬)は
「毎日は陸軍の毎日でも海軍の毎日でもない。読者の毎日です」
と言いきるのですが、不思議なことになぜかこのあと目を伏せるのです。
社会の木鐸としての矜持を明言したものの、これから巻き込まれるであろう嵐の大きさを予想して
慄然としてしまった、という編集総長の心の裡をあらわした演技だったのでしょうか。
ともあれいまやこの言論人の気概など見るべくもない今日の毎日記者は
先輩たちの爪の垢でも煎じて飲むべきだと思いきや、新名記者のような記者ばかりでもなかった、
ということがこの後明らかになります。
次回は、この新名記者の召集をめぐって後海軍と陸軍の間に起こった軋轢についてお話ししましょう。