ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

「海のさきもり」へのオマージュ〜呉音楽隊第47回定期演奏会

2017-02-27 | 自衛隊

「あきづき」体験航海記がでれでれと続いている最中ですが、
またしても一旦中断して自衛隊音楽会の話題を挟みます。

と言いながらこのタイトル写真は一体なんなの?

ってことなんですが、今回、呉音楽隊の演奏会を拝聴する貴重な機会をいただき、
またしても来てしまった、呉市。

前回の来呉の時に火がつきかかっていた「呉氏」アピールが
今回は結構すごいことになっていたので、少しご報告しておきます。 

呉氏というこのスポンジボブ+オカザえもん÷2的な物体が呉の新キャラに制定され、
プレスリリースされたのは、今年の2月1日のことでした。

なんの因果かわたしはちょうどその2月1日、翌日の幹部候補生学校卒業式のため
呉に来ており、夜の街を歩いていて、妙なポスターが貼ってあるのに
はて?と思っていたのですが、呉から帰る飛行機の待合室でこのニュースを見て
この偶然に只事ではないわたしと呉の因縁というものを感じたのです。

【公式】広島県呉市PR動画「呉ー市ー GONNA 呉ー市ー」Music Video

テンポのいいダンスとちょっぴりほろ苦い恋愛ストーリーが
おなじみの呉の街をバックに繰り広げられます。

なぜか彼女にレストランで水をかけられる呉氏。
水をかけられるようなどんな鬼畜なことをしたのか呉氏。

「♪潜水艦は明日も 必ず潜るよ」

「♪温めた海自カレーも 知らせなきゃ冷めるだけ」

実際に呉に住んでいた方は

「♪星が降る灰ケ峯」

などという歌詞にグッとくるようですね。

そして何より今回のテーマにふさわしく、クリップには呉音楽隊のメンバーが参加、
呉氏とまさかのキレッキレのダンスを繰り広げており、最後には燦然と

撮影協力 海上自衛隊呉地方総監部

の文字が・・・・。
クリップ冒頭が呉地方総監の建物から出てくるシーンですからね。 

 

 

さて、今回の来呉は2時間の昼間のコンサートのためだったので、
飛行機で往復したのですが、ちょうどいい空港リムジンがなく、
考えた末、激安レンタカーを利用しました。

真っ赤なデミオを借りて走り出したのはいいのですが、
単線で追い越しができないのに、後ろにぴったり付かれたとき
アクセルを踏んでも踏んでもスピードが出ないのには焦りました。

広島空港から呉までは直通の高速で一本です。

バスで何度も通っている道ですが、自分で運転して初めて
こんなところだったのかとわかった気がします。

飛行機が早く着いた関係で、お昼ご飯を食べることにしました。
コンサートの行われる文化ホールの位置を確認してから車を走らせて
どこで食べようかなと楽しく悩んでいたところ、市営駐車場の前に
「けんりゅう」カレーが食べられるらしいうどん屋さんを発見。

その名も「りゅう」。 

なるほど、それで「けんりゅう」カレーなのか。

 

ここの入り口にも「呉氏」のポスターが!。
なるほど、呉氏とは、呉の海を「切り取った」という設定なのね。

呉氏です。

初めまして。ボク、呉市の新キャラクターの「呉氏」っていいます。
この顔はどう見ても呉市のキャラクターですよね。
自己主張が激しくてすみません。
名前もどう聞いても呉市のキャラクターですよね。
わかりやすくてすみません。
でもこの美しいターコイズブルーの体はふわふわのファーでできていて
一度触ったらやみつきって評判です。
だからもしどこかで僕を見かけたら触ってみてクレ。
デビューということで緊張して色々言ってしまいましたが、言いたいことはただ一つ、

全力で可愛がってクレ!

 

全く言っていることに意味がありません(断言)
しかし、 結構わたしこいつが気に入ったので、呉氏を陰ながら推そうと思います。
そのうち小村市長から表彰されるかもしれません。

駐車場の料金精算方法にまで出演している呉氏でした。


さて、

けんりゅうの「ソードドラゴン」(直訳)カレーは単品850円。
海自カレーラリーに参加するお店は、必ずレシピを忠実に再現し、
給養長からのお墨付きである認定書をもらっています。 

カレー皿は船型、ご飯が型取りしてあるのは潜水艦に見立てているから(多分)
けんりゅうカレーはシーフードがふんだんに入っているのが特徴。 

何も言わなくても付いてくるカレーラリーのスタンプシール。
集めようと思っていなかったけど、これで二つ目ゲットです。

呉に行くたびに地道にカレーを食べてみるのもいいかなと思い出している今日この頃。 

「海軍カレー」と書かれたカレー皿もあり、こちらは
「海自カレー」という名前で出しているおそらくビーフカレー。
シーフードの苦手な人向きです。

もともとうどん屋だったのに、行きがかり上カレーも出すようになったと・・。

それでも時間があったので、少し歩くとなんと駅前でした。
呉の街って本当にコンパクトなのね。

おなじみ呉阪急ホテルで食後のお茶をいただきました。
ロビーには早くもお雛様が飾られています。

そして、冒頭写真の「呉氏」ポスターも・・・。 

車を駐車場から出すときに前に停車していた車には制服の自衛官が。
こういうのが呉という街なんだなあと思いつつ一枚。

昔はこれが海軍軍人だったんでしょうね。 

そして呉文化会館に到着。
いただいたチケットを見せると、席まで自衛官が案内してくれました。
階段を登って行くと、そこに金びょうぶが設えてあり、なんとそこに
呉地方総監ご夫妻がまるで新郎新婦のように立っておられるではないですか。

今まで演奏会でこんなお出迎えを受けたのは初めてです。

二階席から見下ろした呉文化ホール。

日本は自治体の箱物行政の恩恵で全国津々浦々まで立派なホールが
どこに行ってもあるというのは有名な話です。
それでなくても裕福な住民が多いという噂の呉ですので、
このホールも古いながら大変立派なものです。

二階に案内されたとき、近辺の招待客の座席表をいただきました。
これによると先日来呉の自衛隊イベントに来るたびにお見かけしていた
アフリカ系の軍人さんは、アメリカ陸軍第10地域で
支援群弾薬廠長を務めておられる方だったことが判明しました。
アメリカ陸軍がここに駐留していたとは全く知りませんでした。

あとは衆議院議員の寺田先生とか、呉市長、市議会会長、
商工会議所関係、水交会などなど。

去年の自衛隊記念日で表彰されていた自衛隊基地理髪店の
理容師さん(女性)もちゃんと招待されていたようです。

今回はTOも縁あって同席することになり、わたしは自分の夫と
呉の文化ホールで久しぶりに会いました(笑)
彼は怒涛の忙しさでずっと家に帰ってこられず、わたしたちはこの日も現地で

「いやー元気だった?」

「うん元気。 『ユーニャン』のyoutube見たよー。教えてくれてありがとう」

「あれ感動するよね」 

などという会話を交わしたのですが、コンサートが終わるとわたしは空港に、
彼はまた仕事で他の地方へ・・・。 

それはともかく、TOはコンサート開始前に関係者から

「今日は大変特別の試みがあるプログラムなので楽しみになさってください」

と聞かされていたようです。
なんだろう。特別の試み。 

 

それでは当日演奏された曲です。

平和への行列  戸田顕

2001年度のコンクールの課題曲。
ロシアっぽい勇壮かつ憂愁を帯びた旋律で、軍楽曲のような雰囲気ですが、

「タイトルにある平和は戦争解決のみを意味するものではなく
地球環境問題や身の回りで起こる争いごとなどの解決も含めての平和であり」

別にこんな言い訳っぽい解説はいらん、と思ってしまったのはわたしだけ?
(特に地球環境問題のところ)

スピリティッド・アウェイ 久石譲

おなじみ久石譲の「千と千尋の神隠し」挿入曲からのアレンジ。
久石ナンバーはそれこそ数え切れないほどのアレンジ版があり、
演奏形態も様々なバージョンが出ています。

「スピリティッド・アウェイ」は「千と千尋」の英語タイトルで、
挿入曲を盛り込んだアレンジにこの題を採用したのでしょう。

いいなあと思った後半の「仕掛け」は、「いつも何度でも」が
ハープ、チェレスタ(いずれも男性隊員が担当)ザイロフォンで
演奏されるのに、全く別物のように「ふたたび」がかぶさってくるところ。

いつも何度でも/千と千尋の神隠し【Cover】

Spirited Away OST - Reprise / Again [HQ]

言葉の説明だけではわからん、という人は、上のyoutubeを再生して、
ワンコーラスが終わった時下のyoutubeをクリックし同時再生すると、
少しだけでも雰囲気が・・・わかる・・かもしれません。(弱気) 

どっちもよく知っている曲なのですが、タイトルがわからなかったので
会場でメロディを階名でメモして持って帰り、苦心して調べていたら
ちゃんとそのことがプログラムに書かれていましたorz

どちらも三拍子なのに全く関係なく重なり、しかも「ふたたび」の後ろで
ずっと「いつでも」が鳴り続けている感じが粋で斬新なアレンジでした。 

雲のコラージュ 櫛田胅之扶 〈改訂版〉 

これも最近のコンクール課題曲です。

三つのジャポニズム  真島俊夫 

東京佼成ウィンドオーケストラの依頼によって作曲された、
日本らしいメロディの作品で、鶴のダンスを表現しているとか。

真島俊夫氏は日本の吹奏楽界に大きな足跡を残しましたが昨年四月逝去しました。 

オマージュ〜海の守り詩 八木澤教司

そう、これだったのです。
TOが聞いたところの「特別な企画」というのは。

呉音楽隊が創設60周年記念に委嘱した作品で、なんと、
海上自衛隊の儀礼曲「海のさきもり」がモチーフとして使われています。 

海上自衛隊儀礼曲 「海のさきもり」 護衛艦「ふゆづき」自衛艦旗授与式

初演ですので、実際の楽曲をお聞きいただくことはできません。
というわけで、わたくしが「ふゆづき」引き渡し式の写真とともにアップした
唯一のyoutubeをご覧いただければと思います。

自慢ではありませんが、わたしがアップするまで、「海のさきもり」は
youtube等ネット上動画に一度も上がっていなかったのです。(いまでは多数)

「海のさきもり」作詞者の元海軍兵学校卒、戦後は自衛隊にも在籍していた
江島鷹夫(もちろんペンネーム)の関係者と知り合ったことが
実はこのわたしが各種防衛団体の末席を汚すきっかけになったのですから、
会場でこの曲が初演されることを知った時にはまさに胸熱でした。

作曲を依頼するにあたって、呉音楽隊隊長野澤健二一尉は

「海のさきもりをモティーフとして使用してほしい」

と要望したそうです。
曲は、護衛艦が岸壁に停泊している時にも聞こえてきそうな、
風が索を揺すり艦体がかすかに軋む様子や、喇叭など、
あらゆるシーンを彷彿とさせる効果がコラージュ風に散りばめられ、
最初は後ろの方でちらっとその形を見せるだけだった「海のさきもり」が
最後には全ての音を包括して立ち上がり、壮大な響きとなって現れます。

会場には作曲者の八木澤氏もきておられ、最後に挨拶をされたそうですが、
わたしは残念ながらその時には会場を後にしておりました。 

ベールマン アダージョ海上自衛隊東京音楽隊

ちょうど同じ曲を東京音楽隊のクラリネット奏者がやっているyoutubeがありました。
クラリネットは管弦オーケストラでいうところの第一バイオリンであり、
コンサートマスターも務めるパートです。

この日のソロも、呉音楽隊のコンマスが務めました。

これは先日の幹部学校卒業式で「勝利を讃える歌」を演奏する呉音楽隊ですが、
指揮者の正面で演奏しているのがコンサートマスターの小村英生2曹です。

ベールマンという作曲家はクラリネット奏者として軍楽隊にもいたそうです。

ガイーヌ ハチャトリアン 

誰でも知っているのが「剣の舞」ですが、そのバレエ音楽「ガイーヌ」から
8曲が抜粋されて演奏されました。
この曲、案外新しくて初演が1942年だそうです。

耳馴染みが良く、聴いていて楽しいこれらの曲を交え、新しい曲ばかりでもなく、
古典あり、久石作品ありと、なかなか人を惹きつける構成の演奏会で、
この日集まった聴衆の広い層の耳を楽しませることができ、さらには
呉音楽隊やひいては海上自衛隊の魅力を伝えることもできたのではないでしょうか。

わたしとしては「海のさきもり」への「オマージュ」世界初演を聴けたことに
心から満足して文化ホールを後にしました。 

最後にTOとの会話に出た「ユーニャン」もついでに貼っておきます。
犬好きにもオススメ。 

ねこ勉〜Cats Learning〜

 

帰りは安いレンタカーのせいかカーナビに広島経由を案内され、遠回りしてしまいました。
ここはどこー! 

 

というわけで、印象深い呉訪問&呉音楽隊演奏会となりました。
参加にあたってご配慮をいただきました全ての皆様に感謝いたします。

本当にありがとうございました。

 

 

 


「初志」〜護衛艦「あきづき」体験航海

2017-02-25 | 自衛隊

この度、ご自分の知人がおそらく「あきづき」に乗っている(と思う)、
という一般の方、Bさんからご丁寧なコメントをいただきました。

非公開ご希望ですが、差し障りのない程度にここでご紹介させていただきます。
まずBさん、激励のお言葉誠にありがとうございました。 
大変励みになるとともに、ブロガーとして発信する内容への責任も感じます。
 


さて、Bさんはあくまでも周りから聞き及んだ情報であると断りつつ、
「現場における幹部と曹士の意識の乖離があまりに大きい」
という現在の海自の問題点を指摘しておられますね。

まあ、どんな組織にも組織である以上大なり小なり問題点はあるものですが、
特に海上自衛隊は艦船の操作に携わるという性質上、技術的に
海軍から踏襲しているシステムが多くあり、それが組織の形成にも及んだ結果、

「伝統墨守 唯我独尊」

と言われる一種の硬直を生んでいるのかもしれないと思うことはあります。 

 

さて一方当ブログですが、現場で自衛隊を考察していると言ってもそこは
極端に一隅的なレポートとなってしまうのは否めません。

しかしその点について、Bさんからは

「ブログを拝読して、士官の方はこういう志で物事を考え、
行動されているんだなということもわかりました」

というご感想もいただき、少しは何かのお役に立てているのかなと思いました。

 

階級間の乖離のような問題は中にいなければ決して理解(わか)ることではなく、
また外部者が触れるべきでもないことではあると思っていますが、
やはりこれほど再々自衛隊関係のイベントに参加し、同好の士と
意見を交換していると、やはり聞きたくないことも聞こえてきます。

まず噂(先日の日南市長の自爆案件に類するものもあり〼)。
上に対する中からの不満、非難の声。

不満に関しては、トップの立場からお話を伺う機会がある者からは
親の心子知らずというか、それはそういうことではないと思うんだがな、
と思われる(もちろん一人心の中で)ことも多々あるわけですが、
逆にそれは不満を持っても無理もない、と思うことももちろんあります。

何れにしても、第三者には永遠に真実はわからないことです。
 

ただ、わたしは、どんな人にもどんな組織にも理想とは程遠い「現実」はある、
もちろん問題もあるということはもはや達観しております。

その上で言うのですが、

今まで自衛官一人一人との出会いを通じて幾度となく感銘を受けてきた結果、
ひいては自衛隊という組織の健全性と明日を信じるに至り、さらに理解し、
これを少しでもたくさんの人々と共有したいという思いから、
今日もまた東奔西走をし、自分の目で見た自衛隊の姿を発信しているのです。

 

 

 

さて、昼食後、わたしたちは早速艦長室を見学させていただくことにしました。
艦長室は観艦式ではまず公開されることはありませんので、貴重な機会です。 

「艦長室」であると誰が見てもわかる艦長室の表札。

「式年遷宮時 神宮より賜」

とプレートで説明されていますが、これはどこの神宮でしょうか。
「あきづき」就役の年にはまだ伊勢神宮の式年遷宮の年ではなかったので、
平成の大遷宮が行われていた出雲大社でしょうか。

ちなみに、先任海曹室の表札も全く同じものでした。

艦長室、入って右側の応接コーナー。

艦長ともなりますと、こういうところに賓客を招くという必要もあるわけで・・・。
万が一、総理大臣や防衛大臣が乗艦するようなことになれば、
こういうところで接遇するためのスペースでしょうか。

加湿器もありますが、海の上でも冬は乾燥するものなんですかね。

壁掛け電話の下には艦長の携帯が充電中。
艦長であっても勤務中は携帯を持たないようです。

なおデスクの上には艦長と愛妻のツーショット写真。 

わたしには勿体無い妻だと思っております」(〃'∇'〃)ゝ

(あ、書いてよかったのかな) 

医務室でお見かけした衛生隊の海曹妻も美人さんだったし、
統計的にみて自衛官の妻はしっかりした可愛らしい方が多い気がします。

ロッカーにも引き出しにも鍵付き。

まるで板のように畳まれた寝具。

「やっぱりこういうのも艦長が自分でたたむのかな」

と鉄火お嬢さん。
そうなんですよ。
自衛官は最初からこれを叩き込まれるのでどんなに偉くなっても
起きた途端頭が動くより先に体が動いて「バームクーヘン」を作ってしまうのです。

それにしてもシーツも全くシワがなくてすごいですね。
清潔と整頓は海軍から踏襲された美しい慣習の一つです。 

その点アメリカ人は、ベッドメイキングは「しつけ」の範疇ですので、
海軍に限らず、ちゃんとしたうちに育ったら皆普通に行います。
こんな風に寝具を折りたたむ作法はないと思いますが。

居室と水回りの境はドアでなくカーテンで仕切られています。
さすが艦長専用の浴室、足は伸ばせないものの、一人で浸かることのできる
バスタブが用意されています。

「しかし、湯を張ってゆっくり湯船に浸かったことはありませんね」

と艦長。
やはり重責を担う艦長ともなると、なかなかそんな時間もないのでしょうか。

ちなみにふと気になって湯船用の水は海水かどうか聞いてみました。

「違うと思います」

艦長はほとんど湯船に浸からず洗い場のシャワーで済ませてしまうとのこと。
シャワーは奥のスペースでシャワーカーテンを引いて使います。 

丸窓は基本開けたままにしてカーテンだけ開け閉めするようです。
ベッドの横に壁をくりぬいた物入れ棚があるのが工夫ですね。

現代の護衛艦には舷窓はほとんどないのですが、外から見ると
01甲板のレベルに二つだけ窓があるのが確認されます。

その二つがどちらも艦長室の窓であるということで、
これは艦長の艦における地位の特別さを意味しています。 

洗面所には専用の洗濯機も備えてあります。

「昔であれば従兵というのがいて、艦長はなんでもやってもらえましたが、
自衛隊は基本自分のことは自分でやります」

そういえば、井上成美大将が艦長だった時代、艦長付きの従兵が
部屋のお掃除をしていてベッドで眠り込んでしまい、気がついたら
横に艦長が寝ていたという話をここでしたことがあります。

戦後の民主化された自衛隊では、その階級、身分差は海軍時代に比べると
なきに等しいといってもいいかもしれません。(あくまでも比較で) 

艦長のデスクに、「初志」と書かれた写真がありました。
一目で江田島の教育参考館前の階段で撮られたとわかりますが、
見たことがないこの7つボタンの制服は・・・・?

