事情があって本来の用事が終わっても2週間くらい
アメリカ滞在を伸ばしたのですが、驚いたのは、9月半ばを過ぎたら
ここピッツバーグは急激に冬になったことでした。
9月に入ってもおそらく日本と同様日差しは強く、午前中にウォーキングをしていると
(マスクのせいもありますが)帰ってくると全身汗びっしょりだったのに、
中旬に入った途端、歩き出すときには寒くて歯の根が合わずに震え上がるほど。
確実に日本の冬より急激に訪れると言った感じです。
車で高速を走っていると「エリー/ワシントン」、つまりこの先で北に行けばエリー、
南に行けばワシントンという表示を見るのですが、
このエリーとはあの五大湖の一つのことなんですね。
ペンシルバニア州がエリー湖を挟んでカナダの真下であることを、
この早い冬の訪れによって実感することになりました。
ちなみにピッツバーグからエリー湖沿いのクリーブランドまでわずか車で2時間、
ワシントンDCまでは先日行ったデイトンと同じくらいつまり4時間という距離です。
この写真はかつてカーネギーのビジネスパートナーだった人の土地を整備して作った
フリックパークですが、この手の公園の中でもここは特に整備が行き届いています。
ここも発見してからは二日に一度の割合で訪れましたが、暑い間間苦労して
木陰の多いコースを開拓したのに、最後の頃は日向が有難いくらいの寒さでした。
寒くなってきたせいか、最後の頃は冬眠する動物たちが忙しそうでした。
こちらではめずらしい黒リスを一度だけ目撃しました。
しかしこういう写真は一眼レフでないと全くだめですね。
なんならシリコンバレーで撮った黒リスの一番レフ写真をどうぞ。
マーモットも後半になってから何度か目撃しました。
やっぱり彼らも冬眠するそうです。
アメリカではウッドチャックとか言われている模様。
森の中を歩いていると目の前を鹿が横切るのはしょっちゅうです。
まず1匹、彼(彼女?)は分隊の先遣隊といったところです。
先頭が渡り切ると安心してぞろぞろと続く彼の仲間。
人の姿を見ると慌てて木陰に避難し皆でこちらを見ていました。
そのとき後ろに気配を感じて振り向くと、
群れの1匹が道の反対側からこちらをうかがっていました。
わたしが来てしまったので皆に続いて道を渡りそびれてしまったんですね。
この不安そうな顔(´・ω・`)
ピッツバーグに縁ができ、時間が許す限り現地を歩いてきましたが、
やっぱり最初に発見したシェンリーパークは何度歩いても飽きません。
人工的な構造物はありますが、それらは前にもお伝えしたことがあるように
WPAという大恐慌のあとの失業者対策事業のころにできたものなので、
石積みだったりレンガが敷き詰められたりで実に風情があるのです。
シェンリーパークの一角にある公園のビジターセンターも当時の建築です。
カフェになっていて、パーティのために借りることのできる施設ですが、
今年はコロナのせいで閉鎖になっていました。
一度裏口の前を通ったら、この建物の修復にかかった資金は
アノニマス(匿名)の寄付によるものです、と書かれたプレートを見つけました。
おそらくこの資産家(かどうかは知りませんが)も、この公園を愛し、
わたしのようにここでのひと時を楽しんでいたのでしょう。
公園にベンチを寄付したりして自分の名前を好きな場所に遺す、というのは
アメリカ人がよくやることですが、匿名というのはなかなか粋です。
よくある名前より、「アノニマス」という存在の方に人は強い印象を遺すからです。
シェンリーパークの一部は大きく張り出すようになっていて、
MKの大学のキャンパスと小道を挟んで隣接しています。
ここは「フラッグフィールド」といって、国旗掲揚台があるのですが、
それはここにアメリカ星条旗のためのモニュメントがあるからです。
石碑のリースの中に書かれた文言は
「1777−1927
アメリカ合衆国国旗の生誕150周年記念」
その下には
「このモニュメントはアレゲニー郡の163校の学童が
ピッツバーグクロニクル通信社と国旗の日協会の後援により
集めた188万ドルによって建設されました。
1927年6月14日」
とあります。
このモニュメントの右下のプレートにある説明によると、
アメリカ国旗は1777年に最初に制定されてから、その後現在まで
27回もデザインを変えてきました。
このモニュメントはその最初の年から150年目にあたる1927年、
子供たちからペニー(1セント銅貨)を集めて作られました。
現在のアメリカ国旗(50個の星)のデザインは1960年から今日までと
史上最も「長生き」のバージョンとなっています。
こういう道が延々と続く公園が身近にある。
アメリカ人がうらやましくなるのはこういうときです。
散歩していて他の人とすれ違うと、アメリカ人はよく挨拶をするのですが、
コロナ以降はそれも変わってきました。
ほとんどの人が散歩中でもマスクをしており、狭い道ですれ違うときは
どちらかが脇に避けてソーシャルディスタンスを守ろうとします。
「モーニング」とか「ハイ」とか声を出す挨拶も控え、