「カンセイブ(?)の制服です」

少年術科学校は1970年(昭和45年)〜1982年(昭和57年)まで存在した
海上自衛隊生徒の教育を行うための機関です。

艦長がこの制服を着て江田島で写真を撮った頃には、
少年術科学校は規模を縮小されて「第1術科学校生徒部」となっていたはずです。

「カンセイブ」とは「幹部生徒部」の略でしょうか。
幹生部は2011年には廃止されてしまったので、この制服も無くなりました。 

「初志を忘れないために、今でもこの写真を飾っているんです」

 

ちなみに、少年術科学校の歴代学長は、全員が旧海軍の海軍兵学校、
海軍機関学校卒の海将補で、中には佐近允尚敏海将の名も見えます。 

艦長室の見学を終えたころ、甲板で主砲の動的展示があるという
アナウンスがあったので、甲板に出ました。

今までの艦艇体験からいうと、伊勢湾の掃海隊訓練と並ぶべた凪です。
艦種部分には観艦式の時と同じように立ち入り禁止のロープが貼られています。

三々五々、見学者が集まって来たころ、一人が解説をはじめました。
ぶっつけ本番だったらしく、

「えー・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

頑張れ。 

展示は何をするかというと、この動かざること山の如く見える
主砲の5インチ砲を動かしてお見せしよう、というわけ。

ちなみに5インチは127ミリのことです。

横浜のみなとみらいであったMASTという展示会では妙にスタイリッシュな流線形の
イスラエル製かスェーデン製かなんかの(忘れた)家具調主砲が目を引きましたが、
このアメリカ製(BAE 日本がライセンス生産)はシャープでスッキリしてます。 

まず横向きー。

「こいつ・・・動くぞ!」

上むきー。

正確にはMk.45 Mod4 62口径5インチ単装速射砲といいます。
Mods4ということは今まで0から始まって5代目ということですが、
開発が始まったのは1960年でも、戦前からアメリカ海軍は
5インチという口径を標準にしていましたので、わたしが今まで見た
アメリカ軍艦にも5インチ砲は珍しくありませんでした。 

俯仰角は 65/-15度ということなので、おそらくこれが最大俯仰状態。
真上に撃ったら弾が落ちてきたとき危ないから?(小並感) 

観客の方にも向けてしまうのだった。

このタイプ、イージス艦に搭載されていたもので、護衛艦では
「あきづき」が最初に搭載されたということでが、この後就役する
「あさひ」型にも同じタイプが採用されることが決まっています。 

観客「はえ〜」

対空砲を撃つこともありますからね。
最大射程は110キロメートルを超えます。 

この角度になるってことは、理論上自艦を撃つことが可能ってことか。

VLSのセル越しに撮ってみました。
危険ですから昇らないでくださいというのは高いところにあるから?

展示が終わってから、速射砲を艦首側から撮ってみました。
なんかこうして見るとノーズが長く見えますが。

と思ったら、このタイプは62口径(157-8cm)で、従来型に比べると
砲身を延長して砲口初速を上げてあるのだそうです。 

速射砲の薬莢が床に落ちた跡がありありと・・・・・。

砲弾の装填、などは完全自動となっていて、実際に飛んでいく部分
(弾頭)には水上弾、榴弾、対空弾、照明弾を装填します。

陸自の一般公開などで空砲を撃つ時には装薬包を装填して射撃しますが、
このタイプはセンサーが弾頭の未装填を感知すると「エラー」と判断し、
撃つことができなくなるため、空砲射撃も行うことはできないということです。

 

ところで映画「亡国のイージス」の中で、乗っ取られた護衛艦から撃たれた
ハープーンミサイルを、護衛艦「うらかぜ」が主砲で撃ち落とすも、
2発目は間に合わずに撃沈されてしまうシーンがありました。

そこで疑問です。
追尾も全自動のこのタイプなら、2発目の撃墜は可能だったんでしょうか?

(独り言です)

 

 

続く。

 

 


「あきづき」カレー〜護衛艦「あきづき」体験航海

2017-02-24 | 自衛隊

体験航海、わたしたちが艦内探索をしている間にも
「あきづき」は佐世保から一路南に向かって進んでいきます。

艦橋付近にあった「走錨検知法」なるもの。

「走錨」ってなんですか、って話ですが、我々にはわかるようでわからないこの現象、

嵐や潮流などで船舶が受ける外力が錨と錨鎖の抵抗力やプロペラの推進力を上回ると
錨が錨鎖と共に引きずられる。
この時、錨が傾いたり反転現象によって把駐力が小さくなり錨が移動し続ける事を
「走錨」と言う。

とwikiにはあります。

一度、走錨状態になると錨の姿勢が正常に戻らなくなるので、
船舶を止めることは難しくなります。
嵐などの荒天時では、引きずっている錨と鎖揚錨機では引き上げられなくなり、
操船が出来ずに海難事故に至る危険性が非常に高くなるというわけです。

大変船にとって怖いことなので、体感的にそれを察知できるよう、
このように指導しているというわけ。

壁に靴跡はつけないようにしましょう。
って書いておかないと壁を蹴る人がいるんだな。 

朝乗艦したら最初に格納庫に案内されました。
観艦式の時のように乗客が使うために毛布が出してあります。

救難機材の入ったロッカーの前には防火用のスーツが出してありますが、
航海中、乗客に向けて防火作業の展示も行われていました。
(他のところをうろうろしていてたどり着けず見そこないました)

格納庫の中ではやっぱりこういうものに目がいってしまうものです。
「あきづき」就役時には最新型だった(今も?)ベアトラップ。

ASIST Mk.6という型番の着艦拘束装置です。

これもなかなかすごくって、この写真でいうと右側に当たる
「コ」の字の内側にはクロウ(爪)があって、
機体側のプローブをセンサーで感知するとクロウが飛び出して
プローブを摑まえるという頭のいい仕掛けになっています。

着艦するのはSH-60で、理論上は最大2機搭載することができます。

士官室で流れていた「あきづき」というDVD(あだちビデオ制作?)
では、このベアトラップがごおおおお!と動いているのが見られました。
実際に動かしているところを一度見て見たいものです。 

格納庫内部から見た飛行甲板。
飛騨側に見えているのは格納庫のシャッターを二枚に分ける柱。
この柱は跳ね上げて収納してしまうことができます。

こうしてみるとベアトラップの軌条が2条伸びているのがわかりますが、
「あきづき」型が最初に取り入れた方式なんだそうです。

ただし、こちら(右舷側)のベアトラップは開店休業状態?
噂では「ベアトラップは左舷側のみしか動かさない」ということです。

ということは、ヘリも2機は実際には載せないってことになりますね。 
どうりで写真でも見たことがないと思った。 

写真で気がついたのですが、二階部分に幕が張ってあるのは風除け?
それとも目隠し?

観艦式の時もそうですが、航行中一般人はオランダ坂には立ち入り禁止。
ここを坂にするのは、甲板を高くしつつ、入港作業を容易にするための工夫です。

転落防止柵に見える黄色いのは「フックアップ灯」。
他にも緑や赤のライト、甲板を照射する照明もあり、
これらは発着艦するヘリからの目印となります。 

「あきづき」型は格納庫が後部構造物と一体化しているのが特徴です。

右側にはLSO(発着艦指揮所)といって、ここから
ヘリの管制を行うブースがあります。
ベアトラップの操作もLSOシャック内部で行うとか。 

甲板の下には「オランダ坂」の下部分となりますが、ここにも
ハッチが設置してあって甲板下への乗降口となっています。

クローズドフェアリーダー上に掲揚された自衛艦旗が
穏やかな海を渡る風に吹かれてなびいています。
雲ひとつない空に翻る自衛艦旗はまことに美しいものです。
ちなみに自衛艦旗を降ろした後、旗竿は折りたたんで甲板に固定するのだとか。

この写真には三本のホイップアンテナが確認されますが、これは
ヘリの発着艦時には邪魔にならないように倒すことができます。 

左上に見えている島は大立島か小立島か・・・。 

さて、一通り外を見ているうちに昼食の時間となりましたので、
士官室に戻ることにしました。
壁にかかっていたこれはダメコン時に使う木材ですよね?

士官室に帰ってきました。

「すずつき」のデザインがいいですね。
わたしは「ふゆづき」の就役記念(進水記念と同じデザイン)を持っていますが、
こうしてみると他の三姉妹に比べて手を抜いた感は避けられません。

ちなみに「あきづき」「てるづき」「すずつき」は三菱造船。
「ふゆづき」だけが三井造船・・・・・あっ。 

メンタルケアは特に艦船勤務のような閉塞された職場では
一体になって取り組むべき問題です。

米海軍の施設にもいたるところにこのような相談員の顔写真が
掲示されていましたが、身近な上官なら相談しやすいということで、
ボランティアのような相談員制度を設けているのです。

ちなみにセクハラ専門の相談窓口も専門に設けてありました。

ここにもさりげなくあきづきにゃんこが海賊コスで登場。

「守秘義務守ります!もちろん批判もしません!」

お、おう・・・。

ハードデスクかなんか?
それより赤紙の「 想定搬出済み」の意味が色々とわかりません。

少し早めですが、すでにテーブルには食事の用意がしてあります。
実は鉄火お嬢さんにお話をいただいた時から、本日艦内でいただける昼食は
カレーであることを聞いており、それは楽しみにしていのですが、

あれ・・・?カレーじゃない・・・?

しかしこのお皿の手前の空間を見ているうちに意図がわかってきました。
エビフライとゆで卵はおかずなのだと。
今やカレーにはつきものの牛乳のパックも添えられています。

というわけで今回はカレーじゃねえええ!と絶叫せずに済んだ模様。

席に着くとカレーを自分で取りに行くように勧められました。
というわけでこちら、本日のメニュー、牛スジカレーでございます。

自衛隊の中でも海上自衛隊が特に食事が美味しいのは有名です。
確かに海自主催の艦上レセプションや基地での祝賀会など、
凝った料理が出され、しかも給養員が祝賀会席上で紹介されるなど、
三自衛隊の中でも海の食へのこだわりには並々ならぬものを感じます。

さらに海自は海軍時代からの伝統「金曜カレー」を踏襲、
さらにその食文化を進化させてきた結果、いつのまにか

「海上自衛隊=カレー」「金曜日はカレー曜日」

というイメージが広く人口に膾炙するに至りました。

体験航海に来た一般人の昼食に、金曜日でもないのに敢えて
カレーが選ばれたのは、ひとえに「あきづき」の心遣いでしょう。
そんな気持ちを踏まえ、心してこれをいただいてみました。

うーん・・・。

牛スジのカレーというのは初めていただきましたが、
長時間煮込まれているせいか、 こっくりとルーと馴染んでまろやか。
適度な中辛で、添えられた牛乳パックが強力な効果を発揮します。
ご飯は少し固めですが、このまろやかカレーには合っていると言えましょう。

「おかず」のエビフライはカレーの上に乗っけてエビフライカレーにするもよし、
そのままサクサクの衣を楽しんでもよし。

ゆで卵は、写真をご覧になればお分かりかと思いますが、
彩りの効果を与え、さらに食欲をそそります。

そして全てを食べ終わると、ちゃんとワッチしていた給養員が
デザートと食後のコーヒーを運んできてくれるという至れり尽くせり。

長テーブルの一番端は艦長の指定席です。

卓上には鉄火お嬢さんが調達したわたしたち連名でのお礼として
一日違いのバレンタインデーチョコレートを置いておきました。

「これを皆さんで」

とお渡しすると、艦長はご自分が取らずに皆に渡してしまうであろう、
という予想に基づいて、鉄火お嬢さんはそれとは別に

「熱き者」 

という刀をあしらった「つわもの向けバレンタインチョコ」も用意してくれたのです。

てっきり皆さんが揃ってから艦長が「いただきまーす」と
声をかけて食事をいただくのかと思っていたら、地本の方などが
先に食べ始めたので、わたしたちも食べ始め、それがほぼ食べ終わる頃、
艦長が着替えを済ませて入室してこられました。

大きなグラスに入れられたミルクは、艦長のご所望でしょうか。

その後お話を伺いながらテーブルを囲んだのですが、

「とにかくここは食事が美味しい。何を食べても美味しい。
しかも、今まで全く同じメニューが出てきたことがない」

つまり、金曜の恒例カレーも毎回違うということですか。
「ぶんご」を見学した時も、当時の副長が

「食事が美味しいので今とても雰囲気がいい」

とおっしゃっていましたが、やはりこれは士気も上がりますね。
「そうりゅう」型潜水艦でも

「うちの食事はとても美味しい」

と胸を張っていましたし・・・。
検索したら「美味しくないフネもあるにはある」ということですが、
今まで見て来た限りでは、圧倒的に美味しいフネが多数派です。
 

この日は体験航海ということで、11時くらいには乗組員の皆さんは
科員食堂前に並んでいたのですが、横を通りすぎながら、
鉄火お嬢さんが彼らに

「どんなメニューが好きですか」

とインタビューしたところ、(こう臆せず声をかけられる人が羨ましい)

「カレーです」「カレーです」「カレーです」

皆さんやっぱりカレーがお好きなのね。
「そうりゅう型」潜水艦の皆さんもカレーの日は朝から楽しみだと言ってましたっけ。

「カレー以外では?」

「たくさんメニューがあって毎日違うのでどれとは言えませんが、皆美味しいです」


上から下までこれほど熱い支持を集める「あきづき」給養員長ってどんな人?
と思っていたら、なんとこの後、長崎に到着して下艦したとき、
三菱造船所の門まで
案内してくれたのが噂の給養員長でした。

手が空いている時には配置に限らずいろんなお仕事をするんですね。

詳細は忘れましたが、この給養員長がいた前のフネは
佐世保のカレーグランプリで優勝したとかいうレジェンドなんだそうです。


さて、我々は食事をしながら艦長の前歴などについてもお聞きし、
(こちらについては鉄火お嬢さんのブログに詳しいのでそちらをどぞ)
和気藹々のうちにランチタイム終了。

それにしても前の「ぶんご」の群司令とのお食事の時にも思いましたが、
自衛隊の人ってとにかく食べるのが早い。

向かいの地本の方はさっさと二皿目のお代わりを済ましていましたし、
艦長もずっとわたしたちと会話を続けながら、あっという間に食べ終わり、

「それでは現場に戻ります。
お二人とも、後で艦長室をご案内しますのでいらしてください」

とにこやかにいいつつも颯爽と去って行かれました。 

さて、それではわたしたちも行動開始だ!

 

続く。 

 


艦内見学〜護衛艦「あきづき」体験航海

2017-02-23 | 自衛隊

「あきづき」体験航海について今日もお話ししようと思いますが、
その前に、ぜひ書いておきたい、皆様に聞いてほしいことがあります。

なんと!今年防衛大学校に見事合格されたという方が、
この度このブログ宛に、ご丁寧にこんなコメントをくださったのです。

「こちらのサイトで、とにかく色々な情報を得させていただき、
モチベーションを維持し続けてきました。
色々とお世話になりました! 」


海上自衛隊並び各自衛隊を独自に応援してきた当ブログですが、
こういう形でお役に立てる日がやって来るとは・・・・。
このご報告をいただき、わたしは喜びと感動で思わず胸が熱くなりました。

4月からの防大での新生活と、自衛官としての第一歩に
心から声援を送るとともに、幸多かれとお祈りしております。
おめでとうございます。 

  

 

さて、アメリカ潜水艦との遭遇、そしてミサイル艇2隻のパフォーマンス。
出航作業から息つく暇もなく次々にイベントが続きます。

8時半から出航作業が始まって以来、ここまでで1時間半くらい。
次の大イベントである昼食までにはまだまだ時間があるので、
わたしは鉄火お嬢さんと艦内見学をすることにしました。

おっとその前に、ミサイル艇「おおたか」の写真を。
「しらたか」のターンばかりあげて、「おおたか」の全体像を
アップしないと不公平ですからね。

鉄火お嬢さんもコメントで言っておられますが、この登場で
わたしはミサイル艇のカッコ良さに悩殺されてしまいました。

この日の乗客には地本が連れてきた入隊志望の若者がいたそうですが、
実際にこういうのを見てもらうことって、リクルート的にも効果大よね。

さて、とりあえず艦橋から出たのですが、そこでこんなものを見つけ
喰いつくわたくしたち。 

艦橋で使用するテッパチ(鉄じゃないけどこういうのか・・・)が
ラックに収納されている、護衛艦ではおなじみの光景ですが、
注目したのはこの順番。

いつも乗っているわけではないのに隊司令が一番上←わかる

その下が艦長←わかる

以下隊付隊信船務士←ほうほう

副長、一番下←? 

まあこれも訳はわかりませんが、海自のことだから何か理由があるのでしょう。

下に降りていく途中にあった艦長、副長、先任伍長、艦三役の御真影。
こういうところに飾る写真は、アメリカ軍のように定型があるわけでなく、
(椅子に座って袖の階級章を見せるようにし、歯を見せる)
艦や部隊によって微妙に違っています。

こちら隊司令、群司令は壁の前で撮ったようで、自衛艦旗なし。
ちなみに下の海士長役付きの写真は、露光を3段階で変化させた例。

艦内の注意喚起にも活躍するあきづきキャット。
何に手を添えて熱気をシャットアウトするのかはわかりませんでした。 

艦内神社もちゃんと科員食堂の近くに御坐す。
「あきづき」艦内神社の勧請元は宗像大社らしいですね。

宗像大社は福岡県宗像にある海上・交通安全の神威であり、
全国7000に及ぶ宗像神社、厳島神社の総本社です。

神宝として古代祭祀の国宝を多数有し、裏伊勢と呼ばれたり、
「宗像三女神」の一がおわす沖ノ島は 「海の正倉院」とも呼ばれ、
今年7月には世界遺産の審査が行われる予定でもあります。 

関連業者から贈呈されたらしい錨の置物。

 

というところで、公開日でオープンされていた機関室にやってきました。
動力、電力などをコントロールする操縦室で、応急指揮所になることもあります。 

隊員が向かっているのは電源関係のコンソール。
電源関係だけでこれだけ統括しなくてはいけないくらい、
現代の護衛艦は電力を必要とするということでもあります。

 

電話の下にマグネットで留められた紙には

「体験航海時配置」

とあり、本日の1直と2直の運転分掌指揮官や操縦員長などに
割り当てられた名前が書かれています。

これらを全て統括するのが機関長。
護衛艦では三佐が行います。 

そしてここが機関長の席。
せっかくなので一瞬機関長気分を味わうために座らせていただきました。

デスクには定規、消しゴムすら机と平行にきっちり並べられております。 
広げられた大きな「機関日誌」には、0530から始まって、
刻々と起動準備、試運転、ブレーキ試す、出航準備、出航用意
(出航準備と出航用意の違いとは?)などが書き込まれています。

ここにきた時には時計は10時20分でしたが、出航してからは
その後何も書き込まれていません。

それにしても、海自の職場って、どんなものぐさでもここで働けば
いつのまにか几帳面な人にならざるを得ない感じですね。 

機関室に一般人が入る時には上部パネルを隠します。
左のモニターには艦橋にあるカメラから見た前甲板の様子が。

鉄火お嬢さん(の右腕部分)の向こう側に二人が座っているコンソールは
応急監視・ダメコン用で、艦内各部の火災、浸水状況をワッチするものです。 

ところで、護衛艦内の椅子はどうやって揺れに対処しているのかな?

座っていてふと気になったわたしは、足元を確かめて見ました。
わたしが今座っているハーマンミラーのアーロンチェア
(TOがアメリカで衝動買い。もう15年経つけど全く劣化なし)のように、
5本の足が出ているのは同じですが、
その先がローラーではなく、床に吸い付くような素材なのです。

「これは時化の時に動かないようになってるんですね」

と説明してくださっていた機関長にお聞きすると、
さらに時化た時にはこれを使うのだ、と見せてくれたのが床の仕掛け。
ここには椅子を中央で固定するための器具が収納されているのだとか。

「今まで、そんなことに気づいた見学者はいません」

まあそうだろうなあ。(だから鉄火お嬢さんにもマニアと以下略)
 

さて、世界基準で必ず立派な表札がかけられている先任海曹室。
アメリカ海軍の場合は、やたら凝ってペイントを施したりします。

中に先客がいたので、入ってもいいのかな?とお邪魔して見ました。
遠慮して写真は撮りませんでしたが、中では、先ほど

「あきづきの猫帽子が欲しいんだけどどこで買えるのかしら」

と乗員に聞いていた元女子会がお買い物中でした。
グッズを扱うのは先任海曹室なんですね。

おお、「あきづきにゃんこ」帽子、欲しい〜〜!

とわたしも脊髄反射で思わずおサイフを取り出したのですが、
次の瞬間冷静な鉄火お嬢さんが、

「縁に金の模様の入ったのはありますか」

うむー、鉄火お嬢、いきなり士官用を所望するか。

「それは最初になくなってしまいまして」

海曹長がおっしゃるもので、次の機会にしようと購入を断念しました。
わたしも自称とはいえ一応中尉なんで、カレー付きが欲しいです。

先任海曹室の並びには専用の小さなキッチンがありました。
ドアの横にかかっているのは専門のコックコートで、
袖にはブルーの5本線が入っているものです。 

一旦廊下に出たところで、医務室がオープンになっているので見学しました。
説明のために寝台には訓練用のマネキン(女性)が寝かされています。

ここで待機していたのは護衛艦乗組の海曹で、インタビューさせていただいたところ、
彼は「技術海曹」という区分の任用で、二等海曹以上が受験できる資格。
救急救命士の資格を持っているとのことです。
この辺りも陸海空で微妙に制度が違っていて、陸空自は救急救命士は
准看護師の資格がないと受けられませんが、海自はそうではないようです。
 

余談ですが、音楽隊員の任用区分だと音大卒は2曹、音楽短大卒は
3曹からの入隊試験が受けられるということになっています。

医官は全体数が少なく(引き抜きもあって”医師不足”気味なのだとか)
航海に乗り込むことは観艦式の時などを除き滅多にないということでした。 

医務室の片隅にお母さんと子供が二人いたので聞いて見たところ、
海曹のご家族だということでした。
医務室なのでお父さんと一緒に航海中まったりできますね。

ちなみに奥様は夫の職場と仕事を見るのは初めてということでした。
この日はべた凪で、船酔いもなさそうでしたし、見たところ
けが人も病人もなかったようで、何よりです。

 

この時、先の観艦式の時に練習艦「しらゆき」で急病人が出て
ヘリ搬送された話になったのですが、
艦長以下隊員が迅速に対応を図り、館山航空基地所属の「UH-60J」が
救急搬送を行うも、その方が病院で亡くなったということを聞きました。

病人が無事病院に搬送され手当が実施されたとのアナウンスが流れた時、
「しらゆき」艦内では大勢の参加者の拍手と安堵の歓声が湧きあがった、
とニュースでも見た覚えがあったのですが、そうだったんですね・・。

この方は持病の発作を起こしたということですが、あの観艦式でわたしは
ラッタルを渡るのも覚束ない足取りのご老人を見たりすると、

「自分だけは大丈夫だと思ってるのかもしれないけど、
万が一があったら大変なことになるのだから、自重すべきでは」

と内心思ったものです。


ちなみに空母「ロナルドレーガン」の見学は65歳以上不可で、どうしてもという場合、
「何があっても自己責任で。裁判など起こしません」という念書を取られます。 

先任海曹室の入り口にあった自衛艦旗格納箱!

そもそも先任海曹室に入ったのが初めてだったので、
このようなものがここにあるのも初めて知りました。

今航行中で自衛艦旗は揚がっているんだからここにはないと
思っていても、つい好奇心で蓋を開けて見たら、
中には予備が(多分)一旒入っていました。

先任海曹室には自衛艦旗のスペアがある_φ( ̄ー ̄ )と・・・。

 

昼間航海中でも先任海曹は寝ることを許されるのか!
と驚いてしまった先任海曹の居室。

寝てます

↑うむ。

航海中の ドアの開閉は静かに!!

↑これはわかる。

↑結局どうせいっちゅうねん。

 

続く。

 

 


ミサイル艇急襲!〜護衛艦「あきづき」体験航海

2017-02-22 | 自衛隊

前回、アメリカのロスアンゼルス型潜水艦と遭遇したことを
ここでご報告した時に、艦橋のモニターに潜水艦の「ニックネーム」
が書かれていた件について裏の人に教えていただいたので書いておきます。

海上自衛隊では海上の艦船同士は、お互いコールサインで呼び合います。
わたしが推測した通り、こちらはパイロットのタックネームみたいなもので、
外部者に聞かれた時にも特定されないようにする「偽名」ですが、
何とこれ、機密性保持のために毎日変更するのだそうです。

昔は陸空自衛隊に驚かれたりしたものらしいですが、今では
共同で動くことも多いので認知されているかもしれない、とのことでした。

しかしわたしが艦橋のモニターで見た「ニックネーム」がこれかというと違いまして、
その日の「あきづき」のように、一般人やあるいは広報の人間を乗せている時には
コールサインとはまた別にニックネームを使うのだとか。
わたしみたいに目ざとく見つけてブログにアップする人対策ですね。

つまりニックネームは特定秘密ではない_φ( ̄ー ̄ )と。

というわけであらためてすれ違った潜水艦のニックネームをご紹介しておきます。
その名も

「エースストライカー」!

うーん、かっこいいっすね。キャプ翼か?

さて、潜水艦とのすれ違いイベントが終わりました。
艦橋のチャートデスクでは、三角定規を使ったり電卓を叩いたり。

わたしが出港を見送り、帰国をお迎えした昨年度の遠洋実習航海で、
厳しい半年の訓練を経てここに配置された、新三尉のお仕事ぶりです。

何となく艦橋を出たり入ったりしていると、右舷側を白波立てて
ミサイル艇が通り過ぎて行くのに気がつきました。

こんなに急いでどこに行くのでしょうか。 

艦番号829、「しらたか」さんであることが判明。
「はやぶさ」型ミサイル艇の末っ子である6番艦です。

それにしても、この白波の立ち方をご覧ください。
全速力で航行したときの「はやぶさ」型ミサイル艇の速度は時速80キロ強。

先ほどアメリカの潜水艦をガードしていた海保の「すずかぜ」型警備艇で
さえ30ノット(時速55キロ)だそうですから、桁外れの速さです。

追い抜いて行った・・・と思ったら、先の方でUターンして戻ってくるではありませんか。
「きよみ丸」という漁船(ボート?)は停止してミサイル艇が過ぎるのを待っています。

すると右ウィングからミサイル艇に向かって、発光信号を送り始めました。
発光信号機は、レバーをカチャカチャ手動で動かします。

こういう時にはどんなことを通信するんでしょうね。 

向きを変えた「しらたか」は、瞬く間にこちらに近づいてきました。
マストの先端に翻る自衛艦旗が鮮やかです。
そして自衛艦旗の下に揚がっているのは回答旗です。 

「 回答旗は信号を解読したら全揚する」

そうですから、これが先ほどの発光信号に対して揚げられたものでしょうか。
そしてその下には「ご安航を祈る」の信号旗が!

わーい、ご安航を祈られてしまったよ。


それにしても驚くのはこのスピードです。

その舳先が分ける波の形が他では見られないものであることにご注意ください。
「はやぶさ」型は速度を時速44ノットに決めたとき、 艦首に、吃水線下を痩せさせた
ディープV系のハイブリッド船型を採用しました。

つまり、海を楔で切り裂きながら進んでいくようなイメージです。 

こちらは我が「あきづき」甲板上の乗員たち。
ハッチを開けて出航の時に使用した索を片付けていると見た。 

「しらたか」はわたしたちの右舷側横まであっという間に到達すると、
見ている前でドリフトを始めました。

初めて見たよ。船のドリフト航行。

我が国のマスコミ的には輸送艦「おおすみ」にプレジャーボートがぶつかった時などには
「大和」とほぼ同じ大きさの「おおすみ」がドリフトしたことになってるみたいですが(嫌味)、
これは船体が軽くスピードがあって小回りのきくミサイル艇ならではです。 

急ターン中の「しらたか」の雄姿。

「はやぶさ」型の船体は軽さを追求した結果アルミ合金となっていて、
同じ小型の艇でも掃海艇とは全く違う素材を貼っていることが
この写真の「829」の付近を見ていただければわかりますね。

なお、船体が小さくスピードが速い「はやぶさ」型はピッチング(前後が縦揺れ)が
どうしても避けられないので、人員の居住区は船の真ん中に集中させてあります。 

シートベルトは必須で、操舵室にいるときはもちろん、食堂の椅子にもあるのだとか。
キッチンはありますが、火が使えないため、調理器具は電子レンジと電磁調理器のみ。
従って航海中の食事は、弁当またはレトルト食品が基本だそうです(T_T)

ミサイル艇は基本長時間の航海はしない、ということなのだと信じたい。

艦内には「しらたか」とその後ろに「おおたか」が航過することが
アナウンスされました。

「しらたか」「おおたか」は共に佐世保地方隊所属です。
ちなみに6隻のミサイル艇が配備されているのは舞鶴と大湊、そして佐世保。
これらの基地の共通項は”外敵との対峙の可能性”・・・かな?
 

ウィングには艦長も出てこられ、そこにいたみんなに向かって

「手を振ってあげてくださいー!」

艦長はこの写真でも帽振れしておられますが、他の乗組員たちは
基本任務中にはそういうことは行わないようです。 

「しらたか」はドリフトを撮るのに一生懸命になってしまい、
艦長と隊員一人(カメラ記録係)、そして女性のラッパ吹きが
登舷礼しているのを撮り損なってしまいました。 

ミサイル艇にも女性自衛官が乗り込んでるんですね。

後ろに交差するような形で設置されているのが、90式艦対艦誘導弾(SSM-1B)
三本煙突の形が面白いですね。
微妙に角度がついているのはこれもステルス性のためでしょうか。 

「はやぶさ」型は全部で6隻しかないので、観艦式には
この「しらたか」も「おおたか」もよく出演?しています。

海自 ミサイル艇 平成27年度 観艦式

観艦式では高速走行しながらIRデコイを発射するのがおなじみとなっています。
この観艦式では「しらたか」「おおたか」と大湊基地から「くまたか」が
三隻で行動展示を行いました。

「しらたか」の後ろの「おおたか」とすれ違う時には撮影に集中させていただきました。
艦長ともう一人(海曹)が敬礼、一人がラッパを構え、
そしてもう一人が写真を撮っています。 

「御安航」の信号旗が鮮やかです。

肉眼では見えませんでしたが、写真に撮って見たところ、
「帽振れ〜!」の掛け声がかかった瞬間でした。

そして「おおたか」のカメラマンは今わたしたちを撮影中。

まず艇長の帽振れ。

「帽振れ」と「ラッパ振れ」(笑)

ちなみにミサイル艇の乗員は21名です。

艇長、さらに両手振れ。
なんかこの方超渋くないですかー? 

掃海艇の艇長もこういう侍を思わせるきりりとした雰囲気の方が多いですが、
率いるフネの種類によって艦長の佇まいも微妙に違っている気がします。 

というわけで、「しらたか」に続き「おおたか」も高速走行で行ってしまいました。

・・・・・と思ったら・・・・

帰 っ て き た し(笑)

横でUターンして「あきづき」を追い抜き、前方に行ったかと思うと
こちらの航路を横切る形で3回目のUターン。

あとで「あきづき」艦長に伺ったところ、このようなことは
ミサイル艇以外にはできないということでした。 

今度は「あきづき」の左舷側をすれ違って行きます。
直前を横切り、対面ですれ違うのはもうあっという間でした。

これも艦長に伺ったところによると、このミサイル艇急襲は
「あきづき」艦長ご自身が体験航海に参加している人々に見せるために
確か同期であるミサイル艇艇長に頼んでくださったのだとのこと。 

ところで、冒頭話題にした「一般人向けのニックネーム」ですが、

「おおたか」は「ジェットストリーム」。
「しらたか」は「ミステリーホワイト」。

となっておりました。

ついでに、先ほど出港を見た

「はるさめ」は「スプリングドリズル」

・・・・・なかなか粋な直訳ですね。 

潜水艦との遭遇に続き行われた、滅多に見られない海上のイベントに
わたしたちはすっかりテンション上がりまくりです。

「さあ、それでは続いて艦内見学にでも参ろうか!」

意気揚々とデッキから艦橋に入ろうとしたら、なんと、「しらたか」「おおたか」
が、後ろでもう一度Uターンして、最後に右側を追い抜いて行きました。

一番手前の最初の、そしてその向こうの、追い抜いていったときの航跡が
どちらもまだまったく消えていないというのに・・・。

おそるべしミサイル艇。

 

続く。

 

 

 


第56回海上自衛隊東京音楽隊 定期演奏会

2017-02-21 | 音楽

「あきづき」体験航海の体験記の途中ですが、昨年末、
ジャズやクリスマスソングなどを含む楽しいプログラムで楽しませてくれた
東京音楽隊の定期演奏会に行ってまいりましたので、そのご報告です。

第56回定期演奏会。

ファミリーコンサート、ふれあいコンサートなどの文字どおり
間口の広い、敷居の低い親しみやすさを打ち出したコンサートを行うことは、
自衛隊音楽隊の大事な任務ですが、一方プロの演奏家集団として
研鑽してきたその成果を世間に問うことに重きを置いて行われるのが
この定期演奏会ではないかと、わたしはここ何年かに行われた
海上自衛隊を中心とする音楽隊の演奏会を聴いてきて感じました。

わたしが自衛隊音楽隊の演奏を聴き始めてから今日までの間に
東京音楽隊の隊長は三代代わったわけですが、三人の隊長が率いる
演奏会を何度か聴いて思ったのは、演奏メンバーは同じであるはずなのに
隊長によって特に定期演奏会はその印象がガラリと違っていたことです。

自らが作曲家でもある河邉一彦隊長の時には、自作を取り入れ、
プログラム構成はオリジナルカラーとなっていましたし、手塚裕之前隊長は
かつて軍楽隊が演奏した軍楽曲を再現するなど、
海軍軍楽隊の末裔である海自にしか行えない歴史再現の試みをされました。

樋口隊長については、前職の横須賀音楽隊時代に見せた
大変意欲的かつ攻めの姿勢に瞠目していたのですが、今回は
東京音楽隊長となっての本格的な定期演奏会となるわけですから、
いろんな意味で大変楽しみにしておりました。 

 

さて、軍艦や自衛艦の艦長は、多くの人間に艦長職を経験させるために
1年が平均的な在任期間であるという話をここでしたばかりですが、
それでは音楽隊長の任期はどれぐらいだと思われます?