手を挙げるだけの人とかが増えてきました。
テレビではいまだにマスクの有用性を啓蒙する特集が繰り返し放映されています。
あんなにマスク嫌いだったアメリカ人が、今ではこの通り。
もちろん散歩の時くらいと思うのかマスクしない人もいますが、
不思議なことにそんな人たちに限って連れと大声で喋りながら歩いてます。
さて、そんなアメリカでの変化を肌身で感じていたある日の散歩中、
わたしは二人のおじさんに少し離れた場所から呼び止められました。
イヤフォンで聞こえなかったので外してから何ですか?と聴くと、
「こっちにビーバーが齧った木があるんだけど知ってた?」
いい年したおじさん二人がまるでおもちゃを見つけた子供のように
嬉しそうに指差して教えてくれたのが、これ。
「あいつら一晩でこれくらい齧っちゃうんだよねー」
ビーバーというのは寒いところほどベルグマンの法則により体が大きく、
ヨーロッパでは20キロ、オハイオ州では成獣の平均体重は16.8キロあるそうですから
この辺りのビーバーもかなり大きいと思われます。
昔は体重50キロくらいのビーバーがいたそうですが・・・どんなだよ(笑)
次に行ったら、根元をかじられた木はこの通り倒れていました。
ビーバー1匹で例年結構な被害が?出ていると見た。
なんで木をかじるのかというと、彼らは川を堰き止めるダムを作り
そこに巣を構えるかららしいですね。
ダムには泥も塗って完璧に水を塞ぐんだとか。
おじさんたちに教えられて気づくと、結構被害があちこちに・・・。
葉っぱの枯れ具合からいって何週間か前に倒れたようです。
日本ならたちまち危険だからと倒れる前に木を片付けてしまうところですが、
アメリカの公園ではしょっちゅうあちこちを整備する割に
倒木などは自然のままにしておく傾向があります。
ビーバーが巣を作ろうとしているのならなおさら?
切り株に彫刻刀で削ったような歯の跡が刻まれています。
ちなみにおじさんにビーバーそのものを見たことがあるか、と聞いてみると
一度もないとのことでした。
アメリカに住んでいてもそうそうお目にかかる動物ではないみたいです。
親の仇のようにかじりまくってますね。
どんな奴がやったんだ。
はいこんな奴です↓
かわいくねー
おじさん二人には、わざわざ教えてくれてありがとう、と丁寧にお礼を言っておきました。
それにしても不思議なことがあります。
これだけ木をかじり倒した跡があるのに、どこにもダム巣らしきものが見当たらなかったのです。
wikiによると、ビーバーのダム作りは周辺の木を齧り倒し、泥や枯枝などとともに
それらを材料として川を横断する形に組み上げて作る、ということなので
倒した木はそれなりに川を堰き止めていないといけないはずなのですが、
写真を見ていただく限り、木が倒れているのが明後日の方向ばかりなんですよね。
ビーバーの巣作りは本能的なもので、親のやっているのを見て学習する、
という行動ではないそうですが、もしかしたらこの公園のビーバーは
まだ初心者で木をどう齧れば川を堰き止められるか要領がわかってないのかもしれません。
彼らは何年もかかって壮大なダムづくりを行うということなので
来年にはちょっと巣らしきものができているかも可能性もあります。
来年、機会があれば、このビーバーくんがどれだけ木をかじるのが上手くなったか、
ぜひ確かめに来ようと思います。
さて、ここからは全くの蛇足なのですが、散歩の時わたしはBOSEのサングラス式か
ソニーのイヤフォンで音楽を聴きながら歩きます。
今回、この曲をMKに教えてもらい、何度か聴いているうちに
「夏のピッツバーグ」イコールこのイメージに定着してしまったヤバい曲があります。
馬鹿みたいBakamitai (Full Lyrics) (Yakuza 0) - Hamburger Karaoke
MKにいわせると「〇〇ゲー」の類なんだそうですが、ヤクザ戦闘ものゲームの
主人公桐生一馬が歌うこのバブル時代のムード歌謡が今世界的にバズり気味で、
サビ部分のミームを作るのが密かにはやっているのだとか。
安倍前首相とか
FORMER japan pm shinzo abe senpai sings baka mitai
オバマ元大統領とか
obama sings baka mitai
習近平とか
Xi Jinping sings Baka Mitai
映画「シャイニング」とか、
第一次世界大戦時の世界のリーダーとか
WW1 Leaders Sings Baka Mitai (Dame Da Ne)
(直前にアメリカが参戦したところで爆笑してしまった・・)
第二次大戦時のとか。
Dame da ne WW2
いろんなバージョン皆競って作ってるんですよね。
日本語でこのカラオケを歌うのも流行っているとかで、もう世界中bakamitaiとしか(笑)
それからMK情報で面白かったのが、なぜかいま、竹内まりやの
「プラスティックラブ」が世界的にバズってるらしいということ。
なぜ竹内まりや?なぜこの曲?