音楽隊員は一般の自衛官に比べて退官が遅く、すべての階級で60歳。
(一般の隊員は2曹・3曹の53歳から1佐の56歳まで4段階)

そして、音楽隊長の在任期間は短くても2年、長くて4年以上。
東京音楽隊の場合すべての隊長は定年まで勤めて退官と同時に退職するようで、
「後職」 のあるのは防衛大の音楽顧問となった第14代渡仲郁夫隊長一人です。

一つの楽団を、平均3年は率いるのですから、その間音楽隊が
「隊長カラー」になることは間違いないことと思われますが、
精鋭部隊である当音楽隊をどういうカラーで染めていくかは、
定期演奏会のプログラム構成に見えてくるといっても過言ではないでしょう。 


去年もそうでしたが、第56回定演は東京オペラシティで行われました。
木の素材が会場全体に暖かい色合いを与える内装で、
特に小編成のオーケストラを聴くのに適しているわたしの好きなホールです。

シグナルズ・フロム・ヘブンー二つのアンティフォナル・ファンファーレ
  武満徹

 

事前に配られていたパンフレットに武満徹のこの曲名を見たとき、
この演奏会の方向性がなんとなくわかるような気がしました。

12名の金管奏者によって演奏される短い二つのファンファーレで、
「アンティフォナル」(交唱、ミサで詩篇と交互に歌われる)という表題は
2曲目の「ナイト・シグナル」で10人の奏者が右と左の二手に分かれ、
掛け合いをする=交唱ということからきているタイトルだと思われます。

 

天国の島 佐藤博昭

わたしはテレビを見ないので初めて聴いたのですが、テレビ番組
「ザ!鉄腕!DASH!!」の「DASH島」BGMというかテーマらしいですね。

オーボエのメロディが奏でられた後はまんま大河ドラマのテーマ風に。
「天国の島」とは北海道の天売島だそうです。

で、驚いたのですが、曲終了後、隊長がコールすると、わたしの近くに
座っていた若い方が客席で立って挨拶をされました。

この曲は2011年の吹奏楽コンクールの課題曲ともなっているのですが、
この曲に学生時代の思い出がぎゅっと詰まっていて、
作曲者の指導を受けて感無量だった若い隊員ももしかしたらいたかもしれませんね。

貝殻のうた 伊藤康英 詩:和合亮一

和合亮一さんの解説、朗読と共に

ここで歌手の三宅由佳莉三曹が登場し、この東日本大震災後に書かれた
悲しみに寄り添う祈りの曲を歌い上げました。

「あなた あなた 大切なあなた 命の儚さを知って 泣いているあなた」

聴きやすいメロディですが、特にクライマックスを感情に溺れすぎることなく
制御するのが歌手にとっては結構難しいのではないかと思われる曲です。

 

貼ったyoutubeはオリジナルのピアノ伴奏ですが、この日はおそらく
ご本人のアレンジによるブラスでの伴奏で、これがオリジナルより良かったです。

そして、曲が終わるとまたしても隊長が客席コール。
なんと、作曲者の伊藤氏もすぐ近くに座っておられました。

土蜘蛛伝説〜能「土蜘蛛」の物語による狂詩曲

このバージョンは短縮版です。
土蜘蛛の精である鬼神と武者の壮絶な戦い、という能からとったテーマで、
前半のクラスターの混沌から立ち上がってくるフルートのフラッター、
これは蜘蛛がゆっくりと脚を蠢かしてるところだよね、とか、後半、
派手に戦ってるところ、とかがありありとわかる表題音楽となっておりました。

表現力の変化に富んだ内容で曲としての完成度も高いのですが、
日本ではこういう曲を中学生がやってしまうんですよね。

中学生アンサンブル
 

こういうのを見ると、日本の吹奏楽って、コンクールが盛んなせいで
やたら低年齢化しているなあと思います。
 

そしてなんと、この曲の作曲者もコールされて立ち上がりました。
一曲目の亡くなった武満徹以外、(このホールはタケミツメモリアルですが)
すべての作曲家を呼んでその前で演奏するという企画? 

斐伊川に流るるクシナダヒメの涙 樽屋雅徳

と思ったら、この作曲者はさすがに来ていませんでした。
ここだけの話、わたしはこの曲が一番気に入りました。

 

 ヤマタノオロチ伝説で、スサノオが大蛇に食われる予定のクシナダヒメを

「助けてやるから嫁によこせ」

と両親に約束して(これさりげにすごい話だよね。クシナダヒメの意向は無視)
ヤマタノオロチをやっつけるという話。

鼓、拍子木、そして鈴を効果的に使って「和」を表現、現代的で叙情的な旋律を
(やっぱり)戦いのクライマックスへと持っていき、最後は静けさのうちに終わる。
これもまた伝承を題材にした起承転結で、日本の作曲家の普遍のテーマ?です。


というところで前半が終わったわけですが、前半のプログラムは全曲が
現代日本人作曲家の作品で、しかも一曲の中に音色の変化に富んだ
情景の移り変わりを感じさせる、ストーリー性のある曲ばかりです。

音楽的な解釈の点で言うと、どれも決して安易なだけの作品群ではないので、
前半が終わったあと近くに座って居た女性が

「どれも難しかった」

と言っているのも耳にしました。
日頃クラシックのコンサートに足を向けない層には、難解と感じられたかもしれません。

 

フォスター・ギャラリー M.グールド

 6曲版(編曲:建部知弘)


 youtubeはダイジェスト版です。

フォスターの曲を楽しく聴けると思ったのに、
おなじみのメロディがなぜか4/4と3/4で繰り返されたり、
変なコードに変わっていて呆気にとられる、という仕掛けです。
実態はフォスターのメロディを素材に使ったコラージュといったところでしょうか。

ただこの作品は1938年には初演されていますし、技法的にも
現代音楽というには古典的なアプローチで、そこまで分かりにくくもなく、
特に「金髪のジェニー」はため息が出るほどの美しさです。 

この吹奏楽アレンジをした建部知弘氏も、この日会場に来ておられました。

フォスターといえば、教育実習で母校の中学に行ったとき、
「峠の我が家」が教科書に出て来たので話をしていると、一人の生徒が

「フォスターの最後の死に方は、酔って倒れたら釘があって頭にグサッと刺さって」

みたいな話を始め、クラスが騒然とした覚えがあります。
本当はどうだったんだろうと思って今ウィキを見たら、フォスターは
旅行先のホテルで病気になり朦朧としていて洗面台に頭をぶつけて死んだ、とあり、
わたしはあの生徒のおかげでずっと間違った死因を信じていたことを知りました。

フォスターといえば代表的なアメリカの作曲家で、

「アメリカ音楽の父」

と呼ばれています。
ここでフォスターを持って来たというのは、前半の「日本」に対し
後半は「アメリカ」の近・現代音楽がテーマだからでした。

交響曲第7番「交響的レクイエム」J. バーンズ 

 Symphonic Requiem, Op 135

南北戦争はアメリカの歴史でアメリカ人同士が戦った
最初で最後の戦争らしい戦争ですが、当時はアメリカという国は
一つではなく、「アメリカ合衆国」と「アメリカ連合国」が戦ったので、
これをアメリカ人同士といっていいのかどうかは謎です。

この曲は南北戦争150周年記念に双方の戦士たちの鎮魂のために
作曲されたレクイエムで、と言いながらいくつかの大きな戦いを
戦闘の経過などを盛り込んだ表題音楽風交響曲となっています。

コンセプトとしてはチャイコフスキーの「1812年序曲」の
南北戦争版、とでもいったらよろしいでしょうか。

例えば上のyoutubeの14分くらいのところ、進軍が続くのですが、
時折進軍ラッパが聞こえて来たりします。

もっとも「1812年的」だったのは、11分のところから始まる
「両軍のラッパの掛け合い」部分。

トランペット奏者が楽団の右端と左端に立ち、独自に
北軍と南軍のラッパ譜を繰り返している間にも混沌は深まります。
(この部分の楽譜を是非見てみたいものだと思いました。
指揮者は全く棒を下ろしていたので) 

17分からのコラール風のメロディは、祈りに満ちてただただ美しく、
木管に始まり金管の重みを増し、そしてまた再び高みを目指すかのように
幾度となく繰り返され、そして両軍の勇士たちの栄光を讃えながら終焉に向かいます。 

わたしはこのような音楽を聴くと色々とこみ上げて来てしまうのが
常なのですが、この日もフィナーレでは視界がぼやけておりました。

そして、この大曲を定期演奏会の終局に選び、演奏してくれた東京音楽隊に
心から感謝したのです。

 

今定期演奏会はわたしがこれまで聴いた中で最も挑戦的で意欲的でもあり、
しかしながら決して聴衆を「置いてけぼりにしない」絶妙のさじ加減で
充実度においては一番高いものであったと個人的に思いました。

何と言っても、可能な作曲&編曲者をすべて会場に呼び、その前で
演奏する(おそらく練習にも立ち会ってもらったのではないでしょうか)
というのは、自信と意欲の表れであり挑戦でもあります。

そして、個人個人の優れた技能が各曲のソロ部分に発揮され、
アンサンブルも安心して聴いていられること(特に打楽器群!)とともに、
彼らを率いる隊長の指揮ぶりは、視覚的な点から言っても
ただカッコよかったということも言っておかなくてはいけません。 

そして、さらに唸らされたのが、この曲に続いてアンコールで現れた
二度目の登場になる三宅三曹が歌ったのが、

アベマリア グノー 

であったことです。
この前の曲が「レクイエム」であったからこそこの選曲なのだろうと
わたしは一人で深く頷いておりました。

彼女の使い方も、全面的に押し出すでなく、しかし肝心なところ、
ここで聴きたいというところで効果的な登場をさせるあたり、
心憎いというか、本当に旨いなあと思わされました。

 

東京音楽隊は樋口新体制になってちょうど半年が過ぎました。
これからのますますの発展を確信せずにはいられない演奏会を
こうやって観る機会をいただいたことに、心から感謝いたします。 

どうもありがとうございました。


 

 

 


米潜水艦との遭遇〜護衛艦「あきづき」体験航海

2017-02-20 | 自衛隊

前回、作業艇のことを旧軍残渣で内火艇内火艇と思いっきり
繰り返してしまったことを、お詫びはしませんが訂正します。

「士官室」がアリなら、内火艇もOKだと思ったんだようー!

その内火艇じゃなくて作業艇が揚収されるという、いきなりの
大イベント(一般人的に)が終わった後も、何やら緊張する艦橋。

赤青のカバーがかかった艦長席から石井艦長が前方を指し示し、
全員がそれに注意を向けている瞬間です。

右ウィングにある測距儀を頻繁に覗く海曹。

先ほど艦長が指し示したのはこの漁船でした。
航行中艦橋にいると、必ず周辺を航行する船舶を指し示し、
注意するように指示があるのがわかります。

ちなみにこの漁船は岬の手前にあるブイ周辺が「釣りポイント」らしく
そこに向かっており、そのことを知っているカモメがすでに
海域で待機しているという状態でした。

前甲板の舳先には、これでもか!というくらい人が固まっています。
確認できるだけでワッチが6名、メガホンを持っているのが2名。
前方からやってくる艦船に備えて皆で状況を監視しているのでしょうか。

確かアナウンスを行なっていた女性隊員。

作業艇揚収の時に横を全力で駆け抜けて行ったアメリカの警備艇。
ウィンドには「セキュリティ」と書かれ、舳先には機銃が供えてあります。

この機銃はどうやって撃つのでしょうか。
座って?寝転んで?それとも
取り外し可能?

・・・あ、操縦席から普通に撃てるのか。
 

この警備艇がすっ飛んで行った理由はすぐにわかりました。

「アメリカ海軍の潜水艦とすれちがいます」

艦内放送に、おお、と周りがどよめきました。
いや、それは単にわたし一人が盛り上がりそのような気がしただけだったかも

遠くから潜水艦が海上航行でこちらに近づいてくるのが見えてきます。

悠々と進む潜水艦の周りには、先ほどすっ飛んで行った警備艇が2隻、
そして小型の船舶が2隻取り囲むようにやや後ろを航行しています。

一般船舶との衝突や、最悪の場合体当たりしてくる怪しい船から
潜水艦を守るための2重のガードです。

小型船舶は何かと思ったら、なんと我が海保の巡視艇でした。

CLというのはCraft Largeの略でつまり大型の巡視艇です。
これに対して小型のPC型は「パトロール・クラフト」のこと。
米潜水艦を警備しているのはCL123の「つばき」とCL126 「ことざくら」
「すずかぜ」型の巡視艇です。 

CLクラスの命名基準は95番艇までは「かぜ」だったのですが、
つける「かぜ」に事欠くようになったらしく、96以降は花の名前が主流です。

最近のプレジャーボートや漁船の速度が増したのに伴い、
巡視艇もそれに対応するべく速力を向上させているそうです。

で、この潜水艦なんですが、なんか妙な形のフネですね。
セイルに何もフィンがないというスッキリしすぎみたいな。
これは、おそらくですが

ロサンゼルス級原子力潜水艦のIII期「サン・フアン」以降 

ではないかと思うんですよ。
現在アメリカ海軍は22隻の同型潜水艦を保持しているそうですが、
その1隻がここにあってもまあ不思議はないかもですね。

セイルの上にもハッチからも人が出てきています。

ところで我が海上自衛隊の潜水艦が搭載している「X舵」について
先日最新型の潜水艦を見学した当ブログでは話題になったのですが、
アメリカの潜水艦の舵は基本これなのね。

というかX舵を採用しているのは日本国自衛隊だけってことですか?


ネームシップの「ロスアンゼルス」の就役は1976年、
1期と2期のロスアンゼルス級はほとんどが引退しています。
VLS搭載艦である本艦も一番新しい「シャイアン」ですらもう20才越え。
彼女がかなりのお歳であることは間違いなかろうと思います。
(わたしの特定が間違っていなければですが) 

見ていると次々と人が出てきました。
「ロスアンゼルス級」だとすれば乗員は130名くらい。

この下にそれだけの人数が今もいるというのは信じられません。

「あきづき」から、見るからに一般人らしき人が
物珍しげに見たり写真を撮ったりしているので、潜水艦乗員も
いつもと違う雰囲気を感じてこちらを見ています。

前方の人が赤い十字型の機具で何かしてますね。

セイルの上には防寒着に身を固めた人たちがやはりこちらを見てます。

わたしはつい最近までアメリカ海軍の潜水艦について書くために、
結構集中していろんな資料を見たり、伝説のサブマリナーについて
英語のサイトを当たったりしていたので、必要以上に親近感湧きまくりです。

「フォーティワン・フォー・フリーダム」

なんて君たち知ってる?

「テイク・ハー・ダウン」

と言って自らを犠牲にした潜水艦艦長って聞いたことある?

とか聞いてみたいなあ・・・。
(あ、こんなだから鉄火お嬢に”マニア”って言われてしまうのか)

自衛官が案外昔の、海軍のことはもちろん自衛隊のことを知らないというか、
興味もない人がいる、というのは今までの経験で感じていることですが、
アメリカ海軍は、そういう教育はきっちりやっていて、
わたしが知っている程度のことは皆知っているものだと思うのですが。

望遠レンズでのぞいていてびっくりしたのは、一番右の人の格好。

「ショートパンツの人がいるんですけど!」((((;゚Д゚)))))))

鉄火お嬢さんに教えたところ、彼女も驚いて

「アメリカ人って、寒さを感じる皮膚感覚が鈍いらしいですよ」

という話に二人で頷きあったりしたわけですが、これよく見ると
ショートパンツなんじゃなくてウェットスーツじゃないかな?

右足にはズボンの下にシークレットサービスが仕込むような
ホルダーみたいなのを付けてるし、 背中にはどう見ても
ホースみたいなものを背負っているし・・・・潜水艦勤務のダイバーですかね。

で、ハッチの周りの人が何をしているかというと、このシルエットから
上陸に当たって荷物を出しているという気がするの。

哨戒活動に出て、しばらくぶりに地上に上がるのかもしれませんね。
何しろ、アメリカの潜水艦は何ヶ月でも無浮上で海底に居るらしいから。
きっと基地に帰れてみなさんウキウキなんじゃないでしょうか。

ところでこの角度からは、船殻を覆っている素材がよくわかります。
これはいわゆる吸音タイルで、アクティブソナー対策です。

 

「バージニア」クラスなどであれば

非船殻貫通型潜望鏡

を搭載しているのですが、本艦は普通の潜望鏡搭載のようです。


余談ですが、従来型の光学式潜望鏡に代わる非船殻貫通型潜望鏡は、
3種のテレビカメラで
外部を撮影し、その信号が発令所のディスプレイに送信されます。

テレビカメラは可視光線域の高解像度カメラと光量増感式カメラ、
赤外線カメラが2本のマスト先端に取付けられ、360度の視界が得られます。

「そうりゅう」型潜水艦見学の時にもお話ししましたが、
従来の光学式潜望鏡では、潜望鏡を覗けるのは一人か二人だけです。

しかしこちらだと昼夜を問わず大型ディスプレイによって
艦内の必要な人員が同時に見ることができ、さらには
画像を録画して解析したり、艦外への情報提供も可能となるというわけです。

 

お仕事中で忙しいのにもかかわらず、こっちから一般人が
一生懸命手を振っていると、手を振り返してくれました。

この写真だと一人だけが不承不承お愛想してくれているようですが、
一応手の空いた人はちょっとだけ振ってくれていましたよ。

日米友好〜! 

 

ところで、軍所属の船舶は、港湾内で本名ではなくニックネームで呼び合うようです。
なぜそうわたしが思ったかと言いますと、「あきづき」の艦橋のモニターに
明らかにこの潜水艦のことのはずなのだけど「ニックネーム」として

「エー×スト×イ×ー」(一応気を遣って伏字)

と書いてあったもんですから・・・。

やはり本名で交信すると、セキュリティ上何かと問題があるので、
パイロットのタックネーム(どの機に誰が乗っているのか撹乱するためのあだ名)
のようにニックネームを使用するのかもしれませんね。

 

いわゆる「ホームスピード」の潜水艦ですが、驚くほど波が立ちません。
海上でこれですから、海中での静謐性にも優れているのでしょう。


ところで、これが「ロスアンゼルス」級のVLS装備タイプだとしてですが、
わたしはあることに気がついてしまいました。
同じ「ロスアンゼルス」級に「グリーンビル」SSN-772というのがいます。

みなさん、この名前に聞き覚えはありませんか?

そう、2001年、今日の「あきづき」のように民間人を乗せていて、
操舵席にその民間人を座らせた上で急浮上し、海上に居合わせた日本の水産高校の
練習船と衝突してこれを沈没させた、あの「えひめ丸事件」の潜水艦です。

あれの全く同型艦が日本に配置されているのだとすれば、これは何というか
アメリカさん、あまりにもこだわりがなさすぎるぜ!という気がします。
まあ、アメリカ人がこんなことを配慮する連中でないことも重々承知ですが。

時々大外れするわたしの艦種特定ですが、
今回だけは間違っていてほしいと切に願っております。


 

続く。 

 

 

 

 


出航と作業艇揚収〜護衛艦「あきづき」体験航海

2017-02-18 | 自衛隊

「あきづき」の体験航海、わたし的にはいきなりクライマックスキタ^^
というべき出港作業が始まりました。

窓の外には既に曳船が作業を始める様子。
そこであらためて艦橋を見まわすと、

「あきづき」のシンボル、エスペランサ猫がお出迎え。

これ・・・異質というかユニークというか、少なくともかっこいい系、
中二系、自然礼賛系、記憶にある自衛艦のマークのどれとも違う。

さらに巷のゆるキャラ系のような狙った感じでもない・・・・。
実にほのぼのと素人っぽい、手作り感溢れるイラストではありませんか。

なんでも前艦長が猫好きで、艦長という絶対の権限を強権的に行使し(多分)
自分の猫(アメショ)
をモデルに新しくマークを作ってしまったという話です。

まあ、偉い人の鶴の一声で部隊のマークが変わるという例は、わたしも
とある掃海隊群で聴いたことがあり、自衛隊では珍しい話でもないみたいですが。

というわけで「希望の猫」と名付けられたあきづきにゃんこは、この通り
潜水艦を押さえ込み、尻尾にミサイルを巻き取ってVサインをしております。

猫好き艦長はその後別の艦に転勤されましたが、そこのシンボルが
猫化したという話は、今のところ伝わってきておりません。

そう、今のところは・・・・((((;゚Д゚)))))))

 

さて、艦橋では淡々と出航作業が行われています。

関係ない素人がうろうろしていても写真を撮られても
彼らが意に介す様子は微塵も感じられません。
こういう時、わたしはまるで透明人間になったような気さえします。

とりあえずこの写真は手前の書類冊子を写してみました。
♪きらめくー海に捨てようー航泊日誌〜♪がありますね。

ちなみに言っておくがJASRAC、これはユーミソの歌の歌詞ではない。
一字違いで大違いというやつだ。 

操舵手席に立つのははどんな艦でも渋〜い海曹と決まっております。
右側の少尉さんは通信士だそうです。(知人の息子さんと同期)

手前には女性もおりますね。

艦長、航海長と航海艦橋の仕事を行う乗員たち。
フラッシュを焚くのが邪魔にならないかと憚られたので 、
写真は大体ご覧の通り。

右舷ウィングから後ろを見たところ。
曳船が頑張ってお仕事しています。

 

65式12cm双眼鏡の横は発光信号機。

昔でいうと「洗濯板」マークがベテラン海曹の袖に燦然と輝いてます。

曳船は押したり引いたりの細かい作業を繰り返して、自力で横移動できない
「あきづき」の巨体をいつのまにか岸壁から出港させてしまいます。

この間は危険なので一般人の甲板への立ち入りは禁止されます。

左ウィング側の艦橋後部のスペースには、
掃除道具や喇叭などが整然と整理されてあります。

喇叭をどこに置くかなども艦によって全く違います。

艦長からはメールによる詳細のお知らせに当たって

「あきづきの航海長は女性です」

と伺っていたのですが、おそらくこの方ね。

艦橋で出航作業の掛け声を聞いていると、二人艦橋に女性隊員がいるので
当然のことながら女性の声が頻繁に聞こえてくるのですが、
これがなかなか良いものなのです。

甘ったれた響きなど微塵もない、むしろ潮枯れしたかのような力強い声。

凛とした厳しい佇まいと相まって、自衛隊にとって「女性の船乗り」は
決してもう特殊なものでもなくなってきたという感を受けました。 

この女性海曹は、出航喇叭の吹鳴も行なっていました。
このとき艦長は右ウィングで指揮を執っておられます。

 

石井艦長は去年12月末に「あきづき」艦長に就任されたばかり。
自衛艦の艦長は(自衛隊に限らず旧軍も、そして海外の軍艦も)
1年、どんなに長くても2年も行かぬうちに転勤になります。

この理由はやはり「艦長職を待っている者がたくさんいるから」
だとこの日艦長直々から伺いました。

喇叭が吹鳴された後は、いつも驚くほど早いスピードで
艦体は岸壁から離れて行きます。

 

そのとき、内火艇が全力で近づいてくるのが見えました。
「あきづき」に追いつこうとしているようです。 

「あきづき」の方ではデリックを動かし始めました。

この部分が動くのは初めて見ます。

舷側で索を繋ぐ作業をするために待機している乗員。
寒いので目出し帽のようなものをかぶっていますね。

あっという間に右舷下に追いついた内火艇は、「あきづき」と
同じ速度を保ったまま、引き上げのための結索を行うようです。

「あきづき」は右舷着岸していたため、哨戒のために出動していたボートは
繋留中
艦の後部に繋がれており、出航してから揚収することになったのでしょう。
よくあることなのかどうかはわかりませんが、これはなかなかの見ものです。

前に立っている人は、内火艇をスティックで操舵しているってことでおk?

三人のうち二人が結索を行います。

あっという間に引き上げのために索が4箇所にとりつけられ、
デリックが上がって行きます。

引き上げ中は船上の3名は天井のないところ(万が一落下したら頭を打つから?)
に屈んで隠れているような姿勢をしています。

この作業の間は「あきづき」は微速かあるいは停止しているように見えます。

 

ゆっくりとデリックが直立?して行き・・・、

後はロープが降りて、下の「船底受け」部分に固定して終わりです。

ボートが停止したら、乗組員がひょこっと出てきました。
デリックに備えられたケージに乗り移り、これで甲板に戻ります。

 

索を全部片付けるまでがお仕事です。

ウィングからはチャフ・フレアランチャーがよく見えます。

正式名はMk.137 Mod2。
敵から撃たれたミサイルの命中を回避する「ソフトキル」手段として
チャフ・フレアが用いられます。
具体的にチャフはアルミ箔などを詰め込んだコンテナを空中へ散布し、
レーダー誘導型ミサイルの目標を誤誘導するのです。

赤外線誘導のミサイルに対しては、高熱源体であるフレアを用いますが、
敵のミサイルがどちらのタイプかは撃ってくるまでわからないので、
とりあえずどちらも一緒に撃つ仕組みがこのチャフフレアランチャーです。 

出航していきなりのイベントにわたしたちは大盛り上がり。
わたしはyoutubeに上げるために一連の作業を動画に撮ったのですが、
そうとは知らずに喋っていた鉄火お嬢さんの声がバッチリ録音されていて、
どうしてもこれだけ削除する方法がわからなかったので断念しました。
(鉄火お嬢さん、責めてませんから) 

作業が終わり、「あきづき」は船速を上げていきます。
これは「航路3」と書いてあり、航行する船舶への目印のようです。

この「SLNC PAX」というのはアメリカのオイル/ケミカルタンカーです。
米国船に給油をしにきたのでしょうか。

ちょうどこれも米軍のらしい曳船が押して出航するようですが、
この後すぐ彼女は岩国(ということは海兵隊基地)に行ったようです。

さらに、「ルート予測」(こんなこともわかるのよ)によると、
彼女はこの後横須賀に向かい、海軍基地に寄港する模様。 

昨日ホテルの窓から見ていた「ボノム・リシャール」と「さわぎり」。
そして、「さわぎり」と並んでいた「はるさめ」はというと・・・、

こちらも出航したばかり。
こちらに向かってくる「はるさめ」の姿に惚れ惚れしつつ一枚。 

そのとき、猛スピードで横を疾走していく米国の警備艇が2隻ありました。   
なんのために・・・?


それはこの後すぐにわかることになります。


続く。



 


乗艦と士官室〜護衛艦「あきづき」体験航海

2017-02-17 | 自衛隊

さて、丘の上から軍港佐世保を見下ろすために取った
今回の佐世保のホテル「弓張の丘」でございますが、 

シングルルームなどございませんので、ツインルームのシングルユースです。 

最近のホテルには珍しく、外のバルコニーに出ることができます。

館内にはこの絶景を望める天然温泉もあり、他に誰もいなかったので、
のびのびと湯船でくつろぎ、ついでに隣のエステルームで
明日に備えて脚と背中のアロママッサージもしてもらいました。 

三脚がないため結構苦労して撮ったボノムリシャールとアシュランド。
「ボノム」の後部はあかあかと照明がついて何やら作業中!

今度一度、尖閣への模擬上陸でも演習でやってはくれまいか。 

というわけでこの日はぐっすりと眠り、夜が開けました。
今日最初の太陽の光が佐世保の軍港街を明るく照らしていきます。 

 

自衛艦は6時に起床ラッパだそうですので、わたしも同時に目覚ましをセットしました。
「あまくさ」は支援艦なのでこういう警備のゆるいところに停泊しているのかな。 

日米海軍の皆さんの朝も始まっているはず。
米海軍の人たちが正確には何時に起きるのか知りませんが。

せっかくの機会なので、「ボノム・リシャール」の後ろ部分を拡大してみました。
引き出しのように右舷からテラスが突き出していますが、
収納可能な作業用の台なのだと思われます。

艦橋と前部。
「いずも」より9m長くて幅は4m細い甲板です。
「いずも」と違って甲板が四角く、こちらの方がずっと空母っぽい。

ところで「ロナルド・レーガン」の艦載機部隊の根拠地は厚木基地ですが、
「ボノム」の飛行隊はどこに駐留しているんだろう・・・。

こちらは「アシュランド」の甲板。
こちらもさりげに揚陸艦だったりするわけで・・・
アメリカさん、本気だね?

ここから見る限りはそうでもないですが、2005年にギリシャ航行中の
彼女を見ると、遠目にも錆が浮きまくりで日本ならば
標的艦になるのを待っている状態、みたいな佇まいです。

まあ、アメリカさんは基本軍艦の錆とか気にしないですからね。
しかし、これが

「アメリカ人は車でも皆錆びてても平気な人種だから軍艦も」

というのは、アメリカに住んだ経験から、なんか違う気がしています。
一般的にアメリカの中流層以上は皆日本車なんかをこぎれいにして乗っていて、
錆を放置したり窓が壊れた車に乗るのは貧民層の証とされています。
(そしてそれは黒人やヒスパニックが多いという印象) 

というよりこれは、彼らの受けた教育に関係している気がしますね。
アメリカの学校は日本と違って生徒が掃除せず業者を入れるのが普通です。
つまり彼らが掃除を当たり前のこととして「教育」されていないから、
という方が近い気がします。


覆いをかけている部分は、おそらく武器関係の補修で、
こういう高いところから中国人に見られるからでしょう。

今日これからお世話になる「あきづき」の甲板には
もうすでに人影が見えています。
もう護衛艦の一日は始まっているのです。

現地まではホテルの前からタクシーに乗ったのですが、
この運転手が「俺語り」する人でねえ・・。

なんで朝っぱらから全く縁もゆかりもない他人から
自分の結婚式には六百人を招待したとか、
30歳で部長だったけど後進に道を譲るためにやめたとか、
(なぜタクシーの運転手をしているのかについては説明なし)
東京でアパレルの仕事をしていたから未だにファッション雑誌を見るとか、
マイレージで海外旅行したとか、そんな話を聞かされないといけないのか。

最初は相槌を打っていたけど、だんだん面倒になって
憮然としていたら倉島岸壁にやっと到着。 
おまけにこっちがいうまで後ろのトランク開けないしさ。

 

そして、車から降りて入り口で名前を申告していたら、
自衛艦旗掲揚のラッパが聞こえてきました。

入り口からキャリーを引っ張って歩いている呑気な人
(にしか見えない)はわたし一人。

もう旗の掲揚が終わってしまったので、 急いでも仕方ない、
と写真を撮りながら歩きました。

なんだか猛烈に湯気の出ている謎の一角とか。

「あきづき」後甲板には人が整列しています。
乗艦時間は7時半から8時半の間なので、遅刻ではありませんが、
学校時代教室に入ったらもうホームルームが始まっていたみたいな気分。

しかもその時、わたしは後ろにあの艦の姿を見つけてしまったのでした。

「く、くらまさん・・・・・」

 ちなみにわたしがいただいた大量の海上自衛隊カレンダーのうちの一つは
二月に「くらま」の観艦式における勇姿をあしらっています。

「これが最後の勇姿であった」

なんて説明があるのですが、ここで退役する日を待っていたのね。

カレンダー情報によると、彼女の引退は今年三月。
つまり、おそらくわたしが見る最後の彼女の現役の姿です。 

急いでいたものの、逆光のその姿をカメラに収めました。

ちなみに、彼女の後、観艦式で観閲艦を務めるのは・・・
誰だと思います?

これは中の人に聞いたので間違いないと思うのですが、なんと
「いせ」なんだそうです。

首相が参拝する「伊勢神宮」とのご縁で選ばれたのかしら。

だとするとどこに総理観閲の「お立ち台」を作るんだろうと不思議ですが、
そういう計画を進める部署ももう立ち上がってるのかもしれませんね。

 

さて、「くらま」の写真を撮り終わって、「あきづき」の舷門に急ぎます。
朝礼でもしてるのかな?

おお、陸軍軍人が敬礼してるー!

出席していなかったのでわかりませんでしたが、どうやら
昔で言うところの善行章授与みたいなことをしているようです。

一佐から賞状を受けるのはWAVEさん。
こんな変な角度からの写真ですみませぬ・・・。

PCを落ち運びするため どこに行くにも引っ張っていくキャリーを
護衛艦の中で特に階段をどうやって持って上がろう、と不安だったのですが、
こちらがよいしょっとバッグを持ち上げた途端、

「お持ちします」

と乗員の方が運んでくださいました。

そこで改めて山の上を眺めると、さっきまでいた弓張の丘ホテルが。
わたしの部屋だったのは一番右の上から三番目です。

遅ればせながら格納庫に到着して鉄火お嬢さんと合流。
知人の「泊まりんさい」というお誘いを軍艦旗掲揚を見届けるために断り
現地入りしたと言う彼女には、開口一番、 

「エリス中尉ともあろう人があの時間にいなかったなんて」

と言われてしまいましたが、全くその通り。
そう見えないかもしれないけど、痛恨の遅刻だったんだよ!

 

その後、二人でお誘いくださった石井艦長にご挨拶をしてから
今日の控え室である士官室に案内してもらいました。

「士官室」

海自はいまだこういうところに海軍残渣であるはずの
「士官」という言葉を堂々と残していて、嬉しくなってしまいます。

こんなところにまで気を遣って「幹部室」とかにして、英語では

「wardroom」

としれっというのはナシね、とわたしは思っておりますので。
余談ですが、

「ワードルームの住人」=「ワードルーム」

つまり候補生以上の士官をメタノミーで「ワードルーム」と呼ぶこともあるそうです。

士官室のファブリックは圧倒的にブルーが多いという印象ですが、
特にそうと決まっているわけではなく、姉妹艦の「てるづき」 は
床もテーブルクロスも椅子もディープレッドを使用しています。

カーテンで覆われている壁の向こうにはホワイトボードがあり、
一般人が入ってくるときにはこうやって閉めて機密保全を行います。

写真を見ていてあっと気づいたのは、士官室の天井に無影灯があること。
これ、いざという時にここが手術室にもなるということですよね。

「つき」型の士官室の絨毯は赤が基本のようです。
腰板は天然木ですし、軍艦の中でありながら士官室は
応接間も兼ねているのでインテリアには気を遣っています。

「平成壬辰歳弥生月」

みづのえ辰とは2012年、「あきづき」が就役した年です。
揮毫者名は、「〇〇庵◯月」 としか読み取れませんでした。

「人員確認」

人員の確認は航泊を問わず確実に実施すること。
※空報告はしない。
※面倒くさがらない。

先任伍長

積み残してたー!とか海に落ちてたー!とかいう事故を
未然に防ぐための先任伍長の厳しくもありがたいお言葉です。

「面倒くさがらない」がリアルです。 
そういうときに限って・・・という事故は昔から後を絶たないのでしょう。

滅多に使われているようには見えませんが、とりあえず必要そうな書籍一式。

「あきづき」の内規、守則、防御処置の手引きや
佐世保地方隊の何やら分厚い本、指導指針やハンドブックなどなど。 

陶板のミミズクが立派な額に入って飾られていました。
ちなみに英語ではミミズクとフクロウはどっちも「OWL」(アウル)といいます。
どうでもいい話ですが。 

出港準備が始まるまでの間、コーヒーを出していただきました。
出港作業は0800から始まり、0900が出港です。

ここで一息ついた後、鉄火お嬢さんに

「出航の時には艦橋行きますよね?」

「もちろんです!」(力強く)

ということで、いざ艦橋。

 

続く。 

 

 

 


佐世保入り〜護衛艦「あきづき」体験航海

2017-02-16 | 自衛隊

「あきづき」DD-115 は2012年3月14日に就役した
現在のところ最新型の汎用護衛艦です。

2年後には「あきづき」4番艦である「ふゆづき」が就役し、
その引き渡し式に(ちなみに大雨)出席させていただいたわたしは
当ブログにその記事を上げるに当たってすでに就役中の「あきづき」の
諸元ディティールを含めて参考にして書いたため、
全く乗ったことがないにもかかわらず結構詳しかったりするわけですが、
今回は初めてその「あきづき」に実際に乗艦してまいりました。

と言いますのも、佐世保から長崎の三菱造船所に入渠する前に
主に隊員の家族のために一般体験航海を行うことになり、それを
当ブログコメント欄でおなじみ鉄火お嬢さんのお誘いにより、
光栄にも同行させていただく運びとなったのです。 

時節柄か、一般募集せず、身内と乗員の招待客だけでアットホームに?
行うという趣旨の体験航海であったようですが、鉄火お嬢さんは
2週間前に艦長直々のご招待を受けたということでした。

 

その後、護衛艦の乗艦名簿の作成のため、わたしたちは
官姓名ならぬ本名と生年月日の提出を余儀なくされました。
鉄火お嬢さんが苦衷の思いで両名の生年月日をメールしたところ、
艦長からのお返事は、 

 「防衛秘密以上に保全を要する事項を知り得てしまい緊張しております。
徹底した保全対策をとり、私の脳細胞から消去しますのでご安心ください(笑)」

緊張してると言いながら、なぜ(笑)をつける、艦長・・・・・・。

さて、バレンタインデー前後の日程だったため、鉄火お嬢さんに
艦長とみなさんにプレゼントするチョコレートの調達をお願いし、
(こういう時、このような贈答習慣はなんだかんだ言ってありがたい)
前日に佐世保入りすることにしました。

佐世保に飛行機で行くには長崎か福岡のどちらかから、となるわけですが、
どちらからもそこそこ遠いので、今回は今まで使ったことのない
長崎空港から入ることにしました。 

 

羽田からの使用機は新型の電子カーテン搭載でした。
ボタンを押すと中間層のエレクトロミックジェルが電気化学作用を起こし、
電圧を加えるとジェルが暗転、電荷を取り除くと元の透明な状態に戻る仕組み。

反応が遅いので、慣れるまでは一挙に3段階くらい押してしまい、
暗くなりすぎたり明るくなりすぎたりします。

この写真は1段階シェードをかけているので青みがかって見えます。 

予約しておいた乗合タクシーで長崎空港から約50分、佐世保駅前に到着。

バスを降りたら道のすぐ向かいに自衛艦がいてびっくりしました。

艦番号4303というのに全く心当たりがなく調べてみたら、
多用途支援艦「あまくさ」だったことが判明しました。

この多用途支援艦って何か?と言いますと、
標的の曳航含む訓練の支援、自走不可能になった艦の航行の支援(つまり曳航)、
消火、救難、物資輸送など多用途の支援を行う役目の艦です。

大きな1本煙突がありますが、例えば「ましゅう」クラスの大きな艦艇も
曳航できるだけの馬力を持っていることと関係ありそうですね。
(ってことは、『大和』も引っ張れる?)

「あまくさ」は「天草四郎」ではなく、「天草灘」から取られています。
「ひうち」型は、「燧灘」「周防灘」「玄界灘」と「灘」が命名基準です。

どうして「あまくさ」が道路脇にいたのかはわかりませんが、
遠目に舷門には女性自衛官が立って見張りをしていました。

佐世保って、こんなに自衛艦が近くで見られるんですね。

さて、佐世保といえば佐世保バーガー。

他のバーガーと何が違うのかはわからないままに、
すっかり有名になってしまったご当地グルメです。

佐世保駅前に到着したので、ホテルにチェックインする前に
ログキットという前回佐世保バーガー初体験をしたお店で
お昼がわりに食べてみることにしました。

この看板から顔を出せるのは多分3歳以下の子供だけだな。

驚いたことに、この普通より大きなバーガーがハーフサイズ。
レギュラーはこんなんアメリカ人でも食べんわ!というくらいの巨大サイズです。 

巨大バーガーのエキスパート食べ方モデルは米海軍のかた?

基本はとにかく「押さえつける」ことみたいですが、
わたしはそれをたった今知りました。

5、お皿に残ったソースや具は指ですくって味わう これが本場アメリカ流!

これも今初めて知ったような気がするな。
おまけに海軍軍人お皿舐めさせられてるけど、
いくらアメリカ人でもこんなことしないっちゅーの。 

まあ、押さえつけなくても普通に美味しかったです。 

ちなみに息子は前回ここで食べたバーガーがよっぽど気に入ったらしく、
わたしが佐世保に行くというと買って来て!と言い出しました。
当初わたしは三菱造船所の場所を全く把握しておらず、佐世保から出航して
佐世保に帰って来ると思い込んでいたので、鉄火お嬢さんに

「艦から降りたら佐世保バーガー買って帰れるかな」

などと言って

「大丈夫ですか?佐世保出たらもう帰って来ませんよ?」

と呆れられたわけですが、なんと帰りの長崎空港のレストランで
こんなわたしのために佐世保バーガーをテイクアウトできることが判明。

その日の夕食後に息子は空輸したバーガーをペロリと食べて曰く

「美味しかった。前に食べたのほどじゃないけど」

それからホテルにチェックイン。
前回の佐世保訪問の際、小高い丘の上にホテルらしきものを見つけ、
このブログで書いたところ、「弓張の丘ホテル」だと教えていただき、
今度来た時には是非、と思っていたのですが実現しました。

佐世保駅前からはタクシーで1800円。
地図で見る距離は大したことはありませんが、山道を上がっていったところです。 

「佐世保では一番いいホテル」

だとタクシーの運転手さん。
ここで結婚式を挙げるのが佐世保の恋人たちの憧れだったり?

鐘といえば長崎。
その鐘がなんとプールの前にあります。

ガーデンプールウェディングが売りなのね。

飾りではなく、実際に夏場には泳げるようで、シーズンオフで
閉めていましたがプールバーらしき窓もありました。 

ティールーム兼バーからの眺めもこの通り。
こんな絶景のホテルはどこにもそうそうないでしょう。

平日のオフシーズンなのでホテルズドットコムでも安く取れたのですが、
そのせいで客の割合が
半分以上中韓からの観光客となっていました。

このティールームでは、iPadの映像を音声付きで
ガンガン流して見ている韓国人男性が二人いて、
しかも声がうるさいため、わたしは早々に部屋に引き上げました。

冒頭写真は部屋から「模型風モード」で撮った佐世保の街ですが、
このモードでホテル近辺の山を撮るとこの通り。

 

普通に撮るとこんな感じです。
宿泊客が少ないせいか、「夜景コース」を選んだら、
一番端の部屋にしてもらえました。

地上を首を振りながら歩いていた鳥さん。

わたしが「夜景コース」を選択したのは、こちらにすれば
こんな景色が見えると確信したからです。

まずこちら。
艦番号48・・・・?
はて、しかも面妖な形の・・・。
あ、ということはこれはアメリカ海軍のフネか。 

どうやらこれ、

ドック型揚陸艦「アシュランド」(USS Ashland, LSD-48)

みたいです。

(当初ミサイル巡洋艦「ヨークタウン」(USS Yorktown, DDG-48/CG-48)
と間違えていたのですが、こちらはもう引退していました)

ちなみに細部を拡大して見ると、錨が金色でした。

金色の錨は生まれて初めて見たような気がします。 

空母にしては甲板が狭い気もするぞ?
正解は、

強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」(USS Bonhomme Richard, LHD-6)

いやいやいや、これ強襲揚陸艦なの?
「いずも」よりどう見てもでかいんですけど。

昨年の夏、ロングアイランドで元強襲揚陸艦を改造したフェリーに乗りましたが、
フェリーになるくらいで結構単純な作りでした。
今アメリカさんはこんなもので揚陸しちゃうわけか。

ここからはハッチが少し見えていますが、ここからエアクッション艇など、
舟艇がダーっと降りてきて、人員を揚陸してしまいます。
しかも甲板には昔と違って航空機がてんこ盛りできるというね。

ちなみにてんこ盛れるのは次の通り。

セット1

AH-1W スーパーコブラ攻撃ヘリコプター、UH-1N ツインヒューイ汎用ヘリコプター、
CH-46 シーナイト・CH-53E スーパースタリオンなど大型輸送ヘリコプターを最大42機

セット2

ヘリコプター最大30機およびAV-8B ハリアーIIV/STOL攻撃機6-8機


アメリカがここに「ボノム(いい人)リシャール」を配したのは、
はっきりと尖閣対策で中国に対する威嚇だと言われていますね。
佐世保にやってきたのは2016年の夏ということですが、これは
安倍政権になってオバマ政権との間で日米同盟が強化されてから
もっとも直接的な同盟の「証」だったかもしれません。 

 

ところで、アラメダでなんども見学した「ホーネット」の
見学ツァーのガイドをしていたイケメンおじいさんは元パイロットで、

「ボノムリシャールに乗っていた時日本に行ったよ」

って言ってましたっけ。
先代の空母だった「ボノム・リシャール」のことなのですが、
その後継は尖閣を守るため(って言っちゃう)今佐世保にいるわけ。

このイケメンおじいさんと話をしたのが2016年の8月。
そう、偶然「ボノム・リシャール」が佐世保に来た時だったということになります。



この2隻は疑いようもなく我が自衛隊の艦艇。
なぜわかるかは自分でもわからないけど、わかってしまう。
門前の小僧習わぬ経を読むとはよく言ったものです。

手前は

補給艦「はまな」 JS Hamana、AOE-424

向こうは

護衛艦「はるさめ」 JS Harusame, DD-102 

というわけで、一つの岸壁を仲良く日米で使用していることを初めて知り、
改めて高いところにホテルを取った甲斐があったと思いました。

赤レンガ倉庫が夕日に照らされています。
これらは全て佐世保に鎮守府があった頃建てられたもの。 

全て米軍基地の敷地内にあるそうで、彼らは建物の物持ちがいいため、
この煉瓦倉庫もちゃんと補修して現役で使い続けているそうです。

まあわたしは日本の手に渡った途端、建築基準法や耐震強度、何より
維持管理費の問題から手に負えなくなって解体してしまうことが目に見えているので、
このままアメリカ軍に持っていてもらいたいと思っていますが。 

それにしても米軍基地の一般解放があったらいつかは行ってみたいなあ。

望遠レンズであちこち覗いていて、遠くに護衛艦を見つけました。
お?これはもしかして・・・

倉島岸壁に繋留されている「あきづき」さんではないか!

艦長からのメールに「岸壁を間違えないように」とあり、
佐世保をよく知らないわたしとしては結構緊張していたのですが、
部屋から簡単に位置確認ができてしまったぜ。

「あきづき」さん、明日はよろしくね。


続く。



 

 


メス・デッキとソフトクリームマシン〜駆逐艦ジョセフ・P・ケネディJr.

2017-02-15 | 軍艦

駆逐艦ジョーイP、ことジョセフ・P・ケネディJr.続きです。

甲板階から上部構造物に入っていくと、すぐにポストオフィスがあります。
ドアがそのまま窓口となっていて、係はドアを開けずに対応できる仕組み。
ドアの下から手紙も投函していたのでしょう。

業務時間は月金の午前と午後3時間ずつ。
お金の取り扱いは水曜日とペイデイだけとなっています。

オフィス内部。
タイプライターと郵便物を入れる袋などが所狭しと置いてあって、
おそらくは一人か、せいぜい二人しか入れなさそうです。 

ヘアカットが50セントでできるのはわかった(笑)
安かろう悪かろうってやつですか。

 

英語で「キャピタルシップ」というところの主力艦、例えば
「マサチューセッツ」などでは、何千人も乗員がいるので、
全く顔も見たことがないという人がいて普通です。

しかし、駆逐艦の乗組員は潜水艦ほどではないものの、
その規模からいって「ファミリー」でもありました。
「クロッシング・ライン」、赤道祭りのような海軍の儀式は、
その交遊をを築く上で重要な役割を果たします。

この儀式では、赤道を最初に通過した士官や下士官兵は
女装したり変なものに扮し、ばかげた騒動に参加するよう強制されます。

これらの無害な通過儀礼を経た時、彼らは "Shellback"(赤道を越えた人)
に昇進し、「シニアシェルバック」である "キングネプチューン"(誰だよ)
から証明書を受け取ったりするのだそうです。

 

さて、そんな一体感は、小さな駆逐艦にひしめき合う
200名の乗員が「同じ釜の飯」を食べることによって
より強いものになっていくのです。

・・・と繋がったところで、今回はメス(食堂)のあるメス・デッキ。 

メスmessというのは普通に「散らかっている」「乱雑である」
という言葉ですが、どういうわけか軍隊の食堂という意味でもあります。

messがどう見てもネガティブなワードであるにもかかわらず、
「メス・ジャケット」 は普通に略礼服のことでもありますし、

どうもこの語源がよくわかりません。

しかし悩んでいても埒があかないので進みます。 

まずはメインギャレー(キッチン)にやってきました。
ジョーイPことジョセフ・P・ケネディ・Jr.のメインギャラリーは
ベトナム戦争の時代から現在まで稼働しています。

今でもリユニオンや集まりがあるとキッチンが活躍するからで、
鍋も什器も、大型の生ゴミ入れも現役のかほりが・・・。

ここにあるのは野菜用意機械(どういうものかまでは分からず)、
ミートスライサー、大型のミキサー、三台のスチームケトル、
そしてオーブンとグリドルなどの設備です。 

肉叩き、チェリージャム、そして一度に4枚焼けるトースター。
手前の本は「ベーカーズ・ハンドブック」。
コーヒーカップは先日ご紹介した映画「勝利への潜行」で見た
同じ錨のマークと金線の入ったものです。

ジョーイPの乗員は275人から345人(戦時)と、
マサチューセッツの1800名から比べると微々たる数ですが、それでも
このそう広くない艦内で一度に食事をとることは不可能だったでしょう。 

ここはまず手前で食器を取り、黄色い線に従って1列に並んで
ホットプレートから食べ物を取っていくコーナー。

食べ物をとるための列はラッタルのところからスチームライン
(どこにあるのか知りませんが)まで伸びた、と説明にあります。

下士官兵用の例の食器兼用シルバートレイが立てて並べてあります。
コーヒーカップ、 カトラリーも乗せてしまえる便利もの。
戦後の自衛隊はアメリカ海軍のこのシステムを輸入したんですね。

塩胡椒、紙ナプキンに砂糖・・・。
ちゃんとロックしてあるのは笑いどころ? 

 

手前にトレイを乗せて食べ物を乗せていくシステム。
キッチンなので消火ホースもちゃんと近くに備えてあります。

 トレイを持ってきてここでいただきます。
テーブルに長椅子が最初から作り付けになっています。
休憩時間にもここで過ごすらしく、テーブルにはバックギャモンなど
ゲーム盤がプリントされています。

下には兵の居住区があるはずですが、立ち入り禁止でした。

 

そして食べ終わったらここで食器を洗います。

キッチンは1日3回の食事を2〜300人のために作るわけですから、
朝ごはんが終わった途端片付けて昼ごはんの用意、昼が終わった途端・・、
と、一日寸時も止まることなく稼働し続けていました。

説明はありませんでしたが、給水器だと思われます。

水は機関室にあったこのエバポレーターから作られます。
一日に4,000ガロン(1,500リットル)のフレッシュな水が作られます。

潜水艦でも「新鮮な空気はまずエンジンの稼働のために必要であり、
人間が呼吸に必要なのは二の次」と言われているように、
海上における水のファーストプライオリティは、なんとボイラーでした。

その次に、人間の生活用水、料理に使う水です。

このエバポレーターはメインではなく、前部エンジン室にあるものは
一日に12,000ガロン、4,500リットルの水を作っていました。

ここでエバポレーターと蒸気発生プラントについて。
艦の飲み水は海水を蒸留して真水にすることで得られます。

という、小学生の理科の教科書のような絵が描かれていてわろた。


 

乗員のブルースくんは、この装置をワッチする係です。
艦船のワッチはどれも重要な役目ですが、特に水を作り出す機会に異常があれば
先ほども言ったように人間よりもボイラーが動かなくなってしまうので、
責任重大です。 

メスにはこんな本棚もありました。
こちらはほぼ空っぽですが・・・・、

こちらには当時から乗員が読んでいたのではないかと思われる蔵書が。

エンサイクロペディアに通信関係の教科書のようなもの、
エドウィン・レイトン中将という人が書いた「そして私はそこにいた」。

そこってどこ?
と思って調べて見たら、パールハーバーとミッドウェーのようです。
そりゃまあそこにいたなら戦後本を書きたくもなろう。 

あとは「第二次世界大戦で失われた軍艦」「海戦」
1969年の潮の満ち欠けなんて本もあります。

 

赤くペイントされているので消火栓だと思われます。

どんな時でも熱いコーヒーが飲みたいアメリカ人のために、
壁に作り付けられた「コーヒー・メス」。

コンセントがついて保温が可能です。
棚の右側には砂糖とカップが置いてあります。
アメリカ人はミルクは入れない派?

赤い縁の大きなボードは「エマージェンシー・ステータス・ボード」。
メスの間取り図が描かれていて、どうも避難用だと思いますが、
こんなものを見て「えーと」とか探しているより、とっとと
甲板に出るのがいいと思います。

メスに飾ってあったのは USS メルヴィンDD-680の模型。
ギアリング級の前級であるフレッチャー級駆逐艦ですが、
なぜここにこれがあるのかはわかりません。

「メルヴィン」はサイパン、テニアン、ウルシー、スリガオ海峡で
日本軍と戦った駆逐艦。
スリガオでは戦艦「扶桑」を沈めています。

戦後すぐに引退して1970年代にスクラップにされているので、
もしかしたら乗員の誰かが関係者だったとかかもしれません。

またしてもキッチン付近で発見した謎のシート。
各所の名称、ナンバリングされた数字、ロケーション。
いずれにせよ、軍艦では「あそこ」とか「どこ」という呼び方で
場所を指定しないちうことなんだと思います。

ところで、これ何かしら。

「SANI SERVE」で検索してみると、どうやらこれ、
大型のソフトクリームマシンであるらしいことが判明しました!

アメリカの軍艦の「神棚」はここにも健在です。
サニサーブという会社は1931年から「フローズン・カスタード・マシン」
を作っていた会社だそうですから、当然戦時中も同社による
アイスクリームマシンは軍艦に提供されていたのでしょうけれど、
 第二次世界大戦中の駆逐艦は、全部が全部アイスクリームマシンを
搭載していたわけではなかったようです。

そこで、例えば海に落ちたパイロットを助けたら、
そのパイロットの体重のアイスクリームが戦艦や空母から
ご褒美にもらえた、というようなことも起こりました。
 

これ、例えば70キロのパイロットだったなら、戦時で350人乗っている駆逐艦に
一人当たり200グラムのアイスクリームが与えられたってことです。
アメリカ人はアイスクリームを子供でも200グラムくらいペロリと食べますから
これくらいは悪くないディールです。

まあしかし、戦後の駆逐艦であるジョーイPには、ごく普通に
アイスクリームマシンが装備されてるってことですね。

自衛艦ではアイスクリーム購入するので、「アイじゃん」
などというシステムが生まれるわけですが、アメリカではもしかしたら
水や空気のようにアイスクリームはタダが当たり前・・だったりして。

 Messdecks on the USS Joseph P. Kennedy Jr DD850
 


続く。 

 

 

 

 

 

 

 



”フラム缶”ジョーイP〜駆逐艦 ジョセフ・P・ケネディJr.

2017-02-13 | 軍艦

FRAMという言葉をご存知でしょうか。

普通に検索すると富士通のメモリ、「フラム」だとイギリスのサッカーチームとか
子供服のお店なんかがでてくるのでそう一般的に知られているわけでもないですが、
FRAM NAVYで検索すると、

 Fleet Rehabilitation and Modernization(艦隊リハビリ&近代化)

という英語の項目が出てきます。

ところで、皆さんは冷戦というものが米ソ両国にとって
「史上最も高くついた戦争」だったと聞いたことがあるでしょうか。

アメリカ側はシップトゥーシップの思想のもと空母を大量建造し
経済が傾くほどでしたし、ソ連はそれに対抗して原子力潜水艦の建造を
エスカレートさせていきました。

この見えない脅威に備えて、米海軍は「あるものを有効活用」して
少しでも安く備えようと、フラム計画が実行されることになったのです。

そして、この計画を推進したのは!
そう、我らが(って言っちゃう)アーレイ・バーク提督その人でした。

1957年、ソ連が300隻の高速最新型原潜を導入したのに対抗するには
とにかく新しい船を作るのが最優先ではあるけれど、
その空白は、第二次世界大戦中に作られた艦のリハビリと近代化でなんとかする

という「THE AGING FLEET」(加齢艦隊)計画という勧告書を
上院下院の予算委員会に提出したのもバーク提督です。 

そして、このフラム計画の筆頭に上がって改築を施されたのが、
この「ジョセフ・P・ケネディJr.」を含む「ギアリング」級の駆逐艦、
そして「アレン・サムナー」級駆逐艦でした。

初回のエントリにギアリング級駆逐艦の多くは海外に譲渡され長生きした、
と書きましたが、この理由は彼女らがフラム改装が施され若返ったからで、
元々は戦争投入のための大量生産品である彼女らの出来が良かったからでは
なかったということが、この事実によって判明しました

アメリカ海軍の俗語で駆逐艦のことを「The Tin Can」(錫の缶)と呼ぶそうですが、
フラム改修を施された駆逐艦は「THE FRAM CAN」と呼ばれたそうです。

それではフラム改修によって、ジョーイPはどのように変わったのでしょうか。

まず、以前もお話しした「DASH」、無人ヘリ型ドローンの装備です。
そのために後部甲板もかつての形状から大幅に変えられました。
この写真は現地にあったもので、ドローンのパイロットが

「もっと昔から”フラム”してくれてればなあ〜。
ロボットヘリコプター発進だ!」

などと言っております。
左上のロゴは、「缶」とかけて、

第二次大戦時代の”缶”からもっとジュースを搾り取れ!

つまりフラム改修によっていい結果を出すことを
こんな風に言っているわけです。
(翻訳すると全く面白くないのが困りもんですが)

 

ギアリング級は、他のフラム缶より大幅な改装を施され、それは
ほとんど昔の構造を取り払うくらい徹底的なものでした。

一言で言うと「抗堪性」がアップしたということになります。
抗堪性とは英語で言うと「サバイバビリティ」(こっちの方がわかりますね)

基地や施設が敵の攻撃を受けた場合に、被害を局限して生残り、
その機能を維持する性能をいう
●航空基地やレーダサイトなどの防空能力を高めるために対空機関砲、
携帯 SAM (地対空ミサイル) 、短 SAMの配備を進める
●指揮管制など主要施設を地下に埋設して保護する
●飛行場に対する攻撃に備え、戦闘機のシェルターや滑走路を復旧する資材を整備

というのが一般的な抗堪性の解釈ですが、これでいうとジョーイPは
エンジンも取り替え、CICは一層広く充実した最新式のタイプになり、
対潜のためにレーダーやソナーも最新鋭の機種が装備されました。

さて、それでは今日はそのレーダー・ソナー関係の写真を見ていきます。


レディオルーム。
ここには通信機械と暗号機械なども装備されています。

同じ形のアンプにはテプラで「MATE1」「 MATE2」と印付けされています。
郵便物などが乱雑に積まれているあたりがリアル。 

 

ロッカーのようなもの、金庫のようなもの、
全て説明がなく何かわからない上、ことごとく写真を失敗して
細部がわかりませんorz

 

艦内の電気系統のインジケーター。

アンテナのチューナーです。

改装に当たって、ジョーイPはキールに独特な形のドームがつけられました。
そこには敵潜を見つけるための「もっとも効果的な」ソナー類が収納されていました。

7の番号が打たれた部分がそのドーム。
今ではそれらの機器は全てバウソナーに変わっています。

「ソナーがあれば潜水艦は我々の手の中に入ってしまうよ!」

と文字通り潜水艦を手に乗せて?乗員が言っております。
アメリカでも「お釈迦様の手のひら」 みたいな言い方あったんですね。

 

1958年、ジョーイPがニューヨークでフラム改修された際に導入された
ソナー AN/SQSー23はロングレンジで、
捜索と攻撃用精密追尾の両機能を有するマルチモード・ソナーです。
 

同時にフラム改修を施された「アレン・サムナー」級も同じソナーを搭載しました。
我が海上自衛隊でも「あまつかぜ」「やまぐも」「たかつき」などが
一時搭載していたようですが、のちに66式探信儀OQS-3

に切り替えられ、アメリカでも5年後には、より大型でより低周波を使用できる
AN/SQS-26が開発され、新造艦への搭載はこちらに切り替えられています。

 ALOFT 、というのは海事用語でマストの頂上のことです。
この電源はマスト上に人がいる時には切っておくように、と
わざわざ大きなプレートで警告しています。

艦内各所のスピーカーのアンプのようです。

C-4621/SRというのは軍用機、軍艦などに搭載するラジオセットコントロールです。
無線機の動作モードを決定する単一のコンポーネントで、
現在でも型番を変えて使われているらしく、これを検索していたら
「注文ページ」にたどり着きました。

これ、普通の人でも注文できるんだろうか・・。



「NBCR」というのがジョーイPの固有信号。

奥に通信室がありますが、ドアが開いています。
他のジョーイPの写真で知ったのですが、もしこれが閉じていたら、
そこには雷のマークが描かれているのが見えたはずです。

1984年当時の艦内写真

 

ここでまた、ジョーイPの年表を上げておきましょう。

1951年 佐世保に入港し、朝鮮戦争に参戦
    写真は元山で砲撃するジョーイP

1961年 1月 ケネディが大統領就任したのでお祝い 
    4月  FRAM改修を施される

1962年 9月 アメリカズカップ観戦のためケネディ夫妻乗艦
    10月 キューバ危機でカリブ海に出動

1964年 10月 ドミニカ共和国に海兵隊とともに上陸する
        オペレーションスチールパイクに参加 

       1945年の沖縄上陸作戦以来の大々的な上陸作戦だった 

 

ちなみに1964年、ドミニカの内戦に、アメリカは直接関係ないのにもかかわらず、

「合衆国市民を保護し、ドミニカを共産主義から保護するために」

介入を決めたのはリンドン・ジョンソンで、スチールパイク作戦を指揮したのは
「ミスター・シーパワー」と呼ばれたジョン・マケインJr.でした。

 

続く。 



「カーキーズ」下士官たちの不満〜駆逐艦「ジョセフ・P・ケネディ・Jr.」

2017-02-12 | 軍艦

駆逐艦「ジョセフ・P・ケネディ」見学、続きです。

19世紀後半自走魚雷が発明された途端、それを搭載するための
小型艇を当時の世界の海軍が作り出しました。
小型ならではの高速性で戦艦や巡洋艦を沈めることも可能、
という新兵器だったのですが、それに対するカウンターの兵器として、
魚雷艇よりは大きく、しかし高速性はそのままに、魚雷だけでなく
重武装した戦闘艦が生まれます。

それが駆逐艦=デストロイヤーで、第一次世界大戦において
この名称はすでに定着していました。

第二次世界大戦では、駆逐艦は空、陸、海上からの攻撃に
太刀打ちできる「万能艦」としてその役割を担うようになります。
艦隊においては砲撃の支援をするだけでなく物資や人員を運搬し、
海面から撃墜された飛行機のパイロットを救出し、そして
早期警戒、哨戒を行うといったように。

戦艦や空母には圧倒的な存在感とその戦闘力がありますが、
その実どちらも特に敵の潜水艦に対しては全く無力です。

かつて駆逐艦の護衛無くして敵の海域に飛行機や戦艦が進入したことはありません。

進水してからのジョーイPの三年間を簡単にご紹介しておきましょう。

1945年7月、マサチューセッツ州クィンシーで進水
 
この時シャンペンの瓶を割ったのは、ジョセフ・ケネディの妹
(8番目の娘)ジーン・ケネディ。
彼女はのちに駐アイルランド大使として名誉国民にまでなりました。

1946年2月 捕鯨ボートと接触?乗員が海に投げ出され行方不明

   4月 ロバート・ケネディが任務で乗り込む

1947年2月 地中海に航海、帰国後第8艦隊の旗艦になる


さて、前回の内部に続き、
甲板階で見られるものをご紹介していきましょう。

主砲を見ながらその横に回ってみると、後ろはこんな風になっていました。

 

Interior of MT51 on USS Joseph P. Kennedy Jr DD850

外からガラス越しに見えているのは、このyoutubeによると
MT51なんだそうですが、これで調べてもほぼ何も出てきません。

おそらく5インチ38といわれた砲のことで間違いないと思います。
上のyoutubeでは、同じギアリング型駆逐艦の「マッキーン」 USS784
に乗っていたベテランがかつてのようにローディングをやって見せています。 

youtubeではこの反対側にローディングするスライドがあって、
そこに弾薬を投げ入れておりますね。
昔のようにスライドが動かないので、じいちゃんちょっと焦ってて可愛い(笑)

スライドという弾薬をロードするところがわかりやすいです。

さて再び室内展示です。
大きな赤十字は医務室の印・・・・と思ったら違った。

DISBURSING OFFICE

つまり「出納事務所」です。
もしかしたらいざという時にはバトルドレッシングになるのかもしれません。

みなさんここにきて毎月2回のペイデイにはお給料をもらったんですね。

タイプライター、印刷機、キャビネットの上には穴あけ機。
こちらは「サプライ・デパートメント」、つまり補給部事務所。 

ウェブスターの特大辞書(もちろん英英辞典)もあります。
実際にここでずっと使われてきたのでしょう。 

こちらもオフィス。
それにしてもスチールのロッカーとか、全く固定してませんが、
時化の時に倒れたりしなかったのか心配です。

出納事務所と隣り合ったこの部屋は、補給部の事務所。
アメリカ海軍「サプライ・コーア」所属の士官が詰める事務所です。

サプライコーアは、日本海軍の主計と同義で、

供給管理、遠征物流、在庫管理、支出、財務管理、
契約、情報システム、業務分析、材料と運用、
物流、燃料管理、フードサービス、物流 

などを所掌する部隊です。
先ほどの出納事務所もここの管轄です。

その隣は火災の時に必要な装備装具だけを集めた倉庫。

 

 

 

食堂の脇にはここにも居住区につながるラッタルが。


階段の下には行けませんが、兵員のバンクが見えました。
ブルーの作業着が見えるように広げて置いてあります。 

奥はシャワーブースがあるようです。
この階にあるということは士官用だと思うのですが、なんだかなあ・・・。

CPOとはチーフ・ペティ・オフィサーのこと。
士官、准士官、そして下士官兵という米海軍の階級で、
下士官の上等兵曹以上には CPOが付きます。

上からマスターチーフオブザネイビー(海軍最先任)、マスターチーフ(最先任)
シニアチーフ(上級上等)そしてチーフ・ペティオフィサーの上等海曹。

わたしは未だに下士官のこの階級についてよく理解していないのですが、
この部屋は「チーフ」のつくペティオフィサーの部屋ってことでよろしいでしょうか。

つまりマスターとかシニアとかチーフが全部とりあえずここにいるってことでおK?


 

ところで自衛艦の先任海曹室も、何やら特別な看板によって
その存在を目立たせているものが多いような気がしますが、
この傾向は案外アメリカ海軍発祥なのかもしれません。 

扉には他の部屋にはない意匠を凝らした絵が書かれています。

 

ちなみに、先ほど下の階のベッドに置いてあった制服はブルーでしたが、
CPOの制服はカーキ色だったため、彼らのことを

「カーキス」(KHAKIS)

と呼んでいました。
2009年に軍服が改正になって、ブルーの海上迷彩が制定されてからは
徐々に置き換えられているものの、下士官と CPOは
未だにカーキのものを着用する傾向があります。
しかし、新しくなった一等兵曹以下( E-6以下)のサービスユニフォームに
カーキシャツと黒のズボンというものがあり、このことがどうやら
CPOなど E-7以上の下士官の不満となっているという話です。

なまじかつて「カーキス」と呼ばれていたため、その色が
下の者に使われるのが感情的に面白くないって話でしょうか。

ちなみに沿岸警備隊ではコミッションド・オフィサー(士官)から
ペティ・オフィサー(三等兵曹)まで同じ制服を着ています。 

階級による差異化が誇りだけでなく特権意識を伴った場合、
えてしてその変化においてこのような不満が起こってくるものですが、
米海軍もややこしいことをせず全員青迷彩に決めてしまえばよかったのに・・。 

 

ドアに書かれた「ORDNANCE SHOP」の文字。
いよいよ武器庫か?と色めき立ったのですが、実はここが武器庫でした(爆)
かつてはこのスペースに小銃などの武器が収納されていたのだけれど、

展示艦になると同時に取り払われて、今は単なる空室状態です。


ただ、下に続く階段があって、機関室に行けることがわかりました。
実はなんだかんだ言って駆逐艦の機関室を見るのは初めてです。
それでは張り切っていくぜ!

 

続く。

 

 


気の毒なオーウェンズ艦長〜駆逐艦「ジョセフ・P・ケネディJr.」

2017-02-11 | 軍艦

 

バトルシップコーブの「ジョーイP」ことギアリング型駆逐艦、
「ジョセフ・P・ケネディ・Jr.」続きです。
アメリカズカップをケネディ夫妻がこの甲板から見たということを
教えてくれたアメリカ人男性に

「いい写真たくさん撮ってね」

と言われて別れ、艦内に入っていくことにしました。

ドローンを収納する格納庫より艦首側の舷側はご覧の通り。
第二次世界大戦のために大量生産が続くはずだったのですが、
戦争が終わったため建造が中止された「ギアリング」型駆逐艦。
同じように終戦前大量生産されて中止になった帝国海軍の「松型」よりは
よくできていて、戦後も長生きした、と前にもお話ししました。

 

JFKの兄ジョセフが29歳で亡くなったのが1944年の8月12日、
彼の名前をとった「ジョーイP」が起工したのは翌45年4月2日、
そしてわずか3ヶ月後の7月26日に進水式。

ここまでは猛スピードで建造が進んでいたのですが、
「ジョーイP」が艤装中に戦争は終わってしまいました。
戦争遂行のために大量建造していた駆逐艦なので、以降新たな建造は
ストップされましたが、とりあえず終戦までに進水を終えていた艦だけは
最後まで完成させる、ということになったようです。

まあ、戦死者(大物ではなく戦死状況によっては一兵卒のことも)
の名前が命名基準のフネですから、戦争が終わったらもう必要もなくなり、
生産はストップされるのは当然ですが、作りかけの船を中止するわけにはいきませんし。

というわけで「ジョーイP」が就役したのは同じ年の12月15日。
戦争が終わったので急ぐ必要もなくなったということで、
艤装には5ヶ月「も」かけたことになります。 

 

艦橋はガラスで遮られていて中に入ることができませんでした。
今まで見てきたアメリカの軍艦で最も護衛艦に似ているかもしれません。

正面にはモニターがあって、かつてここで操舵を行なっていた
人がその時の思い出を語っています。
音声は、この部屋のドアの前に立っていると聞くことができました。

検索していたら中に入ることもたまにはできるらしく、
動画で中の映像をyoutubeにアップされたものがありました。

Bridge of the USS Joseph P. Kennedy Jr DD850

モニターの元乗員が話している音声も少し聞こえ、
今回撮れなかった部屋の反対側も見ることができます。 

「マサチューセッツ」の時に知ったことによると、これは
タクティカルステイタスを状況ごとに書き込んでいくボード。 

「スカンク」「ボギーズ」などという謎の言葉が見えます。

 

 


CICは基本外が見えない部屋にあったりしますが、ここもそうです。
理由はモニターが見やすいからです。
しかも照明が赤でした。

なぜ潜水艦はもちろん軍艦護衛艦の照明が赤なのかは、
人間の視力は赤い照明の中にいたら暗闇でも視力が失われない、
という理由によるもののようです。

「パワフル・エレクトリック・スイート」強力な電子機器によって収集されたデータは
ここ、コンバットインフォメーションセンターに集まってきます。

乗員はここでラジオ、レーダー、ナビゲーションなどをモニタリングし、
敵艦や敵機の位置、搭載武器の種類、そしてその威力を特定します。

ジョーイPの搭載していた対空レーダーは、また敵のガイダンスシステムを
混乱させることもできました。

 

さあ、それではラッタルを降りていくことにします。

チャートルームです。
製図のためのテーブル、ストップウッチ、椅子の背にかけられたのは
ペティオフィサー、一等兵曹(Petty Officer First Class(PO1)  
の制服の上着。
ちょっと仕事中に席を外したという演出ですね。

 

ファイルケースの前とロッカーに

ADVANCE CLOCK ONE HOUR(時計を1時間進めよ)

と書かれたボードが一枚ずつあります。
アメリカではサマータイムになると時間が1時間進みます。
その際、あまねく広報が行き渡るので、勘違いする人は
よほどのうっかりさんか世捨て人みたいな世間と関わらないで
生きている人ぐらいででしょうが、こと軍艦ではサマータイムの
時間の修正はワッチの時間などに関わってくるので重要な問題。

というわけで、サマータイム用にわざわざこんなプレートが
皆の集まるところにかけられたのでしょう。

ちなみにわたしたち家族は、ちょうどフランス旅行中にサマータイムになり、
全くそれを認識しないままホテルのチェックアウト時間を過ぎて
フロントの人から電話がかかってきたということがあります。

こういう時に教えてくれないのがフランス人・・・・。 



ヘルメットには「ナビゲーション」を表す『NAV』のステンシル。
ケースの六分儀がわざわざ出しておいてあります。

後ろの表には

「WATCH, QUARTER AND STATION BILL」

とあります。
ワッチは自衛隊でもそう言っているところの「見張り」ですね。 

DIVISION COMMANDER'S STATEROOM

ディビジョン・コマンダーで調べると「師団長」となるのですが、
それだと陸軍になってしまうので、海軍だと隊司令でしょうか。

こちらに吊ってある軍服の袖は大佐(キャプテン)です。

もちろん艦長が使うこともあったようです。
アメリカの駆逐艦は一般的に隊ごとに4隻で構成され、
そのうちの1隻は旗艦として設計されていて、
司令官が座乗することになっていました。

この際、司令官は隊を指揮し、艦長は船を指揮します。

なんと、ラジオの上にタバコと灰皿があります。
今はアメリカは完璧なスモークフリー社会なので、
室内でタバコを吸うことは何人たりとも許されていません。

自衛艦でも基本禁煙ですが、甲板の後ろに灰皿があるのを
見たことがありますし、結構いろんなところにスペースがあるようです。

自衛官(特に船乗り)には喫煙者が案外多いようですね。 

 

通常この部屋は艦長室として使われていましたが、旗艦として
司令官が乗ってくると艦長はここを追い出されてしまい、
いちいち別の部屋に移動することになっていました。


で、そうなるとその下も全てがベッドを移動せねばならず、
結局は全員が階級に従ってランクを一つづつ下げることになりました。

ジョーイPは頻繁に隊司令が座乗したので、大移動を避けるため、
艦長の部屋はワードルーム、上級士官室の正面にありました。

司令官用の予備の部屋を置いておくという考えはなかったのね(笑)

急いで写真を撮ったので文字が読めません。(涙)
なんとか左のキャプションだけ苦心して(目を細めて)読んだところ、
艦隊司令だった大佐が任務を終えて艦を降りるところだそうです。

大佐の敬礼の仕方がいかにも!というか絵に描いたごとき海軍風。

この時、ジョーイPの艦長は内心また引越しか・・と憂鬱になっている。
に10シャムロック。 

その「艦長が頻繁に移動することになったキャプテンズ・シーキャビン」。
艦橋の極近いところに位置していました。

一人用のベッドもデスクも持ち上げて収納できるタイプ。
椅子は簡易ながら肘掛付きで革張りです。

帝国海軍でも、士官の椅子はたとえ戦地のキャンバス製であろうと、
差異化をはかるために肘掛がついているものでした。

それではまた移動。
リノリウムの床はケネディ家を意味するシャムロックのグリーンです。

 

 

このギアリング型駆逐艦は完成度が高く、第二次世界大戦で

「究極のステージに達した究極のデザイン」 

という評価を得たタイプです。
「アレン・M・サムナー」級の航続性能を改良により強化し、
「フレッチャー」級の最終発展型でもあったこの駆逐艦は、
戦後も余剰の(笑)分を世界各国の海軍で再就役し、そのどれもが 
1970年代を通して元気に稼働していたことからも、
優秀な艦であったことがなんとなくわかります。

ところで冒頭、このギアリング型の建造について、

「戦争が終わって大量に建造する必要がなくなったとはいえ、
”戦死した海軍軍人の名前”という命名基準であることを考えると、
一旦建造する計画になったものを無下に中止するのはなんだから、
とりあえず進水まで済ませたものは最後まで造ったのではないか」

という意図で書いてみましたが、調べてみたところ、なんと艤装中に
建造中止になってしまったのが厳密には3隻あったことがわかりました。

まずその1隻はホーエル (USS Hoel DD-768) 。
サンフランシスコのベスレヘム・スチールで1944年4月に起工しました。
これはジョーイPと同じ時期であったことに留意してください。

その頃にはアメリカは硫黄島を奪取し勝利を確信していたので、
駆逐艦の整備計画も大幅に縮小されることとなり、「ホーエル」は
建造を中断して進水前の状態のまま終戦を迎えました。
結局終戦から1年を経た1946年9月、ようやく正式に建造中止になったのですが、
造船会社の建造のペースの関係で放置されていたのではないかと言われています。

もう一隻の「アブナー・リード」 (USS Abner Read, DD-769) も
1945年5月起工したまま作業中止となり、同じベスレヘム社の船台に
置きっぱにされていたのですが、同時に中止が決まり、2隻とも
レイドダウンした船台の上で解体されて、その短い生涯を終えました。 

・・・いや、進水する前だから生まれてもないか。

 

同じ時期に起工したものであってもジョーイPやいくつかの同型艦は
ちゃんと完成してもらっているのですが、なぜ彼女らが
こんな目にあったかというと、それは艦名に理由があります。(たぶんね) 

「ホーエル」の艦名は南北戦争中のビックスバーグの包囲戦で戦功を挙げた
ウィリアム・R・ホーエル中佐にちなんでおり、その名を持つ艦としては、
レイテ沖海戦で戦没したホーエル (DD-533)に続いて2隻目でした。

さらに「アブナー・リード」も艦名は南北戦争で活躍し戦死した
アブナー・リード中佐にちなみ、やはりこれも2隻目となります。

おわかりいただけただろうか。

つまり、この戦争の戦死者の名前をつけることに決まっていた艦と違い、
南北戦争の英雄でしかも2隻目ならどこからも文句が出ないからですね。

 

たった一つ、戦死した本人もきっと不満に思っているに違いない
建造中止となったギアリング型の駆逐艦で、

「USS シーモア・D・オーウェンズ(DD-767)」

というのがあります。
オーウェンズという人は駆逐艦「ノーマン・スコット」 DD-690の艦長で、
テニアンで日本軍と交戦中、艦橋で被弾して戦死しています。

その名に因んだ駆逐艦の起工は1944年の4月には既に始まっていたのですが、
どういうわけか終戦時にもまだ完成していなかったので、
そのままその艦体は他の駆逐艦の補修などに流用され、1958年になって
ようやくその名前が海軍籍から抹消されるという扱いを受けています。

てかこれ、いくらオーウェンズ大佐がそんな’大物’でなかったとしても、
一旦名前をつけておいて・・・英霊に対してあまりに失礼じゃないか?

 

 

続く。


同期の桜〜海上自衛隊幹部候補生学校 部内課程卒業式

2017-02-09 | 自衛隊

最初にここ江田島に来た時には、憧れの聖地を踏んでいること
そのものに胸が潰れるくらいの感動を覚えたものです。

その後なんだかんだで数回もやってくると、当初ほどの感激は
もう感じなくなってきていたのですが、今回は特別です。

写真や映画でしか知らなかった卒業式が、ほぼ昔のままに
行われているのを目の当たりにしたわけですから。

現地でお会いした旧知の元将に、卒業式は初めてだと申し上げると

「江田島の卒業式は本当にいいものですよ。一度は見る価値があります」


ここ江田島を巣立ったそのご本人がこのようにおっしゃるということは、
海自幹部にとってそれは特別なものであり続けているということなのでしょう。

 

最近の海上自衛官の傾向として、海曹は士官になりたがらないと言われます。

給料はそう上がらないし、転勤が増え、引越しと単身赴任ばかり。
責任も同時に増えて下からの突き上げもある等々の理由だそうです。

この前日、五十六でご一緒した女性は自衛官とお付き合いしているのですが、
その点についての彼女とその彼氏の意見は

「准尉というのが自衛官として最も幸せな人生が送れる配置かもしれない」

ということでした。
んー、わたしにはイマイチわからないのですが、その心は、
幹部のメリットと(士官である)海曹のメリット(転勤がない)
をどちらも持っている、ってことなのかしら。


まあ、ということで、いわゆるB幹部になろうとする海曹は
滅多にいない、などという風評を耳にすることになるわけですが、
実際にそのB幹部、部内選抜の幹部候補生卒業式をこうして見る限り
言われているほどこれが忌避されているようには思えないんですよね。
実際に一定数部内選抜の卒業生がこれだけいるわけですし。 

 

国を守る仕事がしたくて自衛隊に入ったとはいえ、
彼ら一人一人にとってはそれも職業選択の結果です。
彼らがそれぞれ仕事に何を求めるかは千差万別であるのは当然。

海曹から幹部になることを「損」と考える人もいれば、自分の仕事に
損得以外の何か(これは人によって違う)を求める人だっているわけです。

某知恵袋で、海上自衛官の夫がB幹を目指すと言い出したので応援したいが
周りからはデメリットしか聞かない、という妻の相談を見ました。

それに対して、元自衛官であるという回答者の一人が

「そんなことは自衛官であるご主人は当然知っているはず。
幹部を目指す理由はお金の問題だけではないだろう」

と答えていました。

それをやりがいとか挑戦などという陳腐な言葉に当てはめたくはありませんが、
少なくともこの日卒業式に臨む幹部候補生の顔を見た限りでは、彼らが
楽と肩書き(≒お金)を秤にかけた結果ここにいるようには思えませんでした。

海上自衛隊もまた軍隊で階級社会ですから、防大・一般大卒のA幹部と
B幹部の間には厳然たる格差があるのが現実です。


しかし、海上自衛隊は、彼らが士官になるためにここを巣立って行くにあたり、
その門出としての卒業の儀式で彼らを遇する事において
A幹部との間に全く差異を設けていないことにわたしは改めて気づきました。

このことは、海曹の幹部候補生の卒業式というものに失礼ながら
一抹の物足りなさを(兵学校時代の再現という意味で)感じながら
今回江田島にやってきたわたしの考えを変えたと言っていいでしょう。


部内選抜を受けた海曹長たちは、1年間の(ですか?)
厳しい幹部候補生学校での日々を過ごし、晴れて卒業するその日、
ここ江田島で、かつての兵学校と同じで、かつA幹部と寸分変わらぬ、
大講堂での証書授与や表桟橋からの船出という伝統のもとに旅立ちます。

そのことが彼らの士気をどれほど軒昂たらしめることでしょうか。


もし、この卒業式がなければ、一般的に「割りが合わない」と言われる
部内選抜幹部を志す海曹の人数も今より少なかったかもしれない、
とすら全てを見届けたわたしは今思っています。 

さて、前回練習艦隊の写真が大変好評だったので、
「しまゆき」が単縦陣の最後尾にピタリと並ぶ寸前のシーン
(つまりわたしが表桟橋で撮った最後の写真)を上げておきます。

コメントにもありましたが、本当に美しい光景だと思います。

「まきなみ」「あさゆき」「しまゆき」

わたしも旧海軍に思い入れる立場から、(というか戦後の”配慮的変更”に
感情的に反発する気持ちから)艦名は漢字でないと!という派でしたが、
こういうのを見ると、ひらかなの艦名っていいものだと無条件で思いますね。

まあ、帝国海軍も艦体に「くか うやし」とか「アキヅキ」とか書いていたしな。

練習艦隊がまっすぐ一列になるかならないかの頃、わたしどもは
担当の自衛官に車に戻るように促されました。

本当のところ、もう少し表桟橋に居たかったのですが、

「混雑するのでその他(家族)の方々はその場にいてください」

というアナウンスを聞いてしまうと、デレデレしていて
彼らを待たせるわけにはいかないという気になり、
急いでマイクロバスまで戻りました。

海将クラスの車だと思いますが、副官が隣に乗り込んでいます。
もし間違いがなければ、これは海軍時代からの慣習のはず。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・* 

かつて陸軍の副官は絶対にボスと並んで座ることはしなかったそうですが、
今の陸空はきっと海軍式リベラルでやってるんだろうな。

早々にバスに乗り込んだわたしたちですが、同乗のグループが
なかなか帰ってきやしねえ。

カッターのデリックのあたりも家族の方々は自由に歩き回れるようです。

海曹のグループが整列していました。
ここでも帽振れしていたんですね。

内火艇に乗って出航する候補生たちにすれば、
岸壁一帯からたくさんの帽子が振られるのを見ることになります。 

 

前の車が行ってしまったので、次はこのバスが動きます。
なんども言いますが、ここから赤煉瓦まで歩いても大した距離ではありません。

しかしバスに向かって自衛官が敬礼してくれるという超特典付き。 
これだけとっても来賓扱いは堪えられません。

というわけで、赤煉瓦の正面玄関到着〜。

わたしの同行者は、この後小用の港まで送ってくれと交渉しています。

「わたしは全然構わないのですが、上に聞いてみないと」

と運転手の海曹さん。
わたしは当初の予定通り駐車場まで乗せてもらってタクシーでもよかったのですが。

この人が上にお伺いしてくれている間、少し時間があったので
わたしはここぞと玄関周りの写真を撮り始めました。

お天気が良く、絶好の赤煉瓦日和です。

中央玄関のホール。

 

ホール中央から右手、大講堂がわの廊下を望む。
ため息が出るほど美しい佇まいです。

かつてここを錨のバッジを詰襟につけた海軍兵学校の生徒が
往き交う様子がありありと想起されます。

わたしが熱心に写真を撮っていると、比較的年配の海曹が
建物によほど興味のある来客だと思ったのか(その通りなんですけど)
話しかけて来て説明をしてくれました。

なん年前かに行われた大改装の時に、内部の壁や扉などは全て新しく
取り替えられましたが、もちろん全てではないのだと。
例えば、この部分、正面ホールから木の床部分に上がっていく「たたき」
というべき部分の上のしきりなのですが、

「ガラスをみてください。明治時代にはめられたものが残っています」

いくつかのガラスは透かして見る向こうの物体が歪んで見えます。 

「じゃ、海軍兵学校の生徒は全員このガラスを通して外を見ていたんですね!」

説明してくれた人はなんだか妙なことを言う人だみたいな顔をしましたが、
わたしにとってはそのことがどれほどの感慨を呼び起こすか・・・。 

左から2枚目以外はオリジナルのガラスだったと思います。
変える必要のない部分はできるだけそのままにしてあります。

改装もできるならば全く内装に手を加えずに行いたいところでしたが、
耐震構造を施す必要があったので、多くの部分を取り替えざるを得ませんでした。 

 

しかし、床は昔のままです。
昔の軍艦の甲板の床がそのまま使われていると何かで読んだことがあります。
この床もかつての海軍軍人たちが(以下略)

 

正面玄関に立って左を見たところ。
ライトアップのための照明がありますね。

窓にも注目。
窓の木の桟は取り替えられたものです。

窓の下部分をアップしてみます。
花崗岩の窓枠の下部に、切り込みの筋があるのがお分かりでしょうか。
雨が降ったとき、雨水が窓枠からレンガに雨染みをつけないように、
ここを伝うようにする工夫なんですよ。 

床下の空気抜きも多分昔のまま。
動物が入り込まないように?網戸のようなネットが張ってあります。

 

さて、わたしが前回江田島に来たのは、兵学校同期会に同行したときでした。
一般には見せない宮様の宿舎や建築物をみて、ホールで呉音楽隊の演奏を聴き、
いよいよ出発直前、バスは教育参考館と赤煉瓦の間に停まり、
トイレを利用する方はどうぞ、という計らいがありました。

その時、わたしに

「トイレからずっと奥に行ったら『同期の桜』がありますよ」

と教えてくれた人がいて、わたしはカメラだけ持って飛び出し、
トイレに向かって全力疾走して切羽詰まった人と勘違いされた
(に違いない)ということを、ここでもお話ししたかと思います。 

結局その時「同期の桜」かどうかわからないままに撮った木は
あとで調べたら違っていたという残念な結末だったのですが、
今回は、もう余裕で(勿論走らずに)中庭を見にいくことができました。

ここまでやって来た(いろんな意味で)ことに感無量です。 

もっともわたしも最初からこの写真を撮ろうと思っていたわけではなく、
卒業式が始まるのを待っている時に、ふと思い出して、
去年卒業した幹部の母(知人)に

「今江田島なう」

と「頭痛が痛い」みたいな舞い上がったCメールを送ったところ、

「同期の桜見ました?」

と返事が来たので思い出しただけなんですけどね。

中央ホールから左手の廊下に出て真ん前にあったのがこの桜木。
写真で見たように周りを石で囲んであったのでこれだろうと思い、
母に確かめたらそうだというお返事。

さらに念のため説明してくれた海曹さんにも聞いて見たところ

「そうだと言われていますね」

とのことで、これがあの「同期の桜」決定です。 

これが咲いているところを是非見たいものだが、
果たしてA幹部の卒業式の日には咲くのだろうか。 
(独り言です)

海曹に小用の港までバスで送っていただき、わたしたちは
呉行きのフェリーに乗り込むことができました。

帰りのフェリーにはある元将の方(前の方々とは別将)が
現在お勤めの会社の社員を
多数引率してこられたらしく、
フェリーのデッキから
見送りの自衛官に全員で手を振っておられましたが、
後ろで見ていたら元将の方だけは「見えない帽振れ」でした。

親指とその他の指を合わせ、ゆっくり円を描くように・・。

 

さて、というわけで、江田島で体験した特別な時間、
幹部候補生学校の卒業式の見学記を終了します。

来訪に当たってお世話になりました関係者の皆様方には
この場をお借りしてお礼を申し上げる次第です。

どうもありがとうございました。